柳生比呂士の憂鬱な日々(6)



 柳生の調べたところによると、本日のバスケ部のスケジュールは体育館での試合形式のトレーニングとなっているようだった。つまり一年生も含め、ゲームの見学でほとんどの選手は体育館に集まるという事だ。まさに、部室への侵入へのチャンスである。
「幸い、体育館と部室棟はかなり離れています。さんは、部室棟の外から見張りをして、バスケ部のメンバーが近づいてくるようでしたら、私の携帯に連絡を入れていただけますか」
 放課後、東門の隅で二人は打ち合わせをしていた。
 侵入に際しては、が言うように確かに見張りは必要だと判断し、柳生は彼女の申し出を受け入れたのだ。
「うん、わかった」
 が柳生の言った番号を携帯で発信すると、マナーモードにしている柳生の電話がブルルと震える。
「テストはOKですね。では、行きますか」
「うん。あの……気をつけて」
 はやけに心配そうに柳生を見た。普段、強腰な態度の彼女もこういった事となると、ひどく弱々しく見える。女性というのは度胸がありそうに見えてもわからないものだな、と柳生は少しおかしく思いながら、彼は部室棟へ、は体育館へとそれぞれの持ち場へ向かった。
 東門のあたりの木陰から、柳生は部室棟を観察しつつからの連絡を待つ。
 10分ほど経った頃だろうか、彼の携帯が鳴った。
「はい」
 1コールも終らぬうちに通話ボタンを押す。
「あ、柳生くん、今ね、ゲームが始まったよ。ほとんどの部員はこっち来てるんじゃないかな」
「そうですか、わかりました。では、私は部室に向かいます。あなたは引き続き、そちらからの見張りをお願いします」
「了解!」
 の張り切った声を聞いた後、携帯を上着のポケットに仕舞うと、彼は部室棟へ向かった。
 廊下からバスケ部の部室をまず遠目に伺う。他の部もちょうど皆練習に出ている時間帯だ。ちらちらと周囲に目を配りながらゆっくりとバスケ部の部室に近寄ると、案の定物音はなく、誰もいないようだった。それを確認すると、柳生は念のため小さくノックをした後、そうっとドアノブを回す。どこの部も、活動中は大概施錠されていない。それはあっけなく開き、柳生は誰もいないバスケ部の部室に入り込んだ。
 ポケットから携帯を取り出すと、電波状態を確認した。アンテナはきちんと立っている。
 そして、まずぐるりと部屋の中を見渡した。
 だいたいどこの部も同じような広さだ。ミーティングテーブルにAV機器、ロッカーに物品置き場。それらの配置が少々異なるくらい。
 柳生は、まずロッカーを見た。
 あまり感心のできる事ではないのは分かっているが、ここはまず石倉個人のロッカーをチェックするべきであろう。ロッカーの並びを見ていると、彼の名前の貼ってあるロッカーは難なく見つかった。柳生は一瞬躊躇するが、そのロッカーの扉をそうっと開く。中には雑誌やタオル・着替えなどが簡素に置かれているだけであった。中を探る事はさすがに抵抗があるので、彼はその使い込まれたロッカーの内扉を観察する。古いメモや、くだらないシールなどが貼られている。残念ながら、手がかりになりそうな写真などが貼られている様子はない。ふと、彼は何気なくロッカーの内扉に付属している小さな小物入れを覗き込んだ。中には、シャツのボタンやクリップ、そういったどうしようもない物が入っており、ふとその中に紛れて小さなカラフルな紙切れが入っているのが見えた。彼はそれを指で摘み上げる。
 それは紙切れではなく、いわゆるプリクラシールであった。
眼鏡をくいっと持ち上げてそこに写っている二人の男女に目を凝らすと、男はもちろん石倉。そして女の方は、ではなかった。見覚えはあるが、名前の思い出せない女子生徒。
 柳生はそれを手にしたまま、石倉のロッカーを閉じると部の資料等が置かれている保管庫に急いだ。
 部誌やスポーツ雑誌の間から、彼は素早くアルバムを見つけ出す。
中を繰って、石倉が入部した年からのページに目を通す。試合での集合写真、また部内でのちょっとしたイベントでの写真が挟まれている。
 ページを繰っている間に、柳生は目的の人物を発見した。
 先ほどのプリクラに写っていた女子だ。
 その写真を見て、柳生は彼女の名前を思い出した。三年E組一条利江、確かチアリーダーの部員だった。試合での集合写真と思われる中に、彼女も交えて写っている写真をいくつか発見した。
