● ジャンピン・ジャック・フラッシュ(3)  ●

 学校に着いて教室に入ると、落ち着いてから俺は携帯を取り出した。
 自分のいつもの日常におさまると、どうにも現実離れしたのメール。受信ボックスを開いてもう一度読み返した。
 そして、軽く深呼吸をしてからのアドレスに、例のメールを送る。
 標題が『ジャンピンジャックフラッシュ』で、本文なしの奴だ。
 送信をした後、俺はちょっとドキドキする。
 合い言葉なんて映画や漫画じゃあるまいし、冗談みたいだ。
 もしかして、誰かが宮女のコを語って俺をからかってるとかだったりしてな。
 メールはすぐに返ってきた。
 もちろん、内容は『B-FLAT』。

『例の事件、一番の責任者は西野やっていうこと、まずいうところから情報を集めていけばええんや? 俺、さっぱりわからへんねんけど』

 俺はさしあたっての疑問を書いて送る。
 の返事はこうだった。
 当時のことを整理すると、先のの説明のように亡くなった人が受けた術式を勧めたのは西野医師であり、かつ術後管理も同じく西野医師が行っていた。が、名目上は西野医師は主治医とはなっておらず、主治医には他の担当医の名前を冠していた。それがの親父さん、医師。の親父さんは、術式には反対していたが、どうしてもそれを進めたい西野医師が、実務は自分が行うからと執刀し、術後管理についても実際には全部西野医師がやっていたという。つまり、西野は医師を名前だけの主治医にしたて、実際の医療行為は自分が行っていたというわけ。この頃、の親父さんはものすごく忙しかったらしく、西野が看ている患者を気にしながらも、他の手術や検査を山ほど任されていたらしい。というのは、母親のいない中、お手伝いさんと一緒に家を切り盛りするが、病院まで父に着替えやなんかを届けに行く際、時々父からそんな状況を耳にしていたのだと。
 俺はしばし考えた。

『なあ、例えばな、その亡くなった人の手術の後の、の親父さんと西野の具体的なスケジュールを証明する資料がそろったら、なんとかならへんやろか』

『んん? どういうこと?』

『つまりやな、今のところ主治医だったっていうことで名前があるからの親父さんがやり玉に上がってるわけやろ? ま、主治医やねんから当然のことやろうけど。問題は、実際にやっていたのは西野やっちゅうことなわけやん。手術が終わった時期に、どんなスケジュールで親父さんが他の患者さんの手術や検査に入ってたかがわかって、その亡くなった人の術後管理には関わることができなかったはずやって明らかになったら、そうなるとじゃあ実際にやっていたのは誰かっちゅう話になるやろ』

 は考え込んでいるのか、しばらく返事がなかった。
 ああ、こんな時、実際に目の前に彼女がいて作戦会議を開けるとええんやけどな。
 は一体どんな女の子なんだろう。
 今、どんな顔で考え込んでるんやろな。

『つまり、事実を外枠から明確にしていくってわけね。理にはかなってるけど、すっごく大変だと思う。だって、今お父さんと連絡取れないし、当時にお父さんが担当していた患者って言ってもわかんないよ……』

