● ファンタム・ファンタスティコ(4)  ●

 乗り込んだ跡部さんのロールスロイスの後部座席は、そりゃもうびっくりするくらい広かった。
 ちょっとした応接間だよ、こりゃ。
 下に引いてある白いじゅうたんもチリひとつ落ちてなくてふっかふか。
 そのままそこに横になって昼寝したいくらい、快適そう。
 当然、シートは上等のソファといった感じ。
 どこに座ったらいいんだろう、と迷ってしまうくらいに広々としている。
 戸惑いながら私がようやく腰を下ろすと、まるで新幹線みたいに静かにすうっと車は発車する。すっごい静かに動き出すものだからびっくりした。まさにファンタム、幽霊とはよく言ったもの。
 そんな具合に私はきょろきょろと落ち着かなかったものだから、ふと見上げた隣に座る跡部さんが、これまたひどく怖い顔をしていることに初めて気づいてぎょっとした。
 庶民である私の落ち着きのなさが気に障ったのだろうか。
 私が何かを言おうとしても、彼の目は前方をじっとにらんだまま。

「車を止めろ。お前は何者だ」

「え? 私、二年のです………」
 びっくりしてとりあえず言ってみた私の言葉は完全無視。
「家の運転手はそんな下品な香水をつけない」
 続く彼の言葉に、前方から男の声が返ってきた。
「そうですか、それは失礼しました、景吾坊ちゃま。残念ながら車をお止めすることはできませんけどね」
 運転席からは、少々ふざけたような慇懃な台詞。
「運転手をどうした!」
 跡部さんが叫ぶのと同時に、後部座席と運転席にすうっと仕切りが降りてきて空間が遮断される。跡部さんの舌打ちが車内に響く。
「ご心配なく、坊ちゃま。少々手強い運転手だったんで手こずりましたが、某所で眠らせてるだけですよ。坊ちゃまの身柄を移動し終えたら解放される」
 運転席からの声は、次は後部座席のスピーカーから聞こえてきた。
 跡部さんはフンと鼻をならすと、シートに体を沈めた。
 当然ながら突然に不安の募ってきた私は、車のドアに手をかけてみる。
「無駄だ。この車の後部座席は完全にロックできるようになっている。扉だけじゃなく、電波も完全にな。この車の発信装置も解除されてるだろう」
 跡部さんは眉間にしわをよせて、携帯電話を出してぶらぶらと私の前で振ってみせた。
 跡部さんの携帯の液晶に示された電波状態は完全に『圏外』だった。
 あわてて私も鞄の中の携帯を確認してみるけど、結果は同じ。
「あのー……跡部さん、これ、一体……」
 おそるおそる尋ねてみる。
 何らかのドッキリだとしても、あまりに手が込みすぎてるんじゃないの。
 跡部さんは左手を顔に添え、指で眉間のあたりをトントンとたたいた。
 そして、軽くため息をついて私を見る。
 険しいけど、ちょっと困ったような顔。
「結果的にお前を巻き込むことになっちまって悪かったな。俺はこのところ、ちょいと面倒な奴らに狙われていて、まあこういうことになったってわけだ」
 ちょっと、あまりに簡単すぎる説明!! わかんないんですど!!
 悪かったと言われても、あ、いいです、とも言えないし。
「あのぉ、つまり、今この車で、どこかにさらわれて行く途中ってことでしょうか」
「ああ、そういうことだ」
 おそるおそる、といった私の質問に、跡部さんはさらりと答えた。
「俺としたことが迂闊だったな。運転手はかなり訓練されたスタッフだったし、まさか運転手から狙われるとは思わなかったが、当然予期すべきだった」
 跡部さんは独り言のようにつぶやいて、悔しそうに舌打ちをした。
 私はどうしたらいいかわからなくて、とりあえずため息をついて顔を両手で覆った。
 たいして親しくもない男の先輩の車になんて、やっぱり簡単に乗るんじゃなかった。激しく後悔する。
「ああ、言っておくが」
 すると跡部さんが静かに言う。
「お前は、あそこで俺と13ナイトの男がやりあう現場にいたんだ。この車に乗らなかったとしても、どっちにしろ何らかの形で始末される可能性が高かったんだからな」
 まるで私の気持ちを読んだかのように言うのだった。
「……サーティーンナイトって?」
 そういえば、あの地下通路でもそんな単語を跡部さんの口から聞いたような気がする。『13ナイトが動いた』って。
 跡部さんはまた私を見ると、また軽くため息をついた。
「金持ちが欲しがるあらゆるものを手配する、何でも屋だ」
「何でも屋?」
「そうだ。どんなものでも、どんな手をつかってでもな」
「はあ。あの文部科学省の人?」
 何でも屋、なんて言われてもちょっと想像がつかないんだけど。
「文部科学省っていうのは偽装だ。うちの運転手をそうしたように、どこかでホンモノと入れ替わってきたんだろう」
