● ファンタム・ファンタスティコ(6)  ●

 私たちが乗り換えた車は、おそらく地下駐車場かなにかだったろう場所を出てふたたび町へと走り出した。
 窓ガラスはさっきまでの車よりもより濃いスモークで、窓の外はなかなか伺い知れない。わかったところでどうなるものでもないだろうけれど。
「………これから、どうなるんでしょう」
 跡部さんに聞いても仕方のないことだとわかっていながら、私はついつい尋ねてしまう。
 跡部さんは携帯を取り出して画面を見ると舌打ちをした。
 やはり、電波を遮断されているのだろう。
「あの男も言っていただろ。この車はオークション会場に向かっている」
 あ、会場ってのはオークション会場のことか。
 っていうか、早速!?
「下手すると、明日の今頃は俺もお前も日本にはいないかもしれねーな」
 ちょっとちょっと。
 なんて恐ろしいことをさらりと言うんですか。
 私は思わず自分の携帯を見た。
 やっぱり圏外。
 そして、表示されてる時刻は7時すぎ。ああ、お母さん、今頃怒ってるんだろうな。ってば何も連絡なしに、なにやってんの!って。
 私は今のこの状況が、急に現実的に感じられるようになって途方に暮れてしまった。
 さっきまで跡部さんの家の車に乗ってた時は、もしかしたらこれは何か大掛かりなドッキリなのかも、なんて心のどこかで思っていたのに。
 この車は、さっきまでとちがって跡部さんのじゃないんだ。
 そう思うだけで格段に心細い。
「なんで、わざわざ乗り換えたんでしょうね?」
 私が沈んだ声で尋ねると、彼は前髪をかきあげてため息をついた。
「バーカ。あの車は目立つ。それに、ある程度時間がたてばすぐに家の者が俺を捜し始める。あの車で直接会場に乗り付けるわけにゃいかねーだろ。乗り換えることはわかっていたが、そのタイミングにもまったくつけいる隙もなかった。あれだけ武装されちゃ、手も足も出ねぇ」
 跡部さんは悔しそうに眉間にしわを寄せた。
 一方私は、明日の今頃は日本にはいないかもっていう言葉がやけに身に迫ってきて涙が出そうになる。
「いいか、
 そんな私に、跡部さんの言葉が響いた。
「俺たちは圧倒的に不利で、絶望的な立場にはいる。それは間違いない。しかし、決してあきらめるなよ」
「ええ?」
 とにかく、私たちは激しくやばい状況ってことはわかってる。あきらめるなって?
「あきらめは愚か者の結論だ。いいか、どんなことになっても、針の穴を通すような希望も見逃すな。あきらめるな」
 跡部さんの目はつよくて、その表情は凛としてきれいだ。
 でも、途方にくれた私には、その言葉は素通りするようでまるで身にしみない。あきらめるなって言われても、一体どうすればいいの。銃を持ったような大人が大勢いて、そして私はどうしようもない中学生で。
 跡部さんだって、そりゃ私よりはだいぶ力もあって頭もいいけど、あんな人たちからすればひとひねりでどうどでもなる子供だ。
 残念ながら、私は何の希望も持てない。
 けど、さすがにそう言葉に出すこともできず、力なくうなずくだけ。
 希望があるとすれば、どうにかして跡部さんのガードマンたちに私たちを捜し出してもらうことくらい? だけど、携帯もつながらないようにされている状態で、どうやったら私たちが国外に売り飛ばされる前に発見してもらえるのか、ちょっと私の頭では思いつくことができない。
 暗澹たる気持ちで車のシートに背中を預けていると、車が再び高速に乗っていることに気づいた。
 展開はきわめてスピーディだ。
 私たちは今日さらわれて、今夜オークションにかけられる。
 そして、明日にはすでに海外に連れ去られる?
