● 彼女の紳士録 --- シークレットミッション ●

 例によって生徒会資料室にて打ち合わせをする、と柳生に言われていたは昼食をとってから、先に資料室で彼を待っていた。
 最初にこの部屋で柳生からミッションを言い渡されたのは先週のこと。
 真田弦一郎と日直を組んだ日には、まさかこのようなことになるとは思いもしなかった。
 自分が絶対に関わることだないだろうと思っていた男子たちと、まるで普通に会話をし、心の中がふわりと楽しい気分になる。そんなことが、こんなに自然にできるなんて驚きだ。
 いずれのミッションでも柳生比呂士は涼しい顔をして傍に控えているだけなのに、それだけでどうしてだか安心する。力をもらえる。不思議だな、とは改めて思った。

「お待たせしました」

 資料室に柳生がやってきた。
「あ、ううん、私も今来たとこ」
 彼はいつものように優雅な仕草での隣の椅子に腰をおろした。
さん」
「はい?」
 彼はの方へ向き直り、くいと眼鏡のブリッジを押さえる。今では見慣れた彼のいつもの癖だ。
「今日は、あなたにお話しておきたいことがあって、お呼びいたしました」
「は……はい」
 妙に改まった雰囲気で、はどきりとした。
「話というのは他でもないのですが……」
「はい」
 思わず背筋を伸ばす。
「真田くんのことです」
「は……真田さんのこと……?」
 意外な人物の名前に、つい聞き返してしまった。
「真田くんのことについて、貴女にお話ししておかなければならないことがあります」
「はい……」
 少々緊張をしながら、返事を繰り返す。
「真田くんはあのように見えて実は……」
 深呼吸をして柳生の次の言葉を待った。
「実は、真田くんは女の子なのです」
 続けられた言葉に、の頭の中は真っ白になる。
「え……」
「驚かれるのも無理はない。これはテニス部の一部の者しか知らない、極秘事項なのです」
 柳生の真剣な表情に、はさーっと血の気が引く思いがした。
「あの……どういうこと……?
 柳生は眼鏡のブリッジを押さえながら大きく頷いた。
「真田くんはあの通り、小学生の頃から身体が大きく、テニスでも女子の部の試合には出してもらうことができませんでした。おじい様の指導で剣道もなさっていたのですが、それも男子の部で試合に出ていたとのことです。中学に上がり、女子テニス部に入るか男子テニス部に入るかで悩んだそうですが、自分は女子に受け入れてもらうことは難しいだろうと男子テニスの道を選んだのです。小学生の頃、身体の大きさと男っぽさでからかわれ辛い思いをしてきたことは、今ではすっかり乗り越えたと言っていました」
 は眼をまん丸にしながら柳生の話に耳を傾け、彼が一通り話し終えた後に両手で顔を覆い、わっと俯いた。
「……そんな……知らなかった……。女の子だったなんて知らなかったから、私、真田さんってなんて怖い男子なんだろうと思ってびくびくして怯えちゃって……。私のそんな態度、きっと真田さんを傷つけてしまったよね……」
さん……」
「前にも柳生さんに話したように、私も小学生の頃は女子の中では背が高い方だったから、あれこれ男子にからかわれてすっごく嫌な思いしたけど、真田さんも同じだったんだね。もっと早く聞いてたら、私、ちゃんと真田さんの気持ちをわかってあげられたかもしれないのに……」
「あ、いや、さん……」
 うなだれるの肩に柳生がそっと手を置こうとすると、彼女はがばっと顔を起こした。
「でも、柳生さん! 真田さんが女の子だっていうことは、一部の間での秘密なのよね? だったら今更私が、気づかなくてごめんなさいなんて言って謝るわけにもいかないんだよね?」
 潤んだ眼で、眉間に皺を寄せじっと柳生を見つめた。
 柳生はがくっとうなだれるように顔を伏せた。
「柳生さん?」
 彼は苦しそうに肩を震わせ、左手で額のあたりを押さえた。
「どうしたの、柳生さん! 具合悪いの?」
 があわてて心配そうに身を乗り出すと、彼の肩の震えは徐々に大きくなり、くぐもった声が漏れ出る。
「クククククク……すまんすまん。こんなにまるっと信じるとは思わんかったぜよ、プリッ」
