● ファンタム・ファンタスティコ(5)  ●

「あ、ああ〜……ドアラですね……、か、かわいいなァ。跡部さん、中日ファンなんですか?」
 どうリアクションをしていいかわからない私が力なくつぶやくと、跡部さんはいぶかしげな顔をで私を見た。
「何をわけのわかんねーこと言ってやがる。いいからそれを持っていろ」
「はあ」
 私はとりあえず言われるままに、通学鞄にドアラをぶら下げた。まあ、跡部さんが持ってるより、私がこうして鞄につけてるほうが様にはなるだろうけど。
「それには発信器が仕込んである。これから先、もしも俺と別々になった場合お前がこれを持っていれば家の警備で場所を特定することができる。ま、この車からじゃ電波は飛ばねぇけどな」
「発信器!」
 そんなの、漫画とか映画とかテレビドラマでしか見たことない。このヘンテコなコアラキャラが発信器!? 私は改めてドアラを指でつまんでまじまじと見つめた。
「もし携帯や機器類が没収された時ゃ、お前に預けたそれが頼りだからな」
 言われてみて、責任重大なドアラをじっと見つめる。
 頼んだよ! ドアラ!
 それにしても、13ナイトだとかオークションだとか、もう私の想像の範囲を超えてるな。
 まったく、これからどうなっちゃうんだろう。
 13ナイト、と心で口に出してみてはっと思い出したことがあった。
 もうすぐ関東大会なんだって、日吉くんが言ってたっけ。
 確か、週末の日曜からじゃない?
「跡部さん、そういえば関東大会って、今週末……?」
 私が言うと、跡部さんはまた眉間にしわをよせて厳しい顔をした。
「そうだ。13日が一回戦だ」
 そうか、13日は関東大会。
 13ナイト。
 跡部さんがピリピリするはずだ。
「今じゃ、奴らの開くオークションは13日とはかぎらない。が、関東大会の初日と13日が重なるってのが嫌な感じだ。かつ、やつらが俺を狙う動きはこの夏になって目立つようになっていたからな。直近のオークションまでに俺様を調達するよう、13ナイトの奴らはやっきになっていたんだろう。でなければ、今日、あんな風に学内で必死になって接触してきやしねぇ」
 跡部さんは、どんな状態でもやっぱりテニス部部長なんだなあ。
 きっと今でも、関東大会のことを気にかけているんだろう。
 いつも優雅で偉そうで人気者の跡部さんが、その裏ではこんヘンテコな人たちに狙われたりして、あんな地下室を使って学校を守らせていたなんて知らなかった。
 私は今度は深呼吸をして、シートに座り直す。
 窓の外はスモークでほとんど見えないけれど、どうやら首都高は降りたみたい。もうすぐ目的地に着くのだろうか。
 高速を降りてからしばらく走って、車のスピードは緩やかになっていく。
 大通りを抜けて何度か交差点を曲がり、本格的にスピードを落としていった。
 ようやく何やら門のようなところをくぐり、どこかの敷地に入ったと思ったらやや急な勾配を下り始め、窓の外はよりいっそう暗くなった。
 私はどんどん不安になって、隣の跡部さんを見る。
 彼はシートに身を沈めて腕組みをしたまま。
「……まだそう心配するな。すぐに俺たちがどうこうされることはない」
 静かに落ち着いた声を聞いて、私はまた深呼吸をした。
 不思議だ。
 いくら跡部さんとはいえ、不安じゃないはずはないだろうし、今は圧倒的に最悪な状態。だけど、彼が『心配するな』って言うと、ああそうなのかなって落ち着くことができる。やっぱり、生徒会長だったりテニス部部長だったりするのは伊達じゃないんだなあ。
 私もシートに座り直して、鞄のドアラを握りしめた。
 車が停車して、そして運転席からあの慇懃で憎たらしいしゃべりをする運転手が降りて行く気配がする。
 しばらく間があいて、後部座席のロックが解除される音がすると同時に外からドアが開けられた。
 まずは跡部さんが、優雅な仕草で車から出る。私もあわててそれに倣った。
 そして、思わず声を上げそうになる。
 車と、そして私たちを5人ほどの男が囲んでいるのだ。
 全員銃をこちらに向けて。
 もちろん、その銃が本物かどうかなんて私に判別できるわけもないけれど、もしも玩具の銃なんだとしても私を縮み上げさせるには十分すぎる効果だった。
「こりゃまた、ションベンくせぇガキがついてきちまったもんだなァ」
 緊張感のないその声は、例の運転手の者だ。
 両手をポケットに入れたまま、あきれた顔で私をのぞきこむ彼は、焦げ茶色の髪に焦げ茶色の目。整ってつり上がった眉にちょっと垂れ目の、イケメンといえなくもない顔立ち。まあ、アクション映画なんかでは序盤にやられそうなキャラ、といった感じの男だった。
