インプリンティング:前編



 男子は『敵』だと思ってた。
 だって、掃除なんかすぐサボるし、日直の仕事だっていつも女子に押し付けるし。
 授業中もいつも騒いでうるさいし。
 だから、小学校からの友達の千恵に彼氏ができたと聞いて、私は心の底から驚いた。
「えーっ、千恵、今岡の事ムカツクってこの前言ってたとこじゃん!」
 ちなみに、その今岡ってのが千恵の彼氏で、私たちと同じクラスの奴。
 校庭の生垣の裏で腰をおろしてお弁当を食べている私と千恵と真由子、同じクラス三人の仲良しの話題はとにかくその件でもちきりだ。
「だからさ、。そういうのは照れ隠しなんだよ」
 恥ずかしそうにパンをかじる千恵の隣で、まあまあ、と真由子が私をなだめるように言った。
「だけどさ!」
 だって、この前まで千恵は、同じ委員の今岡がぜんぜん真面目にやらなくて困るとか、注意したら逆ギレされたとか、そんな風に文句言ってばかりだった。だから、私は千恵を困らせる今岡、いつかブッコロスって思ってた。
「まあ、なんていうかさ。話すと結構いい奴なんだよね。面白いし、割と頼りになるしさ……」
 千恵は恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに笑って言うのだった。
 千恵が幸せそうだというのはわかるけど、私はどうにもわからない。だって、こないだまで宿敵だった相手が、なぜ突然大事な人になるんだろう?
「だけど、もさあ、なんての、その『男子は敵』っての、小学校三年生くらいの発想だよ」
 そんな私の心を読んだように、真由子がパックのオレンジジュースをすすりながら言った。
「えっ、なんで! 男子って、うるさいし不真面目だしさ」
「でも、かわいいとこもあるんだよ」
 千恵も一生懸命言う。
「掃除サボったりのどこがかわいいのか、わかんない! そりゃ、オグリシュンとかフクヤママサハルだったら、かっこいいと思うけど!」
「そこまでいかなくてもさあ、ウチの学校、結構かっこいい子多いよ」
「そんなの、どこにいんのよ!」
 千恵と今岡ついての報告会は、すっかり私をなだめる会になってしまった。
 『男子は敵』って、私たちの共通認識だと思っていたのにどうやらいつのまにか私一人の確固たるポリシーになっていたようだ。



 昼休みが終ると、私は釈然としないような落ち着かない気持ちのままで教室に戻った。
 午後は、ああそうだ、席がえがあるんだ。
 今までは結構前めの席だったから、今度はちょっとのんびりできる後ろの席だといいなあ、なんてぼーっと考えてた。
 新しく割り振られた席に向かうと、千恵と今岡は隣同士の列の前と後ろの席みたいで二人で楽しそうに話しながら移動していた。
 ふーん、やっぱり楽しそうだなあ。男子もあんな風に笑うんだ。
今岡の、千恵に向ける笑顔を見てちょっと意外に思った。
 そんな事を考えながら私も自分の席につく。
 窓際か。悪くない。
 9月になったのにまだまだ暑くて、開け放った窓からはカーテンを躍らせる気持ちの良い風が入ってきていた。
 真由子も、好きな男の子とかいるのかなあ。そんで、つきあったりするんだろうか。
 ずっと一緒にワイワイやってきたのに、いつのまにあの子たち、あんな風になったんだろう。小学校の時からさ、ずっと男子には怒ったり注意したりしててさ。そりゃ、中学になったら同じクラスの女の子は、男子と一緒に遊びに行ったりするような子もいるけど、まあそういうのはちょっと特殊な子たちだと思ってたよ。なのに、どうよ。今じゃ、私が特殊だってわけ?
 釈然としないモヤモヤとした気持ちは、どうにもおさまらない。
 焦ってるとか、そんなんじゃなくて……。

 そんな風にぼーっと考えながら窓の外を見ていたら、ふと私の名を呼ぶ声に気付いた。

「おい、! !」

 私があわてて窓の外から教室に顔を向けると、そこには面白い顔をした男の子がいた。
 いや、勿論名前は知ってる。
 柳沢慎也だ。

「何をボーッとしてるだーね。この前提出した歴史の課題のノート、返却に先生が呼んでたの、聞こえなかっただーね? ほい」

 彼は薄いピンクの私の歴史のノートをポンと放って寄越すと、隣の席に座った。
 どうやら彼が隣になったようだ。
「あ、取ってきてくれたの?」
「おう、どうせ俺のも取りに行くついでだったから」
「……ありがとう」
 私はちょっとびっくりして、ついついじっと彼を見つめながら礼を言った。
 柳沢はそんな私を見て、なんだかすごくおかしそうに面白い顔で笑って自分の机に向かった。
 びっくりしたのは。
 私がうっかりして男子に世話を焼かれちゃうような事が珍しかったのと、実は今まで一度も口を利いたことのなかった柳沢が、まるで私のすごく親しい女の子の友達みたいに驚くくらいにしっくりと話し掛けてきて、それがポカリスウェットを飲んだ時みたいにすうっと馴染んできたから。
 だから、こんなにあっさりと男の子にありがとうなんて言ったの、初めてかもしれない、私。



