● ジャンピン・ジャック・フラッシュ(4)  ●

 そもそも大学や病院なんてのは、どれだけ厳重に管理してもいろんな奴が出入りすることを止めることは難しい。
 それだけに犯罪も多いわけで。
 俺はK大学病院の中に入るとまずは地下に降りた。
 夕方の大学病院は面会者や学生でそれなりににぎやかだ。
 以前親父の職場に行ったことがあるけど、学生控え室なんかは大概地階にあるもんだ。うろうろしていると、それらしき出入り口を発見。しばらく足を止めていると、案の定中から学生が出てきた。
 俺はなんでもない顔をして、すれちがいに中に入る。
 IDカードでのロックがかかってる扉だが、人が多い環境ではちょろいもんだ。
 雑然とした男子更衣室をうろつくと、あったあった。
 だらしなく脱ぎっぱなしの白衣。
 当然俺が探しているのは白衣ではない。
 そのポケットにぶら下がっている、IDカードだ。
 おあつらえむけに、眼鏡をかけた面長の男の写真。
 こういうのは写真と本人はあんまり一致しないもんだから、極端な話、男でさえあればOK。
 俺はそれを拝借して、自分が持ってきた白衣のポケットにパチンとぶらさげた。
 ちょいと借りまっせ。帰りには返すからな。
 俺は髪をうしろでひとつにくくり、親父の白衣をひっかけて大学病院内を歩いた。案の定、俺を怪しむような者などいない。俺は大人っぽく見られる方だから、ちょうどまったく使いもんにならん医学部の1年くらいに見えることだろう。
 の親父さんの所属をもう一度確認する。
 K大学病院第二外科、病棟は西9階。
 これはネットでも確認ずみだ。
 俺はとりあえず、9階の病棟まで上がってみた。
 何か明確な目的があるというわけではないが、まずは親父さんが勤務していた現場に行ってみるのが先決だろう。
 エレベーターで9階に上がると、ホールでは患者さんたちが談笑していたりして、俺を見てはお年寄りの人なんかがちょいと頭を下げてくれる。
 あ、ばあちゃん、俺、白衣着とるけど中学生やしそんな頭下げてくれんでええのに。
 ちょっと申し訳ない気分になる。
 病棟に向かおうとすると、ふと『先生』という言葉が耳に入った。
 エレベーター待ちの患者さん同士が話しているのだ。
 俺は、一緒にエレベーター待ちをするふりをして足を止めた。
先生、どうなっちゃうのかしらねぇ」
 50代くらいのふくよかな女の人が心配そうにため息をつく。
「ほんと、私の主治医、先生だからほっとしてたのに、新しい先生にかわっちゃって。ぜひに先生にお任せしようと思って予定を立てて入院してきたのに」
 もうひとりの同年代の女の人も同じくため息をつきながら言う。
「西野先生は、ご安心をって言うけれど、あの先生なんだかちょっと怖いのよね。だから、『これでいいですよね』って言われると、ついハイハイって言っちゃう」
 一人が苦笑いをしながら言うと、もう一人がそうなのよねーと同意をする。
 なるほどね、の親父さんはなかなかに信頼の厚い医師のようだ。
 俺はその場を後にして、病棟に向かった。
 すると、いきなりポンッと背中をたたかれる。
 俺は口から心臓が飛び出そうになって振り返った。
「なあ、お前、1年?」
 声をかけてきたのは俺と同じように、ちょっと着慣れない感じで白衣をひっかけた若い男。ポケットからぶら下げているIDカードをちらりと見ると、医学部学生。年齢的に見て、最高学年での病棟実習中といったところか。
 長身で体格の良い、日焼けをした気の良さそうな奴だった。
「ああ、はい、そうです」
 俺はヒヤヒヤしながら答えた。
 確かに、1回生で病棟をうろうろするっていうのはちょいと無理がある。怪しまれたか?
「今日、バイトとか入ってるか?」
 けど、奴が尋ねてきたのはそんな事。
「は? いや、なんもありませんけど」
 俺はとっさに答える。
 奴は俺をじろじろと見て、そして正面から俺の肩をポンポンとたたいた。
「なあ、突然で悪いけどさ、今日合コンに来ねえ? ここの看護師さんたちと合コンをセッティングしたんだけど、どうしても男が一人来れなくなっちまって。俺たちの学年結構忙しいから、なかなかメンツがあつまんねーんだわ。で、ちょうど後輩をさがしてたトコ。お前ならそこそこ女受けもよさそうだし、メンツにぴったりだからさ」
 はあ!? 合コン!?
 俺はすっかりスパイの潜入気取りでいたものだから、急に降ってわいた合コン話に頭がついていけない。
 ここだけを切り取って言うならば、ナースとの合コン、めっさウェルカムやねんけどな。でも、俺、今、任務中やし。
 いや、待てよ。
 ここの看護師さん言うたな、こいつ、今。
 っていうことは、医師と西野のことを調べる、絶好の情報収集の場になるんちゃうか?
「あ、はい、かまいませんよ。俺でよかったら。お目当ておったら、協力しますんで何でも言うてください、先輩」
 俺はすっかり『使える後輩』になりきってやった。
 すると、そいつは満面の笑みをたたえて俺の両肩をつかんだ。
「よし、頼んだぜ、ノリオ! 当然おごるからな!」
 なんや? ノリオって?
 俺はちらりと自分が持ってきたIDカードを見た。
 斉藤ノリオっちゅうのが、カードの持ち主の名前のようだ。
 なんや、さえへん名前やなー。
 ま、すぐに忘れられそうな名前でおあつらえむきやけど。

