俺とサンが依頼した、「オススメの映画および音楽についてのコメントのお願い」は案の定先生方に好評だった。
「おっ、俺のオススメか! 俺のオススメは『プリシラ』っていうオーストラリア映画でな、アバの音楽なんかを使っててな」
「いや、やっぱり『ロッキーホラーショー』だろう!」
ハイハイ、だから先生、それはこちらのフォーマットに書いてください。
という感じに、用紙を持ってお願いに上がるとどの先生も饒舌になるのだった。
その後の回収率も上々で、おそらく次号の広報の分までもあるんじゃないかというくらいにきっちり集まり、俺とサンはご満悦で情報処理室の端末にデータ入力していった。
「よかったね、結構面白い記事になりそう」
サンは俺が読み上げるデータを入力しながら、このところずっと俺に見せるあの太陽みたいな笑顔を向けた。
「今回の広報、上妻くんもいないしどうなるかと思ったけど、ほんとよかった。ありがとうね、切原くん」
何気ないように言うサンの言葉に、俺はまたドキドキした。
「あ、うん、ま、俺もたまには仕事しねーとな」
「……最初の頃……私、無愛想にしてて、ごめんね」
そしてしばらく黙ってデータ入力をしてから、サンは静かに言った。
いつも人気のないこの情報処理室で彼女の声が響く。
「ああ、でもそれ……俺がヘンな事言っちゃったからだろ。しょーがねーよな。俺、口悪ぃし」
俺は渡り廊下での事を思い出して言った。
彼女のキーボードを打つ手が止まる。
「……西野先輩の事ね」
「うん……」
俺たちの声はどちらからともなく小声になっていった。
「……私が西野先輩を好きだって、結構知ってる人いたからしょうがないんだよね。切原くんがどっかから聞いてたとしても」
サンは端末の画面を見たままつぶやいた。
あの時の、渡り廊下で見た表情だった。悲しそうな、切なそうな、やるせない顔。
俺は勇気を出して、あの時と同じ事をまた尋ねた。
「西野先輩が好きなのかよ?」
「……うん」
あの時に聞けなかった返事が、今、小さな声で返ってきた。
「彼女がいても?」
そして俺はまたあの時と同じ一言。
「……うん」
サンは端末画面を見たまま。
「……何て言うんだろう、好きなんだけど、最初っから手の届かない感じで……部活で一緒にいても、私とは同じ世界に生きてない感じがするの。私も先輩のいる世界に行けるのかなあって、一生懸命背伸びをしてもなんだか上手くいかなくて……テレビや小説の中の人を好きになってるみたいで。だからよけいになかなか諦められなくて……好きなままなんだよね。出口のないとこに迷い込んだみたい」
サンは俺を通り越した何かに話すみたいに、静かにゆっくりとそう言った。
もしかしたら自分自身に言っていたのかもしれない。
その悲しそうな表情は、俺に時々見せる大きな口を開けた可愛い笑顔とはまったく違う。
俺に説教したりするちょっと怒った顔とも違う。
そういう生き生きとした彼女と、違うんだ。
まるで悪い魔法使いに捕まったお姫様みたいだと、俺は柄にもない発想をしてしまった。
そう、英研部長は優しい顔をして実は悪魔なんだ。
サンに呪いをかけて、出口のない塔のてっぺんに閉じ込めている。
サンは生きてるのに。
あいつさえいなければ、彼女は俺の傍で、生き生きと笑ってるはずなのに。
俺は自分の中で、時に自己主張をする渦がどんどん大きくなるのを感じる。
俺とサンはこんなんじゃなくて、もっと、もっと。
もっと近くなれるはずなんだ。
俺はサンが好きだし、もっとサンに近づきたいんだ。
そして俺の事を好きになってもらいたいんだ。
どうして、あんな彼女持ちの、サンを見てくれないような英研部長がいいんだ?
あいつはサンを笑わせたりしないし、悲しい顔ばかりさせてるじゃないか。
あいつはサンを閉じ込めてる。
そう思うと、俺の中の渦はとたんにぐるぐると大きく回転を始めた。
その渦は俺の体を突き動かした。
俺は椅子から少し腰を浮かせると、サンの髪に指を差し入れ自分の顔を近づけて、彼女の唇の横にそうっと自分の唇をくっつける。彼女の滑らかな頬の感触と甘い髪の香り。サラサラとした髪の手触り。そしてかすかに俺の頬をくすぐる彼女の吐息。
それらが俺の中の渦の回転をよりヒートアップさせ、俺がたまらず熱いため息をつくのと同時に、俺の顎に猛烈な衝撃が加わった。
俺は思い切り、椅子ごと後ろにふっとんでいった。
「痛ったあ〜!」
その叫びは、俺のものではない。
顔をしかめて右手の拳を痛そうにぶんぶんと振るサンのものだった。
サンは思い切りグーで俺の顎を殴ったのだ。
彼女は急いで鞄を持つと、資料も放ったままで走って情報処理室を出て行った。
俺はガクガクする顎を押さえたまま、ぼうぜんと尻餅をついたまま何も言えず彼女の後姿を見送った。
古今東西、悪い魔法使いの呪いを解くのは王子様のキスと決まっているはずなんだが、どうもそれは通用しなかったらしい。
俺は資料を片付けて携えると、しょんぼりとしながら部室に向かった。
部室には、副部長の鉄拳を受けた後に冷却するためのグッズがたっぷりあるから。
冷蔵庫から氷を出してビニールに入れてそれを顎に当てていると、これまた良いタイミングで仁王先輩がやってきた。
「……なんじゃ、真田にやられたんか? 今回のはどぎついのぅ」
「いや、これは、違うんスよ……」
俺が気まずそうに言うと、仁王先輩はにやりと笑う。
「じゃったら、女か?」
そう、仁王先輩は鋭いんだ。
メルヘンチックな俺の妄想は省略して、俺はさっきの出来事を簡単に説明した。
仁王先輩はがまんできないというように腹を押さえながら笑う。
「笑いごとじゃないっスよ!」
俺はマジで腹が立って怒鳴った。
「俺、まだ切り札のカードも使ってねーのに、試合終了だなんてチクショウ!」
がりがりと頭をかきまわした。
「平手打ちなら俺も経験あるけど、グーでふっとばされるとはのぅ。しかも文化部の女に。そりゃ手ごわいわ」
仁王先輩はまだ笑ったまま。俺はため息をついて頭をかかえた。
「しかし、赤也がフライングか、なかなかやるもんじゃのぅ。方法としちゃ悪くないんじゃが、お前はガキで中途半端なんがいかん」
「中途半端って、あんだけ頑張ったんスよ! 仁王先輩だったら上手く行くんスかぁ?」
「当たり前じゃろ」
うなだれた俺の顔を、仁王先輩は挑戦的な笑顔で覗き込む。
「俺だったら腰が立たんようになるキスをして、女に拳を振り上げる力なんか残さん」
余裕たっぷりにしっとりとした声で言う先輩の言葉に、俺はまたチクショーと怒鳴った。
「ま、それは冗談として、赤也、あきらめたらいかんぜよ」
ふと先輩は真面目な声で言う。
「お前、まだ切り札を使っちょらんのじゃろ。まだケツの毛まで抜かれて賭場を放り出されたわけじゃねぇ。勝負を続ける気があるんなら、カードを切りつづけろ」
先輩は俺が放り出した氷入りのビニールを手に取ると、俺に差し出した。
俺はそれを受け取るとまた顎にあてがい、明日からの事をどうしようもなく暗い気持ちで考え込んでしまうのだった。
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2007.8.7