● 恋は時限爆弾(3)  ●

 そんな感じでは、俺に丁重に扱われる女の子という風ではないけれど、俺とは何気ないアホみたいな話をする隣同士のクラスメイトという、程よい間柄となった。
 多分、はまだ俺の事を好きだろう。それは、俺もわかる。
 それでも、はアホだけれど頭の悪い女ではなくて、
『お前が俺を好きなんは知ってるけど、俺は別に気にせぇへん。だから、自分も気にせんでええ』
 というサインを巧みに受け取って、程よい距離感を保って来る。
 こいつのそういうところを、俺は嫌いじゃなかった。
 は、さっぱり俺の好みじゃないし俺の恋愛の守備範囲にはカスリもしない女で、『京都市内でKiss-FM神戸を聴こうとするようなもんや』などと評してやったりするのだけれど、しばらく傍で過ごすと聴きなれたCDのようでなかなか悪くない隣人だった。
 一年の時の格好悪い俺を見られたのも、まあコイツにだったらええか、と思えるようになった。
 それに、俺が謙也と話す時のように、アホとかボケとかポンポン気にせず言える相手というのは貴重だったのだ。このちんまりとした女の子は、俺が何を言っても意外に応えなくて、呆れたようにしつつも、いつも笑って返すから。さすが、俺に二回も振られた女だけはある。



 その日は英語の授業の後、
「おい、あの時の先生が言うた事ノート取れたか?」
「早口でわかんなかったよ。忍足くんは?」
「これくらいは書いたけどな」
「あっ、じゃあちょっと写させて」
「自分、ほんまに使えんやっちゃな」
 なんていつものようなやりとりをしていた。
 まあ、そんな俺も辞書を忘れて、のを借りてたわけだが。
 そんなこんなで、ぼけーっとしていた俺の目は、はっとの席のすぐ横の窓が廊下から開けられるのに向けられた。

「ああ、侑士、よかった」

 廊下の窓を開けて、ゆっくりとそう言いながら微笑む女。
 だらしなく頬杖をついていた俺はシャンと背筋を伸ばした。

「……ああ、真知子か! びっくりしたやんか」

 俺はあわてて立ち上がると廊下に飛び出た。
 このすらりとした美人さん、俺が一年の時につきあっていた女の子だ。
 三年になって、またキレイになっとる。
 俺は少々緊張した思いで、かつウキウキしながら彼女の前に立った。

「どないしてん」

 俺はちょっと気取って彼女の前で静かに言った。

「あはは、なんか、侑士と話すの久しぶり」

 真知子はすぐに用件に入らず、笑いながら言う。そう、こういう余裕のある大人っぽい笑い方、好きやったな。
 俺は懐かしく思い出した。
 こいつとは、最初に目が合って笑い合って話した時から、ああ俺多分こいつを好きになるなとすぐに思ったし、そしてきっとこいつも俺に惚れるってわかった。
 そんな風にあっという間に恋に落ちた女の子だ。
 でもまあ、結局のところは別れる事になったわけだが。

「おう、せやな、久しぶりやん」

 真知子と目を合わせたり言葉を交わす時の、甘い緊張感が甦る。そういうところが楽しくて好きだった。
 なのになんで別れたかっていうと、これまた俺の悪い癖が抜けなかったから。
 つまり、親しくなるにつれ、俺がついつい普段のように『アホちゃう』みたいなノリになるのが、真知子は気に入らなかったらしい。なんといっても、クールでプライドの高い、頭の良い子だから。
 言われて、俺は肝に銘じて気をつけてはいたのだが、どうにも時に『アホな関西人』になってしまう癖は抜け切れず、彼女に愛想をつかされたというわけだ。
 そして、彼女は一学年上の男と付き合い始めたのだった。

「あのね、英語の辞書、今日忘れちゃったの。他のクラスの友達も持ってなくて困ってるんだけど、侑士のクラス、今日英語あったでしょ? よかったら、貸してもらえない?」

 真知子は指で軽く髪を触りながら言う。
 知り合った最初の頃、いつもこんな仕草しとったな。ちょっとだけ緊張しながら話す時の、彼女の癖だ。

「ああ、ええよ。ちょと待っとき」

 俺はそう言うと、くるりと教室に戻って、そしてああ俺、今日辞書忘れたんやったなと思い出す。
 そして、を見て、おう英語の辞書を、と言いかけた。
 でも、の顔を見るとその言葉は出てこなかった。
 は、いつものびっくり顔でもなく、俺の毒舌に呆れて笑うあの顔でもなく、何て言ったらいいのか、妙に居心地の悪そうな表情だった。
 俺は、ああなんでもない、というように手を上げると、後ろの席の男に頼んで辞書を借りた。
 そして、また廊下に出ると、それを真知子に貸した。
 教室に戻って、さっきのの表情をもう一度確認しようとするけれど、彼女は机にうつぶせになって、居眠り中だ。なんだ、眠たかっただけなのか?
 ……俺は、どうしてさっきから辞書を借りなかったのだろう。
 真知子に貸すための辞書を。
 俺は一体、どちらに気兼ねしたのだろうか。

 その日は丁度部活のない日で、辞書を返しに来た真知子と、俺は久しぶりに二人で一緒に帰った。
 ゆっくりと歩きながら、彼女はつきあっていた上級生とは、彼が高等部に進学する時期をきっかけに別れる事になったのだという事を少しずつ話して行った。
 詳しい事情は聞かなかった。
 けれど、気の強い彼女が少々ヘコんでいるだろう事はよく分かる。
 そうでなければ、俺にそんな事を話したりしない。
 昔に別れたアホな男に話して、少しでも気が楽になるならと、俺はウンウンと彼女の話を聞いた。
「……じゃあ、今日はどうもありがとうね、侑士」
 別れ際に彼女はそう言って笑う。
 俺は、どういたしまして、というように慇懃に頭を下げてみせた。
「侑士、ちょっと変わった?」
「うん? 何て?」
「……だいぶ、大人っぽくなった?」
「さあ、どないやろ。まあ、三年になったしやな」
 俺が苦笑いをして言うと、彼女は、またね、と笑いながら手を振って自分の家の方へ小走りで去って行った。



 その事があってから、真知子はちょくちょく俺のクラスに来て俺と話をしたり、時間の合う時は一緒に帰ったりするようになった。
 話す事は他愛もない事だ。
 例の彼氏と別れた時の事とか、最近誰それに好きだと言われて困ったとか、最近買ったMP3プレイヤーの使い方がわからないんだけど、とか。
 彼女とそうやって話すのは悪い感じではなくて、俺は上等の客をもてなすように、なるべく大人の男らしく彼女に応えた。
 ただ、彼女にMP3プレイヤーの使い方を説明したりしながら、俺はこんな事を考えてしまうのだ。
 これ、もしがこんな事聞いてきたりしたら、俺は間違いなく『アホか、こんなもん取説読んだらわかるやろ! 持っとってもよう使わへんねやったら、捨ててまえ! ああ、捨てる時はいつどこへ捨てたか、俺に言うとけや。後で拾いに行くから』なんて言うんだろう。そして彼女は『取説読んだんだけど、わかんなかったんだよ。そんな事言わないで、教えてよ』なんて言って、俺にアホ・ボケ言われながら、熱心に説明を聞くんだろう。
 そんな事を想像しては、くっくっと笑ってしまうのだった。

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2007.10.26

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