● フレンチキス(2)  ●

 教室での俺との席は離れていて、そもそも俺はこの一年間程、意識的に彼女を見ないようにしていた。
 けれど昨日話をして以来、なぜか彼女を目で追ってしまう。
 彼女が転校してきた当初のように。
 は目立って可愛らしい子だけれど、どちらかというと大人しくて、というか静かな方で、同じような綺麗めで静かな女子の友達といる事が多かった。まあ、つまり高めの、少々近寄りにくい感じのグループ。
 俺がよく話をして仲の良い女友達とは、まったく違うタイプだ。
 そのためもあってか、俺が去年彼女に告白をして振られた話は、ほとんど噂になった事もなかった。

 俺が席の近い奴らとふざけた話なんかをしていると、傍をが通った。
 彼女は特に俺を見ることもなく、自分の席へ行き、いつもの友達と話をする。
 俺と話をしていた女友達の一人が、を見て、肩をすくめた。
「……隣のクラスの本田くん、この前、サンに告ったらしいよ。バッカだよねー」
 彼女が笑いながら声をひそめて言うので、俺は少々どきりとした。
「バカはねぇだろーが」
 俺がそう言うと、彼女は『わかってない』とでも言うように首を横に振る。
「だって、サン、年上のフランス人の彼氏がいるんだよ? 相手にされるわけないじゃん」
 突然、俺の心臓がものすごい力と速さで拍動を始める。
 まるで、教室中にそれが響き渡るのではと思うくらいで、俺はあわててしまう。
「去年の秋くらいだったかな? サンが、すっごくカッコいい外人の男の人と歩いてるの見たって子が何人もいてさ。フランスにいた時からの彼氏だって話だよ」
 聞きもしないのに彼女は話を続けた。
 幸い、俺が何かコメントを返す事は期待されていなかったようで、女友達はそのまま不機嫌そうに廊下へ出て行った。
「……あいつ、本田の事が好きだったみたいだからさ、ちょっと荒れてんだよ」
 男友達が苦笑いをしながら、小声で俺にささやいた。
 俺は、興味ないといった風に頭を掻くと、自分の椅子に深く腰を下ろす。
『好きな人がいるから』
 去年、が言った言葉が甦る。
 彼女の恋が実ったという事だろうか。
 彼女の事はとっくにあきらめて忘れたはずの俺なのに、ドクドクと脈打つ心臓はなかなか落ち着かなかった。


 放課後、俺は筋トレをしながらもなぜか、女友達の言った事が頭から離れない。
 に彼氏がいても、それがフランス人だとしても、俺には何も関係ないはずなのに。
 俺は、おそらくまず絶対に会う事などないであろうの恋人を、なぜだかいろいろと想像してしまう。

 背が高くて、金髪だったりするんだろうか。
 外国の映画の恋人同士みたいに、そいつはの肩を抱いて歩いたりするんだろうか。
 フランス人だったら、ピエールとかシャルルとか、そんな小洒落た名前だったりするんだろうか。
それで、「ピエール」「」と呼び合ったりするんだろうか。

 俺はそんなバカバカしい考えを必死で追い払おうと、ガムシャラにトレーニングを続けた。
 すると、ふと、忍足が俺の事をニヤニヤしながら見ている事に気づく。
「……何だよ、忍足」
 俺はトレーニングを一旦中止して、タオルで汗を拭いた。
「いや、なかなかシブい鼻歌、歌とてるな思て」
「はァ?」
 俺が聞き返すと、ヤツはクックッと笑った。
「鼻歌は、無意識に出るからなァ」
 忍足はそう言うと、わざとふざけてシナを作ったような声で、鼻歌を歌ってみせた。
「俺、そんなの歌ってたか?」
 ムッとして言う俺に、ヤツはまたからかうように笑う。
「歌とてたで。エマニエル夫人のテーマ」
「……そんな歌しらねーよ」
「ま、有名な映画のテーマ曲やからなぁ」
「どんな映画だよ」
 俺がムッとした顔のまま尋ねると、忍足は待ってましたとばかりに俺に一歩近寄った。
「古いフランス映画や。ま、はっきり言うとソフトコアポルノやな」
 ヤツの思うツボだと分かっているのに、俺はあわてて立ち上がった。
「知らねーよ、そんな映画! 観た事もねー!」
 忍足は声を上げて笑う。
「まあ、観たことなくても曲は有名やし、誰かて聞いたことくらいあるやろ。別にそないに慌てる事ないやん。フランス人はエロいからな、映画もちょいとエロいわ」
 クックッと笑う忍足から目をそらして、俺はタオルで頭をガシガシと拭いた。
「まるでフランス人とつきあった事があるみてーに言うな、お前」
 俺がちょっと反撃してやろうとしても、忍足はまったく動じない。
「ま、さすがにそれはあらへんけど。宍戸、フレンチキスってどないなモンか知ってるか?」
「挨拶みてーな軽いキスだろ」
 俺はタオルを放って、再びマシンに体を納めた。
「ちゃうちゃう。いわゆるディープキスの事や。フランス人は人前でもそんなん平気でするから、フレンチキスって言われとるらしいで」
 ヤツの言葉に、俺はついつい昨日のの口元が思い浮かんだ。
 一度掴みかけた、マシンのバーを思わず離す。
「あっ、そうや、宍戸のクラスには、フランスからの帰国子女の子ぉ、いてたよな? あの可愛い子。さんやっけ? フランス人てどんな感じなんか、聞いてみたらええんちゃう」
 俺は顔が熱くなる。
 多分、こいつは俺が去年、彼女に告白した事を知ってるにちがいない。
 それで、からかってやがる。
 まったく腹の立つヤツだ。
「……ウルセーな、俺はトレーニング中なんだよ!!」
 俺は思わず怒鳴って、ニヤニヤと笑う忍足にタオルを投げつけた。
 こいつは悪いヤツじゃねーけど、こういうところ、時々本当に腹が立つ!


 部活を終えると、俺は家に帰って自室で課題をすませ、風呂に入った。
 髪を洗う時の感触、鏡に映る自分自身、まだ少し慣れなかった。
 今まで自分で自分に抱いていたイメージと違う。
 シャンプーの泡を洗い流すと、俺はぶんぶんと首を振った。
 俺は、今までと違うんだ。
 俺は、もう、負けない。
 試合で負けた俺は、昔の俺だ。
 今の俺は、二度と負けない。
 
 風呂を上がると、雑誌を広げながらベッドに横たわった。
 雑誌を見ても、それは頭に入ってこない。
 トレーニングも課題も終えると、教室での女友達や部活中の忍足の言葉が頭に浮かぶ。
 そして、の顔。
「クソッ!」
 俺は思わず声を出して、あの伊達眼鏡の男をののしった。
 あいつが余計な事を言うから!
 俺の頭の中では、背の高い金髪のピエール(仮)が、の肩を抱いてあの柔らかそうな唇にその顔を寄せたり、あのフワフワの髪に手を差し込んだり、そんなイメージが次から次へと押し寄せて来るのが止まらなかった。

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2007.5.9

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