ミスターXを探せ!〜恋をしているのは誰だ〜:後編



 私の捜す『ミスターX』(こう呼ぶ事にした)候補から、滝萩之介は除外された。
 残るは、宍戸、忍足、日吉くんか。
 こうなったら、「お前がミスターXか!」と聞いてまわってもいいような気もするけれど、これまた違った場合になんとも気まずいようなメンツばかりが残ってるんだ、これが。
 さて、ミスターXはいいとしても、もう一つの重要事項である予算についても切り崩すきっかけもないまま。
 昨日の滝も、使い古したストップウォッチを大事に使ってたし。
 その日の昼休みに、まるで政治家の汚職でも探り出す雑誌記者かのような気分で私が考え込みながら歩いていると、何かにけつまずいた。
 おっとっと、今度は自分で体勢を持ち直せました。
 しかし、一体何よ、こんな中庭で障害物……。
 私は自分がけつまずいたものを振り返ると、それは慈郎だった。
 中庭の生垣に半ばうずもれながら寝ているのだ。この12月の寒空に。
「ちょっと、慈郎、なんてとこで寝てんのよ!」
 私が振り返って叫ぶと、慈郎はイテテと頭をさすりながら起き上がった。
 私は彼のこめかみをしたたか蹴飛ばしてしまったみたい。
「イテテテ……あ、かぁ。いや、俺が寝た時はここ、日当たりよかったんだけどなぁ」
 言って彼はくしゃみをひとつした後に猫のように伸びをした。
「あー、もう昼か。飯、買わなきゃ」
 どうやらそこで睡眠を続けるのは諦めたようだ。
「そういえば、昨日テニス部に来てたけど、なんで?」
 ほらね。
 やっぱり慈郎は、DVDの上映中に私がテニス部に行った事は覚えてないんだ。
 寝てたからね。
 私が、ブルース・リー部存続の危機について彼に話すと、彼はへええと意外と親身に聞いてくれた。
「俺、実はさ、一年の時テニス部の他にジョジョ部にも入ってたんだ」
 えっ、何、そのどっかで聞いたような部!
「慈郎、そんなの入ってたの! てか、そんな部、あったの!」
「うん。テニスの方が忙しくて、はっと気付いたら廃部になっててさ。でもブルース・リー部は、続くといいよな。存続しますようにって、俺、応援の波紋を送っとくぜ」
 慈郎はニッと笑いながら、私にふざけて両手を差し出した。
 スタンドじゃなくて波紋か! 渋いな!
 でも、そんな彼の笑顔はやけに心にじんと来た。ありがとう、慈郎! 私、頑張るよ!
 それにしても慈郎、いつも寝てばかりなのにそれでもちゃんとテニス部にはいまだに顔出しててさ、やっぱりテニス部楽しいんだろうな。



 慈郎に応援された私は、その日もしつこくテニス部の部室に行った。
 ノックをしてミーティングルームに顔を出すと、そこには日吉くんしかいなかった。
「あれ? 他のみんなは?」
 私は部屋を見渡して、彼に尋ねた。
「今日は皆、コートに出ています」
「あ、そうか、そりゃそうだね。日吉くんは行かなくていいの?」
「……俺もそろそろ行きますけど……」
 彼はちょっとそわそわしたように周りを見ると、静かに私の前にやってきた。その鋭い目でじっと私を見る。
「あ……なに? 日吉くん……」
 日吉くんて、かっこいいけどすごく厳格そうでなんか苦手なんだよな。でも、近くで見るとうん、やっぱり凛々しくてかっこいいかも……。
先輩、お話があるんです。今、いいですか」
 えー! 何! こんな二人っきりのとこで!? もしかして告白!? 日吉くんが!? まいったな、どうしよう。日吉くんまじめそうだからなぁ。あ、もしかして、ミスターXは日吉くん!?
 なんて私がぐるぐると考えていると、彼は私の目をじっと見詰めたまま言うのだ。
「先輩、ブルース・リー部は今からでも入部できますか」
 うん? 何?
「俺、ものすごくブルース・リーが好きなんですが、そんな部があるなんて知らなかったんです。テニス部と兼部でも入れてもらえますか」
 私は彼の言葉に、このテニス部の天井を突き抜けて飛び上がりそうな気持ちになった。が、実際そうするわけにもいかないので、とりあえずアチョー!と叫ぶ。
「もちろんだよ、日吉くん! 是非入って! 大歓迎!」
 私が満面の笑みで言うと、彼は嬉しそうに笑って、それでも少し心配そうに私を見たまま。
「ありがとうございます。ただ、この事は三年生の先輩方にはまだ内密にお願いします。俺、テニス部の次期部長も狙ってるんで、ブルース・リー部と兼部する話はまだ秘密にしておきたいんです」
「了解了解! こちらこそありがとう! 日吉くん!」
 これで次期三年生が一人増えた! なんとか廃部にはならなそうだよ!
