● 恋は最後のフェアリーテール(9)  ●

「おっとっとぉ……」
 私が『クラス委員』としての用事で職員室へ行った帰り、授業で使ったプロジェクターとスクリーンを運ぶ祥子の後姿が見えた。ああそういえば、彼女日直だったっけ。
 私は早足で追いついて、彼女が落っことしそうなスクリーンを手にとった。
「一人では大変だろう」
 そんな私を、彼女は驚いた顔で見上げる。
 まあそりゃそうだろう。あんまり真田くんが私の友達とこうやって関わる事なかったからね。
「あ、どうもありがと」
 祥子はショートの髪をかきあげて、にっと笑った。
 私こそ、昨日はメールどうもありがとうね、と心でお礼を言う。
「……真田、最近とは上手くいってる?」
 歩きながら、祥子は小声で尋ねてきた。やはり心配してくれてるんだなあ。
「ああ、うむ、まずまずだな」
 私は真田くんとして彼女と話すというのがどうにもヘンな感じで、少々ぎこちなく答える。
「ならいいんだけど。もねえ、別に元気ないわけじゃないんだけど、最近真田に言われたからなのか、妙に真面目にしようとしてるからなのか、ヘンにツンデレなんだよね」
 祥子はおかしそうに言う。ああ、やっぱりそうだよねえ、祥子!
「今までは、、愛想はいいけどちょっとクールだったのに、このところそんな風だからさ。男子たちも、最近結構可愛い感じになってるじゃんよって、色めき立ってるよ。気をつけなよね」
 そして、からかうように言うのだ。私は聞いていて、ちょっと可笑しくなる。真田くんが女の子になると、結構可愛いんだ。意外だけど納得だったりして。
「笑い事じゃないよ、呑気だねえ、真田。そうそう、そういえば最近時々聞くんだけどさ」
 笑ってた祥子が、ふと思い出したように真面目な顔になって私を見上げた。
「……なんか、真田がを公園のトイレに連れこんでたとかね、が公園の茂みで真田くんにのしかかってたとかね」
 えええー、何それ!
 あ、公園のトイレはあれか、着替えをした時ね。茂みでって……ああ、トレーニングの後にストレッチしてた時か!
 まったく、何を言われてるかわかったもんじゃないなあ。
「ま、ちょっとそんな事耳にしたりするよ。真田もとそれなりの事があったりするのかもしれないけどさ、はとやかく言われがちだから、ちょっと気をつけてあげてよね」
 別にそれなりの事も何もないから!
「いや、俺はそんなやましい事など、何もない! そのような噂など、真に受けてくれるな!」
 私があわてて真田くんぽく言ってみると祥子は、あ、そう、というように私を見上げプロジェクターをごろごろと押し続けた。
 うん。
 でも、まあやっぱり友達だけあって心配してくれてるんだなあ。
 機材室の扉を開けて、私は彼女を振り返った。
「うむ、しかしいろいろと、ありがとう。大丈夫だ、心配するな」
 私は、として、そして真田くんとしての感謝を込めて、彼女に力強く言った。
 祥子はちょっと驚いたように目を丸くして、でも嬉しそうに笑う。
「うん、わかってる。今日はどうもありがとう」
 私からスクリーンを受け取ると、手を上げて頼もしく笑った。



 久しぶりにきちんと友達と話をした事はしばらく私の心に染み入っていて、そのほっとするような余韻のままの昼休み、お弁当を食べていた。
 今日一日過ごせば、明日は終業式。そして冬休みだ。
 とりあえず学校でハラハラすごす日々には一旦区切りがつく。
 もちろん、家での事など、次の問題は控えてはいるのだが。
「あっ、そういえば今日、風紀委員会って言ってなかったっけ?」
 私ははっと思い出して、お弁当を食べながら真田くんに尋ねた。
「そうだ。まあ、柳生がいるから大丈夫だろう。昨日も話したように、今日の議題は今学期の簡単な報告と反省、そして例のパトロール案を検討するだけだ」
