● ジャンピン・ジャック・フラッシュ(1)  ●

 全国大会と同時に夏が終わり、俺の好きな季節が近づいてきている。
 秋から冬にかけての感じ。
 空気が徐々に冴え渡ってピントが合っていくような、この時期が俺は好きだ。
 部活も引退し(もちろんちょくちょくと顔を出す用事はあるのだが)、ゆっくりと本を読んだり音楽を聴いたり、気になる映画を見に行ったり、残暑の季節を俺は存分に楽しんでいた。
 さて、部活を引退した三年生が励むことと言えば何だと思う?
 勉強にきまってるって?
 あほやな、自分。
 ウチの学校はいわゆるエスカレーター式やから、そんな必死のパッチで勉強せんでもええ。
 三年生の秋言うたら、あれや。
 恋の季節や。
 クラスメイトたちは、夏休みが終わったと思ったら妙に浮き足立っとる。
 夏の間にお目当ての相手と上手くいったりいかなかったり。
 そんなんで、まったく教室の空気は桃色や。
 俺はどうなのかって?
 俺は、そうやなぁ。
 ま、そんな桃色の空気だらけの教室の、空気清浄機といったところか。



「ねえ、忍足ー!」
 クラスメイトの女の子が昼休みに俺の机にやってきた。
「今日、学食?」
「おう、せやな。これから行くとこやけど」
「一緒に行っていい?」
「ええで」
 そいつは休み前からちょくちょく話す、ちょいときれいな子。
 俺たちはカフェテリアでランチセットを前にテーブルで向き合った。
「で、どやねん。男とは」
「えー、なんでそういう話だってわかるのー?」
「自分がこうやって俺に声かける時って、たいがい男の話やろ」
「まあねー」
 彼女はサラダにドレッシングをかけながら俺をちらりと見た。
「夏休みの間にね、西久保くんとつきあうことになったんだ」
「さよか、よかったやん」
「でね、」
 彼女は声をひそめて続けた。
「夏休みの最後の日のデートで、キスしたんだけどね、二回目のキスがまだなの。どう思う? なんかイマイチだったってこと?」
 俺はふうっとため息をついて、彼女の方に身を寄せささやいた。
「アホやな、自分。男はな、キスでもしようもんならすぐに次のことがしたなんねん。きっとそいつ、次ではもうキメたろ思て、気合い入れすぎて緊張してんねやろ」
 俺がにやっと笑いながら言うと、彼女は目を丸くしてみせる。
「えー、マジ? やだー」
 なんて言っても、まんざらではなさそうな顔。
「男の子ってエッチだね。忍足もそうなわけ? キスしたらすぐにって」
 くすくす笑いながら尋ねてくる。
「さあな。ま、俺はそないにがっついてる方ちゃう、とこの場では言うておくわ」
 俺は笑いながら言って、ローストビーフを一切れ口に放り込んだ。
「忍足はいいよね、落ち着いてるしがっついてないしスマートで、忍足の彼女はすっごく上手に扱ってもらえて幸せそう」
「ま、今はおらんけどな」
「それって、マジ?」
 彼女はフォークを置いて、じっと俺を見た。
「マジ。前から、言うてるやろ」
「だって、忍足ってすごいモテるし、絶対彼女いると思ってたんだよね。みんなそう思ってるよ。忍足がフリーだったら、私、忍足にしとけばよかったなー」

 な?
 
 女はみんなこうやねん。
 俺とちょっと甘い会話をして、でもそれは大概恋の相談になんかなっていって、そんでそのあげく、これや。
 以前は 『いちいち期待させんなや!』 なんて思ったものだけど、今ではなんだか慣れてしまった。
 大概の女は、俺は彼女のいる女慣れしたがっついてない男と思って無防備に近づいてきて仲良くなる。そして俺も、そういう隙をついてモノにしたろ、と思うほどにはなかなか熱くもなれない。だから、こうやってまるで空気清浄機みたいなことばっかりやってる。
 その日も、その彼女ののろけ話ばかりを聞いて昼休みは終わっていった。

 学校帰りの電車で、俺は読みかけの文庫本を閉じ、窓の外を眺める。
 まあ、わかっとる。
 小説に描かれているような、運命的で激しい恋なんて、なかなか現実には転がっていないってことは。
 俺だって、別にそういうことを求めているわけじゃない。
 けど、ある日突然パズーの前にシータが空から降ってきたみたいな、そんな運命的な出会いにも憧れる。
 なんたって俺、まだ15にもならんガキやしな。



 家に帰って飯をすませると俺は自室で本の続きを読み、さっさと課題をすませPCを立ち上げた。ロードショーのスケジュールでもチェックしよう。
 顔を上げると、ふと机に置いてある携帯電話のメール着信のライトが点灯するのが目に入った。
 なんや、もしかするとまた岳人が親父さんと喧嘩して家出でもしたんやろか。
 せやったらまた泊まりに来るんやろな、面倒やな、なんて思いながら携帯を手にしてメールの画面を開くと、それは見慣れないアドレスからのものだった。
 サブジェクトは
『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』
 なんやこれ。
 出会い系の広告メールか?
 俺はそれを開くことをしばしためらったけれど、なにしろ暇だ。
 ボタンを押して本文を開いた。
 中身はこうだった。

