● ジャンピン・ジャック・フラッシュ(7)  ●

「忍足侑士くんだね」

 奴らはそう言いながら静かに歩いてきて、俺を囲む。
 総勢4人、そして車に一人運転手。
 中学生のガキ相手に大層やなあ。
 全員がっちりした男で、見たところ、プロのガードマンといったところか。跡部んちにおるわ、こういうおっさん。

「ああ、せや」

 俺は封筒をぎゅっと握り締めた。

「きみが不法に他人のIDカードを使って、病院のデータシステムにアクセスしたことはわかっている。『斎藤ノリオ』のIDでアクセスがあったすぐ後に、そのカードが他人から届けられたと警備員からの証言も得られている。警備に残っていた映像から、それは君だと特定できた」

 ちっ、バカ正直に警備員室なんかに届けるんちゃうかったな、失敗したわ。
 それにしても、俺がチェックした患者のデータ、よっぽど厳重に監視されてたんやろな。こないに早く手が回るとは。ま、それだけにド真中をついたデータってことやろ。俺の調査能力もまんざらじゃないみたいやで、
 
「そして、きみがどういった情報を得たかもわかっている。その中身を、こっちに渡しなさい。そして、自宅へご同行いただこう。データも消去してもらわねばならない」
 あつかましいオッサンたちやな。
 なんで俺が初対面のオッサンを家に招かなあかんねん。あほかっちゅうねん。
 俺はふうっとため息をつくと、に着せようと手に持っていたコートをふわり放って奴らの頭の上からかぶせてやった。
「おい、こら!」
 奴らはあわててコートを振り払おうとする。
 そして、当然その隙にダッシュや。
 こっちは地元やで。しかもテニス部。
 駅から続く路地に向かって走り出した。
 ちらりと振り返ると、おっさんたちのうち二人が俺を追いかけて走ってくる。二人は車。さすが、アホではないらしい。車は路地を走りにくいから先回りをして、俺をはさみうちする気やな。
 俺は細い路地を走りながら電話を取り出した。
 こういう時、連絡を取る先は決まってる。俺は別に見栄を張ったりするタイプじゃない。
『あーん、なんだ?』
 俺が電話をかけた先からは、尊大な聞きなれた声。
「あ、跡部。すまんけどな、今、ちょと面倒なことになっとってな。急いで助けを寄越して欲しいねんけど。駅の近くの路地を走って逃げ回ってんねん」
『ふん、しょうがねーな』
 奴は何も聞き返すことなくそれだけ言って、電話を切った。
 大丈夫か気をつけろよ、くらい言ってくれんのか、まったく冷たいやっちゃ。
 走りながら後ろを振り返ると、なんとか俺とおっさんたちの距離は縮まらないまま。
 ま、向こうかてプロやろうけど、こっちも育ち盛りの運動部やからな。
 さて、この路地を抜けるまでが勝負や。 
 ここを抜けてまうと、俺はおそらくはさみうちにあう。
 跡部の助けがどれくらいで来るかやけど……。
 と、背後から野太い単気筒のエンジン音が響いてきた。
 黒づくめのライダーが俺にヘルメットを放ってよこす。
「景吾さんの使いで来ました」
 はやっ!
 俺はヘルメットを頭にのっけると、そのチョッパーの後ろに飛び乗った。
 ミラー越しには、呆気にとられているおっさんどもの顔。
 路地を抜ける時すれ違ったシルバーのアウディに、俺はVサインを出してやった。
 しばらく走ってから区役所の駐車場にバイクが入って行き、その先にはおなじみの跡部家のロールスロイス・ファンタムが鎮座している。区役所の駐車場とはこれまた渋いなあ。
 ライダーが丁寧に観音開きのドアを開けてくれると、その奥には、優雅に脚を組んだ跡部。
「どうも、おおきに」
 俺が慇懃につぶやいてシートに滑り込むと、奴はフンと鼻をならした。
「大活躍だったじゃねーか、ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
 奴がくっくっと笑いながら言うものだから、俺は一瞬目を丸くしかけたけれど、それすらシャクで、眉間にしわを寄せてゴージャスなシートに身を埋めた。
「跡部……もしかしてお前か、ジャックってのは」
「さあな」
 なんて言いながら、奴がくちずさむのはストーンズの『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』。
「その曲、キーコードは?」
 俺が尋ねると、珍しく奴は歌を中断して左手を眉間に当てて笑った。
「B♭だろ」
「……なんで俺のアドレスをジャックのページにのせた? 迷惑きわまりないやんけ」
 俺は観念してつぶやくと、奴は俺の手の封筒を手にして中身を眺める。
「ジャックにアクセスを試みてるやつの依頼内容が、俺よりお前にうってつけだと思ったんでね。適材適所ってやつだ」
 奴は俺の資料を見て、ひゅーと口笛をふいた。まったくどこまでも芝居がかったやつ。
「さすがだな、氷帝の天才。やるじゃねーか」
「お前の遊びに俺をまきこまんといてくれや」
 俺が言うと、跡部はまたくっくっと笑った。
「たまにはいいだろ。お前が熱くなるとこを見るのも、悪くない。自分でもそう思ってるんじゃねーの」
「あほか」
 言い合ってる間に、車は静かに発進していた。
「で、これからどうする? 家でおねんねか?」
「K大学病院にきまってるやんけ。そこまで護送してくれりゃ、中じゃさすがに手出しはして来ぃひんやろ」
 俺は跡部の隣で大きくため息をついた。
 はたしてジャンピン・ジャック・フラッシュが何者なのか、一体どんな活躍をしてるのか?
 まあ、興味がないわけじゃないけど、もうこいつにそれ以上の話を聞くのは面倒くさいので聞かなかった。また巻き込まれちゃたまらんからな。
 ほんっま、こいつはキザなことばっかりしてやがる。
 ま、そこがいいとこなのかもしれんけど。

