● シーブリーズ(2)  ●

 のろしを上げるから! って、オイ。
 と、俺はツッコミを入れそうになったけれど、昨日と今日、は俺をつかまえるのに大分苦労したんだろうなあと思うと、気持ちもわからないでもないので黙ってうなずいておいた。
 俺はケータイ持ってないけれどそんなに不自由した事はなくて、家にいる時には家の電話に連絡があるし、外にいる時は大概一緒に行動してるテニス部の奴の誰かが連絡を受けて、俺がそれを聞くっていう感じでやってきた。
 確かに今回みたいな事があると、には面倒をかけてしまうなあと思ったがまあ仕方ない。俺の方も注意して、何か連絡事項がないかこまめに確認する事にしよう。
それにしても……。
 俺は、昨日と今日、俺を探して走って俺の名を叫ぶを思い出した。
 ちょっと意外だったな。が、あんな風に走るなんて。
 は、なんでもさらりと要領よくこなして、さっさとクラスの奴らと遊びにいくような感じの女の子で、全力疾走のイメージとは程遠いから。
 必死な顔で俺を探して走ってくる彼女を思い出すと、正直なところ結構おかしい。でも、笑ったりしたら多分はものすごく怒るだろうなと、俺は彼女と別れて部室に向かってから、やっと思い出し笑いをするのだった。


 幸い、にのろしを上げられる事なく秋の日々は過ぎて、その日俺たちは委員の集まりの後、教室に残って打ち合わせをしていた。
「やっぱりジャッカル、あれ担当させられたね。留学生とかも対象にした、国際色を打ち出すプレゼンって奴。大変だねー」
 は、施設案内の案の図を広げながら俺に向かって言った。
「ああ? そうだな。でも去年、先生から言われてたんだよな。三年になったら、お前、担当頼むぞって」
「へえ、じゃあ今年の担当になるって、だいたい分かってたんだ」
「まあな」
「せっかく連休なのに、ツイてないよね」
 はため息をつく。まあ、は休日に学校の仕事をやるってタイプじゃないからなぁ。
「ああ、でも休みの日って言っても今まで部活に出てる事がほとんどだったし、休日の予定なんかねーから、俺は別にかまわねーんだけどな」
 俺は実際そのままの事を言った。ふーん、とは力のない相槌を打つ。
 まあ、こいつはきっとデートの予定とか、いろいろあったんだろうなあ。
 そんな事を考えつつも、俺たちは次回の集まりまでに先生に提出しなければならない校内案内ルートの案を出し合った。

 そんな、オープンキャンパス担当の仕事は結構ちょこちょことした事があって、しかもその連絡は担当者同士の携帯のメールで来たりするものだから、やっぱり俺はからの連絡を後で受ける事も多かった。
 俺はあれ以来、部の奴に、が俺を探してたらすぐに呼びに来てくれと言ってあるから、放課後に急な連絡があっても、が俺をつかまえるのは最初の頃よりも大分簡単になっていたと思う。
 その日、急な修正の加わった校内施設案内ルートの図を持っては部室にやってきた。
「ほらね、結構、普段は使わないようなトコ案内しないといけないでしょう」
 は、部室の外のベンチに座って俺に説明をした。
「あー、ほんとだな。サテライト教室とか、あんまり使ってねーし」
「ね? ラーニングリソースセンターなんて、私も滅多に行かないしね」
「俺はそこ結構使うぜ。テニスのDVD観たりとかな」
「へー、そうなんだ」
 は意外そうに俺を見上げる。
「ねえ、ジャッカル。時間あったら一度、この通りにまわってみない? 当日に、もたもたしたりしたらかっこ悪い」
 俺はその見取り図から顔をあげて、じっとを見た。
「なに? 忙しい?」
「いや、そうじゃねーけど。ちょっと意外だなと思って」
「なにがよ」
、オープンキャンパスの担当なんてダルそうだったのにさ。結構真面目にやるんだな、と思って」
 俺が言うと、は一瞬ムッとした顔をするけれど、別に怒りはしなかった。
「まあねぇ。一緒に担当するジャッカルが真面目にやりそうだから、私はテキトーでいいかと思ったんだけど、なんか他の担当者もみんな真面目だしさ。ジャッカルはプレゼンも担当だし、真面目にやってるの見ると、結局私もちゃんとやらなきゃなーって思っちゃうよね」
 少し照れくさそうに、そっぽを向いて言うのがおかしくて、彼女が顔をそらしてるのを良い事に俺はくくっと笑った。
「それ、まわってみるの、今から行くか?」
「部活、もういいの?」
 俺が言うと、はちょっと驚いたようにそっぽ向けていた顔を上げた。
「ああ、打ち合わせは終わってるし、あとは自由練習だから三年は帰っていい。着替えてくるから、ちょっと待っとけよ」
 俺はベンチから立ち上がると、部室に走った。
 部室で急いで着替えていると、赤也に説教をしているんだかからかっているんだか、何かを話していたブン太が不意に話をやめ、俺の方を見た。
「なあ、ジャッカル。最近、さんがよく来るけど、お前、つきあってんの?」
 いつもの、ちょっとからかうような調子で言う。
 バーカ、と俺は言いながら鞄を手にした。
「オープンキャンパスの担当で一緒になってるだけだよ」
「あっ、そう。お前の好きそうな子じゃん」
 チャンスチャンス、とはやしたてるブン太に、俺はもう一度バーカと繰り返す。
「ああいうのは、男いるに決まってるだろ」
 そう言い捨てると、俺はあわただしく部室を後にした。