 顔を上げた彼は、今まで目の前にいたはずの柳生とは別人になっていた。
 は先ほどの打ち明け話以上に驚き、声も出ない。
 銀色の髪に口元のほくろ。左手に取り去ったカツラを持ち、右手で軽く髪をかきまわした後、銀縁眼鏡を外した。
 彼のことは知っている。
 B組の仁王雅治。整った顔立ちながら飄々とした態度の、これまた女子の中で人気のあるテニス部の男子だ。
 眼を丸くして固まったままのの前で仁王は咳払いをし、少々気まずそうに彼女の顔を覗き込んだ。
「すまんかったのぉ。大丈夫か?」
さん!」
 その瞬間、資料室の書庫の陰から躍り出て来たのは、今度こそ柳生比呂士だった。
「すいません、そんなに驚かれるとは!」
「えっ、えっ?」
 は目の前で脚を組んで座っている仁王雅治と、腰を屈めて自分を心配そうに見つめる柳生比呂士を交互に見比べた。
「私たちはダブルスパートナーなのですよ」
「は……はあ……」
「ダブルスの作戦の一環として、仁王くんがこのような変装術を活用しようという意見でして、今回のミッションでも一役買っていただいたというわけです」
「大成功じゃったな、柳生。今回こうして協力したからには、関東大会では借りを返してもらうぜよ」
 仁王は大事な小道具であろう銀縁眼鏡を胸ポケットに仕舞うと、立ち上がった。
「じゃあな。驚かして悪かったぜよ、
 最後に『アデュー』と柳生の声色で言い放ち、資料室を出て行った。
 資料室にはの大きな深呼吸が響き渡る。
「……すっごく……すっごくびっくりした……」
「ああ、これをお飲みなさい」
 柳生が差し出したのは、ペットボトルの紅茶。
 はごくごくと半分ばかり飲み干した。
「……ね、あの話」
「はい?」
「あれも、嘘? 真田さんが実は女の子だっていう話」
 柳生は申し訳なさそうに首を振った。
「本当の話だと思いますか? あの作り話は、私が指示したわけではなく仁王くんのオリジナルのアドリブですよ」
 は再び大きく息をついて胸をなでおろした。
「よかった、もし本当だったらどうしようって思ったよ、もう。……それにしても仁王くん、びっくり。柳生さんにしか見えなかったよ。今でも信じられない……」
 柳生は先ほどまで仁王が座っていた椅子に腰を下ろし、じっとを覗き込んだ。
「あの……まったくわかりませんでしたか? 仁王くんが変装した私と、本物の私と……何か違いは……?」
 は柳生に顔を近づけて、じっと見つめる。
 そういえば、こうやってまじまじと柳生の顔を正面から見るのは初めてかもしれない。
 すっと通った鼻筋に、眼鏡越しに見える眼は涼しげで知的だ。一見冷たいようにも見える整った顔立ちだが、その実、思いやりにあふれた気持ちの優しい人だとは知っている。眼鏡の奥の眼がじっと自分を見つめていることに気づいて、つい視線をそらした。
「ううん、仁王くんの変装は完璧。ぜんっぜんわからなかった」
「……そうですか。仁王くんにも伝えておきますね、喜ぶことでしょう」
 柳生は少々複雑そうな表情をして軽くため息をついた。
「本日のシークレットミッションは、少々いきすぎだったようですね。申し訳ありませんでした」
 は残りの紅茶を飲み干してから、ううん大丈夫、と言って、そしてくくくと思い出し笑いをする。
「仁王くんの変装も作り話も、もうこんなにびっくりしたのは生まれて初めてで、笑っちゃうくらい。仁王くんはびっくり系男子だね。これだけびっくりした経験を積んだら、きっと真田さんに怒鳴られることくらい平気になったと思う」
 もう一度柳生の眼を見て、そう言った。
「柳生さん、本当にいろいろありがとう。私、きっと大丈夫。ラスボスの……ラストミッションは私ひとりでやってみることにするね」
さん……」
 柳生が何かを言いかけたのと、午後の授業が始まる予鈴が鳴るのは同時だった。

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2015.1.10

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