● ジャンピン・ジャック・フラッシュ(5)  ●

 時間を確認して、俺は小野先輩から聞いた店に向かった。
 指定の店は、まあよくある創作料理屋だ。合コンの店としちゃ無難やね。
 この前跡部とのミーティングで行った店の方が、よさそうやな。
 そんなことを思いながら店内に入り、店員に小野の名前を出すと奥の個室に通された。
「よっ! ノリオ! よく来たな」
 すると、さっそく小野先輩が手を上げてくれた。
 やつの他に二人の男。ナースたちはまだのようだ。ふん、4対4の合コンか、ま、妥当な人数やな。
「こいつ、1年の斎藤ノリオ! みんな、よろしくな!」
 小野先輩はそう言うと、俺を他の二人に紹介してくれた。
 ちなみに小野先輩は野球部で、もう一人も野球部、そしてあとの一人がラグビー部だそうで、それぞれ水原、木島、と名乗った。どうやら見事体育会系のメンツだったらしい。
「そうだノリオ、お前、サークルはどこよ?」
「え? あ、ああ、テニスです」
「おっ、まじか! ダブルスとかできんの?」
「ああ、そりゃできますよ」
 あたりまえやろ、氷帝の天才やねんから。
「うおー、ラッキー! 今日来る看護師さんたち、今度皆でテニスとかやりたいよねーなんて言ってたんだけど、俺たちテニスって柄じゃねーだろ。ノリオ、今度テニス教えてくれよ」
「あ、はあ、ええですけど」
 俺が今、ややこしい任務中でさえなかったら、ナースとキャッキャキャッキャ言いながらダブルスやのになあ。
 なんて思いながら、のふてくされたメールを思い出してためいきをつく。
 ま、本物の斎藤ノリオがテニスのできるやつであることを祈るわ。
「それで本題だけどな」
 小野先輩がぐいと俺の肩に腕をまわしてくる。
 うわー、体育会っぽいノリやなー。ウチのテニス部ってあんまりこういうんとちゃうから、俺、ちょい引くわー。
 そんなことを考えてると、小野先輩はおかまいなしに話を続けた。
「今日来るナース4人のうち、幹事の多田さんって人が一番先輩でな、キレーな人なんだけど、仕切りたがりでちょいうるさいんだわ。で、多田さんは眼鏡男子美少年系が好きらしい。お前の役目はわかるよな」
 なるほどな、俺はいけにえか。
 小野先輩が廊下で俺に目をつけた理由がわかった。
「承知です。俺がその多田さんを引き受けて、先輩方がお目当ての彼女たちと話しやすいようにすればええんでしょ」
 ビンゴ! というように小野先輩は俺の頭をポンとたたいた。
「ノリオ、お前、イケメンな上になかなか頭がいい。気に入った!」
 ま、俺は情報収集が目的なわけやから、ベテランナースを担当するんは悪い話じゃない。
 利害の一致ちゅうやつやな。
 というわけで、俺は出入り口に一番近い幹事席に座る事になった。
 あ、オカンに今日は晩御飯いらんて言うとかなあかんな。
 なんたって、中学生やから、俺。
 オカンにメールをし終えて、眼鏡のレンズを拭いていると女の声がして、そして賑やかな一団が部屋に入って来た。
「お待たせー! 小野くん、ごめんね、ちょっと遅くなっちゃって!」
 うわー、なんかめっさ元気やなこの人! 
 先頭切って入って来た栗色の髪の人が、おそらく多田さんちゅう人やろと俺は察した。
 たしかにきれいな人や。
「いや、俺たちも今揃ったとこっすから」
「ほんと? あ、私、幹事だしこの辺に座った方がいいかな。ほら、ミホたちはそっちの方に座っちゃって」
 ごっさてきぱきしとる。さすがナース。
 まあ、けど4人ともなかなかの美人さんぞろいや。の言うてたとおりやな。
「あれ、この子は? 実習の時、いたっけ?」
 多田さんは俺をじっと見て、そして小野先輩に尋ねた。
「あ、こいつ伊川の代打で来た一年の斎藤ってやつ。初対面だと思うけど、可愛がってやってくださいよ、多田さん」
「一回生の斎藤ノリオです。よろしゅうおねがいいします」
 俺は立ち上がって、一同に向かって軽く頭を下げ、そして最後に多田さんを見た。
「そっか、一年かあ、どうりで初々しいと思ったー。一年の子からしたら、私たちなんてオバサンでしょー?」
「とんでもない、1回生の女子なんてあかぬけないガキばっかりですからね、きれいな女の人たちと食事して話せるなんて、俺はめっさ嬉しいです」
 なんて、斎藤ノリオの俺は歯の浮くような事を言ってやった。
 そして、そんなベタな台詞でナースたちはまんざらでもなさそうだった。
「ユリコさん、斎藤くんみたいな子、好みでしょー? 優しくしてあげてくださいよー」
 奥に座ったストレートヘアの人がからかうように言う。ほうほう、多田ユリコ言うんか。
「やだなー、もう、優しくするにきまってるじゃーん」
 うわー、もう、めっちゃ合コンやん。
 ほんまに、ちゃんと情報収集できるんやろか。
 俺はちょっと心配になってきた。
 そんな俺の心配をよそに、メンツがそろったということで、料理や飲み物が運びこまれてくる。コースで飲み放題、というやつのようだ。