 私は鞄をぎゅっと抱きしめた。
 今日の授業が終わる時、もうすぐ夏休みだっていうのにまだ宿題なんかあってウザいなーなんて友達と愚痴りながら過ごしていた時間が懐かしい。
 どんなに冴えない中学生活でもいいから、戻りたいよ。
 こんなの、嫌。
 ついに涙がにじみ出て、私は跡部さんに気づかれないようにそっとぬぐって鼻をすすった。

 氷帝学園を後にしてから車を乗り換えるまでの時間の、おおよそ倍くらいの時間は走っただろうか。ようやく車は高速を降りる気配を見せて、市街を走り出した。もしかしたら都内を出ているかもしれない。もう、ここがどこなのかさっぱりわからない。
 車がスピードを落としはじめたので、目的地に近づいたことを察した。
 握りしめた手に汗がにじむ。
 一体どうなるのだろう。
 そんなことばかりを何度も考えた。
 隣では跡部さんが、車の窓をコンコンとたたいてみたりいろいろと操作をしてみるけれど窓もドアも完全にロックされているようで、苛立たしげなため息がもれるばかり。険しい表情で左手を眉間にあてたまま、右手では薄いシャンパンゴールドの携帯電話をもてあそんでいた。
 私たちを乗せた車は、先ほど車を乗り換えた時と同じように、大きな門をくぐるとまたゆっくりと下って行く。また地下に連れて行かれるんだろうな、と私は気が重い。
 今度はさっきよりも明るい地下のスペースだった。
 すうっと静かに車が停まると、運転席との仕切りが静かに上げられる。
「よぉ、大人しくしてるみてぇだな。ちょいと待っとけ」
 運転席のラッキーは相変わらずのニヤニヤ笑いを見せて私たちを確認すると、また仕切りを下げて運転席を出た。
 ラッキーが運転席を出て、そして仕切りが下がりきる前のほんの一瞬。
 跡部さんは少し前のめりになって、右手に持っていた薄い携帯を、シュッと助手席の方へ滑り込ませた。ラッキーが運転席の扉を閉める音で、跡部さんの携帯の落ちる音は聞こえない。
 その一瞬の動きに、私の心臓はバクバクと音を立てる。
 ラッキーは後部座席にまわり、乱暴にドアを開けた。
 そして私たちに、まだ出るなというようにその大きな手のひらで制してみせる。奥へつめろ、と手振りをして、彼も座席に乗り込んできた。
「ここから先に行くにゃ、手荷物検査が必要だ」
 彼はまず私のバッグをひったくって、中をかきまわした。
 ちょっと! 女子のバッグの中身をなんて無神経に!
 こんな時だとはいうものの、私は非常に憤慨してしまう。
「重てぇ鞄だな、中学生の鞄てのは」
 そりゃ教科書や辞書やテキストが入ってるんだから、当たり前じゃん!
「はい、これは没収〜」
 彼はそう言うと、バッグのポケットの中の携帯電話を取り出した。
 白い折りたたみ式のそれを開くと、私の目を見て笑いながら電源を切った。
 なんとなく予想はついていたことではあったけれど、私はより絶望的な気分になって思い切りため息をついてしまった。
 すがるように跡部さんを見ていると、ラッキーは今度は跡部さんの荷物のチェックを始めた。
 跡部さんは、まるで召使いに荷物の整理でもさせているかのように堂々としたもの。
 ちなみに跡部さんの鞄はほとんど荷物が入ってなくてやけに身軽だ。部活用の鞄とテニスバッグはあの時、眼鏡の男に投げつけてきてしまったし。きっと跡部さんは教科書やテキストは2セット持ってて、いちいち学校に持ってきたりしないんだろうなあ。これまたこんな時だというのに、そんなどうでもいいことを考えてしまった。
「はい、お前さんのこれも没収な」
 ラッキーは跡部さんの鞄から黒の携帯を取り出して私のと同じように電源を切る。
「さて、後は……」
 そう言うと、まるで映画でやるみたいにポンポンと跡部さんの体を手のひらでたたいてチェックし、にやりと笑うとスラックスのポケットからシルバーの携帯を取り出した。
「やっぱりあんたは一個だけじゃねぇよな。これも預かっとく」
 彼は得意げに笑うと、見せつけるように跡部さんの目の前でその電源を切って自分のジャケットのポケットにしまった。
 私はおもわず助手席の方を見てしまいそうになって、あわててうつむいた。
 跡部さん、やっぱり携帯取り上げられて電源を切られるの、わかってたんだ。
「では、お部屋にご案内いたします。ああ、お荷物はお持ちいたしますよ」
 ラッキーはまた憎たらしくふざけた口調で私たちを車の外へ促した。
 車の外では、乗り換えをした時よりもさらに多くの男達が囲んでいる。スマートなスーツの人たちだけど、その冷たい雰囲気からただものではないことはわかる。彼らの手元では、小さいけどあきらかに人を殺す力を持っていることが見て取れる銃が私たちを確実に狙っていた。
 私と跡部さんが車から降りると、荷物を持ったラッキーがドアを閉めた。
「お前の鞄、ほんっと重てぇな。まったくなんでこんなにいろいろ入ってやがんだ。ボディガードなんてぇ割に、得物はひとっつも持ってねぇくせに」
 ドアに少しだけ挟まった鞄のはじっこを乱暴に引っ張る。やめてよね! 化粧ポーチだって入ってるんだから!こいつ、ほんっと腹立つなあ!
