● 君はもののふ、僕は姫君(前編)  ●

 例えば、むくつけき戦国武将が可憐な姫君の前に立ち、ひどく恥らいながらその恋心を垣間見せたりしたならば、それはきっと、たまらなく胸を熱くすると思わないかい?
 僕は今、そんな恋をしている。
 もちろん、僕の胸を熱くしているのは、姫君じゃなくて戦国武将なわけだけれど。


 その日の放課後、僕が部室へ行くといつもは賑やかなはずのその場所がやけに静かだった。
 乾が一人、何やら作業をしながら僕を見た。
「おや、不二、菊丸から連絡が行かなかったか? 今日はコート整備で部活は休みだぞ?」
 なるほど、そうだったのか。
「そういえば、先週そんな話があったね、今日になったんだ。ふふ、英二の奴、連絡網忘れてたんだろうな」
 僕は菊丸英二のミスなど大して気にもせず、しばらく乾と話をした後、彼に挨拶をして部室を後にした。
 ふと思い立って教室に足を向ける。
 今ならまだ、彼女がいるだろう。
 僕の愛しい、戦国武将が。
 

 教室に戻ると、彼女……はいつもの仲のよい友人と四人で、楽しそうに机を囲んでいた。
 僕はたいていにこにこしている方だと思うけれど、彼女のそんな様をみるとよりいっそう口元が緩むのを感じる。
 ゆっくり彼女たちの方へ足を向けると、声をかけた。
さん、今、良いかな?」
 僕の声で彼女は振り返る。さん、という呼び名にまだ不慣れな彼女はびくりと恥ずかしそうに、それでも嬉しそうな笑顔で。
「あ、不二くん。うん、今、すごく良い。私が親で連チャンしてる」
 彼女たちは、ポータブルの麻雀ゲームを囲んでいた。
 さんのその返答に、上席にすわっている彼女の友人の早紀さんがあわてて彼女の肩をたたく。
、不二くんはあんたの麻雀の様子を聞いてるんじゃないのよ、今、話がしたいって言ってるの!」
「……あ! ああ、ごめん」
 さんはあわてて、クスクス笑う僕の前に立って一言。
「何?」
 慣れない人が見聞きしたら、彼女は本当に無愛想に見えるかもしれないけれど、僕はぜんぜん気にならない。
「今日、コート整備で部活が休みみたいなんだ。よかったら、一緒に帰らない?」
 僕がそう言うと、彼女は少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに唇をほころばせた。
「そうする。もうすぐ、半チャン終わるから……」
 言いかける彼女に、早紀さんが彼女の鞄を放ってよこした。
「あとは三人でやっとくから、不二くんと帰りなよ、まったく何を言ってるんだか」
「ええっ、でも今私、めちゃめちゃ勝っていた……」
 あとの二人が、洗牌をしながらおかしそうに声を上げて笑う。
 僕もついつい肩をふるわせて笑ってしまう。
 まるで僕が、賭場にいるロクデナシの亭主を連れ戻しに来た、いじらしい女房みたいじゃないか。
 そう、この僕がつきあっている子は、とてもきれいだけれど、ちょっと男前な女の子なのだ。なんだか武士みたいだよね、とずっと前に言い出したのは英二。僕はそれを聞いて、ぴったりだと笑ってしまったものだ。


「調子よく勝ってたんだね? ごめんごめん、何かおごるよ」
 僕が言うと、彼女はあわてたように、大げさに手を振った。
「いや別に、金品を賭けてたわけじゃないし、決して邪魔をされたなんて思っていないから、私。本当に」
「あはは、そんな意味じゃないよ。たまには、何かをご馳走したりしたいからさ」
 僕はまた笑った。
 彼女が僕の事をとても好きだという事は、ちゃんとわかってる。
 彼女は彼氏である僕をとても好きだけれど、友人の事もとても好きで、友人たちにとても義理堅い。そういうところもまるで武将のようで、僕は好きなんだ。
「新しくできたタンタン麺の店が、結構旨かったって後輩が言ってたんだよ。行ってみない?」
「いいよ」
 さんはちょっと嬉しそうに笑った。
 つきあうようになるまで、彼女の笑顔というのはほとんど見たことがなかった。
でもこうして僕に向けられるようになった彼女の笑顔はとても可愛らしくて、僕は見るたびにとても幸せな気持ちになる。
 さて、学校から少し行ったところにできたそのタンタン麺の店は、ちょうどカウンターに二人分の席が空いていて、僕らはすぐに座る事ができた。
 僕は辛めのものを、さんはノーマルのものを頼んで、カウンターで待つ。
 店内には芝麻醤の良い香りが漂っていた。
 普通、女の子が学校帰りに寄ったりするには、ちょっとした甘いものをつまむカフェみたいなのが好きなのだと思っていたけれど、それだけではないらしい。彼女が言うには、女友達と、場合によってはまずガッツリと何か食べ、それからコーヒーショップへ行き、本腰を入れてしゃべったりするものなのだと。まあ、僕に言わせれば、このさんだけではなく、彼女の友人たちもちょっと変った女の子たちだと思うので、それが女の子の標準的なものかどうかはわからないけれどね。
 ともかくさんは見かけによらず、なんでも美味しそうによく食べるから、一緒に何かを食べに来るのはとても楽しいんだ。
 僕らが、何をしゃべるでもなく待っている間に、タンタン麺が二つ、カウンターに置かれた。
 僕は箸を取って手のひらに置き、はい、と彼女に差し出した。
 さんは、ありがとうと礼を言うと、そうっと箸を手に取った。
 注意深く、僕の手に触れる事ないように。
 そう、僕はいまだ、彼女の手に触れた事がない。
 さんの指は細くて長くて、とてもきれいだ。
 僕はその事を、英二が彼女を「きれいな人だけど、ぶっきらぼうで武士みたいで、面白い」なんて評する前から、知っていた。
 僕が彼女の好きなところは沢山あるけれど、このきれいな指は、とても好きな部分のひとつなのだ。
 さんは僕から箸を受け取ると、それを二つに割り、そして麺をはさむとふぅふぅと吹いて、少々熱そうにすすった。彼女の箸の持ち方は美しくて、いつも僕は見とれてしまう。
「……美味しいよ、不二くん」
 スープをすすって、彼女は言った。
「うん」
 言って、僕もスープを口にした。確かに芝麻醤が自家製で自慢なだけあって、なかなか旨い。
 麺をすすりながら僕は、実に美味しそうにタンタン麺を食すさんを、幸せな気分でちらちらと見る。
 彼女のこのきれいな指を僕がリードしてこの手に絡め取るの事は、おそらく容易い。
 きっと彼女は嫌がったりしない。それは分かる。
 けれど今のところ、僕がちょっと仕向けたくらいでは、彼女は僕と手を触れようとはしない。
 何しろ、戦国武将だからね。とても照れ屋のようなんだ。
 僕はというと、やはり男だし、もちろん彼女のこのきれいな指に自分のそれを絡ませることは切望している。唇でその感触を確かめたいとも思う。
 でも、僕は気の長い男なんだ。
 簡単に、僕から彼女の手に触れたんじゃ、面白くない。
 この、硬派な戦国武将のような彼女自身から、その指を僕に絡ませてきたとしたら、それはきっとたまらなくドキドキして、僕の胸を熱くさせると思うんだ。
 僕はここのところ、どうやってそれを実現させるかという、わくわくするような画策に頭を巡らせているというわけだ。

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2006.4.27

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