 帰り支度をした俺は、オープンキャンパス用の校内見取り図を手に、と学内を回った。
 一年の時から過ごしている校舎なのに、こうやって改めていろんな部屋に行くと、普段使ってないところもあったんだなーと少し新鮮だ。
「これ、見学者を連れて行くだけじゃなくて、いろいろ説明もしないといけないんだよね。ほんと、大変だなー」
 はラーニングリソースセンターの前で足を止めて、またため息をついた。
「リソースセンターは結構面白いぜ。も使ったらいいのに」
 俺は扉を開けて、中に入った。ちょうど人がいなくて、しゃべっていても邪魔にならないだろう。
「結局今までずっと使い方わからないままなんだよね」
 はいかにも苦手そうに設備を眺めていた。
「簡単だよ。ほら、モニターごとにリストがついてるだろ。ビデオとかDVDとかのタイトルと番号。この番号を入力したら、センターからその映像がおくられてきてそれぞれのモニターで観れんだよ。リスト以外のソフトは申請すれば貸し出してもらえる。あと、持込のソフトを入れて、それを指定した番号のモニター全てに映す事もできるから、何人かで観ることもできるんだぜ」
 俺が操作しながら説明してやると、は感心したように聞いていた。
「へえ。ジャッカルってそんな事してたんだ。意外」
「なんでだよ」
「あんまりこういうの使わなさそう。携帯持ってないしさ」
「それとこれとは関係ねーだろ」
 俺たちは顔を合わせて、くく、と笑った。部屋を出るとは、ありがとうと俺に言った。その素直な礼の言い方がこれまたちょっと意外で、へえ、と俺は彼女を見たまま歩く。
 次は調理実習室か、なんて言いながら俺たちは渡り廊下を過ぎた。
 俺は、気付くといつも部の奴らと歩く時のような大股の早足(と、普段はそう思っているわけじゃないけれど)になってしまい、が俺より少し遅れるのに気付くとはっと歩くスピードを遅くする。
 よく考えたら、女の子と並んでずっと歩くなんて初めてかもしれない。
 やっぱり歩くの遅いんだな。それに……。
 俺は隣のを見下ろした。
 こうやって並んでみると、やっぱり小さいな。
 ブン太や赤也を見下ろすよりもずっと下を見ないといけない。
「……どうかした?」
 そんな俺の視線に気付いたのか、は歩きながらふと顔を上げた。
「いや、って、身長どれくらいよ」
「私? 155くらいかなあ」
「小っちぇえなあ」
 思わず言うと、は眉をひそめる。
「もうちょっと高くなりたいんだけどねえ。伸びるかなあ」
 なんて言いながら、俺の隣でぴょこぴょこと飛び跳ねた。
 並んで座ってると、はチャキチャキと動くし姿勢も良くてスタイルも良いからもっとでかいのかな、と思ってたけど小さいんだなあ。
「女の子だから、それくらいでいいじゃねーの」
 俺が笑いながら言うと、は不満そうにしたまま。
「もうちょっと高い方が、いろんな服が似合うしさ。かっこいいじゃない」
 は、しゃっきりしてて、そのままでもキレイでかっこいいじゃねーの、と思ったけど、まあ俺に言われても仕方ないだろうな、と口には出さなかった。

 案内図の通りに下見を終えると、俺たちはなんとなくそのまま一緒に下校した。とは家の方向が同じで、ほとんど通り道だったから。
 学校の中では何て事なく一緒に歩いていたのだけれど、一歩学校の外に出ると、女の子と歩くというのはちょっと妙な感じだった。
 つまり、なんだ、ちょっと……緊張する、という事なんだけど。
 隣のをちらりと見るけれど、当然、彼女は別に緊張した様子もなく落ち着いて歩いている。まあ、ただのクラスメイトと帰るくらい、何でもない事だしなあ。
 俺はそう自分に言い聞かせながら、またをちらりと見た。
 俺の家もの家も、海のある南の方向にあって、そっちに向かっているとゆるやかな海風が吹いてくる。今日は暖かい日だったからな、と俺は空を見上げてからまたを見た。
 の少し長めの髪はふわりと風にすくわれ、その丸く形の良い額があらわになる。
 は、きれいな女の子だった。
 クラスの誰とでもよくしゃべるし、楽しいし、こうやって男と連れ立って歩いたりするのも、よくある事なんだろうな。
 学校行事の仕事を担当するっていう、そういう用事でもなければ俺と二人で過ごす事などないだろう。俺は携帯も持ってないし、部活ばっかりだったし、がよく一緒に遊んでるクラスメイトみたいなタイプじゃないから。
「……ジャッカル、どうかした?」
 しばらく黙り込んでいた俺を、は不思議そうに見る。
「いや、別に。なんでもねーよ」
 俺は、せめて自分が緊張してるなんて事を彼女に悟られないようにと、ぶっきらぼうに言った。
「……ジャッカルって、彼女いるの?」
 しかし彼女が突然にそう言うものだから、せっかく作った俺のポーカーフェイスは一瞬しか維持できなかった。
「はあ? なんだよ、突然! いねーよ!」
 俺は思わず慌てて答える。
「そんな大きな声で言わなくてもいいじゃない」
「いや、急に言い出すから、びっくりしたんじゃねーか」
 は、ふーんと言って、俺はそれから何を言ったらいいのかわからず、そして彼女もそれ以上何も言わないから、俺たちは黙って歩き続けるのだった。

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2007.11.1

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