 私は怯えたりイライラしたり非常に忙しい。
「いいか、お前らを薬で眠らせたり、道具で拘束することなんざ簡単だ。が、商品は可能な限り傷をつけず現状のままで引き渡すってのが、ボスの方針なんでね。大人しくしてりゃ、痛い目には合いやしねぇ。黙ってついて来るんだな」
 ラッキーがえらそうに言うと、跡部さんは肩をすくめて(ちょっと映画に出てくる外人みたい、芝居がかってる!)顎をくいっとあげてみせた。
「ああ、これだけ武装した奴にかこまれちゃ、何もできねぇよ。わかってるだろ、俺たちだってバカじゃねぇ。ごたくを並べてねぇで、さっさと連れて行け」
 とりあえず口では負けてないみたい。
 ラッキーの顔には『このくそガキ』って書いてあるみたいで、鼻の上に一瞬しわを寄せてみせて、そして私たちを地下駐車場から通じる建物への入り口へ促した。もちろん、私たちはその武装した男達に囲まれて。
 廊下を歩きながら、とりあえず、ものすごく豪華な建物の中につれてこられているということだけは私にもわかった。
 建物の天井の高さ、廊下に飾ってある花の鮮度、絵画の品の良さ、どれを取ってもかなりお金をかけている。
 しばらくそんな廊下を歩いていると、ラッキーがようやく足を止めた。
 廊下に面している扉の一つを開くと、中に私たちを促した。
「どうぞ、こちらへ」
 ホテルのボーイのようなふりをしてみせて、私たちを中へ案内する。
 中はちょうどホテルのセミスウィートのような部屋で、ラッキーはソファに私たちの鞄を乱暴に放った。
「しばらくはここで待機してな。飲み物から食い物、バスルームから何でも揃ってる。暇だってぇならお楽しみも自由だ。じゃあな」
 ちょっと下品な笑い顔を睨みつける私を気にする様子もなく、ラッキーは例のふざけた口調で言ってみせると、ポケットに手を突っ込んで長身の体を少し猫背にかがめて笑いながら部屋を出て行った。
 当然、その後には重い、ロックのかかる音。
 彼が出て行くと、跡部さんはすぐにドアの前に駆け寄り、身を屈めてドアの鍵をチェックした。
「……電子鍵か」
 案の定、といった風に舌打ちをする。
 見渡したところ、部屋には窓やその他の出入り口はいっさいなかった。
 セミスウィートに見せかけた、監獄だ。
 普通、セミスウィートだったら絶対にあるはずのインターネット設備なんか、ありもしない。
 これはかなり絶望的。
「跡部さん、あの、電話……」
 私がおそるおそるつぶやくと、跡部さんはラッキーが放った鞄をどけて、どかっとソファにふんぞりかえった。
「ああ、あれな。あの車がほんの一瞬でも電波の通じるところに行きさえすれば……いや、あの地下駐車場が少しでも電波が通じるようであれば、うちのガードマンがすぐにこの場所を特定する。今はそれを待つしかねぇな」
 その言葉を聞いて、私はようやくずっと握りしめていた手からすこし力が抜けた。
 跡部さんのガードシステムなら、すくなくともイマドコサーチよりは精度は高いだろう。
 少しほっとしたら、ひどく喉がかわいてることに気づいた。
 私は部屋の奥の冷蔵庫を開けてみる。
 ペットボトルのヴォルヴィックが何本か冷えていた。
「ああ、俺にも1本頼む」
 跡部さんが言うので、二本持ってソファに向かった。
 跡部さんの隣で、ペットボトルのキャップをきゅっとまわしながら私は一瞬不安になる。
「これ……大丈夫ですか?」
 私が不安げに言いながら見上げると、彼はククッと笑ってぐいぐいとミネラルウォーターを喉に流し込む。
「バーカ、この期におよんでこんなもんに毒を入れたりするか。いいから飲んでおけ。脱水は体力も思考能力も低下させる」
 彼の言葉に不思議と安心して、私はゆっくりと水を口にふくんだ。
 よく冷えたその軟水のミネラルウォーターは私の体にじんわりと染み渡って行くようで心地よかった。
 一気に500mlを飲み干して、ふうっと息をついているとロックが操作される音がして、部屋の扉がひらく。私は思わずびくりと立ち上がった。
「おう、邪魔したか? 悪ぃな」
 顔を出したのはラッキーだった。
 邪魔っていうか、あんたの顔は見たくないっての。
「お前、これ」
 そして、彼は跡部さんを見てにやにやと笑う。
 ラッキーの長い指につままれているものは、見覚えのあるシャンパンゴールドの携帯電話。
 私は大きく心臓が動くのがわかる。
「どうしてだか、車ン中に落ちてたぜ。こいつも、俺が預かっとく」
 そう言って、電源の切れた画面を私たちに見せつけると、ひらひらとその長い指をした手をふってドアを閉めた。
 ふたたびロックのかかる音。
 私の隣で、跡部さんは空になったペットボトルをぎゅっと握りしめて、おもいきり眉間にしわを寄せていた。
 こうして、私たちのただ一筋の希望の光は断ち切られた。

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8.2.2008

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