「俺、どうも手持ちの札がめっちゃ悪いみたいなんスよね。全とっかえするしかない、みたいな。なんかこう、一発で効果のあるイカサマってないスか?」
放課後、部活の終わりに俺は水道で水をかぶって、隣りにいる仁王先輩に言った。
仁王先輩はタオルで顔を拭きながら、クスッと笑う。
「何じゃ、珍しいのぅ」
仁王先輩はすぐに俺の言っている事を察してくれた。
この人のこんな風に察しが良くて頼りになるところが、俺はとても好きだった。
「けど、お前サンにイカサマはまだ早いじゃろ。もうちぃと経験を積みんしゃい」
先輩はさらりと、しかし決して突き放すようではなく柔らかな口調で言った。
けれど、先輩の言葉に俺はため息をついてしまう。仁王先輩の、この余裕のある感じが俺はうらやましくて少々妬ましかった。一年の差だけで、どうしてこう俺と違って大人なんだろう、この人は。
「だって、使えるカードが一枚もないんスよ。これじゃ、勝負を降りるしかないじゃないスか」
俺がふてくされたように頭を抱えて言うと、先輩はタオルを首にかけて俺を見た。
「一枚もないって?」
呆れたような声でそう言うと、俺の胸を人差し指でちょんと突いた。
「どんな悪い持ち札でも、一枚は切り札があるはずじゃろ。その一枚を大事にして、あとのカードはチェンジするなりして勝負を進めて行きんしゃい。切り札もよう使わんようじゃ、イカサマなんてまだまだじゃ」
相変わらず余裕の口調の先輩に対して、俺はムキになってしまう。
「いや、マジでないんスよ! 切り札なんて! いくら俺がテニス部レギュラーでも、彼女は興味ないみたいだし……」
俺が必死になって言うと、先輩はまた笑った。
「お前、ほんとにバカじゃな。お前が誰かなんて関係あるか。勝負をしようってからには、お前サン、そいつが好きなんじゃろ? それが切り札じゃ。よう使わん言うんじゃったら、勝負は降んりじゃな。好きにしんしゃい」
先輩はそれだけ言うとタオルを振り回して部室に向かった。
俺は先輩の言葉を心で繰り返す。
俺の切り札。
『きみが好き』
俺は目を閉じて、自分の頭の先からつま先までを注意深く点検してみた。
どう考えても他にマトモな持ち札はない。
けれど、仁王先輩が言ったとおり、彼女を好きだという気持ちは確かなようだ。
これが切り札?
俺は心の中でその『きみが好き』と書いてあるカードを強く握り締めた。
勝負を降りる?
まさか!
とにかく、あとのカードをなんとか揃えよう。
俺は心に堅く誓った。
俺はその日、仲間の高津と昼飯を食っていた。
俺の前方の席では、が女友達とあと男の奴と三人で弁当を食ってるのが目に入る。
高津は俺がそっちを見ている事に気付いたのか、ちらりと振り返ってまた弁当をかきこんだ。
「……やっぱキレイだよな、さんたちって」
そしてボソッとつぶやいた。
「おめー、もしかして惚れてんの?」
俺は少しドキドキしながら、それでも冷静な風にいつもの調子でからかってみる。
「まさか。話した事もねーのに」
奴は何でもないように言うので、俺はほっとする。
こいつはバスケ部で背も高くて、実はモテる奴なのだ。
「……あいつらってさ、やっぱり仲間内でつきあったりしてんのかな」
俺は箸でたちをちょいと指す。
とよく話している男の一人は黒木っていうクラス委員で、そいつは俺たちとはまったく違うタイプなんだけど、頭が良くて二枚目でこれまた女子からは人気がある。
俺は黒木との事が、気になって仕方がなかったのだ。
「ああ、フィロゾーフの奴ら?」
高津は再度ふりかえってから、また弁当箱を手にする。
「さあ。でも、さんは違うはずだぜ。英研の、彼女持ちの部長に片思いをしてるって話だ」
何気ない高津の言葉に、俺は背筋がビリリと来た。
「……へえ、彼女持ちに片思いねぇ」
「ああ。なんか、女子がそんな話してたっけな」
俺がその後すぐに『英研部長』を下見に行ったのは言うまでもない。
そうそう、は英研に所属しているのだ。
俺は、英研部長がジャッカル先輩と同じクラスだという事だけようやく突き止めて、三年生の教室に走った。
「ジャッカル先輩!」
俺が廊下で呼び出すと、ジャッカル先輩はすぐにきてくれた。
「おう赤也、どうした」
「あのー、英研部長ってどの人っスかねぇ」
「ああ、西野か? 呼んでやろうか。いい奴だぜ」
先輩が振り返って名を呼ぼうとするのを、俺は慌てて止めた。
「いや、どの人かだけ教えてくれたらいいんスよ」
「何だ? ヘンな奴だな」
そう言いつつも、先輩は廊下側の前方に座っている男子生徒をクイと指してくれた。
俺は少しドキドキしながらそいつを見る。
少し茶色い髪にすらりとた体躯、広い背中。眼鏡をかけた優しい顔の奴だった。
さすがに三年生で、とにかく落ち着いていて大人の匂いがする。
ちらりと見ただけで、すぐにそんな雰囲気が伝わってきた。
「……ジャッカル先輩、どうもありがとうございましたっ」
俺はそう言って教室を後にした。
予想してはいたけれど、やっぱり彼女に似合いそうな大人の男だった。
俺とはずいぶんタイプが違う。
俺はきっと彼女の好みからはかなりかけ離れた男だろう。
チェッと思わず舌打ちをして、『でも彼女持ちだろ』、と憎まれ口をたたいてみる。
なんだろう。イライラする。暴れまわりたい気分だ。
本当に、まったく俺に有利な展開のきっかけが得られない。一体何が悪いっていうんだ?
イライラしながらもとりあえず英研部長の件は、彼女の恋について俺の知っている唯一の事として、俺の手持ちのカードに持っておく事にした。
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2007.7.30