柳生比呂士の憂鬱な日々(3)



 公民館を出てと別れた柳生は、そこから市営図書館へ行く気分にもならず家へ向かった。自室で、しばし頭を巡らせる。どうしたって、今回のの依頼から逃れる術はなさそうだ。という事は、いかに迅速に仕事をすませるか。
 彼は前述のように気持ちの切り替えは不得意ではない。
 今日、から聞いた石倉尚之のデータを整理して、そしてクラス名簿等を見て、仕事の首尾を考えはじめた。
 石倉尚之は元バスケ部の副部長で、柳生の印象としては、背が高く整った顔立ちの明るい性格で、非常に分かりやすい人気者だ。つまり、とはまさにお似合いのカップルというわけだ。そういえば、彼女と石倉が一緒にいるところを何度か目にしてはいるが、柳生は彼ら自身にさして興味がなかったため、ステディな関係であるという事は明確には認識していなかった。が、おそらく公認のカップルといったところなのだろう。そういった二人が、『しばらく距離をおく』という事は、事実上別れに近いと周囲には認識されているに違いない。多分、本人もそれはわかっているはずだ。それで、新しい女がいるかどうかを調べて、彼女はどうしようというのだろうか。突き止めて、本人のところにいわゆる『カチコミ』? それはなかなかぞっとしない想像ではあるが、女の嫉妬や執念というのはちょっと彼には計り知れないもので、あまり詳細に考えたいものではなかった。それに、調べ上げた結果をどうするのか、というのは探偵の業務の範囲外だ。
 とにかく自分はさっさと目的を果たそう、と再度思考を元に戻した。
 柳生が石倉に接する事のできる、不自然ではない機会といえば、やはり体育の時間であろう。
 調査の基本は、まず相手を知ることだ。ちょうど明日は体育の授業がある。手始めに、その機会を存分に生かすとしよう。彼はそう心に決めると、クラス名簿と時間割表を片付け深呼吸をすると、勉強を開始した。



 翌日の体育の時間、更衣室へ行くのが少し遅れた柳生はあわててグラウンドへ走って行った。今日の体育は男子はB組と合同でサッカーだ。できれば、石倉と同じチームになりたい。が、彼が到着するのが若干遅かったようで、すでにチームはほぼ出来上がっており、石倉のいるチームに柳生が入る余地はなさそうだった。
 石倉のチームに視線を走らせると、ちょうど同じクラスの真田弦一郎が目に付いた。柳生はさりげなく彼の隣へ行き、『真田くん、申し訳ありませんが、チームを替わっていただけませんか』と言ってみる。すると、真田はきゅっと眉をひそめて柳生を睨みつけた。
「どうしてだ、柳生。すでに俺はこっちのチームと決まった。今更替わるわけにはいかん」
 うすうす想像はできたが、真田から返ってきたのはなんとも融通の利かない答。
 彼にはそれ以上言っても無駄だと分かるので、柳生は軽くため息をついてやむを得ず元のチームのメンバーのところに戻ろうとすると、ポンと背中をたたかれた。
「なんじゃ、こっちがええんじゃったら、俺がかわっちゃるよ」
 声の主は仁王雅治だった。仁王は隣のB組で、石倉と同じクラスだ。今日の体育は仁王はサボりか遅刻かと思っていたので、意外に思いつつも、柳生は感謝の目で彼を見た。
「すいません、ありがとうございます、仁王くん」
 彼は、ええよ、と笑いながらそれ以上柳生に何も聞かない。
 真田弦一郎も確かにかけがえのない友人であったが、ダブルスパートナーである仁王の、こういうところが柳生は本当に好きだった。

