● 純愛だけど朝帰り(5)  ●

 本格的に学校が始まって、いよいよ受験勉強も本腰入れないとなーなんて憂鬱に思ったりもするけど、毎日学校で友達に会えるってやっぱり楽しい。今週のジャンプどうだった? なんて話もリアルタイムでできるしね。
 今週の私はわりかし清々しい気分で過ごしている。
 週末に見た夢の中の幸村部長は穏やかな笑顔で、手術も無事終ったみたいだし後は全国大会を待つばかりって感じだったもの。それに本誌の、夏休みを満喫する青学や六角も楽しそうでいい。
 私の夏休みは終ったけれど同級生の仲良しとワイワイおしゃべりをしたり、気象部の後輩と今年の台風について話し合ったり、そんないつもどおりの学校生活をのんびりと送っていた。
 そうそう、だけどちょっとだけ気になる事。
 あの時の夢に出てきた、白くて小さい花、そして青い石。
 私は日曜の午後、図書館に足を向けた。
 図書館っていつもテスト勉強するためくらいにしか使わないんだけど(実は私、あまり本の類を読まない!)、今回は調べ物。インターネットで調べればいいんだろうけど、物のイメージはしっかり覚えてるんだけど、幸村部長が教えてくれた花の名前や石の名前がうろ覚え。頭悪いなあ、私。
 まずは植物図鑑から調べる。
 蘭みたいな花だったから、蘭のところを。なんていうんだったかな、フワフワした感じの名前だった。そんで、小さくてスミレみたいな可愛い花。
 パラパラとめくっていくと、あった! こんなんだった! 図鑑に載っていた見覚えのある可愛い花の名前はフウラン。そうそうそんな名前だ!
 やっぱり私の夢が作り出したでたらめな花じゃなかったんだ!
 じゃあ石は?
 お次は鉱物図鑑。
 深いブルーの石。
 うーん、青い石っていろいろあるなあ。トルコ石みたいな明るいブルーじゃなくて、ネイビーブルーみたいなきれいな色。名前は、たしかラリルレロみたいな感じ。
 発見! これこれ!
 ラピスラズリだ。ほら、これもちゃんとある。
 二つの図鑑を本棚に戻して私は窓の外を見た。
 どういう事だろう。私の知らない物の姿や名前が夢に出てくるなんて。
 せっかく図書館に来たんだし、ちょっと本でも読んでいこうかななんて思ってみたものの、そもそもあんまり漫画以外の本を読む習慣のない私はなんだか集中できなくて図書館を出た。
 9月の空気はまだまだじっとりと湿気を帯びて蒸し暑い。
 でも、空の色は少しずつ確実に薄い高い青になって、雲の立体感もすこしずつ穏やかになってきている。
 そんな空気の中、ゆるゆると歩きながら、『フウラン』『ラピスラズリ』と口の中でつぶやいてみた。私の知らない事を、夢の中の幸村部長が教えてくれた? でもそんなはずないよね。きっと、私は覚えてないだけでいつかどこかでフウランを見て、ラピスラズリを見て、その名前を聞いたことがあったんだ。そしてその知識は頭のどっかに眠っていたんだと思う。
 夢の中で知らない知識を学ぶなんて、ありえないもの。
 しかもそれが、漫画キャラの幸村部長からだなんて。
 私は再度初秋の空を見上げた。
 私がこうして一週間を過ごす間、それが幸村部長にとって一日だとかそんな短い時間ならば、私の時間を彼にわけてあげられたらいいのに。そしたら、彼は全国大会までにたっぷり療養してリハビリやトレーニングができるじゃない。
 早く本誌で幸村くんがコートに立つ姿が見たいな。
 私の中では、クラスのちょっと好きな男の子を熱く応援するような気持ちと、そして好きな漫画キャラを応援するような気持ちがまざりあって、その二つは微妙ながらも少々異なるものだったから、なんだかちょっと混乱してしまった。
 そんな、日曜日。


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 気が付くと潮の香りがした。
 この風の感じと匂い、海が近いんだ。
 私は気象部としての知識を総動員して、湿度や気温を感じ、雲の形や流れ方、空の色、風の方向を確認した。
 うん、今は7月に違いない。
 って、総動員した割には大した結論じゃないんだけど。誰でもわかるっつの。
 私はまた夢の中にいるんだなあって自覚した。
 日曜日の夜の夢。他の日に見る夢とはまったく違う、この感覚。
 この夢は回数を重ねるごとにどんどん知覚がリアルになって行く気がする。
 半そでから伸びた腕を差す太陽の熱がチリチリと痛かった。
 自分のTシャツをおそるおそる見下ろして、あー、と落胆のため息をつく。
 格闘技好きの従兄弟のお兄ちゃんからお土産でもらった『大和魂』と大きく書いてあるTシャツだ。夏休みの間、部屋着にしてた奴。こんなの幸村くんに見られたら、なんてからかわれるかわからない。
 私はとっさに周りを見渡して、なんとかもう少しマシなTシャツを入手できる手段はないだろうかと考える。
 いや、ないだろうけど、なんとかなんないかなァこれ!