 そして柳生は、彼女についての記憶をたどる。
 彼女を見かけた記憶は、チアリーダーとしてだけではない。
 クラスは異なる彼女だが、彼のクラスの近くで時折見かけた。
 と親しげに話している姿を。
「柳生くん!」
 その時、部室の扉を開けてが慌てた様子で飛び込んできた。
 柳生は面食らって顔を上げる。
さん、何かあれば電話を、と……」
 言いかける柳生に、はたたみかけるように言った。
「何度も電話したのに! そこ、電波状態悪いでしょ!」
 彼女は苛立ちながら言う。柳生はあわてて電話を見ると、その保管庫の辺りはたまたま電波の悪い場所だったのか、圏外になっていた。柳生は自分のミスを呪った。
「それより、急いで! 三年生が部室に向かってきてるの! 尚之もいる!」
 彼女の声に、柳生は急いで手元のアルバムを保管庫に仕舞った。
さんは、先に……」
 彼女には先にここを出ておいてもらおうと指示を出そうとした矢先、部室の外の廊下から男子生徒の笑い声が聞こえてきた。その中には、聞き覚えのある石倉の声も混じっている。
「柳生くん、どうしよう!」
 その声に気付いたらしく、は扉の方から柳生の近くに駆け寄ってきた。
 廊下に彼らが来ているという事は、部室から出てゆく事は不可能だ。
さん、こちらへ!」
 柳生はの手をつかんで、部屋の奥のロッカーと壁の隙間へ入り込んだ。長らく使われていないだろうボードやなんかの不要品が立てかけてある中に入り込み、二人を隠すようにそれらの位置を直す。丁度その作業が済んだ瞬間、部室の扉が開けられた。
「急ごうぜ、最初のゲーム、始まってるだろ?」
「ゆっくりで大丈夫だって。見ごたえのあるレギュラーの奴らのゲームはまだだよ」
 賑やかな話し声の中に混じって、明るいながらも落ち着いた穏やかな石倉の声が聞こえた。
 鞄をテーブルに置いて、椅子を引く音が聞こえる。
 柳生とが隠れた隙間は、ちょうど彼らからは死角になって見えない。物音さえ立てなければ、見つからないはずだ。引っ張り込んだの背を壁にぴったりと押し付け、柳生は彼女を覆い隠すように前に立つ形になっていた。頭一つ分と少し柳生よりも背の低いの顔は、ちょうど彼の胸のあたり。壁についている柳生の両手の隙間から、部室の様子が少しばかり見えるだろう。意外に小柄だったのだな、と改めて思う。
 石倉と、あと同じく三年生とおぼしき二人はなかなか着替えをせず、しばしミーティングテーブルに腰掛けて、二年生のレギュラーについて楽しげに話していた。早く着替えて出て行って欲しいものだ、と思いながら柳生は息を殺す。も同様に思っているのか、ゆっくりと深呼吸をしつつも緊張しているらしくその肩は小さく震えていた。
 しばしの談笑の後、三人は着替えを始めた。ロッカーを開け閉めする振動が伝わってくるたびに、どきりとする。
「よーし、あいつらの成長っぷりを見て、久しぶりにいっちょもんでやるか」
 一人が大声で言って、乱暴にロッカーを閉めた。その振動で、二人の周りに立てかけてあったポールが動く気配があり、柳生はひやりとした。が、が素早く手を伸ばしてそれを掴み、倒れてゆく事は免れたようで、柳生は思わず安堵の息を吐く。
「石倉、俺たち、行ってるぜ」
「おぅ、俺もすぐ行く!」
 先に着替えを終えたらしい二人は、足音を響かせながら部室を出て行った。
 間もなくしてロッカーの閉まる振動があり、石倉も着替えを終えたようだ。すぐに彼も出てゆくだろう。彼が扉の方へ向かう足音を、ほうっと静かに息をつきながら柳生が聞いていると、突然に携帯の着信音が聞こえる。
 柳生はマナーモードにしていたはずだ。もしや、のものか? 激しく心臓が動き出すが、石倉がバッグを探る音。どうやら彼のものだったようだ。
「……あ、もしもし」
 彼は静かな声で電話に出た。
「おう、今、大丈夫。うん……今日は、部で試合形式の練習があってさ、ちょっと顔出す事になった。うん、うん……」
 彼の話し声はおだやかで優しげで、そして言いようのない嬉しそうな雰囲気が漂っていた。そして、この静まりかえった部室の中にかすかに響く、その携帯電話の通話相手の声は、明らかに女性のそれだった。にも聞き取れたのだろう。ポールを掴んでいない方の手で、柳生の上着の裾を、ぎゅっと握り締めるのが見える。もちろん彼の真下の、その顔の表情は見えないけれど。