 私は恐怖で跡部さんの隣にぴったりくっついていながらも、少々むっとしてその男をにらみ返した。
 ションベンくさくて悪かったね、好きでついてきたわけじゃないんですけど。
「おい、ラッキー」
 ふと、聞き覚えのある声が響いた。
「そのガキは俺と跡部景吾のやりとりを見ている。商品にはならんが、逃がすなよ」
 声のする方を見ると、例のあの文部科学省というふれこみの男が立っていた。
 眼鏡は無事だったようだ。
「了解っす〜、Mr.コヨーテ」
 ラッキーと呼ばれた男は、やれやれと言った表情ででだるそうに返事をした。
「さて、跡部景吾くん。聡明なきみのことだから、これから自分がどういう目にあうのかはだいたい察していることだろう。きみは既にわれわれの商品だ。商品には傷をつけたくないんでね、おとなしくそっちの車に乗り換えてもらおうか。これから会場に向かう」
 周りの男たちの銃の照準が、一斉に跡部さんに向けられた。
 跡部さんは眉ひとつ動かさない。
「こんなところで無駄な抵抗をするほど、俺は愚かしくはねぇ」
 そう言うと、ファンタムに並んで停まっているオフホワイトの車に向かって優雅に歩くのだった。
「ふん、ベントレーか」
 つぶやいて、その開かれた扉の後部座席に向かう。
 私は少々焦り始めた。
 もしかして、ここで跡部さんと離ればなれになるんだろうか。
 それを見越して、跡部さんは私にドアラを託した?
 だけど、正直離ればなれになるのはちょっと、いや、かなり心細いんだけど……。私が鞄を握りしめていると、跡部さんがくるりと振り返った。
 周りの男たちがびくりと銃を構え直す。
「ああ、そうだ、そいつ」
 振り返った跡部さんは、まわりの銃などまるで目に入らないかのように堂々とした仕草で私を顎でくいっとさした。
「そいつは俺のボディガード兼世話係でね、俺はそいつがいねぇと、パンツひとつはくことができねぇ。俺があんたらの商品だって言うなら、そいつもセットで頼む」
 えええ!?
 私が思わず声を出しそうになると、跡部さんは『黙ってろ』と言うように眉をひそめた。
「ふん、こいつが?」
 コヨーテと呼ばれた男は、眼鏡のブリッジをくいと持ち上げて私を見る。まるで品定めでもするかのように。
「最近の金持ちのガキは、女まであてがわれてるのか。まあいい。それにしても、趣味がいいとはいえないな。おいガキ、お前も乗れ」
 フン、と鼻を鳴らすと私を車の方に促す。
 え〜、なんか釈然としないな〜。
 若干憤慨しながらも、私は跡部さんについてオフホワイトのセダンに乗り込んだ。
 まあ、一人にされるよりはましかもしれない。
 乗り換えた車はさっきの車よりも少々こじんまりしてるけど、これまたいかにも高そうな車だった。
 私たちが乗り込むと同時に、案の定両側のドアにはロックがかけられる。
 運転席に乗り込んで私たちを振り返るのは、さきほどのラッキー。
「へえ、お前、女ボディーガードだったのかよ。手裏剣とか投げてくれるなよな」
 彼はへへへと笑うと、後部座席との間の仕切りをおろした。
 明らかに、簡単には破ることのできなさそうな、硬質のプラスティックの仕切り。
「跡部さん、ひどいじゃないですか! なんだかへんなこと言ってくれちゃって! 私、変な風に誤解されてしまったじゃないですか!」
 彼が私を気遣ってのことだとはわかっていながらも、ついつい抗議の言葉を発してしまった。
 跡部さんは、当然まったく意に介する風もない。
「お前が一人で見知らぬ国の変態野郎のところに売り飛ばされる覚悟があるなら、ここに残れよ」
 涼しい顔で言うのだった。
「変態って!?」
 思わず叫ぶと、跡部さんは苦笑いをしながら私を見た。
「世の中にはあらゆるニーズがあるんだ。お前のような、帰宅部で建物委員の中学生を欲しがる金持ちってのも、この世界にはいるってことさ。バラ売りされるよりゃマシだろ」
 あらゆるニーズっていうのを、深く尋ねる勇気もなくて、私はおとなしくこくこくと頷いた。
 とりあえず跡部さんとセット売りされる方が、前座でバラ売りされるよりいくらかはマシだろうと私にも想像できる。

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2008.7.25

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