「ああ、あの三島さんが作ってきてくれた資料ね」
 私が何気なく彼女の名前を出すと、真田くんはむっとした顔をする。
「……彼女は本当になんでもないと言っているだろう」
 本当に他意もなく口にしただけなのに、そんな真田くんの反応が可笑しくて私はくすっと笑ってしまう。
「わかってるって。あ、でも……」
 ふと思い返した。
「幸村くんが言ってた、試合に行くと他の学校の子には人気っていうのはどんな感じ?」
 そういうのは知らなかったし、ちょっとばかり興味深い。
 彼は尚更機嫌の悪そうな顔になった。
「……どんな感じと言われてもだな……」
 もぐもぐと弁当を食べ、お茶を飲んだ。
「……たまに話しかけられる程度だ。その……あれだ。お前もわかるだろう? 同じ学校の者だったら、俺がこういう風だと知っているから、皆あまり馴れ馴れしく話しかけてきたりはしないが、他校の者だと……俺が普段どんな風だか知らないからな。まあ、一言二言話をする程度だ」
 ははあ、なるほどね。
 真田くんに憧れて話しかける女の子は、きっと話しかけてみたら彼が妙に声は大きいし、言葉遣いがいかめしいし、びっくりしてしまうんだろうなあ。
 なんだかそんな様が目に浮かぶようでおかしくなってしまった。
 昨日は、幸村くんもそんな様子を知ってて言ったわけね。
 私がクスクス笑っていると彼は相変わらず機嫌悪そうにしているから、私はまぁまぁと宥めながら、今日委員会の時どうする? 先に帰っている? と尋ねてみた。
 すると彼は少し考えて、和室で書でもしたためながら待っている、と答えた。
 ああ、真田くんがよくいるあの和室ね。
 はあ、私がお習字かぁ。ま、いいか。
 待っていてもらえるのは、やっぱり嬉しい。



 風紀委員会は、思ったより緊張する場だった。
 何があるというわけじゃないんだけど、ほら、皆さん本当に真面目そうでおられるんです。そして、その中で真田くん、つまり私が委員長なわけですから。
 委員の皆さんからの報告に、私は『うむ、うむ』ともっともらしくうなずいたりしつつ、時には『あー、柳生、それはどうだったか』などと助けを求めつつ、こなしていった。
 服装の規定の事やら、登下校時の事やら、遅刻者の扱いやら、もうとにもかくにも私なんて死刑にでもなりそうな話の内容に、若干はらはらした。昼休みに学校の外にお昼を食べに行くのって規則違反だったのか、知らなかった。というか、私って本当にちゃんと規則を知らなかったんだな。
 今学期の報告と反省、とやらを終えると、例の来学期からのパトロールに関しての議題の番だ。私が三島さんに議題を振ると、彼女は配布資料を元に、要領よくプレゼンしてくれた。
 要は、このところ全国的に青少年を狙う不審者も多く、冬は日暮れの時間も早いので下校時刻を徹底する事と、学校周囲の見回りを強化しようというわけだ。
 そういえば真田くんは、時々当番で腕章をつけてそんな事をしてたっけ。
 そりゃあぴったりの役まわりだ、と私は感心したものだ。
 なんて、ぼけーっと考えていると、
「では、来学期のパトロールの当番表の案をごらんください」
 と、次の資料に話は移っていった。
 ハイハイ、当番表ね、と私は資料をめくる。
 エクセルで作成された細かな資料が添付されていた。
「上級生と下級生、男子と女子、といった組み合わせになるよう配置しています。これでいかがでしょうか」
 相変わらずの落ち着いた声で、三島さんは続けていた。
 ほうほう。
 表を見ると、真田くんと三島さんのペアは三回ほど廻ってくるようだった。それは明らかに他の組み合わせよりも頻度が高い。
 うーん、やっぱり三島さんは真田くんを好きなんだろうな。
 こんな真面目で一生懸命な子に、こんな風に好意を示されるって、やっぱり男の子は嬉しいんじゃないかなあ。
