● 恋の選択科目(2)  ●

 改めて教室でさんを目で追うと、彼女は本当にいろんな奴に好かれてるんだなあという事がわかる。派手に騒がれるわけじゃないけれど、なんだか頼りにされるというか、甘えられてるというか。
 男の奴でも女子でも、授業のノートを見せてもらうだとか、辞書を借りるだとか、係の仕事の相談だとか、そんなちょっとした事でよくさんを頼っている。
 さんは決して世話焼きっていう風じゃないんだけど、すごく自然にそういう奴らに応えていて、それがとてもほっとするような感じのいい雰囲気なんだ。
 それで、みんな好きなんだろうな。
 ほら、今は昼休みなんだけど、さんが女友達と楽しそうに弁当食ってて、前の席の男の奴なんかパンをかじりながら後ろを向いて、ちゃっかりさんと話してるんだよなあ。

 クソ、俺ももっと席が近かったら!

 俺がそんな事を考えつつ、ちらちらと彼女を振り返りながら弁当を食っていると、ブン太が笑うのが聞こえる。
「お前さ、そんなうらめしそうに見てねーで、さん誘って弁当食ったらいいんじゃね?」
 奴はそんな事をいいながら、デザート代わりの菓子パンを頬張るのだった。
「……ウルセーよ。俺はな、俺なりの段取りがあんの!」
 俺は、奴を面白がらせるだけだと分かっていながらも、カッカしながら弁当をかき込んだ。


 その日の午後は、俺が選択変更してから初めてのフランス語の授業があった。
 教室を移動する前、俺は真新しいテキストを持ったまま少々緊張してちらちらとさんを振り返っていた。彼女が辞書やテキストなんかを用意した頃を見計らって、さりげなく傍へ歩いて行く。
さん、俺さ」
 俺が声をかけると、彼女はテキスト類をそろえながら顔を上げた。
「俺、ドイツ語からフランス語に選択科目、変更したんだ。今日、初めてだからさ、ちょっと教えてくんねーかな」
「へえ、今頃変更したの? すごく大変なんじゃない?」
 さんは驚いたように言う。
 俺たちはそのまま二人並んで廊下に出て、フランス語の授業を受ける教室に向かって歩いた。
「うん、まあ俺、ドイツ語もフランス語もどっちも親父から習っててちょっとは分かるんだけど、将来フランスオープンとかに出るんだったらやっぱり改めてフランス語を取っといた方がいいかなって、ちょっと急に思い立ったんだよ」
 担任教師に言ったそのままの事を、俺は何気なく言う。
 まあ実際、俺はドイツ語もフランス語もだいたいできるから、どっちを取ってもあまり関係ないのだけれど。
「あっ、そうか。ジャッカルくん、テニスで世界をめざすんだものね、すごいな」
 さんは感心したように目を大きく開いて俺を見る。
「フランス語、私はそんなに得意じゃないの。きっとジャッカルくんの方がよくできるんじゃない? 私が教えてもらいたいくらいかも」
 教室を移動するほんの少しの距離と時間。
 他の科目の時も、こうやって彼女と何気ない話をしながら歩いて行けたら、スゲー楽しいだろうなと、俺は考えるだけで嬉しくなった。
 さて、選択科目では一応席順は自由になっているので、俺はちゃっかりさんの隣に座る。そして、どこまで進んでいるのか、今日はどのあたりをやるのか、そんな事を二人でテキストを見ながら話した。
 さんの、沢山の書き込みで埋まったテキストを見せてもらうために、俺は彼女と顔を寄せ合い、その眼鏡越しのきれいな目をちょっと上からのぞきこんだりしながら、やっぱり選択科目の変更をしてよかったなと、心から思うのだった。
 

 そんなハッピーな気分でフランス語の授業を受けた翌日、その日、俺は弁当持ちじゃなかったので、昼休みになると学食へ向かった。
 すると後ろからポンと背中をたたかれる。
 振り返ると、それはさんだった。
「ジャッカルくん、今日は食堂? だったら一緒に食べていい? 友達、みんなお弁当なの」
 俺は彼女の言葉に、胸の中が沸騰しそうになった。
「うん、ああ、一緒に食おう!」
 多分、思い切りわくわくしたような表情を隠せないまま、俺は笑って彼女に答えた。