 跡部のロールスで大学病院のロータリーに乗り付けて、俺は堂々と病院のエレベーターに乗った。
 9階に行くと、廊下には白い一団。
 教授回診ってやつか。
 俺は涼しい顔でその脇を通り抜けた。
 中央には、病院HPで確認ずみの西野病院長。
 奴が俺を見たときのギョッとした顔。
 デジカメで撮っておいて、に見せたいくらいだった。

 俺が目指すのは、9012号室彪吾の部屋。
 
 ノックをすると、中からは小さく入室を促す少年の声。
 俺がそうっと入ると、少々驚いた顔の可愛らしい顔の少年がじっと俺を見ていた。
「あ、どなたでしょうか」
「ああ、俺、忍足侑士っていうねんけど」
「はい?」
 そりゃ、お前誰やって話やわなあ。俺はくすっと笑った。
「お前の姉ちゃんの友達。お前の親父さんの事で、姉ちゃんと一緒にいろいろ調べとってん」
「お姉ちゃんと!? お姉ちゃんはどうしてるの?」
 色白で細い少年は、小学校低学年くらいに見えるけれど多分見た目よりはもうすこし年齢は上なのだろうな。
「多分、元気。めっさ頑張ってるで」
 俺はそう言って、封筒を彼のベッドの上に放った。
「なあ、彪吾。自分、心臓が悪いんやってな。大変やろうと思うわ。でも、今、お前の家族の中で一番ちゃんと動けるんは、お前しかいないんやで?」
 彪吾は俺が放った封筒をそっと手にして中を見た。
「俺と姉ちゃんで、そんだけ調べた。お前も、自分の親父がちゃんとした医者なんやって十分知ってるはずやろ? ここに入院してんねんから。だったら、あとはちゃんと自分でしぃな。ここの看護師さんや他の先生もちゃんとわかってるはずや。協力してくれるよう、自分で言いや」
「僕が? 僕みたいな子供でも大丈夫なの?」
 少年は俺が放った封筒を握り締めて、ベッドから身を乗り出した。
「あのな、大人から見たら、俺もお前もおんなじくらいの子供や。そのおんなじ子供の俺や姉ちゃんがここまでやったんやで。あとは男のお前ががんばらんかいな。あ、そうそう」
 俺はポケットから紙切れを出した。
 小野先輩の電話番号が書いてある紙切れだ。
「困ったら、この人に相談しぃや。ええ人やで、きっと助けてくれると思う」
 俺はその紙切れも彼に渡して、ひらりと手を振って病室を後にしようとした。
「ねえ、忍足さん!」
「なんや?」
「忍足さんてさ、どこの学校なの?」
「俺? 俺、氷帝のテニス部」
「僕も、来年氷帝受ける予定なんだ」
 俺は振り返ってニッと笑った。
「さよか。来年は俺は高等部やけど、学校で会えるとええな。じゃあな」
 病室を出て、なにやら騒がしい病棟の脇の廊下を抜けると、俺はさっさと帰宅した。
 帰ったら、きっとオカンがうるさいやろなー、早退したくせにどこほっつきあるいてたの! って。



