ミスターXを探せ!〜恋をしているのは誰だ〜:前編



 私は、言わなければならない事を何度も何度も頭の中でリハーサルしながら、ずんずんと校庭を歩いていた。
 目指すは氷帝学園中テニス部正レギュラー室。
 ゴージャスなクラブハウスをキッと睨みつけエントランスを通り、正レギュラーの部室のドアの前に仁王立ちになると私は深呼吸をし、ドアノブに手をかけた。
「たのもー!」
 思い切りドアを開け放ち、何度もリハーサルしてきたセリフを続けた。
「わたくし予算委員・三年・、この度テニス部レギュラーの皆様にお願いがあり参上つかまつった! ただいま次年度に向けて各部への予算編成の折、部費が潤沢なこのテニス部、実績による予算配分におけるその予定配分金額をどうぞ他の部へと若干ゆずっていただくわけにはまいらぬか! まいらぬか!」
 私の堂々たる口上に、一切のレスポンスはない。
 勿論人がいないわけではないのだ。
 この時間、部室のミーティングルームにレギュラーが全員集まっていると同じクラスの宍戸に聞いてきたんだから。
 が、私を迎えるのは正面のスクリーンにプロジェクターで鮮やかに映し出された二年生の鳳くんの笑顔。スクリーンの中の彼は『きみも、テニス部で汗を流してみないか?』と、爽やかな笑顔で爽やかに語っている。
 どうやら何かを上映中のようだ。
 プロジェクターの光の中、レギュラーメンバーがいるのが見える。
 突然の闖入者(私のことね)に、皆ざわざわと椅子から立ち上がった。

「断る!」

 そして聞こえてきたきっぱりとした声は、間違えようがない。テニス部部長で生徒会長の跡部だ。
「なんでよー!」
 プロジェクターの光の中、彼はうんざりした顔で私を見る。
 私は彼の顔を睨みつけたまま、レギュラー陣の中へと歩いていった。
「なんでもクソもあるか。いきなり入ってきて、ふざけたこと言うんじゃねー。今は、来年度の新入部員勧誘のために作成したDVDの試写中だ」
 スクリーンでは、今度は日吉くんが『君も今日から下克上』などと言っている。
「そんなDVD作って、こんな高級なプロジェクターで流せるくらいなんだから、ちょっとくらい部費を他に譲ってもいいじゃないの! 跡部のケチ!」
 私は思わず興奮して叫び、一歩踏み出すと何かが足にからまった。
 そして同時に部屋が真っ暗になる。
 ああ、これ、多分プロジェクターのコードにひっかかっちゃったんだ。
 ちょっと、取れない取れない!
 私はコードを足にからめたまま、前につんのめる。
 あー、ダメだ! 転ぶ!
 でも、転んで怪我したら、テニス部に損害賠償の請求ができるかも! きっとかなりふんだくれる!
 なんて思いつつ床に頭をぶつける覚悟をしていたら、私を受け止める腕があった。
 それは私の身体を爽やかな香りとともに優しく抱きとめ、次の瞬間にはそっと私を傍の椅子に座らせくれた。
 あれ。
 転ばなかった。
 私がほうっと胸をなでおろしていると、パッと部屋の灯りがつく。
 樺地くんがスイッチを入れていた。
 顔を上げると、立ち上がったレギュラーメンバーが呆れたように私を見下ろしている。
「ケチとは何だ、あーん?」
 跡部が眉間にしわをよせていた。
 私はあわてて立ち上がる。
 小柄な私では、立ち上がったところで皆さんには迫力の上ではまったく太刀打ちできないんですけれどもね。
「だって、テニス部は跡部とか榊先生がお金出したりして、もう十分ってくらい部費があるじゃん! 他の部なんかね、ぜんぜん部費少ないの! うちの部なんかね、年間通して予算ゼロなんだよ!」
 私は懸命に怒鳴った。
 迫力ある理知的な口上を練ってきたのだが、結局跡部相手には効果がなかったようで、悲痛な叫びで訴えるしかないのか。
「年間で予算ゼロなんて、そんな部あるわけねーだろ。、お前何部だったよ」
 跡部が髪をかきあげながら言った。
「ブルース・リー部」
 私が胸を張って答えると、跡部はフンと鼻を鳴らす。
「バーカ。それは部じゃなくて、同好会だろ。正確にブルース・リー同好会と言え」
「ブルース・リー部の方が、『B』で韻を踏んでてかっこいいじゃない」
「そんな事知るか。同好会には予算は出ねーきまりだろ」
「予算が余ったら、出る事になってるのよ!」
「大体、ブルース・リー部にどんな予算が要るって言うんだ」
「要るわよ! ヌンチャクや黄色いジャンプスーツを買ったり、DVDを上映するためのプロジェクターを買ったり!」
 次の跡部の返事はなくて、彼がパチンと指を鳴らすと私は樺地くんに首根っこをつかまれて、部室のドアのところまで連れて行かれた。
「俺たちはいそがしいんだ。バカな話には構ってられねー」
 私の背にはそんな言葉が浴びせられ、部室のドアはバタンと無情にも閉じられるのだった。
 当然施錠済み。
 私は一通り罵声をあびせてから、がっくりうなだれてクラブハウスを後にした。
 くそぅ、やっぱりダメだったか。
 跡部は手ごわい。
 校庭を歩きながら私はため息をついた。
 我がブルース・リー部は、今のところ三年生が私一人、二年生がゼロ、一年生に二人というジリ貧の人数だ。
 このままだと来年は、ブルース・リー部は廃部になってしまうかもしれない。
 新入部員が沢山入ってきてくれるよう、せめてプロジェクターやスクリーンが欲しかったのに。
 うちの学校は跡部が言ったように、同好会には原則として活動費は出ない。けれど、正式に認められた部への予算配分の後、余った分が同好会に配分される事もあるのだ。
 今年はテニス部が若干の金額を辞退してくれれば、同好会への予算も確保できそうだったのに。あーあ。
 そんな事を考えながらも帰路について、跡部への怒りが少しずつ落ち着いてくると私は先ほどのテニス部襲撃の時、唯一私に差し伸べられた手を思い出した。勿論、私をつまみ出した(跡部の命令でね)樺地くんの手じゃなくて、転んでしたたか頭を打つはずだった私を助けてくれたあの手。
 そういえば、あれは誰だったんだろう。
 私を抱きとめて、椅子に導いてくれるときに手を握ってくれた。
 よく考えたら、私、男の子とあんな風に接近するのは初めてだ。
 今になって、顔が熱くなる。
 あれは、誰だったんだろう。
 まるですごく大切なものを扱うように、優しくしてくれた。
 あんな事をする人、テニス部にいた?



