柳生比呂士の憂鬱な日々(5)



 さて、柳生が仁王に成り代わって、しばし石倉の周囲を観察した事によって得た情報は、彼にとって、石倉との間柄や石倉の気持ちを推測する助けにはなったが、へ具体的に報告するとなると、明確なものはほとんどなかった。
 果たして石倉は何を考えて、とのこのような状況を選んでいるのか?
 石倉には新しい恋人がいるのかどうなのか?
 推理小説を読み解くようが如く、いつしか柳生はその真実へたどり着く事に、ひどくむきになっていた。
「ですから、まずこういう単純な仮説が成り立つわけです」
 例の公民館の談話室で、柳生はホワイトボードを使いながら熱く語っていた。
「まず、石倉くんに新しい恋人が、いるかいないか」
 ホワイトボードに、『いる』『いない』と、書き込んだ。
「そして、『いる』としてもですね、彼にはそれをあまりオープンにしたがらない傾向にあるようです。そして、新しい恋人が『いる』場合にも、それが学内の者か学外の者かという点」
「ああ、他校の子かもしれないって事?」
 若干うんざりしたように話を聞いていたが、ようやく質問をしてきた。
「はい、そうです。例えばその相手が学外の者や遠距離である場合、我々が調査で存在を確かめようとしても、なかなか難しい。日常の学校生活でその存在を確認する事はできませんし、普段はおそらく電話やメールなどでしかやり取りをしないでしょうからね」
「はあ。学外の可能性も高いのかなぁ」
「さあ、わかりません。どちらにせよ、本日、有益かもしれない情報を一つ掴んで来ました」
「へえ、なに?」
「彼の週末の予定です」
 柳生は得意げに言った。
 今日、石倉と昼食を取りながら、彼は仁王として石倉を週末のイベントに誘ってみたのだ。クラスの数人で勉強の息抜きにカラオケでも行かないかという、後でどうとでもなりそうなでっち上げだ。が、石倉は土曜は予定が入っているのだと答えた。
「デート!?」
 は身を乗り出して声を上げる。
「それはわかりません。が、その可能性も高いと思われます。お相手が学外の者である場合、週末にしか会えないなども考えられますしね。また、学内の者であっても普段公にせず、学外でしか会わないという事もある」
 彼女は感心したように頷いた。
「柳生探偵、すごいねえ。なんか結構ノリノリじゃん」
「……あなたがやらせているんでしょう」
 柳生はちょっと眉をひそめてフンと鼻を鳴らす。
「その週末の予定というものは、もちろん調査に値すると思いますが、その前にバスケ部の部室を調査しようと思います」
「部室ぅ!?」
 さらりと続けた柳生の言葉に、はひっくり返りそうな声を出した。
「そうです。彼はいまだ時々バスケ部に顔を出しているという事でした。部室というのは、三年間過ごしたところで、ある意味教室よりもずっとその人『そのもの』が現れやすい。部員同士での雑談もしかり、部室に置いてある私物についてもしかり。私は明日、バスケ部の部室を調査します」
「えっ、でも柳生くん、それってバレたら結構めんどくさいんじゃないの?」
「調べに行くのは私ですから、ご心配なさらずに。見つかったとしても、のぞきという評判が立つよりは大分マシでしょう」
 彼が嫌味半分で言うと、は苦笑いをする。
「けど、もし何かあったらさー。……柳生くん、なんでそんなにノリノリなわけ」
 はやけに心配そうに彼を見た。
「私は一度読みかけた本を途中でやめるだとか、そういう事はできない性分なのです。やるならば、きっちりと徹底的にやらないと気がすみません」
「あっ、そう……。部室かぁ」
 は脚を組んで、椅子をぎしぎしと揺らす。
「……じゃあさ、私も一緒に行くよ。見張りとか要るでしょ?」
「しかし、もしあなたがもし石倉くんに見つかったら、その方が面倒くさいのではないですか」
「二人の方が、作業もはかどって見つかる可能性が低くなりそうじゃない。それにさすがに、柳生くん一人にそんな事させるってのもねぇ、悪いじゃん」
 椅子を揺らしながら話す彼女を、柳生は少し不思議な気持ちで見ていた。
 彼にとって、疎遠なクラスメイトだったは、ひょんな事から突然に脅迫者になり、次に依頼者になり、そして今度は探偵としての彼の助手に。
 あまり行儀が良いとは言えない彼女がどんな人間かまだよく分からないが、少なくとも不誠実ではなさそうだ。いつのまにか、柳生は彼女との会話を当初よりも大分しっくりとスムーズに感じてきている事に気付いた。
「……では、明日の放課後、一緒に捜査いたしましょう」
 柳生はホワイトボードに書いた文字を消しながら彼女に言った。
「……捜査ねぇ」
 彼の背後では、がクスクスと笑うのが聞こえる。

