柳生比呂士の憂鬱な日々(2)



 は、どちらかといえば美しく華やかな、一般的な男子生徒が好むようなタイプの女子生徒だった。少々気が強くて、くだけた言葉で楽しげによくしゃべる、そういったタイプ。更衣室で男子生徒たちが、時折男同士での噂の的にするような、そんな女子生徒だ。一般的に言えばそういう風に見られる女子なのだと、柳生比呂士も認識はしていたが、彼女について彼も他の男子生徒と同じように思っているのかというと、それは否。

 柳生はその風貌や性質のため、女子生徒からの人気は高く、そういった女子生徒たちとの友人づきあいは嫌いではなかった。が、個人的に男女関係を深めてゆくといった事に関してはさして積極的な方ではない。そんな彼でも、一応の女性の好みというのはあり、それは彼の穏やかで紳士的な振る舞いからも容易に推測できるように、控えめで大人しく清らかで品の良いいわゆる女性らしい女性、というものであった。何かの折にそんな話になった時、彼の親しい友人でもある同じテニス部の仁王雅治は、彼の言葉に苦笑いをしたものだ。女性と深い関係を持つ事が多く、少なくとも柳生よりは女性というものの実際を知っている仁王には、柳生の言葉がまさに夢見がちな少年の理想に聞こえたのだろう。柳生も、自身のそんな好みが確かに理想にすぎないのだろうとは分かってはいるが、別段彼とて、現実にいる女性の誰かに無理やりそういった好みをあてはめたり、押し付けようだとかいうわけではない。ただ、『理想』や『好み』といわれれば、そういう傾向であるという事なのだ。

 話は柳生のクラスメイトの事に戻るが、早い話、彼女はそういった柳生の好みからは著しく外れており、クラスメイトとして存在は認識していたが、親しくもなければこれといって興味もなく、普段の振る舞いの印象以外は、どういう女子生徒なのかほとんど知らないという事だ。
 そんな彼女に、柳生は校舎裏の人気のないベンチへ連行された。
そう、この場合彼の気持ちとしては、まさに連行されたというのがぴったりだった。
さん。言っておきますが、私はあの時、本に集中していたため一体いつの間に彼らがあそこにいたのかさっぱり気付かなかったのですよ。無論あなたの存在にもです。まさにあの時の声で気が付いたもので、あなたが怒鳴った時、ちょうど私も何か物音を立てて彼らに自ら気付いてもらおうと思っていたところなのです」
 柳生は、あまり必死に言い訳がましくならないよう気をつけながら、丁寧に彼女に説明した。が、それは大して効果はないようだった。
「どうだか。あのまま黙ってたら、男の子にしたらいいモン見れたって思うんじゃないの」
「……そんな趣味はありませんよ」
 彼はため息をつく。
 一体彼女は何が言いたいのだろうか。彼は、早く解放されたくてたまらなかった。世に聞く痴漢の冤罪者の如く、『ハイハイ、そうです。すいませんでした』とでも言えば、帰らせてもらえるのだろうか。
「大体の女の子は、柳生くんって紳士で優しくて頭がよくて本当に素敵って言ってる。テニス部レギュラーだったし、すっごい評価高いよね、柳生くんて。それがのぞきってどうよ」
 変わらず続ける彼女に、柳生も若干イライラしてきた。
「ですから、違うと言っているでしょう。私は部屋の一番奥にいたんですから、私の方が彼らより先にあの部屋に来ていた事は明白です。そこで、彼らが来て勝手に始めたんですからね、のぞきなどと言われるのは心外ですよ。それに、黙って見ているつもりもなかったと言っているじゃないですか。そもそもあなたはどうしたいんですか。私をのぞきだと決め付ければご満足なんですかね」
 声のトーンは変わらないが、若干早口になりつつ言い返した。
 柳生にはの真意がさっぱりわからなかった。今日の席がえの時の事で礼を言われるというのならわかるが、昼休みに居合わせた事で因縁をつけられるとは、まったく業腹だ。
 そんな彼に、は自らの携帯の画面を開いて見せた。
 意外な彼女の行動に、彼は眼鏡のブリッジを持ち上げてその画面を見ると、見たことのある男子生徒の写真。
「3年B組、石倉尚之」
 それは隣のクラスの男子生徒で、そのクラスは合同で体育をやったりするので当然顔見知りではあった。
 しかし、なぜここで彼の写真が出てくるのかがわからない。
 携帯の画面から、の顔に視線を移した。
「彼につきあっている女の子がいるのか、いたとしたらそれが誰なのか、調べて欲しいの。断るっていうなら、柳生くんはのぞきの常習だって言いふらす。女子の噂話の伝播力と影響力はわかるでしょう? 相当、鬱陶しい事になるよ」
 頭がおかしいのだろうか、このという女子生徒は。
 柳生は呆然として彼女を見つめた。
「……石倉くんに彼女がいるかなどのような事は、私なんかよりあなたのように交友範囲の広い人がちょっと聞けば分かる事なんじゃないですか。なぜ、私が……」
「私にはできない事だから、頼んでるんじゃない! 柳生くんはアレでしょ! 名探偵ポワロみたいにバッリバリの『灰色の脳細胞』を持ってるでしょ! クラスがえした時の自己紹介でミステリーファンだって言ってたじゃないの!」
 はイライラしたように言う。ここで彼女にイライラと腹を立てられるのは、まったくお門違いだと思うのだが。
「確かにそう言いましたが、だからといって私は、探偵ではありませんよ。それに、好きな男子生徒にお相手がいるかどうかというのは、ミステリーの範疇ではないと思うのですが」
 彼の言葉に、はぶんぶんと首を横に振った。
「石倉尚之の彼女は私なの。自分の彼氏に他に女がいるかどうか調べるっていうのは、探偵の業務の範疇でしょ」
 柳生には、やっと彼女の目的がわかった。だからといって、彼が納得したというわけではないが。
「ああ、なるほど、浮気調査というわけですか。が、先ほども言いましたように、私は探偵じゃありませんから……」
「じゃあ、今回探偵ごっこをやってみて。そうでなければ、柳生くんの残された中学生活は、のぞきのレッテルを貼られて過ごす事になるから」
 彼女の一見バカバカしい脅迫は、鼻で笑ってやり過ごしがたい感があった。
 そもそもこういったエピソードでは、男の立場というのはその真実に関わらず非常に弱い物となる。それに、彼女の立てようとしている『噂』はまったく全てが嘘というわけでもなく、彼がよくあそこで本を読んでいるという事を知っている者は複数いるわけで、その事実はより噂に信憑性を持たせる。そんな噂など、笑ってやり過ごせば良いではないかとも思うが、それは彼の生活に実害はないにしろ、静かで穏やかな日々を好む彼には相当鬱陶しい事になるのは確かだった。
 が言うように、女子の中から派生する噂の伝播力の強さは、彼はよく知っている。そしてその発生源が、彼女のように目立つ人物からならば尚更だ。ここで彼が断って立ち去れば、明日には彼女の言ったとおりに噂が流れている事だろう。
 彼はあからさまなため息をついて、『お話を聞きましょう』とつぶやいた。
 聞いてしまえば、彼女の依頼を受けねばなるまい。つまりこれは、承知したと同義だ。
 今の彼の気分は、エルキュール・ポワロというより、なし崩しに事件に巻き込まれてしまういにしえのハードボイルド探偵フィリップ・マーロウといったところだった。