 私は思わず両手で日吉くんの手を握って、ぶんぶんと振り回した。
 ひゃっ!
 日吉くんの手、つめた!
 喜びの握手をしながらも、彼の手ってひんやりしてるんだなあと驚いた。
 ミスターXの手はすごく暖かかった。ああ、日吉くんは違うんだ。でもいいや、ブルース・リー部に入ってくれた!
 そんな感激の嵐の中、かちゃりと部室のドアが開いて誰かが入って来た。
「……、お前また来てんのか、……日吉……?」
 激しい握手をする私たちを、宍戸が不思議そうに見る。
「あっ、宍戸! あのね、日吉くんがね!」
 私が言いかけると、日吉くんは険しい顔で、シッという手振りをする。
 あ、そうだったごめんごめん。
「日吉が何だよ」
「あ、なんでもない。次期部長に是非頑張ってねって、話してたとこ」
 私は日吉くんの右手から手を離して、その両手を二人にぶんぶんと振って部室を走りでた。
「じゃ、お邪魔したね、また明日!」
 スキップをしながらクラブハウスを走り出る。
 我が部の皆(といっても私以外あと二人)に、この件をトップシークレット事項としてブルース・リー部メーリングリスト(といっても私以外あと二人)で流さなきゃ!
 あっ、予算の件、忘れてた……。



 日吉くんがブルース・リー部に入ってくれるという事は、相当に私を有頂天にさせた。
 だって、次期テニス部部長候補のイケメンくんが入ってくれるんだよ? こりゃー新入部員も期待できる。それに日吉くんは、家で古武道をやっててヌンチャクなんかも持ってるって事だから、勧誘のデモで演武をやってくれるかもしれない。しかし、私も今までなんてああいう子を入部させるという事を考えつかなかったんだろう。
 慈郎がジョジョ部に入ってたってくらいなんだから、よく考えたらこのあたりのイケメンくんを入れておくっていうのはアリだったよねー。
 そんな事を考えつつ、私はその日もテニス部の部室でレギュラーのメンツを眺めていた。
 この日は、皆ぼちぼちと部室にいた。いや、皆暇なんだなー。私もだけど。
「あっ、ねえ岳人、岳人」
 私はとりわけ暇そうにしている岳人に声をかけた。
「あー?」
 彼はダルそうに顔を上げる。
「岳人って、ブルース・リーとか好きなんじゃない? 実は?」
「ま、嫌いじゃねーけど、俺はどっちかっていうとスパイダーマンが好きだな」
 どっちかっていうとっていう比較対象じゃないと思うけど。
「あ、そう。でもホラ、身のこなしが軽やかなとこは一緒じゃない。岳人、高等部に上がったらブルース・リー部に入らない?」
 私は負けじと無理やりにこじつけてみた。
 高等部では、最初っからイケメンくんを入れてみるという、私のチャレンジだ。
「何、高等部にもブルース・リー部なんてあんの?」
「あるよ。OBの先輩がちゃんと存続させてるよ。部員三人しかいないらしいけど」
「えー、俺はいいわ」
「いいわって、OKって事ね? 岳人さすがー!」
「バーカ、お前はタチの悪いキャッチセールスか」
 チェッ、身は軽いけどノリの悪い奴め。
 私はため息をついて座りごこちの良い椅子に身を沈めた。
 昨日の日吉くんの冷たい手を思い出す。
 そしてミスターXの暖かい優しい手を。
 プロジェクターのところを眺めて、あの時の短い出来事を私は頭の中でリプレイした。
 ミスターXは私がつまずいた瞬間、すぐに出てきてくれたのだろう。あっという間に助けてくれた。そしてそれ以上転んだりしないように、すぐに椅子に座らせてくれた。
 きっと、私が転びそうってずっと見てたんだ。
 そしてかすかに漂うあの爽やかな香り。なんだろう、すごくなじみのある香りだったような気もする。
 岳人じゃないけど、スパイダーマンみたい。あなたは、誰。
 あの時私を包む暖かくて大きい彼を思い出すと、私はカーッと顔が熱くなる。
 それって、だって、日吉くんじゃなくて滝じゃなくて、じゃあ後は、忍足か宍戸って事。
 でもこの二人って……。
 真実がどうであれ、忍足は『ああ、俺やで、俺』って言いそうだし、宍戸は『俺じゃねーよ』としか言わなそうなんだよなあ。