 翌日学校へ行って授業を受けていても私の頭を占めるのは、ブルース・リー部の今後とそして、テニス部の部室でのあの手は誰だったのか、という事。
 あの時、私あんなに興奮しないでまずお礼を言えばよかったな。
 今の、誰? どうもありがとうって。そして、ごめんねって。
 いきなり怒鳴り込んで、プロジェクターのコード抜いちゃった私が悪かったんだし。
 跡部は憎たらしいけど、気合を入れすぎて行った私も失礼だった。

「おい、お前なぁ、あれはないだろ。激ダサだぜ」

 そんな事を考えながらぼーっとしていたら、休み時間に宍戸がやってきた。
「何も試写中に乗り込んで来るこたーねーだろうが」
 うんざりしたような顔で続けた。
「あれ、どれだけ予算かかってるの?」
 彼の言葉に構わず、私は第一に興味のあることを尋ねた。
「あの勧誘DVDか? しらねーよ。それなりにするんじゃねーの? プロのカメラマンにプロのナレーターでやってたしな」
 その言葉を聞いて、ふうう〜〜と私はため息をつく。めまいがしそうだ。
「あのさ、同好会の中でも予算配分のプライオリティがあってさ。ブルース・リー部はここ10年ほど一度も予算が下りてきた事がないんだよ! 設備らしいものは、OBの先輩からいただいたDVDプレイヤーとDVDしかないんだよ! なのにテニス部はオリジナルDVDまで作るなんて!!!」
 宍戸に言っても仕方がないと思いつつ、ついつい叫んでしまう。
「っていうか、そんな昔から存続してる方が奇跡だよ、そんな部」
「そんな部って言うな!」
 私は宍戸に怒鳴りつけると、立ち上がって廊下を走った。
 向かうは、生徒会室だ。
 ちょっと考えてみた。
 昨日、私を助けてくれた人。
 あれは、やっぱり跡部なんだと思う。あいつは何だかんだ言って、口は悪いけれど紳士だから、ああいう事がさらりとできる。
 実は昨日からずっと、そうなんじゃないかって思ってた。でも、跡部にありがとうなんて言うのがシャクで。
 だけど、やっぱり言わなくちゃ。
 ありがとう、ごめんねって言って、跡部が『いいんだ、俺も言いすぎたな』って言って、ちょっといい感じになって、ブルース・リーのDVD一緒に観ないって約束して、観てるうちに跡部もブルース・リーを好きになって、そして予算を……。

「あーん、何言ってんだ? そんなモン知らねーよ、俺じゃねー」

 彼の冷ややかな一言で、私の乙女チックで無理やりな希望的妄想は打ち砕かれた。
 昨日、転びそうな私を助けてくれたの、跡部でしょ? ありがとう。なんてしおらしく言ってみたら、このザマだ。
「……ええ〜、じゃ、昨日助けてくれたのって誰……」
「だから、俺様が知るわけねーだろ。自分で捜せ」
 彼は忙しそうに生徒会室で書類を眺めていた。
 しっしっと、私に出て行けという手振りをする。
 私はまたうなだれて生徒会室を後にした。
 はっ、予算の事について食い下がるのを忘れてた!!