『はじめまして、ジャック。あなたのことは友達から聞いた。助けてほしいの。とても急いでる。依頼を聞いてくれる気があるのなら、返事をください。できれば今日の夜10時までに』

 俺は、その意味不明な内容を何度も読み返した。
 誰かの悪戯?
 いや、新手の宣伝メールだろう。
 俺はメール画面を閉じて、PCに向かった。
 しばらく映画のスケジュールや、新作のインプレッションなんかを読みあさってたが、ふと、『ジャンピンジャックフラッシュ』と検索してみる。
 予想どおり、ローリング・ストーンズの曲、W・ゴールドバーグの映画、あとジョジョのスタンド名とか、ひっかかってくるのはそういったものばかり。
 とりあえず、怪しげな出会い系や風俗店はなさそうではある。
 俺はもう一度携帯を手にして、画面を開いた。
 時間は今、21時20分。
 メール差出人のリミットはあと40分といったところか。
 俺はしばし逡巡したのち、返信メールの画面にした。

『B-FLAT』

 それだけを打つと、思い切って送信ボタンを押した。
 ちょっとした出来心だった。
 送信完了の画面が出ると、すぐにメール着信を知らせる画面が点滅。
 俺はぎょっとしてしまった。
 一度眼鏡を拭いてからメール画面を開く。

『ありがとう! やっぱりジャックね! 依頼したい内容は、以下のURLに載せてあるからアクセスしてみて』
 おいおい、ちょい待てや!
 俺、ジャックちゃうっちゅうねん。
 そう返そうと思ったが、同時に好奇心が頭をもたげてきたのも事実。
 携帯のメールのURLをPCに打ち込んでみる。
 するとパスワードを入力する画面が出てきた。
 俺は迷わずに
『B-FLAT』
 と入力、すこし考えてから思い切ってENTER。
 出てきたのはいくつものドキュメントで、俺は意外な思いでそれらに目を通した。
 正直なところ、怪しげなサイトへのリンクやどぎついエロ画像でも出て来るんちゃうかと思っていたのだが、そこに標示されたのはK大学病院での医療訴訟に関する最近の新聞記事や各種報道資料等々だった。
 こりゃあ、ちょっとふざけてる場合とちゃうかもしれん。
 俺はあわてて携帯を手にして、返信メールを作った。

『すまん、俺はジャックじゃない。メールアドレス間違えてる』

 それだけを打つと送信ボタンを押した。
 メールはすぐに帰ってきた。

『B-FLATってパスワードを送ってきたじゃない。このパスワードにたどりついて、ジャックのアドレスをゲットするの大変だったんだから! ジャックでしょ?』
 
 俺はため息をついた。
 あんなネタ思い出して使うんじゃなかったな。まさかそれがビンゴだとは思わなかったんだ。
 さっき検索でも上がってたウーピー・ゴールドバーグの古い映画で、『ジャンピンジャックフラッシュ』ってのがある。それに登場するパスワードが『B-FLAT』。ストーンズの曲をヒントに、W・ゴールドバーグがこのパスワードを解読するシーンがなかなか愛嬌があって俺は好きだった。ちなみにB-FLATってのは、ストーンズの『ジャンピンジャックフラッシュ』のキーコードのB♭。
 どうもこのジャック、単純なネタを使うやつのようだ。

『ジャンピンジャックフラッシュにB-FLATは映画ネタ。映画好きなら知ってる奴は珍しくない』

 今度の俺のメールには、しばし返信はなかった。
 時計を見ると10時にあと10分といったところか。
 俺のメールアドレスとジャックというやつのアドレスが似ていて、この送り主は間違えて控えたか何かなんだろう。御愁傷様、なんとか正しいアドレスを確認して、本物のジャックと連絡を取ってくれ。
 そんなことを思いながら、再度PCに向かう。
 ロードショーのスケジュールに戻ろう。
 新しい映画が封切りされる前に、夏の映画でチェックしそこねていたやつも観ておかなければならない。ポニョはいらんけどな。
 携帯の着信のライトがついた。
 俺はため息をつきながら手にする。
 週末の予定決めがさっぱりすすまないじゃないか。

『あなたがジャックじゃないのはわかった。だけど、私には時間がないの。ジャックのページはしょっちゅう移動してるからもうアクセスできない。あなたは頭が良さそうだから、お願い、助けて。明日、またメールする。私の名前は

 って、おい、ジャックじゃなくて俺にか!?
 いや、俺、探偵でもなんでもないし、そないに助けて言われても困るんやけど!
 そんな内容のメールを送ったけれど、返事はなかった。
 時計を見るとすでに夜の10時5分。
 俺は眼鏡を外してそれを机に置き、大きくため息をついた。

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2008.9.14

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