 うーん。
 なんて考えて、私は頭をブンブンと振った。
 まずは、予算の事だ! なんとかもう一度跡部にかけあってみなきゃ。しかし、あいつほんと手ごわいからなあ……。
 ふうっとため息をついて頬杖をつくと、視線の先に樺地くんが目に入った。
「ねえ、樺地くん」
 私はその身体は大きいけれど、無口で優しそうな男の子に話し掛ける。
「跡部ってさ、本当にえらそうだよねえ」
 なんとなく彼に愚痴ってみたくなったのだ。
 彼は私をちらりと見て小さく『ウス』とつぶやき、ノートPCの作業を続けた。
「自分さえよければ、それでいいのかなあ。ちょっとワンマンすぎると思わない? ねえ」
 彼の癒し系の『ウス』を期待して言ったら、意外な言葉が返ってきた。
「……そうは、思いません」
 ウス、以外の彼の言葉を聞いたことがなかったので、私はかなり驚いてしまった。
 表情を変えずに作業を続ける樺地くんを、じっと見つめる。
、また来てたのか。樺地の仕事の邪魔をするな」
 噂をすれば、跡部景吾がやってきた。
「邪魔してないよ。跡部はケチだねって話してたとこ」
「あーん、樺地がそんな事言うわけねーだろ、バーカ」
 彼はドカン、と私と樺地くんに間に腰掛けた。
「……跡部さー、ほんとにほんとにお願いしても、部費をちょっとばかり辞退してくれる気はないの? テニス部ぜんぜん困ってないでしょ?」
「困ってはない。が、辞退もしない」
「ケチ!」
 彼はきっと厳しい顔で私を見た。
 今まで何を言っても、こんな風な顔をした事はなかったので私はびくりと背筋を伸ばしてしまう。
「あのな、。お前も、今走り回ってるのは後輩のためなんだろう? だったら、ちょっと考えたら分かるだろうが。今は俺が在学しているから、何かの時には金を出したりした事もあった。が、卒業したらそういう訳にもいかねー。だから、今の時点で部費を削るような前例を作るわけにいかねーんだよ。俺はちっとも困らねーが、後輩が困るだろうが。あーん?」
 彼の分かりやすい短い言葉は、私の胸を突き抜けた。
 私は黙って彼の目を見て、思わずそのままミーティングテーブルにつっぷしてしまった。
 あーあ、私、かっこわるい。
 ていうか、跡部はやっぱり何でもちゃんとできすぎる。
 自分がケチって言われたり、どんな風に言われても、ちゃんと後輩の事考えてるんだ。
 私はくやしくて、しかも、こんな跡部にワガママばかり言ってた自分がかっこわるくて、何も言い返せなくて、机につっぷしたまま。
 しばらくそのままでいると、跡部が席を立った気配がした。
 あーあ。
 このまま、誰もいなくなるまでこうしていたいよ。
 その時、隣にまた別の人の気配。
先輩、どうしたんです?」
 鳳くんの声だった。鳳くんだったら、顔を合わせてもいいかも。
 私はゆっくり顔を上げた。顔に腕時計の跡がついちゃってるかもしれないけど、まあいいか。
「……なんでもない。ちょっと、眠くなっちゃってさ」
「そうなんですか、勉強忙しいんですか?」
 彼は心配そうに言って、はっと思い出したように鞄を探った。
「よかったら、これどうぞ」
 そう言って出してくれたのはガムだった。
「宍戸さんにもらったんですけど、俺、実は苦手で鞄に入れっぱなしだったんです。よかったら眠気覚ましに」
 私は彼の差し出してきたそれを受け取ってもぐもぐと口に入れた。
 その瞬間。
 私の頭に、フラッシュバックしてきたミントの香り。
 ミスターXに抱きとめられた時のあの爽やかな香りはこれだ。
 教室でいつも宍戸と話している時、いつも宍戸がかんでるミントガム。
 ほっとするようなさっぱりとしたあの香り、どうして気付かなかったんだろう。
 ミスターXは宍戸だったんだ。
 いつも教室で、ブルース・リー部の話を聞いてくれた宍戸。
 急に立ち上がった私を、鳳くんは不思議そうに見ていた。

 いつの間にか戻ってきた跡部が、なにやら台車を押してやってきた。
 私はハッと振り返る。
「ウチのミーティングルームのプロジェクター、新しいのがもうすぐ納品される。そこに置いてある奴はもう使わねーから、ブルース・リー部で使いたかったら使え」