 メインストリートに入って、ショップなんかの建ち並ぶ中を歩いてゆく。
 ポケットを探るけど、お財布は入ってないし、さすがにTシャツを黙って拝借するのはいくら夢といえどねぇ。
 なんて思いつつ歩いていると、さっさと急ぎ足で私を通り過ぎる影。
 あっ、急いでる人なのかな、とあわてて身体をそらして進路をゆずるとその後姿には見覚えがあった。
 姿勢の良い、ちょっと線の細い男の子。
 幸村くんじゃない?
 私は走り出して彼の隣に並び、顔を覗き込む。
 やっぱり幸村くんだ。
「幸村くん、どうしたの?」
 私が声をかけても、彼はまっすぐ前を見て急ぎ足で歩き続ける。まさか、ついに幸村くんにも私は見えなくなってしまったの? ぎゅっと不安で胸が痛くなる。
 が、そうではなかったようで彼は歩きながらしばらくして私をちらりと見た。
 その目は、いつものまっすぐだけど穏やかなあのまなざしではなく、ひどく厳しくピリピリとしたものだった。私はなんともいえない不安を感じる。
「病院に行くんだ」
「病院?」
 思わず聞き返した。
にも手伝ってもらわないといけないかもしれない。一緒に来てくれ」
「あ、うん、いいけど……」
 前に見た二度の夢でも、夢の中ではいつも私はなしくずしに彼についてまわって、今回のそれも今までと同じ事なのだけど彼の口調がなんだかいつもと違う。
 私の今までで一番ヘンなTシャツを見ても、つっこみもしないし。
「ね、病院って、どこの病院?」
 私はぼんやりと勘付いていながらも、恐る恐る尋ねた。
「ん? 俺が入院してる病院だよ。さっき、通りすがりの奴の携帯で日付を確かめたら、今日は俺が手術を受けた日なんだ」
「あっ、そうなんだ。じゃあ、関東大会決勝の日だね」
 私は無理やり明るい声を作ってみせる。だって、幸村くんの目、すごく恐い。
「病院……何しに行くの?」
 そして、尋ねた。
「俺が手術を受けるのを、やめさせに行くんだよ。今の俺は、どうやら痛み止めの薬を増量した時にこの夢を見る事ができるらしい。この日に飛んで来れるかどうかは、いちかばちかの勝負だったけれど、ラッキーだ。急ごう」
 幸村くんは厳しい目のまま、さらりと言う。
 彼の言葉に、なんて言ったら良いのか私は声も出なかった。
いつもは私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれる幸村くんは、急ぎ足で駅に向かう。
 手術をやめさせるって???
