● 恋は最後のフェアリーテール(6)  ●

 私と真田くんが教室に向かうと、廊下で柳生くんが女の子と立ち話をしていた。
 いつものように挨拶をしてから教室に入ろうとするけれど、不意に真田くんが足を止めるものだから、私もつられて立ち止まる。
「真田先輩! おはようございます!」
 柳生くんと話していた女の子は、私の顔を見るとぱっと笑顔で元気一杯の挨拶をしてきた。そして一瞬、ちらりと真田くんを見てちょこんと会釈をするとまた視線を私に戻すのだった。
 先輩、というからには下級生の子なのだろう。柳生くんの彼女かな?
 ちょっと私の知らない交友関係だ。どう対応したら良いのだろう?
 私は一瞬戸惑うけれど、おはよう、と返して教室に入ろうとした。すると
「ああ、真田くん、きみにも相談したい事があります」
 柳生くんが私を呼び止めるのだ。
 ひやりとした私は、一度鞄を置いてくる、と言って真田くんと教室に入った。
「……真田くん、あれ、何の話だろ?」
 机のところで、私はこそこそと真田くんに尋ねた。
「彼女は風紀委員の二年生だ。おそらく、委員会についての話だろう」
 そうか、柳生くんと真田くんは風紀委員だっけ。しかし、私に風紀委員の話なんて分かるかなあ。
 そう不安でいると、真田くんがさっさと自分の鞄を置いてきた。
「念のため、俺も一緒に話を聞きに行こう」
 彼の言葉に私はほっとするけど、でも私が風紀の話に参加するっていうのはちょっと妙な図だなあ。まあ、仕方ないか。
 私たちは一緒に柳生くんと二年生の女の子のところに戻った。
「明日の委員会で話し合う、冬休み明けからの下校時パトロールの配置に関する確認ですよ、真田くん。三島さんが作成してきてくれたんです」
 柳生くんが眼鏡をちょいと持ち上げながら、A4の用紙を私に差し出した。
 二年生の女の子は三島さんという名のようだった。
「真田先輩、冬場は日没が早くなりますし、少し下校時のパトロールを強化した方が良いと思ったんです。これでどうでしょうか」
 彼女はじっと私を見上げてゆっくりと言った。
 へえ、真面目な子なんだな、と私が彼女を見ると三島さんは嬉しそうに笑って、照れたようにちょっと俯く。黒いサラサラとした髪は肩の辺りできれいに切りそろえられ、大きな目のしっかりとしていそうな可愛らしい子だった。
 私がその資料を広げると、隣から真田くんが覗き込んでくる。
 当然、そんな真田くんを柳生くんと三島さんは、ちょっと不思議そうに見ている。
「……さん、風紀委員の仕事に興味がおありですか?」
 これまた意外な、と言った風に柳生くんが声をかけた。
 真田くんは顔を上げると、
「ええ、ちょっと生活態度を改めようと思い、参考に」
 などと言う。ううーん、違和感のある発言だけど、まあいいか。
 私はこんな資料を見ても良いんだか悪いんだかよくわからなくて、へえご苦労な事だなあ、としか言いようがないんだけど、真田くん、どうなのコレ。
 と、思いつつ彼を見ると、彼はうんうんと満足気に肯いていた。コレでいいって事かな。
「……うむ、いいのではないか。よくできている」
 私は二人にそう言って、資料を柳生くんに返した。
「では、委員会ではこの案で話し合ってゆきましょう。三島さん、わざわざありがとうございました」
 私も彼にならって三島さんに労いの言葉をかけると、彼女は私たちにぺこりと頭を下げて自分の教室へと去って行った。
 自分の席に戻りながら、なるほどねぇ、と思う。
 きっと彼女は、真田くんを好きなんだ。
 どこがどうって言うほどではないけれど、真田くんを見る目が柳生くんを見るそれとは少しだけ違う。そして私の隣にいる、私の姿をした真田くんをちらりちらりと複雑そうな視線で見ていた。
 真田くんはそういうの、全く気付いてないんだろうなあ。
 なにしろ、直球勝負の人ですから。
 真田くんを好きだという女の子は結構いるんだよと友達から聞いてはいたけれど、実際にそういう子を見るのは初めてだった。彼は確かにいかめしいしとっつきにくい人だけど、誠実でいい人だしなんといってもテニス部の有名人だ。そういう子がいてもおかしくはない。
 真田くんが女の子と話すところってあんまり見たことなかったけれど、そうか、委員会とかで話す事もあるよねえ。当たり前だけど。
 やきもち、というまでの事ではないけれど、私は今まで知らなかった彼の交友関係というかそういうものを目の当たりにしてちょっと妙な気持ちになった。
 真田くんにニコニコと嬉しそうに接する女の子というのは、あんまり見たことがなかったし、それに彼女はイメージ的にとても真田くんに似合いそうな雰囲気の女の子だったから。真田くんに、というか真面目な男の子に似合いそうな可愛らしい真面目な感じの女の子っていう事。

