● ジャンピン・ジャック・フラッシュ(2)  ●

 その後も、何度かメールをその『』という奴に送ってみたが、22時をすぎるとぱったり返信がなくなった。
 どういう事情かわからないが、夜10時以降は携帯が使えないようだ。
 俺はPCに向かい、閉じずにおいてあったタブを開く。
 のメールにあったURLのファイルだ。
 レンタルのサーバーに上げて、パスワードでプロテクトをかけてあるページ。
 その中に、『To Jack』というファイルがあった。
 それを開いて、俺はの『依頼内容』をなんとなく理解した。

 ファイルの概要は、さっきちらりと見た通り、東京のK大学病院での医療訴訟に関する内容だ。2年前にその病院で胃がんの手術をして亡くなったちゅう人の遺族が医師を訴訟してどうたらこうたら、という最近ではよく耳にする内容の出来事。ウチは父親が大学病院に勤める医者だから、俺も自然とそういうニュースというのはそれなりに興味を持って見てはいる。詳しいっちゅうほどではないけどな。
 ちなみにくだんの事件では、訴訟に至ったのがこの夏で、訴訟で上がっている医師はという。つまり、おそらくはの関係者だ(って名前が本名だとしたらっちゅう話やけど)。
 がジャックにあてたと思われる依頼書の最後の方には、次のような内容が書いてあった。
 つまり、現在係争中の医師には本件における責任はなくて、本来の責任の所在は現K大学病院の病院長である西野という医師であり起訴されるべきはその医師であることを証明してほしい。
 そういう事だ。
 俺は机に置いた眼鏡をもう一度かけて、髪をかきまわした。 
 あほか。
 一介の中学生に、そないな探偵みたいなマネできるわけないやろ。
 本物のジャックを探して丸投げした方が早い。
 俺は携帯を取り出して、何人かの知り合いにメールを出した。

 ジャンピングジャックフラッシュって奴を探してる。
 噂でもいいから知ってたら教えてほしい。
 多分、ストリートのなんでも屋みたいな奴。

 そんな内容。
 うちの部の奴なら、ストリートの事にはちょいと詳しい岳人、そしてあらゆる情報網にたけている頼みの綱の跡部。
 奴らから、何かめぼしい情報が得られるといいんだが。
 俺は今日何度目かのため息をついて、立ち上がると階下に降りた。
 気分転換に風呂にでも入ろう。
 着替えを持って降りると、親父が帰ってきて飯を食っているところだった。
 珍しく早い。
 俺は風呂場に向かう前に、親父の向かいの椅子に腰掛けた。
「なあ、K大学病院の医療訴訟って、新聞に載ってるやん」
 前置きもなしに話しかけるけど、親父はさして驚くこともなかった。
「ああ、胃がんの手術のやつだろ」
 そして、言ってから少し表情を曇らせた。
先生は一緒に仕事したことはないが、学会で何度か会ってる。誠実で真面目な外科医なんだがな」
「ふーん、父さんと同期くらいなん?」
「向こうがちょっと上だ。お子さんが二人で、たしかお前と同い年の娘さんと、あともう少し小さい息子さんは入院中だとか。奥さんに先立たれて、男手一人で育てて来られたらしいから、きっと今大変だろう。もうすぐ裁判だっていうしな」
 親父は気の毒そうに言う。
 親父も大学病院勤務で、かなりの激務だから他人事じゃないだろうな。
 俺は、ふーん、そっか、なんて言って、ちょっとした世間話のついでだといった風にそのままさりげなく風呂場へ行った。

 湯船の中で、古い昭和歌謡をくちずさみながら俺は頭の中を整理した。
 っていうのは、医師の娘だろうか。
 さきほどまで、ぼんやりとしていたメールの送り主のイメージを、中三の女の子にしっかりと設定しなおす。
 が依頼したい事っていうのはだいたいわかったが、どうしてそれなりにしかるべき筋に頼まないのか。
 自分の父親の知り合いの医師なり、看護師なり。また、知り合いの大人なり。
 一体どうして、ジャックなんて怪しげなやつに頼む?
 そのあげく、間違いメールを送った俺になんて。
 困っているだろうことはわかるが、現実離れしすぎだ。
 明日、メールするって言ってたな。
 その時に改めて、ちゃんとしたところに頼めと返事をしよう。
 俺が頭をつっこむようなことじゃない。



 翌朝、俺は携帯の振動音で目が覚めた。
 ちなみに俺は携帯の着信音って好きじゃないから、たいがいいつもマナーモードにしている。
 ベッドの中で体を起こし、画面を見るとのアドレスからだった。
 サブジェクトは昨日と同じく、ジャンピンジャックフラッシュ。本文なし。
 俺はとりあえず、B-FLATと返すと、すぐに次のメールが来た。