 さて、寒い中でのサッカーはほどよく体が温まり、柳生と石倉のいるチームは調子よくゲームを進めていた。石倉はなかなか足も速く、見事にボールを追ってはパスを決めてゆく。バスケ部だけあって、声出しのタイミングも良く、非常に快活で好感の持てる男子生徒だった。彼らのチームの試合が終って、休憩がてらチーム内で雑談をしている様を、柳生はじっと観察していた。隠し事をするようなタイプには見えないな、と思いながら石倉を見ていると、ふと目が合った。
「おう、柳生、さすがにパスのコントロールよかったな。サッカーも上手いじゃん」
 にかっと彼に笑いかけてきた。思わず柳生も口元をほころばせる。
「ありがとうございます。しかし、チームプレイに関しては、やはり石倉くんにはかないませんね。素晴らしい」
 柳生はお世辞でなく言って、笑いあった。
 彼の笑顔を見ると、そういえば暑い時期にはと二人で笑いあっていたりした姿を見かけたものだ、と頭の中での何気ないイメージがよみがえる。の顔は、昨日の不機嫌そうな表情の印象が強くて、その記憶の中の笑ったというのはひどく新鮮な気がした。普段、教室では笑っている事がほとんどの彼女だというのに。

 とりあえず体育の授業で改めて石倉を観察してみてわかった事は、彼は人当たりがよく運動もできて非常に好感の持てる男子生徒という事だった。が、それは依頼人に報告し得る程の情報ではない。さて、これからどうやって探っていったものか、と考えながら更衣室で着替えをしていると、彼の後ろで、今日何度も試合中に聞いたよく通る石倉の明るい声が聞こえた。
 そういえば、彼のロッカーは柳生それの列の隣だった。
「そういえば石倉、最近と飯食ってねーのな。ケンカ中?」
 彼の同級生が屈託のない声で尋ねていた。柳生は着替えの手を止めず、じっと聞き耳を立てた。
「ええ? 別に〜」
 石倉の声の調子は相変わらず明るいが、すっとトーンが落ちた。
「お互い進学を控えてるし、ちょっと勉強に集中しようぜって感じだよ」
 彼が言うと同級生の笑い声が続いた。
「なんだよ、らしくねーなー。を狙ってる奴多いし、ヤバいんじゃねーの」
「ま、そん時ゃそん時だしな」
「おいおい、冷めてんのかよ、もったいねー」
 はやしたてる同級生の言葉に、石倉の次の返事はなかった。
 さっさと着替えを終えたらしき彼らは更衣室を出て行った。
 柳生も、きゅっとネクタイを整えるとロッカーを閉じて、廊下に出る。
 と、同じく着替えを終えたらしい仁王と顔を合わせ、二人は共に教室へ向かった。
「ああ、今日はありがとうございました。てっきり仁王くんは昼休みに屋上に行って、そのまま体育の時間も昼寝かと思っていましたよ」
 彼が言うと、仁王は肩をすくめて笑った。
「俺もそのつもりじゃったがのぅ。ほら、お前のクラスの、大山と西浦っておるじゃろ」
 仁王の上げた名前に一瞬彼はクラスメイトの顔を思い巡らせると、ああ、と昨日の資料室での二人が思い浮かんだ。
「昼休みにあいつらが屋上でいちゃついとっての、おっ始めそうになっちょったんよ。別にそのまま見ちょってもよかったんじゃがのぅ、大山の野郎、どうにも慣れてなさそうでとても見ちょれんわ思うて、咳払いしてやったらあわてて逃げて行きよった。それですっかり目が覚めちまって、真面目に体育に出るハメになったっちゅうわけよ」
 仁王はクックッとおかしそうに思い出し笑いをして言った。どうやらあの二人は、愛のジプシー初心者といったていで、学内の『人がいなさそうで、その実結構いるところ』にばかり行き当たっているらしい。
「生徒会資料室あたりにもシケ込んで来てお前さんの読書の邪魔をするかもしれんし、気ぃつけんしゃい」
 ご忠告ありがとう、と言いながらも内心、残念ながら遅かったのですよ、とつぶやいた。
 昨日、から脅迫まがいの依頼を受けた時、この仁王が傍にいてくれたらなんとか上手い切り返しを考えてくれたかもしれないと思うと、返す返す残念である。



