● 恋のヘルシンキ宣言(1)  ●

 乾貞治くんて、どんなコ?

 そんな質問があったとしたら、女の子からの答は大体以下のような二つに分かれるだろう。

<その一>
 ぱっと見は悪くないんだけど、なんかキモくてちょっとオタクっぽくて変わってる。頭も良いし面白いし、友達として話す分には楽しいんだけどね。

<その二>
 背が高くて優しくて、眼鏡を外すとすごく美形で、頭が良いだけじゃなくて運動もできて、テニス部でもレギュラー選手なの。よく気が利くし、話題も豊富だしとにかくすっごく素敵な人。

 もちろんこの二通りの回答は五分五分で分布するというわけじゃなくて、大体上が8の下が2、という割合だろうか。
 そしてかく言う私は、二番目の回答の支持者だ。
 残念ながら私の周りには、同様の意見を持つ友人は少ない。
 けれど、私は小さい子供の頃からアイドルグループでもマンガのキャラクターでも、なぜか周りではあまり人気のないポジションを好きになってしまう性質だから、今更たいして気にもならない。
 むしろ、あの素晴らしくかっこいい乾くんを好きなライバルがそんなに沢山はいなさそうな気がして、ほっとするくらいだ。いやいや、それでも油断はできないのだけど。

「ねえ、。乾くんてこの前、またもんのすごいマズい汁作って、テニス部で大ブーイングだったらしいよ。ほんっと変わってるよねぇ」

 とまあ、同じクラスの彼の話題は友人との間ではこんな風に上ることばかり。

「へー、そうなんだー。どんな汁なんだろうねぇ」

 私はそんな感じに適当にごまかしながら相槌を打つ。乾くんの作った汁なら一度くらい飲んでみたい、なんて言おうものならば、私までヘンタイ扱いされてしまうからね。

「なんかね、ザラザラの舌触りの超酸っぱ辛い汁だったんだって! 菊丸くんが言ってた!」

 それは一体どんな味なんだ、と想像もできずに私は笑ってしまう。さすが乾くん、人智を超えたものを作るんだなあ。
 と、その時ちょうどタイムリーに乾くんが教室に入ってきた。

「なんだ、また俺の汁ネタで盛り上がってるのか?」

 ワンパターンだな、と言わんばかりに彼は笑いながら私の少し後ろの自分の席に鞄を置いた。

「だって、どんどん新ネタ情報が入ってくるんだもん」

 私は振り返って笑う。
 そう、彼はとても人当たりが良くて気さくだ。
 私も含めて、ほとんどのクラスメイトと親しく話をする。
だから、私がものすごく乾くんの事を好きだという事を隠しつつも、彼と何気ない風にしゃべるという事はそんなに難しくはないのだ。

「じゃあ最新のネタを提供しよう。汁ばかりじゃ、何だろう? 今日は我がクラスの仲間達に、ボランティアを募ろうかと思ってね」

 彼はそう言うと周りのクラスメイト達に声を掛けた。
 何だろう? と私は耳を傾ける。

「ちょっとした実験をやりたいんだ。咀嚼と脳血流と脈拍についてなんだけどね。来週の関東大会決勝まで、放課後に少しつきあってくれるヤツはいないかな。男女は問わないけれど、できれば運動部のヤツがいい」

 彼のその恐ろしげな申し出に、周りのクラスメイト達はまったく遠慮なく思い切り突っ込んで盛り上がる。
 勿論その、『テニス部員全員から断られた』という彼の実験に付き合おうというクラスメイト有志はいないようだった。

「なんだなんだ、関東大会優勝がかかってるんだぞ? みんな、付き合い悪いなあ」

 乾くんはがっかりしたように周りを見渡す。
 ばーか、お前の実験なんておっかなくて誰がつきあうかよ、なんて周りは思い切り盛り上がったまま始業を迎えた。

 私は教科書を揃えながらドキドキする。
 実験?
 乾くんの実験?
 放課後につきあう?
 これは、どうなの。
 多少のリスク(もしかしたらものすごくマズイ汁を飲まされてお腹をこわす等)を冒しても、チャレンジする価値はあるんじゃないだろうか。
 だって、もうすぐ夏休みに入ってしまう。
 同じクラスになって、ただの時々気軽にしゃべるクラスメイトのままで、三年生の夏休みを迎えてしまう。
 私は昼休みになって、乾くんが一人になる時を見計らった。

「あ、乾くん」

 教室の後ろのロッカーの前で、きわめてさりげなく彼に声をかけた。

「おう、。なんだ?」

 彼は弁当箱をしまうと、穏やかに私を見た。
 
「朝、言ってた実験ね……」

 私がそう言うと、彼は口角を上げてキラリを眼鏡を輝かせた。

「私、記録会も終わって部活も暇だから……ちょっとくらいだったらつきあってもいいけど……」

 他のクラスメイトに聞こえないように、小さな声でさらりと言った。もちろん、ものすごく緊張しながら。

「本当か? は水泳部だったよな? そりゃあ願ったりかなったりだ。早速今日から良いか?」

 彼は嬉しそうに笑って言った。その笑顔は、本当に素敵で私は胸がぎゅううとなった。勇気を出してよかった。

「うん、良いよ。どこでやるの?」
「理科実験室だよ。授業が終わったらジャージに着替えて、来てくれるか?」
「うん、わかった」

 なんだか秘密のデートの約束をしているみたいで、私はどうしようもなくドキドキしてしまう。いや、勿論ぜんぜんそんな雰囲気じゃないんだけど。
 でも、私は今の瞬間だけでも、彼にとって『ただのクラスメイト』から頭ひとつぶんくらいは抜きん出たと思う。
 多分……多分だけど!

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2007.8.12

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