「斎藤くんは飲まないの?」
 ウーロン茶のグラスを持つ俺に、多田さんが目ざとく声をかけた。
「あ、俺、未成年ですから」
「あっ、そうか、若いんだもんねー」
 ま、中学生やからな。
 そんなこんなで乾杯。
 酒宴は始まった。
 俺は、メンバーの空いたグラスを確認しては新しい飲み物のオーダーに走ったり、そして座っている間はずっと多田さんの話し相手になったり、果たして居酒屋のバイトかもしくはホストか、わけのわからん状態やった。
「水原くん、生ハムそっちにある? この皿とそっちと交換して」
「カオリ、その皿もう空いてるでしょ? 下げるからこっちにちょうだい」
 そして、多田さん以外の3人のナースも仕切る仕切る!
 うわー、やっぱ看護師さんやなー。ちゅうか、全員オカンみたいや。きれいなオカン。
 なんか、法事で関西に帰って親戚が集まった時みたい。
 医学生もナースも、とにかく俺の想像以上にパワフルで、食って飲んで、病院での愚痴をしゃべりまくって、まったく俺の情報収集なんぞ入る隙もなかった。
 多田さんは多田さんで、俺に、どこに住んでるの、一人暮らしなの、毎日ご飯作ってるの、バイトとかやってるの、とマシンガンのように聞いてくる。
 やれやれ、これで収穫ナシでに報告したら、まったく何て言われることやら。
 ようやく料理が全部出て、後はデザート。
 それぞれのデザートと飲み物を確認して、俺は店員にオーダーをした。
 デザートとなると少々落ち着いたか、みんな静かに満足そうに食べている。
「ノリオは本格的な病棟実習はまだなんだよな? 1年は病院体験学習とかそんなんだけでさ」
「あ、はあ、そうですね。病棟実習になったら、是非いろいろ教えてくださいよ、先輩」
「1年じゃまだまだ先だけど、お前は行きたい科だとか決まってんの? 俺たちは皆第二外科希望なんだけどさ」
 お、悪くない話の方向なんじゃないか。
「俺はまだ決めてはいませんけど、第二外科はちょっといいなって思ってます。俺、実は、先生に教えて欲しかったんですよね」
 医師が学生を担当しているのかどうかはわからないが、あてずっぽうで言ってみた。
 すると、場の全員が一瞬真剣な表情になった。
先生かー……」
 多田さんが、ふと悲しそうな顔でつぶやいた。
先生、今、大変なんだよなー」
 小野先輩も頭をぽりぽりとかきながら言う。
「あの件、どうなんですか。やっぱり、先生が全面的に責任をとることになるんですかねえ」
 俺はちょっとカマをかけるような感じに、つぶやいてみる。
 すると、奥の席に座っているミホというナースが身を乗り出した。
「あれ、皆、知ってることだけど、本当は西野先生の仕事じゃん。記録上主治医が先生で、先生も関わってはいたけど、術式決めたのも執刀したのも術後管理で検査して結果を見てたのも全部西野先生だもんね」
「だよねー。西野先生が、『先生は名前だけでいいよ、全部私がやるから』って、あの手術をやりたがったんだよね。で、実際にはあの頃、先生、肝移植だとか他の患者さんの担当で手一杯だったもん」
 カオリというナースがコーヒーを飲みながら、同意した。
 肝移植、と俺の頭にその単語がインプットされる。
先生って、肝臓とか膵臓なんですよね、専門が」
 の言っていたことを思い出して、俺は皆の言葉を促そうとつぶやいてみた。
「うんそう。肝移植も膵臓の手術も後が大変だからさ、あの頃、先生は、ほら、誰だっけ、井上さんとか神田さんとか、あとええと……」
「ほら、ユリコさんが夜勤の時に手術が終って大変だった人、香川さん!」
「そうそう、そういう膵臓や肝臓の手術で、ICUに詰めたりですっごい忙しかったよね。だから、西野先生にあの担当は断ってたのに、西野先生が、名前だけでもって言ってさ」
 どうも西野医師はナース受けもいまひとつのようだ。
 俺は、ナースの口から出た名前を頭の中に書き留めた。
「でも、院内ではやっぱり西野先生の力が大きいから、皆言えないんだよね、あれ、西野先生の責任です、なんて」
「そうだよなー。俺たちも第二外科に入るとなったら、西野先生が王様なわけだからなー……」
 水原って奴がうつむいてつぶやく。
「あの件は、書類上はやっぱり先生が主治医になってるし、指示も先生が出したことになってるし、私たちがなんとなく知ってるからっていっても難しいよね。先生もさ……」
 多田さんが声をひそめた。
「ほら、息子さんは入院中だし、娘さんも錯乱して精神科病棟に入ってるじゃない。下手に動けないよね、人質とられてるようなもんだからさ」
 一同、ちょっとしんみりとしてしまった中、パチンと手をたたいて小野先輩が立ち上がった。
「よし! とにかく今日は楽しく飲み食いできてなによりでした! それでは二次会に向けて、ここは一本締めで一旦お開きといたしましょう!」
 奴のふっとい腕を腕まくりして、音頭を取って、パン! と勢いよく締めた。