 さすがに私は少々複雑に思っていると、隣の柳生くんに何度か名前を呼ばれた。
「委員長。 真田くん! どうですか、皆これで異論はないという事ですが、決定で良いですか」
 私ははっとして顔を上げた。
「ああ、うむ、これで決定だ。今年は皆、ご苦労だったな。来年もしっかりと気を引き締めてやってゆくぞ」
 あわててそう言って、委員会を終了とした。
 やれやれ、やっと終ったか。
 資料を揃えて、ああ真田くんに報告しなくちゃなーなんて思っていると、私と柳生くんのところに、件の三島さんがやってきた。
「あの、柳生先輩に……真田先輩。今年はどうもお世話になりました。来年も卒業まで、よろしくお願いします」
 礼儀正しく頭を下げる。
 本当に真面目そうな、可愛らしい女の子だ。
「はい、三島さんは本当によくやってくれました。こちらこそ、来年もよろしくおねがいします」
 柳生くんはにこやかに挨拶を返した。
 優等生同士のやりとりをぼんやり眺めていると、彼女の大きな目がじっと私を見た。
「ああ、こちらこそ世話になった」
 私もあわてて言って、軽く頭を下げた。
 私もこんな風な女の子だったらよかったかなあ。というか、今の私は女の子ですらないんだけどね。
 妙にヘコんだ気分で、私は資料を携えて和室に向かった。
 和室は、普段は茶道部や華道部なんかが使っているわけだけど、今日はそれらの部活はやっていない。そんな時はよく柳くんと真田くんはこの和室でお習字をやっている。私が、「ああ、またお習字ね」というと「書道と言え!」などと言われてしまうのだけど。
 何か知らないが、精神統一するのに良いらしい。
 私が和室に通じる扉を開き、そこから半開きのふすまを開けようとすると、聞こえてきた声にどきりとした。
「なんじゃ、こんな日にここにおるんは、真田か柳かと思うちょったのに、がおるとは珍しいのぅ」
 中から聞こえてくるのは仁王くんの声だったのだ。
「……たまには書道をと思って」
「ほう、真田の影響か?」
 ふすまの隙間から見える真田くんの顔は不機嫌そうで、一方仁王くんは上機嫌の表情。
 よっぽど昨日のツンデレっぷりが面白かったと見える。
 私は少々呆れてしまった。
 仁王くんの前で書の道具を片付ける真田くんを、仁王くんは無遠慮に眺めていた。
「……、最近ちょいと変わったと言われんか?」
 そして何気ないように続ける。
 そりゃあ変わってますよ、何もかもが。
「別に」
 ぶっきらぼうに言う真田くんの言葉に、仁王くんは一向にこたえる様子はない。
「去年、が真田とつきあうようになる前に少し話した時は、はもっと余裕のあるクールな奴じゃと思うちょったけどなぁ。あの時の、まったく俺を相手にせん態度はちょいとこたえたけど、新鮮で面白かった」
 へえ仁王くん、そんな風に思ってたんだ。
 それにしても、何でもお見通しの仁王くんでも、いまそこにいる女の子の中身が真田くんとは思いつきもしないだろうな。
「のう、はひらりと男の上手を行くタイプに見えちょったんじゃが、このところ、やけに余裕がなかったりいじらしい女に見える。お前さんは真田の女じゃ、俺がお前さんをどうこうしちゃろうという気はない。個人的な興味なんじゃが、真田が、お前さんを変えたんか?」
 これまた、マニアックな個人的興味だ事。
 そう、仁王くんはこういうのが好きなのね。
 予防線を張りつつ、でもどうとでも転ぶようにしつつ、明らかに艶っぽい雰囲気は隠さない。
「別に私は何も変わっていないし、真田くんのせいという事もないし、仁王くんには関係ないでしょう」
 真田くんは仁王くんを睨みつけるようにして、不機嫌そうに答えた。
 残念ながら、相手は女の子じゃなくて真田くんなので、そのあたりの仁王くんの微妙な感覚は伝わらない。
 でも、真田くん、そこでそんなまっすぐに対応しちゃダメなのになあ!
