さてそんな風に一緒にゲーセンに行ったりした日の後も、俺はセンパイとはつかず離れず。
だって、つきあってるわけじゃないからね。
センパイは、あいかわらず俺がちょっと久しぶりに教室に顔を出したりすると、すっげー嬉しそうな顔をする。時々彼女は俺に、一緒に学食行かない? って誘ってくれたりするけど、そういうの当たり前になっちまったらつまんねー。俺は本当は一緒に行きたいんだけど、『友達と約束してっから』なんて言って断ったりする。そういう時の、がっかりしたような寂しそうな顔。たまんねーの。
そんで日を改めて俺の方から昼飯誘いに行ったりすると、すっげー嬉しそうなメチャクチャ可愛い顔が見れるんだぜ。ほらね、こういうのがイイ。
センパイは、まあ俺から見れば『わかりやすいな』って感じだし、多分俺を好きなのをそんなに隠そうとしてるわけでもない。だけど、やっぱり大人だからムチャクチャに押しまくるってわけでもなくて、その辺はバランス取れてる。だから練習見に来るのも、そうしょっちゅうっでもなくて、アレ、しばらく来てねーよな、なんて俺がちょっと物足りなくなった頃にふらっと見に来るんだ。そんで、そんな日は俺は彼女を自転車の後ろに乗せて、寄り道したりする。俺の最近の楽しみの一つだった。
その日、ちょっと久しぶりにセンパイが来てて、やっぱり何だかんだ言ってセンパイが来ると俺も張り切ってしまう。
フェンスの向こうの彼女を時々確認しながら、俺はバックハンドの練習をしていた。
時々目をやったりはするけど、俺はトレーニングへの集中は乱さない。そういうとこ、真面目だからね、俺。そういう俺を、センパイは見ててくれてるはずなんだ。
ひとしきり打ち終えて、休憩の前にもうひと頑張り、と俺がドリンクを取りにコート脇のベンチへ行くと、フェンスの向こうのベンチにセンパイが見えた。
その姿を見た瞬間、俺は体の中の血がチリチリと熱くなるのを感じた。
彼女の隣には休憩中の柳先輩が座ってて、二人は楽しそうに何か話している。
センパイ、俺の練習見に来てんのに、なにしてんだよ!
俺は突然にムッとしてしまい、ボールを取りに行くふりをして二人の傍を何気なく通り過ぎる。もちろん俺は練習中だから露骨にそっちに視線をやることはしない。
声が聞こえた。
「は最近赤也とよく話してるな。つきあってるのか?」
参謀の、ミもフタもないズバリな質問が飛んでいた。センパイはなんでもないようにくくっと笑って、柳先輩を見ていた。
「ううん、そんなんじゃなくて……友達よ」
俺は自分のこめかみのあたりが、ドクンドクンと大きく脈打つのを感じた。
拍動の一つ一つが大きく力強くなる。目が赤くなる前触れの感覚に似てる。
友達って!
突然、俺の中でさっきの軽い『ムカッ』が、激しい怒りに変わる。
友達って、なんだよ。
センパイは俺を好きだろ。
なんで俺の練習見に来てんのに、柳先輩と話してんだよ。
なんで俺が一生懸命練習してんのに、それを見てねーんだよ。
俺のことが好きなクセに!
俺はそのまま休憩なしに、ずっとがむしゃらに練習を続けた。
終って部室へ着替えに行く時、センパイの傍を通る。
いつもなら声をかけて、東門で待っててなんて話をするんだ。
けどこの日、俺は一瞬目が合った彼女に『お疲れっス。そんじゃ』とだけ言って、部室に走った。視界の端に残る彼女の顔は、驚いたような戸惑ったような顔だったけれど、俺は振り返らない。
まっすぐ家に帰った俺は、相変わらずイライラしたまま。
くそ、やっぱり腹立つ。
センパイが自分の教室でクラスの男と話してんのは別にいいんだけど、俺の練習見に来て他のヤツと話すなんて。他のヤツを見るなんて。しかも、柳先輩も大人っぽいから、やけに似合ってたし。だったら、最初っから柳先輩を見に来たらいいじゃねーか!
まあ今夜のうちに、ごめんねって電話してきてくれんなら、許してやらないでもねー。
あっ、しまった、チクショウ! 俺、センパイと携帯の番号もアドレスも交換してねー! くっそ、それくらいしとくんだった!
そんな不手際のこともあって、俺はまったくイライラしっぱなし。
こんな気持ち、センパイにわかるかよ! なんで、俺ばっか!