「え? なんで? 手術したら幸村くんの病気、よくなるんでしょ? なんでやめさせるの?」
 私はわけがわからなくて、そんな間抜けな質問しかできない。
「そりゃ、よくなるだろう。来年か再来年にはね。でも昨日、手術後の回診で、医師は俺に当分上半身は激しく動かすななんて言う。全国大会に間に合わなければ、この時期に手術を受けた意味がないじゃないか。だったら、俺は手術を受けずに試合を迎えた方がまだマシだ。、急いで。手術が始まってしまう」
 彼は私の手を引っ張ると走って駅の改札を抜けた。
 彼の手は力強くて、少し冷たかった。
「えっ……でも、手術、やめさせるってどうやって?」
 私の声はなんだか震えてしまって、小声で彼に尋ねた。
「昨日、俺とは花壇の草を抜いたりできただろう? それに一昨日は仁王の髪を編んだりもできた。だから、この世界の人間は俺たちを認識はしないし話はできないけれど、俺たちは物質や人間に物理的な力を加える事はできるはずだ。俺とで、手術室に向かう俺を力ずくででも止めるんだ。もしくは何らかの形で手術を妨害する」
 ええー! なんだか幸村くんらしからぬ、強引な発想! 冗談でしょ? と思いつつも彼の顔は本当に真剣だった。
 私はどうしたらいいんだろう。
 夢の中だというのに、私の心臓はドクンドクンと激しく打ち付けて、頭の中は激しく混乱する。
 幸村くんが自分の手術をやめさせるって事は、つまりこの世界で彼は自分に会うって事? そういうのって、なんだかよくわからないけど、何が起こるかってさっぱりわからないけど、すごくよくないような気がする。
 それに手術をやめさせるって……。
 もし、本当に私と幸村くんが力ずくで取り組んだら、手術の妨害なんてできてしまうかもしれない。
 でも、そうしたら一体どうなってしまうんだろう?
 テニプリのストーリーでは、幸村精市は難病にかかって手術を受け、そしてそこから不死鳥のように蘇り全国大会の舞台に立ち、きっとそこがクライマックスになるんだと思う。私のジャンプ歴からの推測だけど、多分そういうストーリー展開のはずで。
 だから、きっと幸村くんは手術の後ちゃんと回復するはずだし。
 もしこの夢で手術をやめさせたらどうなるんだろう。それは現実のテニプリ(っていうのもおかしな表現だけど)にも反映されるの? そして、幸村くんの現実世界にも反映されるの? そもそも私が読んでるテニプリと、ここにいる幸村くんの現実は同じものなのだろうか。
 私の貧弱な脳みそは混乱を極めてしまった。
 ある駅で、私は彼に手を引かれてホームに下りた。幸村くんは迷わずに改札を出て、3番出口に向かった。
 駅の階段を上って、出たところの看板をちらりと見ると『金井総合病院 徒歩5分』と書いてあった。確か、幸村くんの入院してた病院!
 どうしよう! どうしよう!
 幸村くんに握り締められたまま引っ張られている私の手は嫌な感じに汗ばんできてしまう。
「幸村くん……やめようよ」
「え?」
 彼は自分の行動に私が異論を唱えるとは思ってもみなかったようで、その整った眉をきゅっとひそめた。
「そんな、手術をやめさせるなんて……だって、幸村くん、手術を受けないままでいたら病気、どんどん悪化してしまったりするんじゃない?」
「そんなもの、全国大会が終るまでなんとかもちこたえてみせる。あんな……」
 幸村くんは私の手を離して自分の胸をさすった。
「きしむように痛む胸で試合を迎えるよりもマシだ」
 現実の世界での痛みを思い出しているのだろうか。
 そうか、当たり前だけど現実の世界では幸村くんは痛いんだ……。
 私は病気も手術もしたことがない。幸村くんがどんな風に病気で辛い思いをして、そして手術でどんな痛みを身体にもたらされたのか、わかることができない。
 でも……でも……。
「でも、幸村くん、せっかく手術が無事終ったんだよ? 手術をやめさせるなんてしなくたって……。……きっとよくなるよ! 全国大会、間に合うよ!」
 私の言葉に、幸村くんはキッと目を見開いた。
 まるで電気に打たれたように私の体が飛び跳ねる。
 今まで見た中で、一番恐ろしい幸村くんの目。
 いや私はいままで、こんなに恐い目でひとから見られた事はなかったかもしれない。
「よくなるよ、元気になるよ、大丈夫だよ、頑張ってね。俺はもう、他人からのそんな無責任な言葉は聞き飽きたんだ」
 語気が強いわけではなくて、あくまで穏やかな声なのに、彼の言葉は私の体を頭のてっぺんから足先まで切り裂くような力を持っていた。

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3.8.2008

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