● ジャンピン・ジャック・フラッシュ(6)  ●

 翌日、俺は学校をさぼってK大学病院に向かった。
 万一、斎藤ノリオがIDカードの紛失届を出して、このカードや番号が無効になってしまってはまずいからな。
 俺は院内地図で病歴室を確認し、そこへ向かった。
 病歴室の前には、案の定カード式にロックがある。
 俺はちょいとドキドキしながら、カードを通した。
 一瞬の後、ピーという電子音とともに開錠。
 ほっとして、ノブを回し中へ入った。
 中はカウンターと、机、そしてパーテーションで区切られたいくつもの端末が並ぶ静かな部屋。
 俺はさっぱり勝手がわからず、しばらく中をうろうろしてみる。
 中では調べ物をしているらしいスタッフたちが、カルテをつんで熱心にメモを取ったりしていた。
 カウンターの近くには、閲覧申し込みの用紙が置いてあり、俺はそれを手に取った。
 なるほど、データを見たい患者のIDと、閲覧者のIDの記載が必要ってわけか。
 用紙を手にして、俺は端末の前に座った。
 周りをちらりと確認する。
 まずは患者IDを探し出さなければならない。
 とりあえずログイン画面に、斎藤ノリオのIDとパスワードを入力すると、あっさりログイン。ちょろいな。つうか、斎藤ノリオ、もっとしっかりせえや。
 ログインしたものの、ソフトは病院専用のアプリケーションなので、少々勝手がわかりづらく、しばらく俺は四苦八苦しながら操作をした。
 しばし適当にいじってると、だいたいのところはわかってきて、なんとか担当医師別の患者を呼び出すことに成功。
 おお、これは結構ちょろいな。
 しかし膨大な数の患者数。相当忙しかったんやなあ、の親父さん。
 患者は時期別にはなっていないから、二年前に治療を受けていたってだけで探すのは相当に大変そうだ。昨日、苗字だけでも確認できてよかった。
 たしか、井上に神田に香川、言うてたな。
 それらの苗字にあたる患者のデータを見ると、あったあった、ちょうど二年前に肝移植、膵臓摘出術を受けた該当者。
 俺は急いで、それらの患者のフルネームとID番号を書き出した。
 他にも同時期に治療を受けている医師担当の重症そうな患者の名前を二名ほど書き出す。
 申請書をカウンターに出しに行き、カルテを受け取って、机の上でそれらをめくり、俺はため息をついた。
 あかん、わけがわからん。
 いくら医者の息子言うても、こりゃさっぱりわからんわ。
 俺はポケットから携帯を取り出して、電波状態を確認。お、なんとかアンテナ立っとるわ。
 にメールをだし、例の合言葉のやりとりのあと、すぐにびっくりの顔文字メールが届いた。

『どうしたの? 今頃って授業中じゃないの?』

『ああ、緊急やからな、今日はさぼりや』

『えー、そんなのだめだよ』
 
 こいつ、俺に無茶ぶりしてきたくせに、なんでこんなとこばっか真面目やねん。
 思わず笑ってしまう。

『それより、病歴室でカルテの閲覧まで成功してんねんけどな、一体どの情報をピックアップしたらええのんかわからへん。情報膨大すぎるわ』

『えー、カルテまでたどりついたの! ユーシ、すごいね!』

 ストレートなの感想に、俺はちょっと得意になる。

『でな、一応接写のできるデジカメは持ってきとる。このカルテって、どこにどんな情報がのっとるん、教えてくれよ』

『えー、そんなこと言われても、私だってカルテなんて見たことないし、わかんないよ!』

『でも、親父さんから話聞いたりしたんやろ。なんか思い出せや』

しばらく間を置いてからの返信。

『えーと、多分、手術をした時の手術記録とかに日付や時間が入ってると思う。 あっ、あと検査予約とかをするってお父さん言ってたから、検査がいつの何時に入ってっていうのもどこかにあるんじゃないかな』

 に言われたものを探そうとカルテをめくるが、ごちゃごちゃしててさっぱりわからん。
 携帯をしまって、しばらくカルテと悪戦苦闘していると、背後に人の気配がした。
 机に置いてあるデジカメをあわててポケットにしまい、そうっと振り返った。
「よっ」
 パーテーションに寄りかかってこっちを見ているのは、小野先輩だった。
「熱心だな、ノリオ」
 俺が用心深く彼を見上げていると、やつはニカッと笑った。
「1年じゃ、カルテの見方、わかんねーだろ? 教えてやろうか?」
 俺が返事をする前に、小野先輩は俺の机にやってきて、カルテをぱらぱらとめくった。
 手術記録はここ、ICUやリカバリールームにいる時の記録はこれ、検査結果はここ、などと的確に見方を教えてくれた。
「昨日、お前がカラオケ一緒にこねーからって、多田さんすげー残念がってたぜ。今度はつきあってくれよな」
 ニヤッと笑って言う彼に、俺は苦笑いをして小さくうなずいた。
「そうそう、テニスサークルのやつに、ノリオってテニス上手いのかって聞いたんだけどさ」
 そして続く言葉に、俺はぎょっとして眼鏡の奥から小野先輩を見た。
「……なーんてのは嘘だけどな」
 俺の反応がよっぽど可笑しかったのか、奴は満足そうに笑って俺の白衣のポケットにぶらさがっているIDカードを指先で弾いた。
 そして、小野先輩はポケットから紙切れを出して何かを書きとめる。
「これ、俺の携帯の番号。何かあったら、連絡してくれよ」
 携帯の番号を書いた紙切れをひらりと俺に手渡した。
「……あ、どうも」
 俺はどう反応したものか、しばし逡巡した。
「ま、お前の番号は聞かないでおくわ。言いたくねーだろ。『斎藤ノリオ』くん」
 俺がちょいと眉間にしわをよせて顔を上げると、小野先輩はニカッと笑い手をひらひらとさせて、パーテーションの向こうに消えていった。
 体育会系のくせにキザな奴、なんて思いながらも軽いため息とともに俺の口元はほころぶ。
 俺は小野先輩に教えてもらったとおりにカルテを繰って、必要箇所をデジカメで密かに撮影し、さっさと病歴室を後にした。

