「大体さ、ジャッカルの好みってベタすぎんだよな」
部活の朝練が終わると、着替えをしながら丸井ブン太がいつものようにガムを噛みつつ言い放った。
「ベタって、何だよ!」
ジャッカル桑原は、その見事な筋肉に覆われた身体を惜しげなくさらしたままブン太を振り返る。ブラジル人とのハーフである彼の、コーヒーのような色の美しい肌に埋め込まれた強いまなざしはきりりとしていて、それでもその奥底の優しさをのぞかせていた。
「だってさ、美人で色白でオッパイのデカい女の子なんて、彼氏いるに決まってるだろぃ。今まで何人、チアリーダーの子に振られたよ。今回の子だって、あれだけ学校中で人気者の可愛い子じゃ、そりゃつきあってる男もいるっての」
すらすらと続けるブン太の言葉に、ジャッカルはくっと歯を食いしばりながら黙って着替えを続けた。
そう、ジャッカル桑原の恋の傾向と結末は、非常に単純だ。
彼はとにかく、派手に目立って綺麗な女の子にばかり惹かれる。
そしてブン太が言うように、彼が好きになる女の子は大抵の場合、既に付き合っている男がいる。そして、あっさりと彼の恋は始まる前に終わるのだ。
「うるさい」
ジャッカルはかろうじてそれだけを返し、ネクタイを締める。
「ジャッカルの事好きだって女の子もいるんだから、コートでの守備範囲よろしく、女の子の好みの守備範囲ももうちょっと広げたらどうよ」
ブン太は相変わらずからかうように言った。
しつこくからかってくるブン太に、さすがにジャッカルも何か言い返そうとすると、ブン太は鞄を持ち、笑いながらすばやく部室の扉のところへ走った。
「じゃ、先に教室行ってるぜぃ」
ブン太の後姿を眺めながら、ジャッカルはため息をつく。
そして自身も身なりを整えると、鞄を持って部室を出た。
ブン太に言われずとも分かっている。
確かに、自分が恋する女の子は彼氏がいて当たり前というような子ばかりだ。
だけど、おかしいじゃないか?
その女の子の彼氏がその子と付き合う時、その子はフリーだったわけだ。
一体全体、なんで自分が恋をした時に限って、相手がフリーじゃないんだろう?
ブン太が言うように、そりゃあ自分が好きになるくらいだから、他の男が好きになってもおかしくないわけで。とにかく、彼はそんな相手にばかり恋してる。
でも好きになってしまうのだから仕方がない。
けど、この、間合いの悪さというか、タイミングの悪さは何なんだろう!
ジャッカルは何かを呪うように舌打ちをして、空を見上げた。
一体、自分のためにフリーでいてくれる、自分が恋する女の子は、いつどこに現れるんだろう。果たして、そんな女の子はいるのだろうか。
そんな考えは、まるで白馬の王子様を待つ小さな女の子みたいだと急に恥ずかしくなり、ぎゅっと目を閉じると頭をぶんぶんと振り回した。
その時、自分の足に何かが引っかかる。
はっと目を開けて下を見ると、何かロープのようなものが自分の右足にからんでいた。
しかし、それはロープではなかった。
水道からつながっているホースで、花壇のフェンスにひっかけられていたのだった。
そして、ジャッカルがあっと思った時にはもう遅くて、彼が足に絡めて引っ張ってしまったホースはフェンスから落ち、その吐水口からは勢い良く水が吹き上がった。
この日は天気がよく、ホースから撒かれた水は綺麗な虹を描く。
しかしジャッカルはその虹を見ているどころではなかった。
ホースの先には、制服を来た一人の女子生徒がいたのだった。
ジャッカルはあわててホースを押さえ、吐水口を下に向けた。
「……悪ぃ……!」
水をかぶった女子生徒は、さほど慌てるわけでもなく、まず眼鏡を外すと、ずぶぬれになった犬よろしく頭を振って水気を飛ばした。
そして髪を大きくかき上げる。
すらりとスレンダーな彼女の丸く白い額はすべやかで、そしてその下の大きな目は強く、印象深い。
ジャッカルは水の出たホースを手にしたまま、じっと彼女に見とれた。
ジャッカルは彼女を知っている。
同じクラスだから。
ずぶぬれになって、眼鏡を外しただけで、まるで違う人のようだった。
大丈夫か? とか、何か言おうとしたのに、どうも言葉が出てこない。
「……私が、水を出しっぱなしにしてたのも悪いから、気にしないで」
彼女は眼鏡の水気を払うと、それをまたかけて、ジャッカルの手からホースを取った。
「先生に、着替えてから行くから遅くなりますって、伝えておいてもらえる?」
「……ああ、わかった」
ジャッカルがそう言うと、彼女はにこっと笑ってホースをくるくると巻いて片付けた。
彼はしばしそんな彼女の姿を眺めているけれど、彼女に言いつけられた事を思い出し、腕時計を見るとあわてて教室へ走った。
頭の中で、彼女の名前を思い出す。
何て言ったっけ、そうだ、。という名だった。