「いや、俺、門限あるんで、二次会はちょと……」
 店を出た後、俺は多田さんと小野先輩に腕をつかまれて本格的に困惑することになる。
 時間は9時半。
 に連絡せなあかんし、それに明日学校あるし。
「えー、ノリオくん良い声してるし、歌ききたーい!」
 ちょいと酒の回った多田さんは、これまたしつこい。
「ノリオ、門限て、お前女の子かよ!」
「いや、マジ、あかんのですわ。先輩、また是非誘ってくださいよ。多田さん、今度テニスのダブルスしましょや、ほな!」
 さすがにこれ以上はつきあってられんので、俺は二人の腕を振り切って駅へ走った。
 改札を通ってほうっと一息ついて、急いで携帯を取り出す。
 ジャンピンジャックフラッシュ。
 光の速さで、B-FLAT、即レス。
 、きっとジリジリしながら待ってたんやろな。

『無事終ったで』

『おつかれ。楽しかった?』

 冷静なメールやけど、こいつ、どんな顔してんのかなあ。

『看護師さんて、きれいやけど、みんなオカンみたいで疲れたわ』

『ふーん。ま、よかったじゃない』

『ちゃんと仕事してきたで。病棟の看護師さんたちは、やっぱり例の手術の頃、の親父さんは、肝移植や膵臓の手術の患者さんで手一杯やった言うとった。皆、言えへんだけで、が考えてるんと同じ事思ってるみたいやで』

『うん、でも結局西野先生が恐いから、誰も言えないんでしょ』

『みたいやな。で、当時に親父さんが担当してた患者さんの名前とか、ちらりと聞いてきた。そのデータをそろえることができたら、当時の親父さんのスケジュールの客観的データになると思うねんけど。、どうやったらええと思う?』

『名前がわかったの?』

『苗字だけやけどな。治療時期と、どこの部位の病気かと、名前がわかったら結構しぼれるやろ。 どうやったら調べられる?』

『うーん、そりゃやっぱりそういうのって病歴室とかに行くしかないと思う』

『病歴室?』

『ほら、カルテだとか昔の治療記録を保管しておくとこ』

『でもそないなとこ、当然関係者じゃないと入れないし記録かて見られへんやろ。そんなもん、相当厳重にしてるやろうし』

『そうなんだよねー』

 そういった情報へのアクセスとなると、病棟にしのびこんだり医学生のふりして合コンにもぐりこむのとはわけが違う。
 俺はため息をついて、ポケットに手をつっこんだ。
 ふと手にあたる、固いもの。
 それは斎藤ノリオのIDカードだった。
 そういや返してくるん忘れとったわ。俺はそれをポケットから取り出して眺めた。
 何気なくくるりとカードを裏返すと、俺は目を丸くした。
 どうやら斎藤ノリオは相当ぼんやりした奴のようだ。
 カードの裏にマジックで、ID番号とパスワードが書いてあるじゃないか。

、もしかしたらなんとかなるかもしれんわ』

『え?』

『病歴室への侵入』

 俺は手品師のように、そのカードを指先でクルクルと回し、眼鏡のブリッジを持ち上げてにやっと笑った。

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2008.9.18

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