私は片思いが好きな女だ。
恋をするのが、というのではなくて「片思いが」というところがミソ。
私は中学に入ってから、二回、片思いをした。
一回目は、彼にとてもお似合いの彼女ができて、終結した。
二回目は、彼は決して私のような女の子を好きにならないだろう事をしっかり納得して終結した。
そして今、三回目の片思いに突入している。
今回も、細心の注意をもってして、全力で片思いをする所存でいる。
細心の注意……そう、私の片思いのルールは、原則としてこうだ。
一、 ターゲット(片思い相手)との接触は極力避ける
二、 ターゲットに私の片思いは気取られない
この極めてシンプルなルールにおいて、私はささやかな片思いを堪能している。
そう、私のこの片思いを邪魔する者は、何人たりとも許されないのだ。
それがターゲットである片思い相手の本人であっても。
「ちゃーん、もうすぐ不二くん来るよ!」
教室の窓から、仁王立ちになって外を見ていた私に、友人の貴美子の声がかけられ背中がたたかれる。
私は険しい顔で振り返った。
「貴美子、その名前は出すなと言っているでしょう!」
小柄でかわいらしい私の友人は、邪気のない笑顔で手を合わせた。
「ごめーん、じゃあどうする? 何かコードネームでも決める?」
「……いや、それはいいから。とにかく、私の例の件については、触れないでおいて」
「……触れないでって言われてもねぇ……」
貴美子は困ったように肩をすくめると、周りのほかの友人たちと顔をあわせて苦笑いをする。
「触れないではいられないよ、ちゃん。今回は相手が相手だしねぇ……」
そう、私の今の片思い相手は、テニス部の不二周助くんだ。
おそらく学年でも最高に人気があるであろう部類の彼を、今年、同じクラスになって、私はあっというまに好きになってしまった。
私は柄にもなく面食いだ。
不二くんは、とてもきれいな顔をしている。
それに、名前もいい。これは私の勝手なイメージだが『周助』なんて、ちょっと没落武士の三男坊みたいな、または明治時代の結核を患った売れない作家みたいな、そんな名前と、華やかな本人とのギャップがいい。
そして何より……不二くんはいつも大勢の人の中で、人当たり良くニコニコしてるけれど、彼は……ニコニコしているだけじゃなくて、とても凛としている。きっと、誰もいない荒野の中で一人になったとしても、彼は今ここでいるのと同じ様子で、なんでもないように立っている事だろう。
私は一目で彼にそんなイメージを抱き、そしてとても惹きつけられた。
そして、彼に片思いをしようと、心に決めたのだ。
彼が、当面の私のターゲットだ。
そんな、鉄壁の私だが、どうにも二年の時から同じクラスの友人達には、あっさりとターゲットを白状させられる。頼むからそっとしておいてくれ、と私は激昂したふりなんかをしても、彼女たちは確実に口が堅いし、何だかんだ言っていざという時に助けてくれたり、諜報活動を行ってくれたりするから、良い友人なんだと思う。
そもそも「片思い」が好きである、などというところから推察がつくと思うが、私はあまり普通に可愛らしい女の子ではないし、人嫌いではないのだけれど人見知りで無愛想で口下手で、彼女たちみたいなにぎやかで可愛らしい友人がいてくれるのは、自分でも意外でありがたい事だった。
今日も学校帰り、ファーストフード店でお茶をしながら、友人たち四人で他愛ない話をしているのだが、やはりどうにも私の例の件の話に集約してくる。
「しかし、、今回は不二くんか〜」
早紀が長くて綺麗な髪をかきあげながら笑って言った。
「だから、その名前は出すなと……!」
「ここは学外だからいいじゃない。誰もきいてないよ」
貴美子が賑やかに言う。
「……、今回も片思いを貫くの? 不二くんは確かに人気あるけど、だったらそれなりにお似合いだと思うし、頑張ったらいけるんじゃない?」
久美が紅茶をすすりながら言うので、私は眉をひそめた。
「頑張るって、何を」
「だから、告白するとかね」
私は鼻で笑った。
「バカな。ありえない」
そう言うと、早紀がおかしそうに笑うのだった。
彼女は大人っぽい美人で、二年の時からつきあっている彼がいたりするから、確かに私のような片思いの習慣など、まったくおかしくて仕方ないだろう。
「は頑固者だからねぇ。……一度くらい、ほら、時々、に告ってくる男の子とつきあってみたりしたらいいのに」
そんな事を言う彼女に、私はまた眉をひそめた。
「ありえない。私の事などを好きになる趣味の悪い男は、嫌い」
今度は貴美子が笑う。
「あははは、ちゃんに告る男の子は、ちゃんが美人だから好きになるのであって、ちゃんが頑固者でちょっと変わってるなんてわかってないから、趣味が悪いわけじゃないと思うよ。だから、まず同じクラスになった男の子は告ってこないでしょ」
「その浅はかさが、またよろしくない」
私はそんなつもりはないのに、一言話すたび、友人達は腹を抱えて笑う。
前はいちいちムッとしていたが、今はもう慣れた。
「そっか〜、不二くんかあ」
久美は眼鏡のブリッジをきゅっと持ち上げて、考え込むようにつぶやく。
「不二くんは、優しそうな穏やかそうな顔してるけど、あれ、きっと結構曲者だよね」
彼女は結構人をしっかり見ているから、もしかすると私が彼に感じているような事、よくわかっているのかもしれない。私はうなずいて、拳を握り締め、正拳突のふりをした。