教室で担任の教師が丁度出欠を確認し始めた頃、はジャージ姿で現れた。
「遅くなってすいません」
「ああ、桑原から聞いた」
教師は穏やかに言って、彼女に席につくよう促す。
が自分の席に向かう時、ジャッカルの傍を通った。
ジャッカルは、悪かった、というようにちらりと目配せをすると彼女はかすかに笑う。
彼女が席につくまでを、ジャッカルはなんとはなしにじっと見守った。
一限目が終ると、彼女に改めて謝罪をしようと振り返るが、の周りには既に人が一杯だった。案の定、「どうしてジャージ?」なんて事を友人たちに聞かれていて、彼女は笑いながら朝の出来事を話していた。
は目立つわけではなく、とても大人しい女子生徒だけれど、いつもいろんな友人といる。
男でも女でも。
一緒にわいわい騒ぐという訳ではないが、皆、『さん、さん』と言って慕っている。
大人しく優しい雰囲気で、ちょうど皆のお姉さんというような感じだ。
ジャッカルは気まずそうに、彼女の席の前に立った。
「あの……朝、すまなかった。俺の不注意で……。制服、乾きそうか?」
ジャッカルが言うと、はすっかり乾いた髪の毛を自分でくしゃっと触ってみせた。
「うん、よく拭いて更衣室の日当たりの良いところに干してきたから、帰りには乾くと思う。大丈夫よ、わざわざありがとう」
ジャッカルは彼女と口をきくのは、今日がまったくの初めてだったと気づく。
正面から見た彼女の目がこんなに綺麗で、そしてその声がこんなに優しげなものだったと初めて知った。
彼はその坊主頭をカリカリと掻いて、日本式に頭を下げると自分の席に戻った。
「お前、さんに何したの?」
席に戻ると、これまた同じクラスのブン太が興味深そうに尋ねてきた。
ジャッカルが今朝の出来事のありのままを話すと、ブン太はおかしそうに笑う。
「そりゃあ、お前のしでかしそうな事だなあ」
彼の言葉に、ジャッカルは心外とばかりに眉をひそめた。
常々思うのだが、ブン太のジャッカルに対するイメージと、ジャッカルが自分自身に抱いてるイメージはずいぶん異なるもののようだ。自分では、クールでかつ熱い、落ち着いた男だと思っているのに、ブン太はどうも自分を『要領の悪い、イジりがいのある男』という風に持って行きたがっている。
でも、それは彼なりの好意の現れで、そしてブン太が彼をそう扱う事で周囲にぐっと溶け込みやすくしてくれたのだと、ある意味感謝はしている。彼がいなければ、このブラジル人とのハーフでスキンヘッドで若干強面で、なんて自分が皆と打ち解けるのはそう簡単ではなかったかもしれないから。
しかし、どうも自分が女の子からいま一つモテないのは、ブン太が振りまく自分のイメージのせいなのではないかと邪推してしまうところはある。
「たまたま、ぼーっと歩いてたからだ。まあ、彼女が怒り出すような人じゃなくてよかった」
ジャッカルが言うと、ブン太はカカカと笑ってガムを口に放り込んだ。
「さんが怒るわけないじゃん」
言われてみると、確かに彼女が怒ったりするようなところは想像しにくかった。
「……ずいぶん、落ち着いた人なんだな」
「だって彼女、歳上のお姉さんだもんなあ」
ブン太の言葉に、ジャッカルははっとをもう一度振り返り、そしてまたブン太を見た。
「あれジャッカル、知らなかった? さん、去年、休学してるんだよ。で、歳は俺らより一個上。だからかなあ。大人しいけどキレイで落ち着いてて優しいし、クラスの奴、みんなさんが好きなんだよね」
彼の言葉を聞いて、ジャッカルはまた体をよじっての方を見た。
友人たちと、楽しそうに話をするの優しい表情。
「……やっぱりつきあってる奴とか、いるのかな……」
ジャッカルがつぶやくと、ブン太は目を丸くしてガムを噛むのをやめた。
「お前、さんに惚れたの!?」
ジャッカルは自分の顔が思わず熱くなるのを感じて、キッとブン太を睨みつける。
「……そんなんじゃねぇよ。ただ、どうなのかなって……」
「そうか、さんねぇ。きれいな人だけど、お前の好みの感じとは少し違うから、意外だなァ」
ジャッカルの言葉にはお構いなしに、ブン太は感心したように続けた。
「だから、そんなんじゃねぇって……」
「バーカ、何を言っても、お前は分かりやすすぎんだよ。さんは、つきあってる男はいないよ、確か」
ジャッカルはブン太の言葉に、心臓がドクンと大きく動くのがわかった。
そして改めて彼女の方を振り返った。
あの目、あの声。
まだ、誰のものでもないだなんて!
また顔が熱くなるのを感じた。
「けどな、ジャッカル」
そんな彼にブン太は一言声をかけた。
「彼女は、やめた方がいいぜぃ」
彼の言葉に振り返ったジャッカルを、ブン太はいつになく真面目な表情で見ていた。
Next
2007.6.11