 用無しになった斎藤ノリオのIDカードを警備室に届け、俺は早退してきたと嘘をついて自室にこもった。
 先ほど撮影してきたデータを補正して文字を読み取りやすくした上で、プリントアウト。
 データを時系列順にならべて、いっちょあがりや。
 デジタルデータも、のサーバーにアップしといた。
 素人探偵の仕事としては、もうこの程度でヨシとしてもらわんとな。
 俺はそれらのデータを念のため二部作成すると、それぞれを茶封筒に仕舞った。
 その時だった。
 携帯が震えたと思ったら、メールの着信。
 からだ。

『助けて、ユーシ! 私、閉鎖病棟に入れられてしまいそうになって、逃げてるところなの!』
 なんやて!
『逃げてるて、病院からか!?』

『そう。今日突然に、明日から閉鎖病棟だって言われて。今、看護師さんと売店に行った時、隙を見て病院を抜け出したところ! 家だとすぐにばれるから、どこか、ユーシと待ち合わせられない?』

『わかった、駅で待ち合わそうや。ちょうど、さっき病歴室でデータもそろえたところやねん。持っていくわ。それがあったら、もしかしたらそのまま病院を出られるかもしれんやろ?』

 に家の最寄駅を伝えて、俺は急いで家を出た。オカンが何か言うてるけど、かまってられへん。もしかするとはパジャマで来るかもしらんな、と思い、薄手のコートを鞄につっこんだ。さすが俺、気の利く男やろ。
 あいつ、俺の顔、すぐにわかるやろか。ジョン・レノンちゃうけど。

 K病院から家の最寄駅まで、だいたい30分てとこか。
 にしても、俺は家でのんびり待ってる気にはならんから、そうそうに駅に着いて改札をにらみつけた。
 が来たらコート着せて、家までダッシュやな、なんて思いながら。
 そして、ふと、俺はさっきから頭の中で何かが少々ひっかかっていることに気付いた。
 ひっかかっていたけれど、あまりにめまぐるしいから、素通りしていた。
 一体何だ?
 何が、おかしい?
 俺はさっきののメールを思い出した。
 そうだ、あれが足りない。
 ジャンピンジャックフラッシュにB-FLAT。
 さすがのもあまりの緊急事態に忘れてたのか?
 俺は携帯を取り出して、にメールを送った。
 ジャンピンジャックフラッシュ!
 俺はいやな予感を胸に抱きながら、携帯の画面を睨みつける。
 早く返って来い、B-FLAT。
 チカッと携帯が光って戻ってきた画面を、俺は急いで開く。

『今、電車乗ってる。もうすぐ着くと思うから、待ってて』

 俺は携帯を閉じて、駅を飛び出た。
 まずい。
 これは、俺ももまずいんちゃうか!
 俺が駅を走り出ると同時に携帯が震えた。
 今度はメールじゃない。
 電話の着信だ。
 公衆電話の表示だ
 しばらくその表示を見つめてから、俺は通話ボタンを押した。

『ジャンピンジャックフラッシュ!』

 女の声だった。

「B-FLAT!」

 とっさに俺が答えると、受話器の向こうからは安堵の吐息。

『ユーシ、無事だったのね? 今、病院の公衆電話から』

 病院からか! 俺たちは、メルアドのほかに一応電話番号も交換してはあった。が、は病院だから、電話で話すことはまずなかった。

「そっちこそ、大丈夫なんか? 携帯、どないしてん?」

『今日、急にね、お父さんの取り調べに必要だからって、病院長に携帯を取り上げられちゃったの。絶対おかしいでしょ? それに、私、いつもはユーシとのメール全部消去してたのに、今日の分の最後の方はまだ消してなかったの。見られてたら、きっとユーシが何かされるんじゃないかと思う。だから、急いで逃げて!』

 の声は必死で、こんな時だというのに俺ははじめて聞く彼女の声を、かわいいななんて思っていた。
 その時、駅のロータリーで立ち止まっていた俺の横に、シルバーのアウディが止まった。
 中からは、スーツの男が数人。こっちを見ている。

「サンキュー、。お前が無事なんわかって、ほっとしたわ。もうちょこっとだけ、いい子で待っとき。オルモの約束忘れんといてや」

 俺は余裕たっぷりににそう言ってみせ、電話を切った。
 そして、スーツの男たちとにらみ合う。

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2008.9.19

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