「わかってる。気を引き締めてかかるから」
私の真摯な決意表明は、またもや友人達の笑いを誘発したようだった。
「所長〜」
放課後、貴美子が私の机にやってきた。
彼女が私を「所長」と呼ぶ時は、たいてい何か企んでいる。ちなみに「所長」とは「片思い研究所:所長」という事らしい。彼女たちは研究所専属諜報員だそうで。
「何?」
私が荷物を片付けながら振り返ると、彼女は嬉しそうに私の顔を覗き込む。
「皆で、テニス部の練習見に行こう」
「断る」
私は即答した。
「なんでよ〜」
「なんでも何も、みすみすそんなリスクを負う事など……」
私にとっての重要な原則、ターゲットとの接触は極力避ける、という点に大いに抵触する可能性が高いじゃないか。そもそもターゲットが同じクラスであるという点で、この原則を完璧にクリアするのはおそらく無理だとは思っているけれど、なるべく避けたい事には変わらないのだから。
「もうね、馬鹿みたいな事ばっか言ってないで、行こうよ。テニス部の練習見てる女の子なんて、山ほどいるんだよ。誰が来て、誰を見てるなんて、わかりゃしないんだから。だいたいねえ、テニス部員がテニスしてるとこを見ないままでいるなんて、まるで中トロを焼いて食べちゃうみたいなもんでしょ」
貴美子は呆れたようにまくしたてると、私を無理やり連れ出すのだった。
三人の友人に連れられてテニス部が練習しているテニスコートに向かうと、確かに貴美子が言ったように、沢山の見学者。やはり、男子テニス部は人気がある。
人の多さに、私は少しほっとした。
「うわー、やっぱり女の子多いなあ。みんな、やっぱり手塚くんや不二くんが目当てなんだろうね」
久美が感心したように言う。
「でも、二年の子もイケてる子多いよね」
早紀が楽しそうに言う。まあ、なんだかんだ言って、皆も見に来たかったんだろう。
私はみんなの影に隠れながら(といっても、四人の中では私が一番背が高いから、実質隠れはしないんだけど)、不二くんの姿を探した。
いた。
コートの中でアップを終えて、ラケットとボールを持っている。
トリコロールカラーのジャージがとてもよく似合っていた。
そして、ラリーを始めた。
そう、彼の、この感じ。
私はテニスの事は詳しくないけれど、彼の動作の一つ一つが素晴らしく洗練されて正確だろう事はよくわかる。そして彼が、「今は、ここまでの、この程度の事をやろう」と、きっちり自分を見極めてたっぷりと余裕を持って動いているのを感じる。
彼は教室で笑っていても、荒野に一人立っていても、テニスをしていても、きっといつもあの感じ。
私は確信を持った。
いつも穏やかに笑っている彼の中に常に根付いている、確固として凛としたもの。
私は、そこが好き。
今回の私のミッションは、かなりやり甲斐がありそうだ。
私が夢中で不二くんを見ている間、他の友人もわいわい騒ぎながら、いろんな選手達を見て楽しんでいたようだった。
コートの中は一旦インターバルに入ったようで、選手が入れ替わり、ラリーを交わしていた選手たちがベンチに入った。
そして不二くんは、ベンチに置いてあるタオルで汗を拭く。
そんな仕草も、洗練されていてとても素敵だった。
きっと今の彼を、他の女の子も一斉に見つめている事だろう。
でも私には関係ない。
私は草葉の陰からの片思い派なのだから。他の子の事はどうでも良いのだ。
一挙一動を見逃すまいと、集中して彼を見つめていると、彼はラケットを持って首にタオルを巻いたまま、コートの外に出てきた。周りの女の子が沸くのが分かる。
決して長身とは言えない彼の身体とその控えめと言っても良いような態度は、それでも、大勢の人の中でひときわ大きく目立つ。
私は友人達の後ろで、彼に目を奪われたまま。
不二くんは周りの女の子たちと時に言葉を交わしたりもしながら、軽やかに歩いてきた。
そして私たちの前を通り過ぎる。
いや、通り過ぎようとした。
私は油断していた。
彼が足を止めるなんて思ってもいなかったから。
不二くんは私たちの前で不意に足をとめ、顔を向けた。
早紀や貴美子をちらちらと見て、そして後ろで首をすくめている私にも視線をよこす。
私は自分でも驚くほど、心臓が早く動くのを感じた。
「……さん」
彼は私の苗字を呼ぶ。
最悪だ。
目があって、名前を呼ばれるなんて、まずあってはならない事なのに。
「さんでも、テニス部の練習見に来たりするんだ。誰か好きな男でもいるの?」
彼はフフと笑いながら言った。
私は直立不動のまま、何も言えない。死んでしまうのではと思うくらいに心臓はドキドキと早くなる一方で、手のひらは嫌な汗。
「ああ、私がね、手塚くんの練習見たいなあって思ったの」
すかさず貴美子がいつもの明るい声で言った。
「私は、カワイイ一年生の子は入ったかなあって思って。どう? 不二くん、いい子いたら紹介してよ」
早紀が余裕たっぷりの様子で言った。
「一年? そうだね、生意気なのがいるよ。ゆっくり見て行ったら?」
不二くんは言って、また私をちらりとみてから、フフと笑って歩いて行った。
私は久美の両肩を握り締めて固まったまま。
なんだか頭がクラクラする。
今回のターゲットは、曲者だ。
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2007.4.23