必殺!恋のギャンブラー(3)



 さて、勝負をかけるにはあまりに寒い俺の手持ち札だけれど、いつまでもパスばかりしているわけにはいかない。
 覚悟を決めた。
 冷たくされても、よそよそしくされても構わない。
 やっぱり彼女に関わって行かないと。

 俺は彼女に何か働きかけたい。
 そして、俺の言った事や振る舞いに対して、何か反応する彼女が見たいんだ。
 彼女の世界の中で、俺は生きている、存在してると実感したいんだ。

 そう心に決めてから、俺は彼女が一人でいる時を狙って彼女の席の近くをうろうろとして何か話しかけようと試みる。
 掲示板の掲示物を見に行くふりなんかをして、何度も彼女の机の横を通って行ったり来たりするのだけれど、いざとなるとまったく何を話しかけていいのかわからない。
 部活の事?
 彼女は英研で、俺は英語なんててんでダメだからそんな話はできない。彼女もテニスなんか興味なさそうだ。
 じゃあ勉強の事? いや、それも俺はちょっと苦手な分野だし……。
 彼女の伏せた綺麗な目や、ふっくらした唇をちらりと見るだけですくんでしまうのだ。
 後れ毛をすっと耳にかける動きをするだけで、俺はビクリと身構えてしまう。
 今まで女の子と話すのが苦手だなどと思った事なんてないのに。
 そんな事を思い悩んでうろうろしていたら、決してわざとじゃないのだけれど彼女の机に軽くぶつかってしまい、彼女のペンケースが床に落ちてしまった。
 俺はあわててそれを拾う。
「悪ぃ! ぼーっとしてた!」
 俺は少し緊張しながらペンケースを彼女に渡す。
 はMP3プレイヤーで音楽を聴いていたところらしく、びっくりしてヘッドホンを耳から外した。
「あ、いいよ、別に」
 そしてそれだけ言って笑顔で俺からペンケースを受け取る。
 少し低めのきれいな声。細いしなやかな指。
 俺はドキドキした。冗談じゃなくて、本当に脈拍が速くなるのだ。
 こんな事、古臭いマンガの中だけだと思っていた。
 俺は彼女に対して恥ずかしくないような、何か気の利いた話題やなんかを頭の中から必死に探すけれど、普段よりも三割り増しくらいでバカになっている俺の頭の中からは何も見つけ出す事はできない。
 けれど俺は、彼女が耳にイヤホンを差し込む前に必死に言葉を搾り出した。

「なあ、音楽、何聴いてんの?」

 俺が何とかそれだけ言うと、彼女は少し驚いたような顔で俺を見る。『どうして、あなたがそんな事を聞くの?』みたいな感じだ。でも、俺は負けずに彼女を見すえた。

「……今、聴いてるのはジョン・レノンの『Starting Over』って曲」

 そして彼女は静かに答えた。
「……ジョン。レノン。」
 俺はバカみたいに繰り返す。
「うん、ビートルズのメンバーだった人。もう死んじゃった人だけど」
「はあ」
 彼女はそれだけ言うとペンケースを机の真中に置いて、そしてヘッドホンを耳に差し込んだ。会話終了の合図だ。
 俺は、ジョン・レノン、ジョン・レノンと心で唱えながら自分の席に戻った。

 俺はケータイのメモで『ジョン・レノン』と入力をして、そして軽くため息をついた。
 どうにも上手くいかない。
 ここで俺がジョン・レノンの曲をいくつか知ってたら「あ、俺もそれ好き」なんて会話ができたところだろうに、とにかく俺と彼女は何も重ならない。
 加えて彼女の俺に対する無関心。
 これがまだ、「もう切原くん、ジョン・レノンも知らないの? バカじゃない?」くらいに言ってくれるんだったら、そこからとっつきようがある。ま、実際俺の今までの恋はそんな風に好きなコをイジったり、イジられたりだったわけだから。
 こんな風にあたりさわりなく無関心にされるくらいなら、もっと冷たくされた方がマシだ。彼女が俺を非難したり、嫌いだったりするならば、俺は彼女にとって生きている人間として存在している事になる。
 冷たくされても、俺はきっと彼女を好きだから。


 そして俺はまたジャッカル先輩の世話になった。
 ジョン・レノンのCD持ってたら貸してくださいよ!
 とすがりつく俺に先輩は、ビートルズかソロか、と尋ねてくるけれど俺はそんな事分かるわけもなく、とにかくジョン・レノン、ジョン・レノンとバカみたいに連発するのみ。
 そんな俺に、ジャッカル先輩はソロのベスト盤を持って来てくれた。
 曲目を見ると、が聴いていたという「Starting Over」も入っている。
 さすがジャッカル先輩だ。
 俺は借りたCDを家で聴いて、チクショーと叫んだ。
 なんだコレ、映画のBGMとかCMの音楽なんかで聴いた事ある曲ばっかりじゃねーか。
 それがジョン・レノンならジョン・レノンと言ってくれよ。
 そしたらあの時、彼女ともう少し話ができたのに!
 俺は何に対しての八つ当たりかはわからないが、意味もなくじたばたしながらCDを聴いていたのだった。
 ともかく、彼女が耳にしている音と同じものを聴いているのだと思うと、それだけでも胸の中がすこし暖かくなった。



 翌日の放課後、俺がポータブルプレイヤーでジョン・レノンを聴きながら歩いていると渡り廊下でが立ち止まっているのが目に入った。
 俺はヘッドホンを外して、彼女の少し手前で立ち止まる。
 彼女は渡り廊下の窓から、少しうつむいて下の方を眺めていた。
 彼女が俺に気付かないのを良い事に、俺はじっとそんな彼女を見つめる。
 彼女の視線の先を、俺はそうっとたどってそして、ああ、と納得した。
 そこには英研部長が歩いている姿があった。
 女の人と二人で。
 西日を受けながら目を伏せて、二人をじっと見つめる悲しげなの姿は、とてもきれいだった。
 きれいだけど……彼女はこんな風に悲しそうな顔をするんじゃなくて、もっと幸せそうな顔をしてる方がきれいなんじゃないだろうか。
 形の良い唇をきゅっと固くむすんで俯いたその顔は、なんだか泣き出しそうに見えて、俺の胸を締め付ける。他人の恋なのに、どうして俺がこんなにやるせなくて悲しいんだろう。
 俺はそうっと彼女に近寄った。
 1メートルくらい近くになって、ようやく彼女は俺に気が付いて顔を上げる。
 彼女は不思議そうな顔で俺を見た。『一体何の用?』といった風に。
 俺は一瞬ひるんでしまうけれど、ここは勝負どころだ。
 自分の言うべき言葉を頭の中から拾い出し、丁寧にそれをなぞって確認した。
 ナックルサーブを打つ時、ぎゅっとボールをつかむみたいに。

「……あれ、英研の部長だよな? さん、あいつが好きなのかよ?」

 俺の言葉に、彼女は今度は不思議そうなというより、驚いた顔をする。

「でもあれ、一緒に歩いてる人、彼女じゃねーの? 彼女いるんだろ? 部長って」

 俺は彼女をまっすぐ見たまま続けた。
 彼女は驚いたような顔から、少し眉間に皺をよせ、用心するような不快そうな顔になる。

「……切原くんには関係ないでしょう」

 そしてそれだけを鋭く言うと、すっと俺の傍を通り過ぎて去ってゆく。

 彼女の少し怒った顔、冷たい言葉、初めて呼んだ俺の名前。
 俺が一枚目のカードを切って手に入れたものだった。

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2007.8.1




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