● 恋のT.K.O(1)  ●

 それは少女漫画のワンシーンで出てくるような、可愛らしいものなんかじゃなくて。
 外国の恋愛映画のクライマックスで展開されるような、お互いを食べちゃうんじゃないかというようなキス。
 そんなキスが、私の視線の先で繰り広げられていて、そしてそれを演じているのはジュリア・ロバーツだとかブラッド・ピットじゃなくて、私の同級生なわけで。
 体育の授業が終わって体育倉庫の鍵をかけに行く途中の私は、校舎の裏の木陰でのそんな展開を目撃してしまい、びっくりして動けなくなってしまった。
 私に背中を向けている制服の女の子は誰なのか、わからない。
 でもこっちを向いているジャージの男の子は知っている。
 同じクラスの仁王くんだ。
 あまり親しい男の子じゃないけれど、彼は背も高いし髪型なんかに特徴のある子だからすぐにわかる。
 私は、とんでもないところに遭遇してしまった! という気まずさと、あまりにも生々しいシーンの展開に戸惑い、心臓はバクバク激しく動く。一月の冷たい風が私を通り過ぎてゆくのに、私の顔はカッカと熱かった。
 当然視線の先の二人はもっと熱くて、女の子はぎゅうっと仁王くんの背中に両手をまわし、仁王くんは片手で軽く女の子の頭を支えて、相変わらず唇を合わせている。
 そして。
 女の子越しに私と彼は目が合ったのだ。
 私は飛び上がりそうになる。
 非難のまなざしを受けると思いきや、彼の目は驚く程きれいで穏やかで。

 彼は確かに、女の子とキスをしながら私を見て微笑んだ。

 その微笑みを見た瞬間、私は呪縛が解けたようにその場を走り去った。


 仁王雅治くんは同じクラスの男の子で、テニス部の人気者だ。
 勿論女の子にもとても人気があって、そして先ほどのように女の子のあしらいなんかもすごく上手な感じの子。
 で、私は彼と同じクラスだけど、私はさっきみたいなシーンを見て飛び上がって驚いてしまうタイプなので、彼のような人とはまず接点がないしあまり興味もない(向こうもそうだと思うけど)。
 しかしまあ、ああも生々しいものを見せられてしまうと何て言うか、正直なところちょっと気色が悪い。
 学校でするなっつの。

 私は体育倉庫に鍵をかけて、そして更衣室で着替えて教室に戻った。
 教室で、私は仁王くんの斜め後ろの席だから、彼の明るい色の特徴ある髪型は嫌でも目に入るのだけど、なるべく目に入れないように黒板に集中する。
 それなのに。
 彼はふと振り返って私を見るのだ。
 その度、私は目をそらす。
 ちょっと、こういうの立場が反対じゃないの?
 普通、見られた方が気まずくて、見た方を避けるんじゃないの?
 私は仁王くんがどうだとかより、とにかくああいった生々しいものが苦手だから、早く記憶から消し去りたいんだけどなあ、とちょっとうんざりする。