「うん、その件は土曜日に話そうぜ。ああ、わかってるって、遅れねーよ。うん、うん……大丈夫だからさ……。じゃあな」
 柳生には石倉の表情も見えないけれど、おそらく大切な相手に話しているのだろう様子が伺えた。その『大丈夫』という言葉は、とても愛しげで。
 彼はそれきり電話を切ってまたバッグに仕舞い、部屋を出て行った。足音が遠くなってゆくのを確認すると、柳生は急いでその隙間を出て、そうっと廊下をのぞいた。
「……さん、今です!」
 彼が手で合図をすると、も走り出して来て、彼と共に部室を脱出した。
 人に見られぬよう、素早く部室棟を抜け、二人はそのまま東門から帰路に着いた。
「すっごいどきどきした! 私、あんなの初めて!」
 は埃まみれになった制服をはたきながら言った。
「私だってそうですよ」
 彼も上着をはたいて答える。
「あれでさー、もし見つかってたら、めっちゃヤバくない? 大山と西浦さんじゃないけどさ、二人何やってんだー! みたいな」
 彼女はやけに明るい声で言う。
「本当ですね。さんまで部室に来る事はなかったのに。私一人なら、見つかっても何とでもなりますし、私がやろうと言い出した事なんですからあなたまでリスクを負う必要はありません」
「まあ、結果的に見つからなかったしいいじゃない。大体、いくら私がメチャクチャ言うヤツでも、さすがに柳生くんほったらかして逃げられないよ」
 きっと、彼らが部室に向かうのを見て、彼女は相当慌ててそして全速力で走ってきたのだろうなと想像すると、そんな姿がちょっと意外で柳生はおかしかった。
「それにしても、柳生くんすごいね。ドラマかなんかの探偵みたい。将来、探偵になったら?」
「いいえ、もう今回でこりごりですよ。小説だけで十分です」
 彼はため息をついて首を横に振った。
「……まあ、収穫はあったよね」
 は小さくつぶやいた。
「やっぱり土曜日、彼女に会うんだ」
 柳生は思わずポケットの中に入れてきてしまったプリクラの写真を思い浮かべた。
「……つきあっている彼女とは、限りませんよ」
 彼はポケットに手を入れてそれを指先でもてあそんでみたけれど、結局取り出す事はしなかった。
「柳生くんも尚之が電話で話すの聞いてたでしょ? 普通さあ、男の子って彼女以外の女の子にあんな風には話し掛けたりしないと思わない? どうよ」
 柳生の頭の中でリピートされる石倉の会話に、恋人同士らしい語らいがあったわけではないが、確かに特別な相手にかけられる調子の声だった。それは、彼にも分かる。
「……では、土曜日の捜査で事件は解決ですね」
「でも、どうやって? 会う場所とか、わかんないよ?」
 足を止めて彼を見上げるを見て、柳生はふっと笑った。
「探偵の基本ですよ。『尾行』です」
 眼鏡のブリッジを持ち上げながらもったいつけて言う彼を見て、もおかしそうに笑った。
「やっぱり柳生くん、ノリノリだね」
「そうでもありませんよ」
 立ち止まった十字路は、ちょうどそれぞれの家への分かれ道で、は彼に手を振る。
「じゃあ、今日はお疲れ。どうもありがとう、また明日ね」
 が、柳生はそのままの家に向かう道へ歩き出す。
「家までお送りします」
「でも、今日はそんなに遅くないから大丈夫よ」
 彼女は意外そうに彼を見上げた。
「まあ、何と言うんでしょうか、ここまで来たんですから『ノリ』でお送りしますよ」
 彼の言葉に、はおかしそうに笑う。
「そう? ありがと。ノリノリの探偵さん」
 柳生は、彼女がそれ程『大丈夫』とは思えなかった。
 ロッカーの陰に隠れて石倉の電話を聞いた時、彼の上着の裾を握り締めるの手は、本当に固く固く握り締められて真っ白だった。
 あの時の彼女は、一体どんな顔をしていたのだろう。
 歩きながら軽い口調でしゃべっては笑うを、彼は眼鏡の隙間からちらりと横目で見た。

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2008.1.28




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