 その声をかけてきた先輩は、小野という名前で、合コンの場所と時間を俺に伝えると忙しそうに走って行った。まじで実習をする学年いうたらいそがしいんやろな。そんなに忙しくても合コンするいう情熱に頭が下がるわ。
 俺は合コン場所に行く前に、ひとまず病棟を一通り下見してまわった。
 その病棟は、消化器外科と循環器外科の混合病棟のようだった。
 廊下を歩いて、病室の具合を見て回る。病室は満杯のようで、確かに忙しそうなとこやな。ナースステーションでも、医師も看護師もあわただしく動き回っていた。
 ま、裏を返せば、こうやって忍び込んでも誰も気にせえへんちゅうこっちゃ。
 今日のところはこれくらいにしとくか、と時間を確認してその場を去ろうとすると、ふと、ある個室の名札が目についた。
 彪吾
 の弟、心臓が悪い言うてたな。
 多分、まちがいなくその扉の奥におるんが、の弟なんやろう。
 どこよりも清潔で安全にかこわれた、人質。
 父親がとらわれて、姉ちゃんも精神科病棟に閉じ込められて、どんな気持ちでおるんやろな。
 俺は数秒間その扉の前に立ち止まった後、白衣のすそを翻してエレベーターホールに向かった。
 とにかく、俺は合コンに行かなあかんからな。
 


 白衣を脱いで、指定された店に向かいながら俺は携帯電話を取り出した。
 とりあえずに中間報告をしておかんと。
 俺が例の呼びかけのメールを出すと、間もなくしてB-FLATが返ってきた。ひとまずは無事に携帯を手にしているようだ。

『元気にやっとるか?』

 いちおうこいつ、病院におるんやしな、とそんな前置き。

『元気に決まってるじゃん。病気でもなんでもないんだからさ。もう、退屈で死にそうなのよ。外に出られないしさ』

 返ってきたメールは、元気いっぱいの女子中学生といった風で、俺はやけにほっとして、思わず口元がほころぶ。

『こっちの首尾はまずまずやで。今日はK大学病院に潜入したったわ』

『えー! マジ! ユーシ、無理無理なんて言ってたくせにノリノリじゃん!』

 って、自分がやらせてんねやろ!

『まず現場に来てみな話にならんやろ。そんでな、今日これから医学部の学生と西9階の看護師さんとで合コンやねんけどな、白衣着て学生のふりしとったら、偶然俺も誘われてもてん。ラッキーやろ』

 どうや、この有能な探偵っぷりは、と俺が得意げにメールを送ると、次の返事が来るまでには結構の時間がかかった。

『ふーん、あそこの病棟の看護師さん美人ばっかりだし、そりゃラッキーだったねー、ユーシ』

 なんやなんや、もっと『でかした!』とか褒めたたえてくれよ!
 一日目の仕事の成果でこれなんやで?

『いや、ラッキーってそこにかかるんとちゃうやろ。肝心の病棟の関係者と堂々と接近して話できるんやで。二年前の話とか聞けるやん』

『ああ、まあそうだね。ユーシ、ナースとの合コンで浮かれてんのかと思った』

『あほか。そりゃこんな用事がなくて合コンやったら嬉しいかもしらんけど、俺今忙しいねんし、浮かれる余裕なんかあるか』

『でも、嬉しいことは嬉しいんだ』

 やけにからんでくるなあ、こいつ。

『なんや、、お前、妬いてんのか? 俺が合コン行くからって』

 そう送ると、ちょっとしてから、怒りの顔文字入りのメールが返ってきた。

『妬くとか、そんなわけないじゃん! ユーシ、自意識過剰! なんか、合コンで浮かれてるなーって思っただけ! それにしてもユーシ、大学生のふりしてナースと合コンって、そんなに老けて見えるわけ?』

 そんなメールを見て、俺は思わず笑ってしまう。
 ほんま、今、こいつどんな顔してメール打ってんねやろ。
 昨日はあんな必死なメールを送ってきたり、あんな難しいファイルをまとめてたり、冷静に合い言葉決めをしたり、女スパイみたいやったくせに。
でも今はなんかこんなふてくされたアホな女みたいやし。ま、中学生の女の子やもんな、こいつかて。

『老けてるて、しっつれいやなー。ま、俺は大人っぽく見られる方や、結構な』

『ふーん、どんな風なの、ユーシって』

『俺? そうやな、背は178でテニス部で、肩にかかるくらいのちょい長めの髪に、おしゃれな丸めがねのイケメンやで』

 返ってきたのは爆笑の絵文字。

『どう考えても、ジョン・レノンしか思い浮かばないんだけど!』

『俺、あないに顔デカないわ! イケメンいうてるやろ! ま、とりあえず情報収集して来るからな、10時前には報告の連絡をするわ』

『わかった。もし連絡がなかったら、お持ち帰りで更なる情報収集にお励みだってことね』

『あほか、ジェイムズ・ボンドじゃあるまいし』

 それだけ打って携帯をしまおうとすると、もう一度着信を知らせる振動。

『ユーシ、いろいろありがとう。気をつけてね』

 まかせとけや、ハニー。なんてふざけて送ろうかとしたけれど、それはやめておいた。

Next
2008.9.17

-Powered by HTML DWARF-