インプリンティング:後編



 そんな具合に柳沢の顔は面白いので、私は授業中だとか、休み時間にお菓子を貰って食べながら話したりだとかの時に柳沢の顔をじろじろと見てしまう。彼は不意に私と目が合っても、なんだよって顔をするわけでもなく、また更に面白い顔で応酬してくれるから。
 柳沢って改めて見ていると、確かにうるさい奴なんだけど本当にクラス中のいろんな人とよく話をするんだなあと分かった。男子とも女子とも。
 そして以前は、私は柳沢が一方的にうるさく話してるんだと思ってたんだけど、そうじゃない。皆が、柳沢に話しかけてくる。そして柳沢がふわりとそれを受け止めて、楽しく話を続ける。
 柳沢は人と話すのが、すごく上手なんだ。
 なんだか私が話しやすいのも納得。



 その日の休み時間、私が化学の課題について柳沢に教えてもらっていると、彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
 顔を上げると、三上さんだった。
 同じクラスの女の子で、目立ってきれいな子。
「柳沢!」
 彼女は小さな紙袋を彼に差し出す。
「CDありがと! ボーナストラックのがすごくよかったよー。これ、すっごく聴きたかったんだけどお小遣いピンチで買えなくてさ、柳沢が持っててよかった。ほんとありがとね!」
 三上さんはピカピカの笑顔を柳沢に向けて、そして、ああこれこれ、ともう一つ何かを差し出した。
「これは、お礼!」
 そう言って、『おにぎりせんべい』の小袋を差し出した。
「ハハハ、俺、こんなお菓子もらってばっかりだーね。どうせお礼だったら、デートでもしてくれた方が嬉しいだーね」
 彼が笑って言うと三上さんは、何言ってんのよバーカ、と笑って手を振って自分の席に戻って行った。
 柳沢は当然のようにその『おにぎりせんべい』の袋を開けて、私に指し出した。
「……柳沢って、よく女の子とデートしたりするの?」
 私は袋に手をつっこんで一枚取り出すと、それをボリボリと食べながら尋ねた。
 彼のああいうやりとりはすごく自然で、なんていうか、すごいなーって思ったから。
「は?」
 すると柳沢はちょっと驚いたような顔をする。
「あー、あんなの、冗談冗談。言うだけで実際には女の子はなかなかデートしてくれないだーね」
 彼はまた大げさに眉をハの字にして、唇をとがらせた。
「へー、そんなもん?」
「そう。だったら、俺とデートしてくれるだーね?」
 くいっと思い切り眉を持ち上げて、目を見開いておどけた顔で言う彼に、私はおにぎりせんべいを頬張ったまま、『バーカ、しないよ』と笑って答えた。
 あれ、私が男の子とこんな話をするなんて。
 これは、私がいつのまにかすごく大人になったって事なの?
 それとも、実は同い年の男子っていうのはもう敵じゃなくて、結構大人だって事?
 私の答えにおかしそうに笑う柳沢の面白い顔を見ながら、私は我ながらちょっと不思議に感じてしまった。
 一体何が不思議なんだろう。
 とりあえず柳沢は不思議だな。
 うるさくって目立つ奴なのに、そこにいるとほっとする。
 私はいつのまにか、体育の時間や掃除の時間や朝礼や、そんな時でも一度は必ず柳沢を目で探すようになった。だって、いつでもなんだか面白い顔をしている彼を見るのは楽しかったし、ああ、あいつがいるなって思うと、それだけでほっとしたから。



「権田ー! 権田!」
 私は掃除当番の相棒を探して教室をうろうろしていた。
 今日の掃除では、ワックスがけをしなければならなくて、私と権田って男の子がワックスを取りに行かなければならないのだ。
「ねえ、ねえ、権田知らない?」
 私が、権田と同じ班の男子に尋ねると、一人があっと思い出したように声を上げた。
「ああ、あいつ斎藤たちと外掃除に行ったぜ」
「ええー、権田は中でワックスがけ担当のはずじゃん!」
 私は叫びながらも、大体の事は想像がついた。
 権田は斎藤たちと仲が良くて、ワックスがけは面倒くさいから外掃除の班に合流して適当に遊んじゃうつもりなんだ。
「もう、ワックス持ってこないといけないんだよ? じゃあ、権田のかわりに同じ班から誰か一緒に来てよ! 一人じゃワックス運べないんだからさ!」
 あー、やっぱり男子は敵だ。
 本当に腹が立つ。
 こう言っても、ワックスなんて持ってくるの面倒くさいから、同じ班の子もなかなか自分が行くって言い出さない。権田の仕事を自分がかぶってやるのがシャクなんだよね、どうせ。
 そう考えながら、私は権田の班の男子たちから目をそらした。そんなつもりはないのに、私の視線はついつい柳沢を探す。
 柳沢はあっという間に私の視界に入ってきて、同時にニッとまたあの面白い顔を私に向けた。
「なになに、、権田に逃げられただーね? しょうがない奴だーね」
 そう言うと、私が手に持っていた3年3組のワックスの引換え書を取って廊下に向かった。私はあわてて彼を追う。
「あれ、柳沢が行ってくれるの?」
「だって、権田が外に行っちまったんだったらしょうがないだーね」
「……ありがと」
 私はちょこちょこと柳沢の後をついて廊下を歩いた。
 ほっとする。
 一人でワックスを運ばなくてよかったっていう事と、一緒に来てくれたのが柳沢だったって事に。
 不思議だなあ。
 席がえをするまで、私、この柳沢と口も利いたことがなかったんだ。
 今じゃあ、柳沢のいない教室というのは、ちょっと想像ができないよ。