 それ以来からのメールはなかった。
 やつらに奪われた携帯が手元に戻らんかったのかもしれんな、と思いつつ、なんとなく俺の方から連絡することもしないまま。だって、それで返事なかったら、なんか落ち込むやろ。
 とりあえず彼女が無事に家に帰っているだろうことだけは俺にも分かった。
 だって、あれからしばらくして、K大学病院での医療訴訟の件では一転病院長に焦点が当てられ、医師の責任はほとんど問われないという報道が新聞をにぎわせたから。
 なんでも、医学生が中心となって現場からの証言を集め、それらが決め手になったらしい。あの筋肉バカたち、合コンばっかりやってるんじゃなくてなかなかちゃんとした先輩たちだったようだ。
 俺はといえば、あいかわらず週末は映画を見に行って、普段は恋愛小説なんかを読みふけっている。以前と少し変わったことといえば、本を読む場所が、学校のサロンや静かな公園から『オルモ』のオープンテラスになったことくらい。
 別に、何を期待しているというわけじゃない。
 ちょっとくらいロマンティックな気分になるくらいいいだろう?
 冒険を共にした、顔も知らない相棒のことを思ったって。
 誕生日も過ぎて日に日に冬の吐息が近づいてくる頃、オルモでカプチーノを飲みながら本を読んでいる俺の前に誰かが座る気配がした。
 正直なところ、オルモで誰かが俺の近くで足を止めるたびどきりとしてる。
 もしかして、が来たんじゃないかって。
 たぶん、違うんだっていうことは十分わかっているのだけど。
 俺はそうっと目を上げて、そして思わず口に含んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
 おっさんじゃないか。
 なんでおっさんが俺の席に座ってくんねん。
 俺が心待ちにしてんのは、女子中学生やねんけど。
 眉間にしわをよせてみせると、そのおっさんは穏やかに笑った。
「忍足侑士くんだね?」
 そして、俺はああ、とすぐに分かった。
 の親父さんだ。たしか、こんな顔しとったな。
から聞いたよ、本当に世話になった。ありがとう」
「あ、いや、まあ成り行きやったし、ええねんけど……。あの……、さんは元気ですか」
 俺は妙に居心地の悪い気分で聞いた。
「ああ、元気だ。あれからすぐに家に戻らせることができたよ。そうだ、ちょっと前に、弟の彪吾が手術を受けてね。病院を変わって、主治医の先生が忍足先生っていうんだけど、多分きみのお父さんだろう?」
 へえ、親父の病院に移ったんか!
は、あれからずっと学校の試験や彪吾のつきそいで時間がとれなくてね。今日やっと私がこのあたりに用事があったから、まずは私がお礼を言いに来たんだ。君がここにいるかもしれないって、が気にしていたから」
 の親父さんはニコニコしながら続けた。
 本当にええ人そうやな。
「あー、そうですか。わざわざすいません。あの、でもまあ、別に待っとるわけちゃうし、俺もこの店気に入っとるだけやから、気にせんといてください」
 俺がめめしくずっとこの店に来とるんをに見透かされとるようで、俺は急に照れくさくなる。
「ああ、これ」
 医師がジャケットの内ポケットから何かを取り出した。
「娘が描いてくれた、君の想像図なんだけどね。まあこれですぐにわかったけれど、実物の方がずっとハンサムだな。娘にも言っておくよ」
 医師がさしだした紙には、よく見かける落書きみたいなジョン・レノンの似顔絵。
 そして、その下に
『サンキュー、ユーシ!』
 と一言。
 おいおい、おっさん、これでわかったんかい。
 俺はちょっと落ち込む。
「……さんに、よろしくお伝えください。あと、彪吾くんに、受験もがんばってくれ、と」
「ありがとう。伝えておくよ」
 医師はそう言って笑顔で去って行った。
 


 翌日、俺は妙に胸の中がポッカリと空洞になったような気分のまま学校へ行く。
 なんかかったるいし、二時間目からの出席だ。
 ふうっとけだるくため息をつきながら席につくと、侑士ー!とツレの女がさっそく声をかけてきた。
「なんだ、今日は重役出勤じゃんー。ねえ、昨日さ、西久保くんと二回目のキスしたよ」
「さよか。で、キスだけだったん?」
「えー、それは秘密!」
 俺はまた、この桃色空気の中の空気清浄機としてやっていくわけか。
 これからクリスマスとなると、この桃色具合はぐっと色濃くなるに違いない。
 椅子の背もたれに体重を預けると、上着のポケットからがさがさと音がする。
 ああ、昨日もらった、が描いたっちゅう俺の想像図だ。
 俺はちょっとくしゃくしゃになった似顔絵を取り出して、じっと見つめる。
 サンキュー、か。
 ま、それでええねんけど。
 でもな……。
 でも、なんかもっと、こう……。
 俺の胸の奥は、どうしてこんなにヒリヒリするのだろう。
「ねえ侑士、そういえば今日、転校生が来たんだよ。めずらしいよね、こんな時期の編入。女の子でさ、結構カワイイってみんな騒いでる。侑士の後ろの席なんだけど、今、売店に行ってるのかな。侑士、ラッキーじゃん」
「ふーん、さよか」
 あんなぁ、女の言う『結構カワイイ』女ってのはほんま宛てにならんねん。
 残念ながら、それくらいで俺の胸は躍らんわ。
 気のない返事をかえしつつ俺がのメモを見つめてると、後ろの席に人の気配。
 ああ、転校生が戻ってきたんか。ハイハイ、まあ、楽しい学校生活でも送ってくれや。
 俺が妙にやさぐれた気分で頬杖をついていると、後ろから女の子の声がした。

「ジャンピンジャックフラッシュ」

 その懐かしい言葉をはっきりと聞き取った瞬間、教室の喧騒は一切俺の耳に入らなくなった。
 そして、俺の目の前の空気がほんのりとピンク色に染まる。
 俺は眼鏡のブリッジを持ち上げて、深呼吸をひとつ。

「B-FLAT」

 そうつぶやきながら、俺はゆっくりと振り返った。
 
(了)
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
2008.9.20

-Powered by HTML DWARF-