 学食で、彼女と一緒に食券を買って、一緒にトレイを持って並んで。
 俺は浮かれてしまって仕方がない。
 選択科目で隣同士に座ったり、学食で一緒に飯食ったり。
 まるで、俺はさんの彼氏みたいじゃないか。
 いや、俺はちゃんとさんに好きだと伝えてあるし、もしかしたら彼氏になったと思ってもいいのかもしれない……。
 そんな事を考えながら、俺の向かいの席で、ゆっくりと定食を食べる彼女を見ていた。
「……あ、ごめん、私食べるの遅いから」
 彼女ははっと気付いたように、俺のすっかり空になった皿を見て言った。
「ぜんぜん構わねーよ。俺が食うの、早いんだ」
 俺が言うと、彼女はほっとしたように笑う。
「学食もね、嫌いじゃないんだけど、量が多くていつも食べきれないの」
 そして箸を置いて、ちょっと恥ずかしそうに水を一口飲んだ。
「残すんだったら、俺、食っていい?」
 俺は彼女の残した豚の生姜焼きと白飯を、ぱくぱくとたいらげた。
 さんはそんな俺を、ちょっと驚いたように、でも嬉しそうに微笑みながら見つめていた。
「……ジャッカルくんと食べるんだったら、学食でもぜんぜん大丈夫だねえ」
 いつも定食を平らげたって腹一杯にならない俺は、彼女の残した生姜焼きとその笑顔で、あっというまに胸が一杯になりちょっと自分でも驚いてしまった。



 放課後の部活で俺がストレッチをしていると、ブン太が隣にやってくる。
「で、最近、さんとはどうなんでぃ?」
 奴は前置きもなしに、ニヤニヤしながら聞いてきた。
 俺は待ってましたとばかり、しかしそんなそぶりは見せず、さりげなくストレッチを続けながら答える。
「まあまあだな。選択科目では隣同士だし、一緒に学食行ったりするんだぜ」
 勝ち誇ったように言う俺を、ブン太は思った程驚きもせず、それどころかちょっと呆れたような顔で見るのだった。
「……ふーん、しかしさ、さん、選択科目の教室だといろんな奴と座るし、飯だっていつもいろんな奴と食ってるぜ。もうちょっとさ、何かこう、決め手はねーの?」
 淡々と言う奴の言葉に、俺は思わずキッと睨み返した。
「バーカ、俺はな、そんな他の奴らとは違うんだよ」
 言い捨てると、走ってグラウンドに出た。
 クソ、ブン太の奴にのせらせてたまるかっつの!
 そうやって毒づきながらも、俺はブン太の思うつぼで、このところずっと浮かれていた気持ちがシュウウと小さくなってゆくのがわかる。

 俺は……さんの前の席に座ってる奴なんかとは、少しは違うはず。
 俺はさんにとって、少しは特別なはずなんだ。

 自分に言い聞かせるように心でつぶやいて、そして抱きかかえた時のさんの重みを思い返しながら、俺はグラウンドを走った。



 その日は俺は弁当を持って来ていて、昼休みになるとまっさきにさんの方を振り返った。学食じゃなくたって、弁当だって一緒に食べてもいいはずだ。
 そんな勢いの俺の鼻っ面を弾くように、さんの隣には男がいた。
 わざわざ自分の机から椅子を持ってきて。
 それは、俺がやろうと思っていた事なんだが!
 俺が憤慨してそいつを見ると、ああそうか、と力が抜けた。
 そいつは、今日さんと日直をやってる奴だった。
 弁当を食いながら、日誌の必要事項のところなんかを二人で話して埋めたりしている。
 しょーがねーな、という感じに俺は自分の席で弁当を広げた。
 そんな二人をちらちらと眺めながら。
 


 間の悪い事というのは続くもので、午後の社会の選択科目・歴史の授業の前に、俺は教室を出るのにちょっとした事で手間取ってしまい(休み時間に、赤也が部の連絡事項を伝えに来たのだ)、気が付くとさんはとっくに歴史の授業を受ける教室へ行ってしまっていた。
 俺はあせって教室へ向かう。
 さんの隣の席は、俺のために空いているだろうか。
 そんな希望も空しく、教室に入るとさんの周りの席はすでに彼女の女友達で一杯だった。
 席は空いていなかった。
 というか、俺のために空けられてはいなかった。
 俺はなんとなく彼女の方を見る事もせず(見たら、うらめしそうな顔をしてしまいそうだから)、なんでもないように空いている席に座った。
 隣の女子が、配布物を手渡してくれた。
 隣の子は不機嫌そうな俺を不思議な顔で見ているけれど、俺は愛想笑いなんかできなかった。
 なんだか、ちょっと違う。
 俺はさんの特別になりたいんだ。
 彼女が仲良くしているいろんな奴と、同じように仲良くしたいんじゃなくて。
 さんに好きだと言う前、彼女にとってまったくゼロだった俺は、今は少しはプラスで……以前よりも少しはアドバンテージがあるはず。
 そんなアドバンテージがある時、いつも俺はテニスの試合ではどうしていたっけ?

Next

2007.7.7

-Powered by HTML DWARF-