 その日は少々遅くなってしまったので、柳生は遠回りをしつつもを家まで送って行く事にした。
「ええ! 送ってくれんの! さすが紳士だねぇ」
 は大げさに驚いて見せる。
「風紀委員ですからね、学校周辺のパトロールなども担当していますし、遅い時間の女子生徒の帰宅については気をつけなければなりません」
「へえ。よく女の子送って帰ったりするの?」
「そうですね、委員会の仕事で遅くなったりした場合、同じ委員の女子を送って行ったりします」
「なるほどねえ、ほんとに紳士だ」
 彼女は感心したように言った。
「そっか、柳生くん風紀委員だったんだよね。ぴったりじゃん。風紀委員は真田くんが委員長なんだっけ」
「そうですよ。……ああ、そういえば今日、真田くんが……」
 柳生は、今日の午後に真田弦一郎が話していた事を思い出して小さく笑った。
「彼が昼休みに書をしたためようと和室に行ったら不届き者がいた、と怒っていましたよ」
「なによ、不届き者って」
「我がクラスの者が、和室で不純異性交遊に耽ろうとしていた、との事です」
 は一瞬きょとんとして、そして次の瞬間手をたたいて笑い出した。
「それって、大山と西浦さん? よりによって、今度は真田くんに見つかっちゃったワケ? で、真田くんはどうしたって?」
「彼が書の道具を持って和室に入ったら、二人がそういったありさまだったので、その場で正座をさせてお説教をして来たそうです」
 の笑い声は一層大きくなった。
「えー、説教って! それで今日の午後、あの二人は互いに口もきかないし妙に元気なかったんだ。説教ねえ。真田くんが部屋に入っていった時に、どうなの、まさに最中だったわけ?」
「さあ、そこまでは聞いていませんが、真田くんがその場で説教をできるくらいですから、まあその程度の段階だったんじゃないですか」
「なるほどねえ。けど、生徒会資料室に屋上、次は和室って、ほんとヒネリがないよねえ。それにしてもこう毎回毎回寸止めで、大山って今日なんかはこう、あそこをたたせたままでお説教を聞いてたのかなあ。ねえ、どう思う?」
 笑いながら言ってくるに、柳生はため息をついた。
「ですからね、さん。女の子がそういう事を言ってはいけませんよ」
「ああ、ごめんごめん。でも、マジでどうだったのかなーとか気になっちゃってさ。昨日、屋上から逃げる時なんかもねえ」
「女子が、クラスメイトとすべき話題ではありません」
「だって、柳生くんが言い出したんじゃん」
 相変わらずおかしそうに笑っている彼女を見て、柳生はまたため息をついた。
「わかりました、私の意見を述べましょう。おそらくあの真田くんに怒鳴りつけられてしまっては、大山くんもすっかり萎えてしまっていたのではないかと思います。ハイ、これでいいでしょう。この話題は終わりです」
 柳生がぴしゃりと言っても、まだはおかしそうに笑ったまま。
「あ、なるほどね。なんかリアリティがあるなあ。そういう経験あったの?」
「あるわけないでしょう! 一般論から導き出した推測ですよ! さん、いい加減にしたまえ!」
 さすがに柳生も声を厳しくして言うと、も深呼吸をして笑いがおさまったようだった。
「ごめんごめん。それにしても、私に怒鳴られ、仁王くんに笑われ、真田くんに説教か、笑っちゃうな。西浦さんもかわいそう。これがきっかけで別れる事になったりしたら、ついてないよね。つきあい始めたばっかみたいなのに」
「まあ、そういった困難を乗り越えてこその関係でしょう。だめだったのならば、自業自得というものです」
「……柳生くん、結構厳しいね」
「そうですか? 普通ですよ」
「困難を乗り越えてこそ、ねぇ……」
 がふと眉をひそめて、空を見上げた。
 と石倉は、何かしらの困難を乗り越えられなかったのだろうか?
 柳生はそんな事を考えてみたけれど、やはりそれは自分には関係のない事だと、改めて自分の中で確認をした。柳生はから与えられた命題のみを解くために、取り組んでいるのだ。それ以外それ以上の事には興味を持つべきではない。
 が今回の依頼の相手に自分を選んだ理由は、もちろんタイミングもあったろうが、彼がを好ましいと思ったり興味を持ったりしない人間だと彼女は見抜いていたからだろう。柳生にはわかっていた。そして彼は、おそらくが期待している通り、依頼人にもそのプライベートにも興味を持たぬ理路整然とした探偵なのだ。
 が薄暗い空を見上げている間、柳生はそんな事を心の中で確認しながら彼女の隣を歩いた。

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2008.1.27




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