「……そんな何でも屋さんが、どうして跡部さんを? あ、跡部さんの家ってお金持ちだから身代金とか?」
 私が言うと、跡部さんは苦笑いをする。
「ばーか。金持ちが身代金目当てに俺を狙うわけねーだろ。世の中にゃいろんな奴がいてね、いろんな目的で俺を欲しがる奴がいるらしい」
「跡部さんを?」
 私が目を丸くして聞き返すと、彼は左手の指先でコンコンと自分のこめかみを叩いた。
「俺はこれでもうちの系列の会社のいろんなデータを頭に入れてるんでね、まずは単純にそれを欲しがる奴がごまんといる。他に多いのは……」
 その左手で髪をかきあげてフンと鼻を鳴らすと、改めてシートに体を沈めた。
 何気ない仕草なのに、まるで映画スターみたいだ。
「跡部財閥の才色兼備の御曹司をペットに飼いたい、変態とかな」
 思わず絶句した私を、跡部さんはちょっと面白そうに笑って見た。
「つまり、そういうわけだ。簡単に言うと、世界中あらゆるところから盗み出された美術品やら宝石、流通していない薬品、ワシントン条約に抵触して取引のできない生き物、そして人間。表立っては入手できないようなあらゆるものを、13ナイトは手配して、欲しがる奴らを集めてオークションにかける。当初そのオークションが開催されるのが、不定期月の13日の夜だったってことから、その組織は13ナイトと呼ばれるようになった。今じゃ、そのオークションが開かれるのは顧客のニーズに応じて13日とは限らないのだが、その名称だけは残ってるってわけだ」
「はあ……」
 なんだか、漫画のあらすじを聞いてるみたいで、どうにも現実味がない。
 つまり、今私たちはこの車に乗せられて、そのオークションにかけられに行くってわけ?
 スモークのきいた車の窓からかすかに見える外を眺めると、いつのまにか首都高に乗ってるみたいだった。一体私たちはどこへ連れて行かれるんだろう。
「奴らには今までもちょこちょこ狙われたことはあったんだが、今回はどうも本気でかかってくるらしい状況だったんでね、このところ用心していた」
 跡部さんも窓の外を眺めながらつぶやいた。
「……あ……もしかしてそれで、昨日もあそこから西門へ?」
 私が言うと跡部さんは軽く舌打ちをする。
「あの地下は、学校の理事長と一部の関係者しか知らねぇ。俺が入学してから作った警備用の施設でね。もとからの学内の警備の他に、あそこから内々に警備をさせていた。最近は13ナイトが学内へ侵入するような動きがないかをチェックさせてたんで、毎日確認と打ち合わせに行っていたんだが。日吉がときどきあそこをうろついてるのは知ってたが、お前とあの後に西門で会ったのはまずったな」
「あー。日吉くん、あそこの階段にだいぶこだわってましたからね……」
「以前一度、あそこの出入り口が調子悪くなってな。修理をする間、外からばれねぇように床に細工をしてかさ上げしてたんだが、その時に日吉がだいぶチェックしてたからな」
 跡部さんはいまいましげにまた舌打ちをした。
「あー、それで普段14段の階段が13段になるって……」
 なーんだ、種明かしされれば簡単な話だ。よかった、やっぱり氷帝学園には怪奇スポットなんてないんだ!
 なんて、ほっとしてる場合じゃないんだけど!!
 跡部さんが落ち着いてるから、私もついついのんきに構えてしまうけど、私、これからどうなるんだろう。
 助けを呼ぼうにも、携帯はつながらない。
 そもそも、跡部さんが世界の美術品と並んで取引されようという一方、私は一体どうなるんだろう。とりあえず健康に生きてます、という以外に何にも取り柄もない中学生なんだけど。
 家柄も成績も見た目も、なにもかもが『そこそこ』の建物委員・帰宅部の中二の女子、彼氏なし。
 だったら、それなりに平穏に夏休みを迎えさせてくれてもいいじゃない。
 なんで、こんなトラブルだけが『そこそこ』を逸脱してるわけ。
 私もついため息をつく。
 私と跡部さんで、ため息合戦だ。

 跡部さんの声で私は顔を上げた。
「これを、持っていろ」
 真剣な顔で私を見て手渡してくれたものを受け取って、私は目を丸くする。
 それは、『ドアラ』のキーホルダーだった。
 一体、なぜ跡部さんが中日ドラゴンズのマスコットキャラクターのキーホルダーなんかを!
 その、猛烈に似合わない組み合わせに、私は少々戸惑ってしまった。

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2008.7.21

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