 この日、私は日直だったから放課後の掃除を終えるとごみ袋をまとめて集積所へ運ぶ準備をした。
 ごみ箱に新しい袋を設置して、ごみの入った袋の口をしばって。
 私は二つの袋を持って集積所に歩いていた。
 すると誰かが背後からすっとやってきて、私の手の袋を一つ取り上げる。
「運ぶの手伝うちゃるよ」
 驚いて振り返ると、それは仁王くんだった。
「わっ、仁王くん!? いや、いいよ、重いわけじゃないし」
 私は思わず声を上げて、仁王くんの手からごみ袋を取り返した。
 そして足早に集積所へ向かう。
 何だろう。
 目撃者は消せ!
 って事なんだろうか。
 私が早足で歩いても、仁王くんは私のスピードに合わせてどんどんついてくる。
「……、今日、見ちょったじゃろ」
 彼の言葉に私はどきりとして足を止めた。
 消される!?
 そして彼を振り返った。
 すると仁王くんはあの時のような、やけに優しい穏やかな目をして笑っているのだった。
 私はしばらくそんな彼の目をみて、そして覚悟を決めたようにため息をつく。
「……見てたよ、見ましたよ! でも偶然だし。別に誰にも言わないよ」
 私はまるで『お願い、殺さないで』とでも言うように、半ばやけくそ気味に彼に言った。
「ああ、は誰にも言わんじゃろな、と思うちょる」
 彼が私の名を知っていたのが、ちょっと意外だった。
 だって、今までほとんどしゃべった事なんてなかったのだから。
「じゃあ、何?」
 私はうんざりしたように尋ねる。
「……お前さん、誰かがキスしちょるとこ見んの、初めて?」
 妙に楽しげな表情のままで言う彼の言葉に、私は自分の顔が熱くなるのを感じる。
「……そうだね、初めてだね。特に同級生同士なんてね。だからそれで、何?」
 彼のそんなからかうような態度に私は少々腹が立って、必死に返した。
「いや、えらくびっくりした顔しちょったなぁ思うて」
 彼はおかしそうに笑うのだった。
 私は顔を熱くしたまま、ムッとする。
「学校であんな事してるの見たら、誰だってびっくりするよ。仁王くんの彼女だって見られたら恥ずかしいだろうし、かわいそうじゃん。ああいうのは、家に帰ってからしなよね」
 私はちょっと語気を荒げてまくしたてた。
 彼は私をじっと見て、目を丸くして、そして言った。
「あれ、彼女と違うよ」
 さらりと言う彼の言葉に、私はまた飛び上がらんばかりに驚く。
「ええっ!? 彼女じゃないの!? 彼女でもない女の子と、キスするの!? えーっ!」
 私はさっきまでのムッとした気分とは別に、心底驚いて声を上げてしまった。
 仁王くんはクックッとおかしそうに笑う。
「……何かな、俺の事が好き言うて告白してきたんじゃ。俺は今は彼女も好きな子もおらんけど、その子と付き合う気にはならんくてな、断ったんじゃよ。でも彼女は、ほんの少しの間でもいいから付き合うてみてくれんかと食い下がってくる。俺もちょっと面倒くさくなってしまってな、付き合うのはできんけど、まあキスするくらいならええよ言うたら、じゃあしてくれって事になったんじゃ」
 彼は私がいつのまにか手から落っことしていたごみ袋を一つ拾うと、私を見ながら言った。ひどく濃い内容の話ながら、非常にさわやかな笑顔で。
「えー! 何それ!」
 私はまたとにかく純粋なる驚きに声を上げた。
 だって、本当にびっくりしたから。
そういうの、少女漫画なんかでは読んだ事あるような気はするけど、現実に私の同級生たちが繰り広げているとは思わなかった! あるんだ、そういう事って!
「えー! それでキスして、じゃあねってなるの!?」
「そうじゃな、少々切なそうな顔しちょったが、俺はキスは上手い方じゃから、まああの子もそこそこ満足して帰ったじゃろ」
 彼は相変わらず私の顔を見て、楽しそうに笑いながら言う。
 私は馬鹿みたいに口をあけたまま、本当に、本当にあきれ返った馬鹿ヅラで彼を見上げていたと思う。
「なんか、イヤ! あー、ヤダ! 仁王くん、私がたまたま見ちゃったからってそこまで説明してくれなくていいよ。キス上手いとか、もー、生々しくてイヤー!」
 私が顔をしかめてぶんぶん首を振りながら言うと、仁王くんは本当におかしそうに笑って言った。
、すげーガキなんじゃな」
 その言葉を聞くと、私は何も言わず再び仁王くんの手からゴミ袋を奪い返し、集積所まで走った。
 振り返るとさすがに彼はついてきていなくて、ほっとする。
 何なんだろう!
 仁王くんって、すごくヘン!
 あんなの、ありえない!
 最悪だ!

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2007.6.26

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