「で、なんでがここにおるん」
 私がテニス部の部室にいると、ストレートに疑問を投げかけてきたのは忍足だった。
「わたくし、予算委員としてテニス部に部費の無駄遣いがないか日々チェックをいたしまして……」
 口上を述べようとすると、忍足は、わかったもうええというように手をひらひらとさせた。
「職権乱用ちゃうんか、それ。ま、俺はかまへんけど。跡部が来たらどやされるで」
「跡部は勝手にしろと言ってました」
「さよか」
 彼はやれやれと頭を振ってPC室の方へ行った。
 さて、私の目的はもう一つある。
 あの時、真っ暗になった部室で私を助けてくれたのは誰なのか、跡部に言われたように自分で捜す事。一人一人に聞いてまわったりして、跡部に言われたみたいに『知らねーよ』と言われまくるのはさすがに激ダサだ。私は文化部らしく、自分で推理してみようと思った。まず、跡部は本人申告で違うという事で、後の初期推理は以下のとおり。
 慈郎はかなりの確率で違うだろう。
 だって、あの時椅子にもたれかかってぐっすり寝てたもん。
 あと、樺地くんと鳳くんと岳人も違う。それは、あの時の身長の感じ。詳しく何センチって事まではわからないけど、樺地くんや鳳くんでは大きすぎるし、岳人では小さすぎる。
 つまりここまで絞ると、後は、滝、宍戸、日吉くん、忍足、となってくるわけだ。
 どう? やっぱり、文化部の頭脳は違うでしょ? 跡部め、恐れ入るがいいわ。
 まあ、それはおいといて。
もうすぐ冬休みという今、三年生はもう引退だ。けど、テニス部の皆は後輩の指導や今までのデータの整理なんかで熱心に出てきている。
 まあ、予算を沢山配分されているだけあって、活動状況も真面目なんだ。
 しかし!
 そこに無駄はないか、私はしっかりチェックさせてもらう事にした。ちょっとでも無駄があれば、そこを焦点を当てて予算配分について再度審議させていただくから!
 そんな風に私が目を光らせている部室では、滝萩之介が昨日の勧誘DVDをポータブルプレイヤーで流して見ていた。私も近くに行って、それを改めて眺める。
 テニス部レギュラーがキラッキラと映し出されている、なんとも麗しい映像だ。そりゃ部員200人も集まるっつの。
 ちなみに、この隣のクラスの滝もキラッキラとした麗しい男の子だ。
「滝、何やってんの?」
 ストップウォッチを片手に映像を見ている彼に私は尋ねた。
「各部員の出演時間をカウントしてる。昨日忍足が、自分の出番が少ないじゃないかとクレームをつけてきたからな」
 なんつう細かい仕事だ。
「はあ、いろいろ大変なんだねぇ」
 それでも彼はなんでもなさそうに、場面が変わるたびにピシッピシッとストップウォッチを正確に操作していた。その指先にはきれいに手入れされた爪、画面を見るために少し俯いた顔にかかる髪はきりっと切りそろえられてきれいで、女の子に人気なのも肯ける。
「そんなに大変じゃないよ」
 私が話し掛けても、別に嫌がる風でもなく彼は作業を続けた。
 そう、こいつ、いい奴なんだよなあ。
 そういえば、滝って夏前に宍戸と練習試合をやって負けて、準レギュラーに落ちちゃったんだっけ。それでもちっともフテくされたりしないで、すっごい真面目に練習してるし、試合の時はいろんな裏方をきちんとやったり、楽しそうなんだ。
 私がじっと見ていると、彼は私にぽんっとストップウォッチを放った。
「一個頼む。俺、二個までなら正確に計測できるけど、さすがに一度に三つは厳しいからな。次の場面で、忍足の出てる時間測ってくれよ」
 私は突然に大役を任され、少々焦ってしまったがなんとかこなした。
 言われたとおりに計測して、メモとストップウォッチを滝に渡すと、『やるねー』と彼は笑った。
「あのさ、滝、昨日私が部室に来た時……」
 もしかして、助けてくれたの、滝? って聞こうとして私は口をつぐんだ。
 ストップウォッチを手にしている彼の手首に目が止まったのだ。
「おう、何?」
「あ、ううん、なんでもない」
 彼の手首にはまっているのは、革ベルトのクロノグラフ。
 昨日私を助けてくれた腕からは、ひやりとした金属ベルトの感触があった。
 この時計、違う。
「その時計、かっこいいね」
 私が言うと、彼はまた嬉しそうに笑った。
「だろ? 去年の誕生日に親父にもらったんだ。渋いだろ?」
 彼はキラッキラの笑顔で私にその素敵な時計について話してくれた。
 そうか、このキラッキラの滝の麗しい手は、あの時助けてくれた手じゃないのか。
 ちょっと残念。

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2007.12.21




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