「……というわけで、3−1で、私と石倉くんの入ったチームは見事に勝ちました。さすがにバスケ部、複数の人数の動きを把握してゲームを動かすという事に長けていますね。私はボールさばきなどの正確さには自信はありますが、普段1対1もしくは2対2のゲームをしていますから、やはり少々勝手が違います」
 例の公民館の談話室で、は頬杖をつきながら柳生の話を聞いていた。
「柳生くん、体育の時間のサッカーの展開についてはどうでもいいよ」
「……ああ、そうですか。なかなか良い試合でしたので……。あの石倉くんというのは、とても好ましい生徒ですね」
「うん、まあ付き合ってたんだから、それも知ってるしー」
 彼女の言葉は、いつのまにか過去形になっていたが、それは違和感はなかった。
「それもそうですね」
 とは言うものの、今日のところ、柳生探偵はさして報告する事実がないのだった。
「……ああ、石倉くんは、あなたとの事をお友達に尋ねられたりしていましたよ」
「ふうん、何て言ってた?」
 柳生は今日更衣室で聞いた事を、なるべくそのままに、彼の主観は交えずに伝えた。
「……あ、そう」
 は別段、感情の変化も見せず、小さくつぶやいた。
「特に、他の女性の事は言っていませんでしたし、お昼休みも男友達と食事をしていたようですね」
「うん、だからさ、簡単に人に言ったり、その辺でしょっちゅう一緒にいたりしたら、私だってすぐにわかるっての」
「……あまり、隠し事をするようなタイプには見受けられませんが……」
 彼の言葉に、彼女がキッと睨んでくるので、彼は『もちろん、まだ調査を重ねる必要はあると思います』と続けた。
 は両手を頭の後ろで組んで、椅子の背にもたれて大きく息をついた。
「あっ、そうそう、体育の時間に友達が言ってたんだけどね、大山と西浦さん、今日の昼休みは屋上でいちゃついてたらしいよ。まったく、よくやるよねー」
 彼女の言葉に、仁王に笑い声が頭によみがえった。
「ああ、仁王くんも言ってましたよ」
「そうそう! なんかね、私の友達はそこでお弁当食べてたらしいんだけど、おーおーアツいねーなんて見てたら突然二人が逃げ出して、その後で仁王くんが大笑いしてたって。そりゃ、仁王くんに監督されてたら集中できないよねぇ」
 彼女もおかしそうに笑う。
 そうそう、彼女はそういえばいつも教室でこんな風に笑っていたっけ。
 昨日から、柳生には妙な緊張感しか与えない彼女だったが、柔らかくなったその表情は思いのほか暖かかった。
「仁王くんも、昼寝してたんでしょ? まったく人が寝てる時に、イヤイヤうるせーっつの!」
「まあまあ。イヤといっても、あれは本当にイヤという訳ではないのでしょう。おそらく彼女が、ああいった行為によって感情がかき乱される事に対する危惧というか……」
 またもや言葉が乱暴になりそうな彼女を宥めようと彼が言うと、はじっと柳生を見て、おかしそうに口元を押さえる。
「……なんですか」
 彼が怪訝そうに言うと、は笑い声をもらす。
「いや、それくらいわかってるけどさ。何、柳生くんって、そういうの詳しいの? 実体験?」
 がからかうように言うので、柳生はムッとして少し眉をひそめた。
「いえ、一般的見解、というのを述べたまでですよ」
「ふうん。そういう一般的見解って、どこから得てくるわけ?」
「……探偵は、そういう情報源は明かせません」
 ぴしゃりと返すと、相変わらずおかしそうに笑ったまま。
「それにしてもさ昨日の資料室でだって、あれ、黙ってたら、イヤイヤ言いながらぜったいあのままやっちゃってたと思わない?」
「……さん、女の子なんですから、そのような物の言いはおやめになった方が良いですよ」
 彼がついつい非難めいた風に言うと、はきょとんとした顔で柳生を見つめ返した。
「じゃあ、どういう風に言ったら良いのよ」
「……例えば、『事に及ぶ』とかですね。日本語は、豊かで美しいのですから」
 柳生が言うと、一瞬の間をおいて、は我慢できないというようにくっくっと俯いてお腹を抱えて笑った。
「官能小説じゃないんだからさぁ! ってか、おんなじ事じゃん! 柳生くん、教育係のばあやか姑みたいで、めっちゃ笑える!」
 彼女はしばし笑い止まず、ムッとした柳生はそのまま彼女を置いて帰ろうかと思ったが、それも大人げないかと黙ってそのまま笑う彼女を見て座っていた。
 他人の笑顔を彼は嫌いではないが、もうちょっと違う形で女性の微笑みというものを見せでほしいものだ、とづくづく思うのだった。

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2008.1.25




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