● シーブリーズ(1)  ●

 秋も深まってきた近頃、台風の影響で蒸し暑かったり、寒気の影響で寒かったり落ち着かないけれど、私の家の庭の木々は確実に冬支度を始めていた。
 私は、ぽろぽろと落ちている木の葉や枝を拾い集め、庭の真中にこんもりと重ねた。そして読み終わったばかりのジャンプをビリビリと破って枝の隙間に挟むと、トーチで火をつける。拾ったばかりの枝はまだ若干水気を含んでいたけれど、焚き付けのジャンプを追加してゆくとパチパチとはじけながら徐々に燃え広がり、煙がすうっと一本、暮れかかった空に昇ってゆく。
 高く高く上ってゆくそれは、しばらくするとふわりと海風に乗って流れ始めるのだった。私は首を傾けて、じっとそれを見上げる。
 どれだけそうしていたろうか。
 カシャン、と門が音を立てて、私ははっと顔をそちらに向けた。
 そこには、少々眉をひそめて肩で息をした、カプチーノのような色の肌の男の子。
 私は彼を見止めると思わず息を呑んでしまい、何か言おうとするけれど一瞬声が出ない。
 彼はペットボトルの水をごくりと飲むと、残りを私に放って寄越した。

「神奈川じゃ、野焼きは原則禁止なんだぜ。早く消せ」

 私はそれを受け取り、まだ燃え残る火の上からかけて消して、言った。

「遅いよ、ジャッカル」



***************



「うわ、マジ? 最悪ぅ」

 私は思わずつぶやいた。
 何がって、今年のオープンキャンパスの担当者に当たってしまったのだ。
 オープンキャンパスっていうのは、うちの学校の中等部から大学までのそれぞれの学校見学説明会だ。もちろん中等部に所属している私たちが、高等部や大学の見学に行くというイベントでもあるけれど、中等部も新入生に向けての見学会としてオープンする。担当者は、その時に在校生として施設見学の案内や授業・課外活動についての説明やなんかをしなければならないのだ。
 そしてそれはいつも11月の連休に行われる。
 つまり、今年の私の秋の連休は確実につぶされてしまうのだ。

「あーあ、最悪!」

 私がもう一度つぶやくと、友達が笑いながら「運悪いよねぇ」なんて慰めてくれる。
 連休がつぶれるだけじゃなくて、準備も結構大変みたいなのだ。オープンキャンパスの担当は。
 ま、連休の予定があったっていうわけじゃないんだけどねぇ……。

 そして、その日はオープンキャンパスの担当者の集まりが予定されていた。
 あーあ、こんな風に放課後の時間までつぶされちゃうなんて……。
 今日は、友達とよく行くカフェのサービスデーで、皆で寄ろうかなんて言ってたのに、私だけ次回にお預けかぁ。
 は今度ねぇ、なんて言いながら教室を出てゆく友達を恨めしげに眺めつつ、私はため息をついた。

「……なぁ、

 すると、なんとも小さな声で私を呼ぶ声。
 机から顔を上げると、それは申し訳なさそうに眉尻を下げた顔を見せるジャッカル桑原だった。

「すげー悪ぃんだけど、今日俺、どうっしても部活で抜けらんねーミーティングがあって、オープンキャンパスの会議、一人で行ってくんねーか? それで、後で内容を教えて欲しいんだけど」

 そう、オープンキャンパスのもう一人の担当者が彼、ジャッカル桑原なのだ。
 彼はその名前が示す通り、生粋の日本人ではなくブラジル人とのハーフだ。
 その浅黒い肌にスキンヘッドで、がっしりと大柄な体格。テニス部のレギュラー選手の彼は、なんとも迫力のある風貌だった。
 けれど同じクラスになって半年以上経ち、私は彼とはそんなに親しくはないものの、大体どういう男の子か知っている。
 見た目、ちょっと強面で凛々しい顔をしているのに、なんとも生真面目で少々要領の悪い子なのだ。

「……ええ? 何? 私は友達とお茶する約束我慢して会議行くのに、ジャッカルは部活だからって、会議行かないわけ!?」

 私は思わず声を上げてしまう。
 だって、要領悪くて、いつも結構面倒な事を押し付けられがちなジャッカルから、私が用事を押し付けられちゃうなんて。
 そんな思いがそのまま声に出てしまった。
 まあ、つまり、そんなに親しいわけでもない私でも、ついこうやって気安く文句を言ってしまうような男の子なのだ。ジャッカルは。
 
「うん、だからホント悪ぃって。今度何かあったら俺がやるし、絶対仕事で埋め合わせはするからよ」

 私だって、本当はわかってる。
 彼の言う部活の用事は、当然私の友達とのお茶と比べ物にならない重要な用事なのだろう。まあわかってるんだけど、ちょっとね、文句言ってみたくなるわけ。ジャッカルは。