 千恵に彼氏ができたと聞いたその日の夜は、なんだか眠れなかった。
 モヤモヤとした気持ちがずっと続いてる。
 その気持ちが一体何なのかを、ベッドの中でずっと考えてたんだ。
 千恵が幸せそうなのは嬉しいな、と思う。今岡だって、悪い奴じゃない。
 単純に寂しいのかな、私は。
 今までずっと一緒にお弁当食べてた千恵が、これからは今岡と食べる事だって増えるだろうし、教室を移動する時だって今岡と行くのかもしれない。
 そんな事が寂しいのかもしれない。
 でも、なんだろう、それだけじゃなくて……。
 なんとなくはわかっていたけれど、いつのまにか男の子と恋をしてゆく同級生たち。
 仲の良い友人たちも、そうなってきていたなんて。
 もちろんこれからだって友達なのは確かだけれど、私はまるで自分だけが小学生に戻って下校時間の過ぎた薄暗い校庭の隅っこで一人泣いているような、そんな気持ちになった。
 なんだろう、こんな、馬鹿みたいな気持ち。



 一晩明けて、私はすっかり昨夜の妙に乙女チックなノスタルジックな気分は放り出す事にした。私は私でいいんだ。テレビで観るオグリシュンとかはかっこいいと思うけど、ガキでうるさい同級生の男子なんか、別にいい。私はそういうの、別にいいんだ。
 今日の最初の授業は数学で、私はテキストとノートを机に出して、また窓の外をぼうっと眺めた。
 今まで気にした事もなかったけれど、昨日の千恵と今岡を見てたら、私以外のクラス中の男女は皆すごく仲がいいのかなあっていう気がしてきて、それが何だという訳じゃないけれど今はなんとなくそういうのを見たくなかったのだ。
 窓の外の雲が西から東へと流れるのを見つめていたら、始業のベルが鳴って授業が始まった。
 そして、早速の事だった。
 先生から名前を呼ばれて、はっとノートをめくるまで私は気付かなかったのだ。
 数学の課題が出ていた事。
 昨夜やるつもりでいたのに、すっかり忘れていた!
 当たりそうだっていう事もわかっていたのに!
 あー、バカバカ!
 私ってば、なんてポカをやらかしたんだろう。
 前で板書するように先生に言われて、私は立ってテキストとノートを見比べるけれどそこは当然真っ白。
 だめだ、応用問題だし、今考えても解けそうもない。
 すいません忘れてきましたって言って、ペナルティを覚悟するしかない。
 と、その時、すっと隣から差し出されたノート。
 柳沢だった。
 ちょいと唇をとんがらせて目を細めて、面白い顔。
 彼が先生から見えないように開いて差し出してくれたノートには、私の当てられた問題が丁寧な字で解かれていた。
 私は軽く頭を下げると、さっと前に出て板書して、そして事なきを得た。



「柳沢、ありがとう」
 数学の授業が終ると、私は真っ先に彼に言った。
「あー? 課題か。でも忘れてきたりするんだーね」
 すると彼はなんでもないように言う。
「うん、滅多にないんだけどなぁ」
 私が悔しそうに言うと、柳沢は眉尻を下げてニカっと笑う。
「まあ、数学はたまたま俺が得意だったしいいだーね。はいつも怒ってばかりみたいだから、俺も隣になったら怒られるかなあって思ってたけど、ほっとしただーね」
「えー、私、怒ってばかりいる?」
 思わず私が声を上げると、柳沢は耳の上の髪を借り上げた部分をぽりぽりと掻きながら唇を尖らせてまた笑った。
「ほら、一緒に日直にやる奴とか、と組むと厳しいって言ってたから」
「だって、それはサボろうとしたりするから!」
 私がついムキになって続けると、柳沢ははっと思い出したようにポケットを探った。
「あっ、いけね、また粉々にするトコだった」
 彼があわててポケットから取り出したのは、プレッツェルの小袋。
も、食う?」
 彼はその袋をパリンと開けて、私に差し出した。
「寮で一緒の後輩で裕太って奴がいるんだけどさ、お菓子ばっかり買い込んでるだーね。古くなりそうになって、あわてて俺にもわけてくれるんだけど、ポケットに入れたまま忘れてよく粉々にしちまうんだーね」
 彼は既に何本か折れているプレッツェルを美味しそうにボリボリと頬張った。
 私も一本つまんで口に入れる。
 チーズ風味のプレッツェルだ。香ばしくて美味しい。
 ふーん、男の子も寮でお菓子食べたりするんだ。
 なんて事をちょっと話しながら、私たちは休み時間にポリポリとプレッツェルを食べた。
 柳沢の顔は面白いなあ。
 ヘンな顔っていうんじゃなくて、よく見ると結構整った顔をしてるのに、話すたびにそのふっくらした唇をきゅうっとアヒルみたいにとがらせてみせたり、大げさに眉を動かしたり表情豊かに面白い顔でさらりと面白い事を言う。
 そんな彼の口元や目元を見ているのが面白くて、私はいつのまにか笑いながら彼と話していた。
 柳沢って単に騒がしい奴だと思ってたけど、こんな表情をしてこんな風に話すんだ。
 初めて知った。

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2007.12.25




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