 いつまでも寒風吹きすさぶところで話をするのもこたえるので、彼らは柳生の提案で場所を変えた。寒いという事が大きな理由ではあったが、そもそも探偵と依頼人の接触が調査のターゲットに知られないようにという事は、重要な鉄則である。そういったリスクは排除しなければならない。
 柳生の提案した場所は、市の公民館に附属する図書室の談話室だった。
 そこは市営図書館に比べ規模が小さいので、利用者も少なく、ましてや立海の学生はまず利用する事はないと彼は知っていたから。
「私と尚之は一年の夏からつきあってたんだけどね」
 誰もいない談話室で、はゆっくりと話し始めた。
「去年の12月の初めくらいかな。彼から、『僕らもこれから進学だし、お互い勉強に集中するためにしばらく距離を置こう』って言われたの。柳生くん、意味わかるでしょ?」
「そりゃあわかりますよ。男女交際にかまけていないで勉強に身を入れようという事でしょう」
 彼が答えると、はため息をついてあきれたように椅子にもたれかかった。
「柳生くんって、頭いいはずなのに、バッカねえ。私も尚之も外部受験するわけじゃないし内部進学なんだから。フツーにそこそこやってれば高等部には上がれるんだし、そんなの理由になるわけないでしょ。絶対他に理由があるに違いないワケよ。で、その一番可能性が高いのが女」
 そういうものですかね、と彼は眼鏡のツルを触りながらつぶやいた。
「まあ、ですけれど他に女の人がいるとは限らないじゃないですか」
「そりゃあね、単に私を嫌いになったとかねえ」
 彼女は腕組みをして、皮肉っぽく言った。柳生は、ああ、うむ、とつぶやきながら余計な一言を後悔する。
「だから、そういう細かい理由なんかまで調べて来てとは言ってないでしょ。とにかく、尚之に新しく女がいるのか、いたらそれが誰なのかを調べて欲しいの。私が誰かに探りを入れたりしたら、絶対すぐに尚之に伝わるから、できないのよ。その点、柳生くんだったら普段私との接点もほとんどないし、絶対に怪しまれにくいはずだから」
「……しかし、大体想像はつくと思いますが、私はあまりそういった色恋に関する話は得手ではありませんしね、どうやって調べれば良いのか……」
「それを考えるのが探偵でしょ!」
 柳生は右手の人差し指と中指で眉間を押さえ、今日何度目かのため息をついた。
 高校進学までのゆっくりとした時間を、まさかこのような事に費やされるハメになるとは思いもしなかった。
 まったく、今日は恐ろしい厄日だ。

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2008.1.24




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