 彼はそう言うと、この前使っていたプロジェクターを顎で指した。
「……えー! いいの!」
「置いといても邪魔なだけだからな。備品管理の変更手続きは自分でしろよ」
 私がお礼を言おうとすると、彼はさっさと樺地くんを連れて部屋を出て行ってしまう。
 私は感激のあまりしばらく何も言えなかった。
 ふううっと深呼吸をして椅子に腰掛けると、通りかかった忍足が台車にぶつかりそうになる。
「何やねんこれ、邪魔やな」
 しかも跡部、運ぶのにこの台車使えって事か。くうう、良い奴だなあ。
「あー、ごめんごめん。なんか、プロジェクターもらえる事になっちゃってさ」
「あーさよか。よかったやん」
 彼はにっこりと笑った。
「そうそう、
「うん?」
「最近、宍戸が機嫌悪いやろ」
「え? そうなの?」
 私が答えると、彼は意味深に笑って私の隣りに腰掛けた。
「なあ、。この前DVDの試写をしてる時、自分、部室に来たやろ。あん時、コケそうになったん助けたん、俺やで」
 彼の言葉に、私は目を丸くする。
「……えー、嘘、違うでしょ。あれは……」
 私が言いかけると、忍足はくくっと笑う。
「なんや、わかってたんか。せやったらええわ」
「……忍足は、知ってたの?」
を抱きかかえて助けたんが誰かって? ああ、知ってたで。俺、目ぇいいから暗くても結構見えんねん」
「へー」
 私はなんでもないように言いながら、やけに照れくさい。宍戸の顔を思い浮かべる。そういえば、今日は一度も宍戸と話してない。昨日、日吉くんと三人で顔を合わせた時以来、話してない。
「でな、宍戸、機嫌悪いやん。なんでか知ってるか?」
「知らないよ。機嫌悪いかな? 宍戸って、ちょっとぶっきらぼうだし、あんなもんじゃない?」
「自分、アホやなー。あいつ、どう見ても機嫌悪いって」
「何かあったの?」
 私が心配そうに言うと、忍足は伊達眼鏡をちょいと持ち上げる。
「最近、が部室に来て、いろんな奴と話してるやろ。あいつ、妬いてんねん」
 得意気に言う忍足を、私は穴をあくくらい見つめてしまう。
「えー!?」
 私が声を上げると同時に、がちゃんと部室に入って来たのは宍戸だった。
 忍足と顔を突き合わせて話していた私は、思わず姿勢を正して彼を振り返る。
 目が合うと、確かに宍戸は眉間にシワを寄せて不機嫌そうな顔になった。
「ほな、頑張れや。じゃあな」
 忍足は私の背中をポンポンとたたいて笑いながら出て行った。
「また来てたのか。いいかげんにしろよな」
 宍戸はそれだけ言うと、テーブルにバンと鞄を置いてPC室に向かった。
「宍戸!」
 そんな彼を、私はつい呼び止める。彼は相変わらずの不機嫌そうな顔で振り返った。
「あのさ、このプロジェクター、跡部がブルース・リー部にくれるって。だから、あの、運ぶの手伝ってくんない?」
「ちっ、めんどくせーなー」
 宍戸はそう言いながらも、台車にプロジェクターを載せるのを手伝ってくれた。
「……あと、部室(って言っても、視聴覚室準備室)に運ぶのも、手伝ってよ」
「あー? 台車押すだけだろ? 一人でいけるだろ?」
「まあ、そう言わないでさ」
 私が手を合わせると、彼は、しかたねーなと髪をかきまわして台車を押してくれた。
 私たちはごろごろと台車を押しながら、校庭を歩いた。
 私たちっていうか、押してくれてるのは宍戸なんだけど。
「お前、日吉とつきあってんのか?」
「はー!?」
 歩きながらの唐突な彼の言葉に私は間抜けな声を上げてしまった。
「……昨日、部室で手ぇ握ってただろ。部室であんな事してんじゃねーよ、激ダサだぜ」
 ああ、ブルース・リー部入部ご成約の握手ね。
「違う違う、あれは……」
 言いかけてから日吉くんとの約束を思い出して、私は少し考え込む。隣では相変わらず宍戸が不機嫌そうに私を横目で睨んでいた。
「……まだ他の人に言わないって約束してね。あのね、実は日吉くん、ブルース・リーファンで、ブルース・リー部に入ってくれる事になったの。来年の三年生はゼロだったから、私嬉しくってさ……」