「ほらほら、そうやって余裕がないじゃろ。どこか、不安そうに見える。何かあったんか?あの女慣れしちょらん男は、優しくはしてくれんかったんか?」
 仁王くんはニヤニヤとからかうように言うのだ。真田くんは書の道具を机に置いたまま立ち上がって、きっと仁王くんを睨んだ。
「仁王! 一体何が言いたい!」
 あああ、ついに真田くんが爆発してしまった!
 これ以上は待ってられないや。
 私はあわててふすまを開けてその場に出て行った。
 仁王くんははっと振り返るが、すぐにおかしそうに笑った。
「何じゃ、おったんか」
 私はため息をついて、仁王くんと真田くんを見比べた。
 そして仁王くんを見て、ふっと笑って見せる。
「仁王、お前はこういった駆け引きの応酬が好きなのだろうが、残念ながらはそういった事を楽しむタイプではないから、他でやってくれ」
 私が静かに言うと、仁王くんは今度は目を丸くして驚いた顔を見せた。
 こういう時、真田弦一郎はまず怒鳴りつけるに違いないと思っていたのだろう。
「それに、は俺に惚れているからな。心配は無用だ」
 仁王くんは目を丸くした後、口元をゆるめて笑った。
「そうか、真田も言うようになったのぅ。女慣れしちょらんなんて言うて悪かった。別にお前の心配はしちょらんよ。はちょいといい女じゃから、他の奴に目をつけられんよう気をつけろと言いたかっただけじゃ」
 まったく仁王くん、物は言いようだなあ。
 しかし彼のいたずらっぽい笑顔は本当に憎めなくて、私は思わず口元を緩めたまま、部屋を出てゆく後姿の淡い色の髪を見送った。
「……まったく、何だと言うのだ、仁王の奴!」
 彼が出て行った後、真田くんは憤慨したように言う。
仁王くんがどうしてあんな風に言ったのか、彼は不思議な人だからその真意もはっきりはしないけれど、私は少しだけわかったような気がする。まあ一つには昨日のあの真田くんの反応が単に面白かったというのがあるのだろうけど、彼のアンテナには人としての私の変化がひっかかったのだと思う。おそらく彼は人の気持ちや、人の様子の変化に極めて敏感で、そういった観察が大好物だ。まるで数学者が数式の解明に夢中になるように。
 だから今日真田くんに近づいたのも、まあそういった興味からだろう。
 真田くんは単に不快だったかもしれないし、さっきのやりとりには私も少々あわててしまったけれど、私は仁王くんの言葉がほんの少し嬉しかった。ろくに口をきいたことのない彼だけど、普段の私と今真田くんが演じている私の違いをちゃんと感じてくれていたんだ。私の友達以外にもそういう人がいるという事が嬉しかった。だってそれは、私が私として確かに存在していたんだっていう証だから。
 はたと真田くんを振り返ると、相変わらず憤慨したままの表情。
「真田くん、帰ろ。ほら、いつまでもイライラした顔してないで。っていうか、私の顔であんまりそんな風にしないでほしい。眉間にね、皺がついちゃうじゃない」
 私が言うと、真田くんは大きく息をついてようやく表情を緩めた。
 ねえ、真田くん。
 さっき仁王くんに言った言葉はね、本当は真田くんに言ったんだけど。
 私は、誰が真田くんを好きでも、誰が私に何を言っても、真田くんが好きだから。
 そういうの、ちゃんとわかってくれたのかなぁ。
 書道の道具を片付け終えた真田くんを促して、私たちは部屋を出て帰路についた。

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2008.1.7

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