『おはよう、昨日はごめんなさい。そういえば聞いてなかったけれど、ジャックじゃないあなたは、なんていう名前なの?』

 俺はちょっと迷ったけれど、『忍足侑士』と自分の名前を打って送った。もちろん、オシタリユーシっていうよみがなもつけてな。読めん奴けっこうおるから。

『変わった名前だね。変換めんどくさいからユーシでいい?』

『べつに、ええよ』

『そうだ、ユーシってどこに住んでるの?』

『東京やで』

『ああ、そうなんだ、よかった。なんかメールの文章が関西弁っぽいから、もしかして大阪とかなのかなーって心配になっちゃった。大阪だったらちょっと協力してもらうの難しいもんね』

 しもた! 家、大阪やねんて言うとけばよかった。
 俺は次にはちょっと長いメールを送った。
 つまり、自分が困ってるちゅうことや頼みたいことはわかったけど、俺には無理。しかるべき大人に頼んで助けてもらってくれ、と。
 次の返事はなかなか来なかった。
 俺はその間に着替えを済ませて、学校への持ち物を用意する。
 朝飯でも食いに降りようかと思っていると、携帯が震えた。

『無理。助けてくれる人は誰もいない。私は今、精神科の病棟に入れられちゃってる。弟は病気で入院中』
 精神科ぁ!? こいつ、ヤバいやつやったんか!?
 とっさの俺のそんな考えを読み取ったか、からはすぐに次のメールが来た。
 つまり彼女の置かれている状況ってのは、こういうことらしい。
 父親が訴訟事件にまきこまれていると知ったは、すぐに病院に乗り込んで、西野病院長と直談判をしたらしい。が言うには、原告側の亡くなった人の治療に関わっていたのは実際には医師ではなく、西野医師であり、死亡の原因となった新しい術式を強引に進めたのは西野医師だとのこと。
 がまずったのは、逆上したあまり乗り込んだ先でかなりわめきちらし、周囲の制止をきかなかったということだ。
 その時には医師は警察に出頭して出て来ることができず、結局『自傷・他害の恐れがあり、精神的錯乱が激しい』とのことで、は措置的に入院させられてしまった。
 そして、それが西野医師の手でもあったことにはすぐに気づいた。
 先天的な心臓の疾患で入院をしている弟に、そして姉の
 二人の子供が、西野医師が牛耳る病院に入院している。
 つまり、医師にとっては人質をとられているも同然で、西野医師に不利な情報を集めることがかなわない。
 は父親が取り調べを受けることによる『精神的錯乱』のレッテルを貼られ、誰に訴えかけてもまともにとりあってもらえない。
 そして今は病棟のルールで、夜間は携帯電話が病棟に預かられているということらしい。
 で、学校の友達に頼んで、なんとか探し出してもらった頼みの綱が、謎のジャンピンジャックフラッシュというわけだ。
 彼女が聞いた噂では、気分屋ではあるが交渉と依頼主の状況次第では様々なトラブルに対処してくれる何でも屋なんだと。
 その噂の伝達の段階でちょっとしたミスがあったのか、SOSのメールは俺のところに届いてしまったわけだが。

 俺は朝飯を食いながら彼女のメールを読み、またため息をついた。
 確かに、にっちもさっちも行かない状況のようだ。
 ローテンションなままいってきまーす、と家を出て歩き出す。
 まったく、まぎらわしいアドレスを使わんといてくれよな、ジャックとやら。
 俺は歩きながら携帯のボタンを操作した。

『しゃーないな。俺でできる範囲のことやったら手伝うけど、きっと何もでけへんで。俺、ただの中学生やし』

『えー!? ユーシって中学生だったの? なんか落ち着いてるから、大学生くらいかと思った!』

 ま、よく言われるけどな。
 氷帝の3年、と伝えると、次には絵文字をつかったメールが返ってきた。

『そーなんだ、同いだね。私は宮越女子』

 へー、宮女言うたら、ウチの男どもにも結構人気の名門女子やん。

『私がこっから出られたら、オルモでランチおごるから』

 オルモいうんは氷帝の男と宮女の女の子がデートするときによく使う(場所的にちょうど中間にあるから)、イタリアンのカフェだ。なんやこいつ、緊迫してるくせに呑気なこと言うてるなあ。
 そんな事を考えながらも、俺はオルモの心地よいオープンテラスのテーブルを思い浮かべ、くくっと笑った。

『わかった楽しみにしとるわ。で、まだ後でええけど、俺がこれからどうしたらええのんか、ちゃんと一緒に考えてくれよ。頼むで。俺、これから電車やから、しばらくメールでけへんかもしれんけど』

『わかった。また連絡して。あと、そうそう、ひとつだけルールを決めておこう。どっちかがメールでお互いに呼びかける時、呼びかける方がジャンピンジャックフラッシュって送る。そして答える方が、あのパスワードを返す』

『ええけど、なんで』

『だって、私、いつ電話を取り上げられてしまうかわからない。ユーシが私だと思ってメールしてた相手が、悪い奴だったら困る』

『なるほどな、了解』

『じゃあ、また後でね』

 なんだかスパイごっこみたいやな。
 ジャンピンジャックフラッシュにB-FLAT。
 ま、ええか、たまにはこういうのも。
 女の子からの相談が、恋愛問題以外って、初めてかもしれない。

 俺はいつのまにか自分の胸の中の何かが、妙に熱を持っていることに気づいた。

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2008.9.15

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