 宍戸は一瞬目を丸くして、またぎゅっと眉間にしわを寄せる。
「何!? 若の奴、去年俺がダース・ベイダー部に誘った時は断ったクセに……!」
「は? 何、それ」
 私が尋ねると、宍戸はシマッタというように舌打ちをした。
「……去年、俺が作ろうとした部なんだが、部員が集まらなかった」
 そりゃあ、激ダサだな、と私は心の中で思いつつ彼の顔を覗き込んだ。
「スター・ウォーズ部なら集まるかもしんないけど、ダース・ベイダー部じゃちょっとねぇ」
「バーカ、男はダース・ベイダーだろ。……一年の時からお前、ブルース・リー部でやけに楽しそうだったから、ダース・ベイダー部もいけんじゃねーかと思ったんだよ」
 そういえば、宍戸とは一年の時も同じクラスで、燃えよドラゴンの話やスター・ウォーズの話をしたっけなあ。あの頃、長い髪だった宍戸はさっさとテニス部でレギュラーになっちゃって、いつのまにかツンツンの短い髪になって、どんどん男の子らしくなってさ。
 そんな事を思い出しながら彼を見ていたら、ふと台車を押す足が止まった。
「何、見てんだよ」
「……ううん、あのさ」
 私は自分の噛んでるミントガムの香りに勇気付けられながら、じっと彼を見た。
「あのさ、この前、部室でDVDの試写してる時、私が転びそうになったの助けてくれてありがとう。すごく嬉しかった」
 私が言うと、彼はぎょっとしたような表情をして、一瞬顔を赤らめる。
「……そっ……そんなモン、しらねーよ!」
 予想通りの彼の反応に、私はくすっと笑ってしまう。
「そうなの? 絶対宍戸だと思ったのになあ。宍戸だったらいいなって思ってたのに、なーんだ、違うんだ、残念」
 まるで最初っからわかってたみたいなのは、ちょっと嘘。
 でも、心の片隅でいつも、ミスターXが宍戸だったらいいのになって思ってたのは、本当だ。あの、ほっとするような暖かさが、いつも顔を合わせている宍戸だったらいいのにって。
 宍戸は台車から手を離してぎゅっと拳をにぎり、横目で私を見た。
「……あー、あの時のあれか、すっかり忘れてたぜ。お前、危なっかしいからな、つい手が出ちまっただけだよ」
「……あ、そう」
 相変わらずぶっきらぼうだなあ。
 私はちょっとしょんぼりしてうつむいてしまう。
 宍戸が手を離した台車を、とぼとぼと一人で押して歩き出した。
「オイ、待てって、押してやるって!」
 彼はあわてて後を追いかけてきて、私から台車を奪い取った。
「……もう冬休みになるけど、お前、休みはどーすんだよ」
「冬休み? ……自主トレかなー」
「自主トレって、ブルース・リー部の? 何すんだよ」
「せっかくプロジェクターが入ったからさ、DVDを観るに決まってるじゃない。スクリーンに映して」
「ショッボイ自主トレだな!」
「いいじゃない、宍戸には関係ないじゃん」
「……どうせ一人でやるんだろ。……俺も暇だから、自主トレつきあってやってもいいぜ」
 前を向いて台車を押しつづける宍戸を、私はじっと見た。
「……言っとくけど、うちの部にはスター・ウォーズのDVDはないよ」
「自前の奴を持っていくからいい」
 ブルース・リー部でスター・ウォーズって、それ、ぜんぜん自主トレにつきあう事にならないんだけど。
 そんな風につっこみながらも、私は自分が笑ってる事に気付いた。
「何にやにやしてんだよ」
 そう言う宍戸も、さっきまでの眉間にしわを寄せた顔じゃなくなってる。
「宍戸こそ」
「俺はにやにやしてねーよ」
 そんな事を言い合いながら、私たちは視聴覚準備室に向かった。
 今週末からもう冬休みになる。そしてすぐにクリスマス。
この足で、休みの間の施設使用許可を申請しておこう。
 そして視聴覚室に、すわり心地の良い椅子を二つ、用意しておこう。
 宍戸と二人、自主トレをするために。

(了)
「ミスターXを探せ!〜恋をしているのは誰だ〜」

2007.12.22




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