翌日の放課後、いつものように俺がテニスコートでトレーニングをしていたら、昨日のベンチとは少し離れたところにセンパイの姿。
うん、わかってた。
きっと、今日も来るって。
俺は自分の口元がほころぶのを感じながら、それでもセンパイの方は見ないようにして練習を続けた。
集中していると部活の終る時間なんてあっという間で、俺は片づけを終えるとコートの外へ駆け出した。
センパイの傍を通り過ぎようとすると、ちょっと遠慮がちな彼女の声。
「赤也、昨日、どうかした?」
俺は立ち止まって彼女を振り返る。
心配そうな、戸惑ったような顔。
すごく、キレイだった。胸がしめつけられるくらいに。
「いや、別に。俺、今日は約束あるんで、じゃ」
そして俺はそれだけ言って、昨日、センパイと柳先輩が座っていたベンチにいる女の子を見た。
「切原くん、お疲れ!」
同じクラスの女子だ。
一度テニス部の練習見たいんだけどって言ってたヤツ。
今日もたまたまそんなこと言ってたから、じゃあ来ればって返事したらさっそく来たわけだ。こいつ、多分、俺のことが好き。
「おう、待っただろ」
「ううん、見てて楽しかったから、平気」
センパイがちらりと俺たちを見てるのがわかるし、こいつも俺の後ろのセンパイを気にしてるのがわかる。
「あの三年の先輩、切原くんの彼女なんじゃないの? いいの?」
彼女はちょっと心配そうに言った。でも俺にはわかる。こういうの、別に気遣ってるとかじゃなくて、俺の口から聞きたいだけなんだよね。はっきりした言葉を。
俺はニカッと笑った。
「いいの、ただの友達。もう帰んだろ? ゲーセンでも寄っていこうぜ」
俺がデカい声で言うと彼女はキャッキャとはしゃぐ。
センパイがどんな顔をしてるのか、すげー見たかったけど、俺は振り返らなかった。
昨日は結局、あの子と二人でゲーセンつうのもダルいような気がして、クラスのツレを誘ってみんなでワイワイと遊んで帰った。彼女は俺と二人じゃなかったことに不満そうで、俺はやっぱり女の子って面倒くせーなと思った。
昼休み、センパイの教室に走る。
だって、どんな顔してんのか早いうちに確かめないとな。
俺が小走りで三年生の教室の廊下にさしかかると、センパイが購買の袋を持って歩いているところだった。
「、これからスか?」
「うん、今買ってきたトコ」
静かに答える彼女を購買までつきあわせて、それから俺たちは校庭のベンチへ向かった。
俺の隣で、彼女はフツーに笑ってるけどいつもとちょっと違うのはわかる。
パンをかじりながら、俺はそんな彼女の横顔を見た。
今までで最大級の、切ない横顔。
すげー、キレイ。
これがあの笑顔に変わる瞬間は、きっとビッグバン的に(俺はバカなんでこんな表現しかできません)俺を燃え上がらせるだろう。期待大。
「……昨日の子、赤也の彼女?」
ほらね、来た来た。
「ああ、あれ? ただのクラスメイト」
「ふうん。でも、赤也のことすごく好きそうだった」
「ああ、そうかもね。練習見に来たいって言ってたから、来たらいーじゃんって誘った」
俺が何気ないように言うと、センパイはそうっと息を吐いた。
「センパイ、なんでそんなこと聞くの?」
俺は食べ終えたパンの袋をくしゃくしゃと丸めてポケットにつっこみながら言う。
センパイはそんな俺の質問にちょっと戸惑ったようだった。
「うーん……今まで、あんまり赤也を見にきてる子って見たことなかったから、ちょっと驚いただけ」
彼女もサンドイッチの空き袋を折りたたみながら言う。
「……センパイも、俺を見にきてるはずなのに柳先輩と話したりしてたし、同じことじゃないスか」
俺がそう言うと、センパイは目を丸くして俺を見た。一瞬、何のことかわからない、というように。
「昨日、センパイが感じたのと同じような気持ちに、俺もなったんだってことっスよ。これでわかったっしょ、ね?」
ね?
センパイがちゃんと俺だけを見ていたら、こんな意地悪はもうしない。わかった?
彼女の切ない顔がどう変わっていくのか、俺は一時も見逃すまいと、じっと見つめていた。彼女は相変わらずキレイで、その顔はすうっと、ちょうど初めてジャッカル先輩の教室で会った時のような、大人っぽい『キレイなおねーさん』の表情になってゆく。
「……私が柳くんと話してたから、赤也も女の子を連れてきたの?」
俺が返事をしないでいると、彼女は右手を伸ばして俺のネクタイをぎゅっと掴んだ。
その力はしっかりと強くて意表を突かれ、俺はそのまま彼女の方に引き寄せられる。
え? おい、ちょっと、ちょっと……。
センパイの髪の甘い匂いが俺の鼻腔をくすぐったと思うと、俺が何も言うまもなく、彼女のすぐ顔の近くに引っ張り寄せられた俺の唇は彼女のそれに覆われる。ネクタイをつかんで引き寄せる強引な力とは裏腹に、彼女のふっくらとした唇の動きはなんとも柔らかくて、アホみたいに半開きだった俺の口の隙間から、そうっとその熱くて柔らかい舌が入ってくる。これまた、ぼけーっとしているだけの俺の舌を軽くすくいあげると、優しい動きでそれを絡め取った。
俺はまさにとろけてしまいそうで、彼女がつかんでるネクタイでかろうじて体を支えられている。
俺がようやく自分の舌を反応させようとした頃、彼女は唇を離して、そして俺のネクタイからも手を離す。
「……じゃ、バイバイ」
彼女はそれだけを言うと、初めて会った時のようなさらりとした大人っぽいよそよそしい笑顔だけを残してさっさと校舎へ歩いていった。
彼女が残した言葉は、二人で寄り道をしてセンパイの家の前で別れる時に交わすいつもの言葉と同じなのに、同じなのに。でも、俺が見たかった顔、聞きたかった言葉は、こんなのじゃない。
手も足も出なかった俺はふにゃり、とベンチにへたりこんでしまった。
彼女を走って追いかけたいけれど、情けないことに、クラクラしてまるで腰が抜けてしまったように動けないのだ。
俺が生まれて初めて経験したキスは、最高に甘くて強烈なビッグバン的衝撃だった。
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2008.2.19