「ま、いいけど。仕事決まったら、ちゃんと働いてよー」
「わかってるって」

 私が言うと、彼はほっとしたように少し笑って、そして足早に教室を出て行った。
 ま、いいか。
 ジャッカルはいつも日直とか結構真面目にやってるから、今回の相棒が彼でヨカッタ、私は楽できるかもなんて思った期待が、初回はちょっと外れてしまったけど。

 さて、初回の会議はたいしてややこしい話し合いがあったわけではないけれど、とにかく結構面倒くさい仕事だなあという事は思い知らされた。
 私たちは勿論中等部のオリエンテーションをすれば良いのだけれど、見学に来る新入生は高等部、大学と一貫教育を前提に来るわけだから、何か質問されたら高校と大学についてもある程度答えられなければならないし、そもそもの学校の理念を改めて頭にたたきこまなければならない。
 当然私の頭の中にはそんなものはちっとも詰まっていないので、一から始めなければならない。という事を、先生方も予測していたのか、渡された資料が膨大だった。
 私は会議のあった講堂から、そのバカみたいに沢山の資料を抱えて、少々腹立ちながら出て行った。その腹立ちとは、つまり、ジャッカルが会議をサボったがために、私が持ち帰らねばならない資料が二倍の量である、という事に対して。
 私ははっとして携帯を取り出すけれど、そういえば私はジャッカルの携帯の番号もアドレスも知らない。
 教室に置きに行こうかと思ったけれど、会議があったのは中・高・大の共通の講堂で、教室までは結構遠い。教室に行くんだったら、ジャッカルがいるだろうテニスコートに行った方が近い。私は重たい資料を抱えて、テニス部の練習場へ向かった。
 とりあえずテニスコートに行き、手近にいるテニス部員の子をつかまえた。
「ねえ、ジャッカルいる?」
 私は少々疲れていたので、前置きもなしに尋ねた。
「あ、ジャッカル先輩なら、部室でミーティング中だと思いますよ」
 二年生とおぼしき子が、答えてくれた。
 なに、テニス部の部室? どこ? という私の表情に、彼は部室のある方を指差してくれた。
 私は彼に礼を言って、部室に向かった。練習中の見知らぬ二年生の子に、こんな資料を預けるわけにもいかないし、仕方ない。やれやれ、だ。
 部室の前で、私は足を止めてちょっと考える。
 なんか、緊張する。テニス部の三年って、柳くんとか真田くんとか、ひどく真面目で厳格そうな子がいるからなあ。別に何を言われるってわけじゃないだろうけど、私みたいないいかげんなのは、ちょっとああいうタイプが苦手なのだ。
 どうか一発でジャッカルが出ますように、と祈りながら部室の扉をノックして開けた。
 そしたら、一発で出ました。
 一番苦手な真田くんが。
「うむ、何だ?」
 ジャージ姿の彼は、扉の向こうに立って私を上から睨みつける。
 いや、睨みつけてるわけじゃなくて、多分普通の表情だとは思うのだけど、迫力あるなあ。
「あの、ジャッカルくんは、おられますでしょうか」
 同級生相手だというのに、私は思わずヘンテコに敬語を使ってしまう。
「ジャッカルなら、さっきランニングに出て行ったところだ」
 真田くんは表情も変えずに言う。
 用事があったら聞いておこうか、なんて言ってくれないかしらと思うけれど、どうやらそういう言葉は続かなそうだった。
 なので、私も真田くん相手に、『これ、ジャッカルに渡しといて』と大量の資料を預ける事もできず、ハイそうですか、と頭を下げて部室を後にする。

 ジャッ、カ、ルゥー!

 と、心で憎憎しくつぶやきながらグラウンドに向かってトボトボ歩いてると、ああ! グラウンドの対面に、色黒なスキンヘッドが黙々と走ってるのが見えた。

「ジャッ、カ、ルゥー!」

 と、今度は声に出して叫ぶ。
 が、野球部やらサッカー部やらが声出ししながら練習をしているこの時間、私の声はなかなか彼に届かない。

「ジャッ、カ、ルゥー!」

 私はもう一度叫んで重い荷物を持ちながら、足を速める。当然、黙々と走る彼に追いつかない。ああそうだ、彼が走る方向と逆にグラウンドを走ればいいんだ。と、逆回転して彼との合流を目指すが、やっと近づいたと思ったらジャッカルはグラウンドの中央に出て、猛スピードでダッシュをする。
 どうやら流して走った後の、全速力ダッシュのようだ。
 私は力つきた感で息を切らせながら、叫ぶ気力もなくグラウンドの中へ入った。
 帰宅部の私には激しすぎる負荷だ。
 グラウンドをつっきってダッシュしたジャッカルは、再度こちらに向かってダッシュしてくる。
 そして、ようやく私に気付いたようだった。

「お、、どうした?」

 そして軽く肩を弾ませながら、私の元へ走ってくる。

「どうした、じゃないよ!」

 私は思わず怒鳴りつけてしまう。
 いや、わかってるんだけどね。
 ジャッカルは真面目に部活のミーティングに出て、真面目にトレーニングしてるだけなんだって。だけどまあ、やるせないじゃないの、私!