 ワックスがけっていうのは本当に面倒くさくて、やっと掃除を終えた後、ピカピカの床に机と椅子を運び込み、私と真由子と千恵はパックのジュースを飲みながら週末の予定をワイワイと話していた。今週末は今岡には部活の用事があってデートがないらしい。
「そうそう、今日は権田がワックスがけサボってさ、ほんっと腹立つよね。斎藤たちと一緒に外でバスケやってたらしいよ」
 私は思い出してついつい愚痴をこぼした。
「あー、そういえばバスケやってたやってた! あいつらホント、しょうがないよねえ!」
 さすがに真由子も声を上げる。
「でも、柳沢がワックス運んでくれてたじゃん」
 同じく教室掃除だった千恵がニヤニヤ笑って言う。
「そう、柳沢が運んでくれたけどさ、あいつ廊下歩いてる間中もずっとうるさくって!」
 私はおなじみの愚痴を言った。
、柳沢とはよく話してるよねえ。結構仲いいじゃん!」
「話すけどさ、あいつ、ほら別に誰とでも仲いいじゃん。でも隣になると、なんかいっつも寮の後輩にもらったっていうお菓子くれるんだよね。だからついつい毎日一緒に食べちゃって、太るっつの」
 これもおなじみの私の愚痴だった。
、最近、柳沢の文句ばっかりじゃん」
 千恵が笑って言う。
「そうそう、千恵が今岡とつきあうようになる前さ、こんな風に今岡の文句ばっかり言ってたの、、覚えてる?」
 真由子がポンと手をたたいて言った。
 私は、千恵が毎日のようにこぼしていた、今岡ムカツクっていう話を思い出した。つい最近の事のはずなのに、すごい昔の事みたい。
「……覚えてるけど、私はあの時の千恵ほどは言ってないよ」
「いーや、おんなじくらい言ってるよー。柳沢柳沢って」
「言ってないよ!」
 私はついついムキになってしまう。
 もしかして最近ちょっと大人になったかもという私は、やっぱり小学生だ。やっぱり私は中三じゃなくて、小学校三年生なんだよ。こういう風にからかわれるの、すっごいヤダ。柳沢だったら、誰とでも話すから、誰もこんな風に言わないと思ってたのに。
「ほんっと、柳沢はそんなんじゃないよ。千恵と今岡みたいなんじゃないって! 柳沢はさ……!」
 私がついつい声を荒げて話していると、真由子と千恵の視線が私からそれているのに気付く。
 私が彼女たちの視線の先に顔を向けると、教室の後ろの扉から柳沢がぽかんと私たちを見ているのだった。
「……オイオイ、俺が何だーね?」
 彼のぽかんとした顔は一瞬で、またいつもの面白い顔になって笑いながら私たちを見て言う。
 私は自分の顔が熱くなって、心臓がドクドクとするのが分かる。
 真由子と千恵も少し戸惑った顔で、私と柳沢を交互に見ていた。
 私はとっさに言った。
「柳沢はさ、面倒見の良いお母さんみたいなモンだって話!」
 私のひっくりかえったような声が教室に響き渡って、そして柳沢は眉をきゅっと上げてからハの字にして、そのふんわりとした唇をきゅうっと尖らせて笑う。
「アハハハ、お母さんか! じゃあ、はヒヨコだーね」
 そして、自分の机の中からひょいとポッキーを取り出した。
「これ、忘れてたんだけど、よかったらお前らで食えよ。お母さんからヒヨコへのプレゼントだーね」
 多分、後輩からもらったんだろうムースポッキーを私たち三人の輪にポンと放ると、彼はピヨピヨピヨとふざけながら、教室を後にした。
 そんなお母さんアヒルみたいな柳沢は、千恵と真由子には多大にウケたようで、彼女たちは大笑いしながらポッキーを平らげた。
 というように、その場は極めて丸く収まったわけだけれど……。
 家に帰って布団に入っても、私は妙な気分のまま。
 そうか、柳沢はお母さんなんだ。
 とっさに出た言葉だけれど、我ながら納得した。
 私が初めて、怒ったりけんか腰じゃなくて楽しく話せる男の子。
 まるで、生まれたてのヒナ鳥が初めてみたお母さん鳥に、ピヨピヨとついてまわるみたいに。
 でも、私にとってお母さんは一人だけど、きっとピヨピヨついてまわる柳沢のヒヨコは一人じゃないんだよね。だって、柳沢お母さんは、クラス中の誰にでも優しいもの。
 柳沢もさ。
 あの時、他の普通の男子みたいにさ、『お母さんって、何言ってんだよ、バカじゃねー』とか怒ればいいのに。そしたら私も、他の男子にするみたいに、『冗談で言ってるだけじゃん、いちいち本気にしないでよねー!』なんて返せたのにさ。