『親父さんが担当してたグループっちゅうか、そういうのやったらわかるやろ? 例えば、ウチの親父は循環器外科やねんけど、そういう範囲でしぼりこめんか?』

『ユーシのお父さんってお医者さんなの?』

『そうや。ああ、言うてへんかったな』

 すると、びっくり顔の絵文字が送られてきた。

『ええと、うちのお父さんは、確か、肝臓とか膵臓とか、よくそんな話をしてた』

『なるほど、その辺りの分野やな』

『それだけの手がかりで何かわかるの?』

 きっとは今頃不安そうな顔をしてるんやろな。

『さあな、わかるかどうかわからん。けど、それでなんとかなるか、ちょっと一日考えてみるわ。じゃあ、もうすぐ授業やから、またな』

 俺は時間を確認すると、あわてて教科書を鞄から出した。

「侑士!」

 すると聞き慣れた声が教室に響き渡る。
 岳人だった。
「なんや、岳人。こんなとこにおらんと自分の教室行けや、授業遅れんで」
「なんだよ侑士、つめてーじゃん。なんか熱心にメールしてたなー。女?」
「まあ、女っちゃあ、女やけど」
 ま、相当手の込んだネカマでもないかぎりはな。
「どーせ、また他の男との恋の相談だろ」
 ちっ、こいつ痛いとこついてきよる。けど、今回は違うねんな。かといって、ロマンスのかけらもない内容であるには違いないけど。
「で、なんやねん岳人。忘れもんでもしたんか? 英語の辞書か? 歴史年表か?」
「違う違う、聞いてくれよ、昨日もうちの親父ってばすっげー腹たつんだぜ。くそくそ、よっぽど家を飛び出して侑士ん家に行こうかと思ったんだけどよ」
 こいつ、いったいいくつまで親父と喧嘩を続けんねやろな。
 大げんかのたびに家出してウチに泊りに来るからたまったもんじゃない。
 うちのオカンや姉ちゃんは、可愛いからってこいつを結構気に入っとるし、よけい始末が悪い。
 ひとしきり親父の愚痴をきかされた後、ああ、と思い出したように奴は言った。
「そういえば、侑士、昨日変なやつのこと聞いてきただろ? なんだっけ……なんとかジャックって……」
「ジャンピンジャックフラッシュ」
「そう、それ! ダンス仲間に聞いたんだけどよ!」
 おっ、さすが岳人、何か有力な手がかりをつかんできたんか? 俺は思わず身を乗り出した。
「有名な曲だってさ! ローリングストーンズの!」
 得意げに言う岳人に、俺は思わずため息をついた。
「……あのな、がっくん、それはわかってんねん。だからな、ここいらでその曲名を通り名にした奴ってのがおらへんかっちゅう話なわけや」
「ああなんだ、それならそうと言ってくれよ。なんか聞いたことあんなーとは思ったんだ」
 そんな事を言いながら、予鈴を耳にした岳人はぴょんぴょん飛び跳ねながら教室を出て行った。
 だめだ、こりゃ。
 だいたい、ウチの学校みたいなええしのボンばっかとこでは、街の噂なんて知ってる奴は少ない。岳人はまだよく街をうろつく方だから、何か情報をひっかけてくるかと思ったんだが。
 
 二時間目はサテライト教室に移動で、俺はテキストを持って廊下に出た。すると、ちょうど移動教室から帰って来る跡部とすれ違った。
「なあ、跡部」
 愛想なく通り過ぎようとする奴を、俺は呼び止めた。
「昨日俺がメールしたあれ、ジャンピン・ジャック・フラッシュ。何か知らへんか?」
 すると跡部は、うるさそうに振り返る。
「あーん? これだろ?」
 そして鼻歌で唄うのは、ストーンズのあの曲。
 あかん、岳人と同じレベルや。
「ああ……知らんのやったらええけど、まあ、何かわかったら教えてくれや」
 俺が言うと跡部は鼻歌を唄ったまま廊下を歩いて行った。
 あいつ完璧主義な上に音楽にはうるさいから、一度くちずさみはじめたら、どんな曲でもフルコーラス全部やらんと気がすまんつうのが、周りとしてはちょと迷惑やねんな。
 夏の間は、誰かがうっかり鼻歌でうたったポニョの歌を耳にしては、跡部もつられてフンフンと唄い出し、毎回フルコーラス唄いきるからごっつ鬱陶しかったわ。間奏もきっちり自分でいれんねんで。それで部員の皆も耳についてしもて、うっかりまた誰かが鼻歌で唄い、そして跡部が……のエンドレス。ほんま、かなんわ。もうポニョはお腹いっぱいやっちゅうねん。
 あ、いやいや、跡部のポニョはどうでもええ。
 ジャンピンジャックフラッシュの手がかりが難しいとなったら、とにかく俺がと協力してなんとかせなあかんわけで、まずは二年前の親父さんの病院での軌跡をどうやってたどるかを考えなければ。
 ま、こういうことは、考えても答えが出るはずもないのは十分承知なので、この日学校が終わると、俺は急いで家に帰り、親父の部屋から長白衣を持ち出して地下鉄に乗った。
 何をするかって?
 まずはK大学病院への潜入に決まってるやろ。

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2008.9.16

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