「これ、会議の資料! すんごい重かったんだから! これ、ジャッカルの分!」

 私が差し出すと、彼は驚いたようにそれを見た。

「うわ、マジすげー量だな。重かったろ、悪ぃな、ほんと」

 こんなところで手渡されても困るだろうに、彼は資料を受け取ると、申し訳なさそうに私を見て言った。
 まあ、こんな顔されるとこれ以上文句も言えないわけで。
「電話して取りに来てもらおうと思ったけど、番号知らないしさ」
「あ、悪ぃ、俺、ケータイ持ってねーんだわ」
 彼はまた、申し訳なさそうに頭を掻きながら言う。
「……あ、そう」
「今日はほんと、世話かけたな。今度ジュースでもおごる」
「いや、別にいいけどさ」
 そんなに申し訳なさそうにされると、私が勝手に怒ってるみたいじゃん。
 本当に真面目なんだなあ、ジャッカル。
「なんか、オープンキャンパス、結構大変そうだよ。我が校の代表として恥じぬよう、その理念をしっかり刻み付けた上で臨んで欲しい、とか言われちゃってさ」
「ああ、らしいな。担当した事のある奴に聞いた。ま、頑張ろうぜ」
 彼はニッと笑って資料を握り締めた。
「……資料、しっかり読んどけだって。じゃ、また明日ね」
 私は彼にそう言って手を振ると、グラウンドを後にした。


 その資料は帰り道の私の鞄の中でどんどん重さを増してゆくようで、やっぱり教室まで置きに戻ればよかったなァとちょっと後悔する。でもジャッカルに、しっかり読んでおくようになんて言った手前、目を通しておかなければなるまい。
 私は自室で、ため息をつきながら資料をめくった。
 一晩じゃ無理だなぁ、とまたため息が出るのだった。


 翌日、ジャッカルは休み時間を使って一生懸命資料を読んでいるようだった。
 昨日、教室に置いて帰ったのか、家に持ち帰ってからまた学校に持って来たのかはわからないけれど、まああいかわらず真面目な様子。
 次の集まりまで、まだちょっとあるしそんなにあせらなくてもいいのに、と私は思っていた、そんな放課後。
 私の携帯にメールが届いた。
 その見慣れないアドレスに、私はいたずらメールかな? と思って見てみると、ああ、と思い出した。昨日の会議で、担当者内のアドレスの交換をして、メーリングリストみたいなのを作ったんだった。委員長になった子が、ひどく真面目な男の子なのだ。そしてメールの内容は、『資料がかなり膨大で、内容を把握するのも大変なので、本日、有志で一度集まって読み合わせをしないか』というものだった。
 真面目すぎる!
 私はぎょっとした。
 有志でなんて書いてあるけど、これは行かないわけにいくまい。
 私はきょろきょろと教室を見渡したけれど、ジャッカルはすでに部活に行ってしまった後のようだ。

 ジャッ、カ、ルゥー!