 お母さん鳥とヒヨコの件は、翌朝になっても私の中ですっきりしないまま。
 そんな感じなので、その日はなんだかいつものように柳沢の面白い顔をじっと見たりする事もなく時間は過ぎていった。
お昼休みになって、私が自分の席でお弁当を食べてると隣では柳沢がパンをかじっていた。
 私はやっとちらりと彼の顔を見た。目が合うと、彼はいつものようにニッと笑ってみせる。
「……今日は『裕太のお菓子』なかったんだね」
「毎日あるわけじゃないだーね。、実は楽しみにしてた?」
 そう言いながら、柳沢は口をとがらせてピヨピヨピヨとふざける。
「してないよ! あっ、でも昨日のポッキーはありがと。みんな、美味しいって言ってたよ」
 私は不機嫌そうにしながらも一応お礼を言う。
「どういたしまして。ま、礼を言うくらいなら……たまにはも、なんかくれるだーね」
「ええー、私、お菓子とか持ってくる方じゃないしさー」
 私は自分の手元を見て、お弁当に入っていたゆで卵を丸ごとさしだした。
「じゃ、これあげる」
 彼はきょとんと、その殻つきのゆで卵を手のひらで受け止めて、そして眉を真中に寄せてピヨピヨピヨと言った。
「もう、ピヨピヨはいいじゃん!」
 昨日の件はどうにも恥ずかしくて、私はついついそんな風に言ってしまう。
「……あんまり、男子とフツーに話した事なかったからさ、柳沢は話しやすいよってそんな風に言ってただけ! お母さんみたいっていうのは、そういう事!」
 ほんと、それだけだから。
 私もきっと、そのうち他の男子ともちゃんとフツーに話せるようになるから。
 お母さん、別に、私大丈夫だから。
 そんな風に自分でもワケのわかんない事を考えながら、下をむいてがつがつとお弁当を食べ続けた。
 だってね、もう恥ずかしいから忘れて欲しいよ。
 柳沢は私のあげたゆで卵をコンコンと机の端で叩いて割った。
「……と隣の席になって、初めて話した時……」
 丁寧に殻をむきながら、彼は静かに言った。
「それまで、男子と話すは怒ってるトコしか見たことなかっただーね。でも俺がはじめて口をきいた時は、目を丸くして恥ずかしそうに『ありがとう』って言って、卵から生まれたばかりのヒヨコみたいで可愛かっただーね」
 彼の指できれいに殻をむかれて出てきたのは、当然ヒヨコじゃなくて、ピカピカツルツルのゆで卵。
 私は目を丸くしたまま、彼とゆで卵を見比べた。
は、もう他の親鳥を見ずに、ずっと俺の隣でピヨピヨしてたらいいだーね」
 そう言って笑うと、ぱくりと一口でゆで卵を食べてしまった。
 何、その言い草!
 なんて言いかけたけれど、もしも柳沢が私だけのお母さんになってくれるなら、これからずっと目の前のこの親鳥を見ておっかけてピヨピヨ言ってるのって、なんだかすっごい楽しいかもしれないと思ってしまって、ていうか、現に今、固ゆで卵をのどにつまらせそうになって目を白黒させてる柳沢の顔がものすごく面白くて、私は笑いながらずっと彼を見つめていたのだった。

(了)
「インプリンティング」

2007.12.26




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