 私はまた心で叫びながら、テニス部の練習場に走った。
 昨日のように、まずテニスコートで彼の姿を探した。
 でもよく考えたら、三年生は基本、引退のはずだからそんなにしょっちゅう練習してるはずないんだよね。まさか、もう帰ったとか?
 とりあえず私は部室に走った。
 どうか、出てくるのが真田くんじゃありませんように、と祈りながら部室をノックして扉を開けると、今回は私はほっと胸をなでおろす。
 出てきたのは、まだ制服を着た丸井くんで、隣のクラスで顔見知りの彼は、「よっ」なんて気軽に声をかけてくれた。
「ねえ、ジャッカル知らない?」
「ああ、ジャッカル? あいつ、体育館でマシントレーニングしてんじゃねーかな」
「あ、そう。三年生なのに、熱心だよねえ」
「だろ? 今やる事って、基本は後輩への引継ぎくらいのもんなんだけどさ、あいつ、ほんと体動かすの好きなんだよなァ」
 丸井くんは、あいかわらずガムを噛みながら笑って言った。
 私は彼に礼を言うと、体育館に走る。
 靴を脱いで中に入り、体育館の隅に設置されてるベンチプレス台やフリーウェイトのコーナーへ駆け寄ると、私の勢い込んだ足が止まる。
 そこには、ふんっふんっと大きく息を吐きながら夢中でベンチプレスでウェイトを上げている真田くんの姿があったから。
 見回しても、あのスキンヘッドの姿はない。
 私の気配に気付いたのか、真田くんはウェイトをフックに戻すと、ベンチプレス台から体を起こした。
「……どうした、何か用か」
 邪魔をされた、と言わんばかりの顔で私を睨みつける。
「あの、ジャッカルくんがこちらにおられると伺ったのですが……」
 体育館シューズを持っていなかった私は、裸足で靴を手に持ったままという間抜けな格好で、慇懃に彼に尋ねた。
「ああ、ジャッカルならさっき筋トレを終えてランニングに出たところだ」
 また走ってんのかよ!
 真田くんの言葉に、私にがっくりうなだれつつも内心叫ぶ。
 ありがとうございました、お邪魔をして申し訳ありませんでした、と彼に言ってその場を辞すと、私はまたグラウンドに向かって走る。
 すると、ちょうど走っているテニス部のジャージを着た男の子を見つけた。

「ねえ、ジャッカル知らない?」

 私も走りながらその男の子に尋ねると、彼は少しスピードを緩めながら、

「ジャッカル先輩なら、今日は長く走りたいから外周に出るって言ってましたよ」

 そう教えてくれた。そして、彼の出て行った裏門を指差す。
 外周って!
 学校の外をぐるりと走ってるわけ!?
 私は時計を見て、集合のかかっている時間がせまっているのを確認する。
 仕方がないので、運動部がいつも外周を走る方向の反対方向に向かって私は走り出した。
 
 ジャッ、カ、ルゥー!

 早く走って、私と合流しなさいよ!
 そう思いながら、外周に出て、5分ほど走った頃だろうか。
 やっと、コーヒー牛乳みたいな色のスキンヘッドが見えた。

「ジャッ、カ、ルゥー!」

 今日の叫びは、一発で聞こえたみたいだった。
 遠目に見ても、びっくりした様子がわかる彼は、全力疾走で私のところまでやってきた。

「おう、どうした? 何かあった?」

 何かあった、じゃないよ! と私は今日の集まりの事を急いで話した。

「マジか! そりゃ行かなきゃなんねーな。俺、急いで部室に資料取りに行ってから走って行くわ」
「……あのさ、私、もうこれ以上走れないからさ……。ジャッカル、急いで先に行っててくれない?」
 明らかに疲労困憊している私を、ジャッカルは申し訳なさそうに見て、うなずいた。
「わかった。俺、話聞いとくから」
 彼はそう言うと、またものすごいスピードで走り出すのだった。

 すっかり疲れきった私が、とぼとぼ歩いて指定された教室に行くと担当者はほとんど集まっていた。私が遅れる旨、ジャッカルはちゃんと伝えておいてくれたようで、委員長も特に気にする風はない。私はジャッカルの隣にゆっくり腰掛けた。
 当然、私の資料は家に置きっぱなしなので、ジャッカルのを見せてもらう。
 真面目なジャッカルが相棒でよかったというか、なんというか……。

 集まりが終わると、私とジャッカルは一緒に教室を出た。
 今日は本当に疲れた。
 こんなに走ったの、体育の授業でだってないと思うくらい。
 私がため息をついていると、ジャッカルが言った。
「今日は悪かったな、急な集まり、知らなくて」
「いや、まあ突然にメールで来たから仕方ないんだけどさぁ」
 私は言って、彼を見上げた。
「でも、読み合わせできてよかったよな。一人で読むよりぜんぜん効率よかった。俺、こんなに目を通すの、どんだけかかるだろうって夕べも途方に暮れてたんだぜ」
 ああ、やっぱりジャッカル、真面目なヤツだなあ。
 部活を本格的にやってた時も、いっつもなんやかやと呼び出されたりして忙しそうにしてたし。
 そういうのわかってるから、怒れないんだけど、なんていうかさ。そんな、どっちかというといっつも走り回ってる系のジャッカルを探して、私がこんなに走り回るのって、もうなんだか納得がいかないっていうか!!
「ジャッカル!」
 私は声を上げて立ち止まった。
 私のその声に、彼は驚いたように足を止めた。
「私、今日で一年分くらい走ったよ! もう、無理! これからね、ジャッカルに用事がある時はのろしを上げるから、それを見たらジャッカルが走って来て!」
 私は彼に、思わずそう叫んでしまった。

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2007.10.31

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