 真面目な、といえば真田くんは真田くんなりに私らしく過ごそうとしてくれてはいるのだけれど、どうやらいいかげんな私が真面目なフリをする事よりも、根が真面目な真田くんがいいかげんなフリをする事の方が難しいようだった。
 休み時間、本を読んだりなんかしていても、真田くんは私の友達に時折からかわれては戸惑っている。
、そんなに真田にひどく叱られちゃったの? ほんと、昨日から大人しいじゃん。 真田の言う事だったら、ちゃんと聞くんだねえ、こーの恋する乙女ってば!」
 千佳のこんな声が聞こえても、真田くんである私はフンと聞こえないふりをしていればいいわけだから楽なものだ。ちらりと横目で見ると、真田くんは居心地悪そうにうつむいたまま。
「ううん、別にそんな、真田くんのためだとかそんな事じゃないから!」
 ちょっと眉間に皺をよせて照れくさそうに言い返しながら、手元の本に目を落とす。
 そんな態度が面白いのか、今度は別の男友達がヤイヤイ楽しそうにからかうのだ。
 ちょっと自分で自分の姿を言うのも何だけど、真田くんてば、結構可愛らしい対応になっているじゃないの!
 真田くんと宿題をやるようになってからの私のノートは、友達から頼られる事も多いのだけど、そんな友達に頼まれてノートを貸したりする時も『ちゃんと自分でやって来ないとダメでしょう』などと説教をしてから、『今回だけだから』みたいに貸してあげてる。普段の私は、あーハイハイと貸すだけだったんだけど。
 そんな、普段とは少々趣の違う私は、意外にクラスメイトに好感がもたれているようなのだ。
 私は、休み時間ごとにそんな真田くんと友人たちを妙な気分で観察していた。
 真田くんが女の子のふりをすると、アレだ、私はハタと納得する。
 あれって、ツンデレ!
 ツンデレだよ、真田くん!
 本来の私とはちょっとキャラが違うけど、まあいいか。
 


 昼休み、この日も私たちは外に出てお弁当を食べていた。
 お互いそれぞれの家での様子を報告しあった。
 私は、来週になったら真田くんのお兄さんが真田くんとの稽古を楽しみに帰ってくるらしい、と伝えた。尚、真田くんのお母さんが、一度私を連れて来なさいと言っていたという事は言わなかった。なんとなく気恥ずかしかったから。
 そして真田くんによれば、私が真田くんとトレーニングを始めた事をうちの母親と父親はいたく感心しているらしく、私がちゃんと宿題をやるようになって、そして尚かつ規則正しく生活するようになりとても良い事だ、と喜んでいるらしい。私にそう伝える真田くんが、少々ご満悦気味なのがちょっとシャクなんだけれど。
 とりあえずお互いの学校生活及び家庭生活、なんとかこなせているようだ。
 この調子で順調に行くといいんだけど。
 そんな風に二人で話していたら、私たちの元に人影がやってきた。
 はっと顔を上げると、それは柳くんだった。
「やあ弦一郎、それにさん。今日は外も結構暖かいな」
 いつもの穏やかな笑顔。
「ああ、蓮二。冬でもやはり、外で飯を食うのはなかなか気持ちいいものだぞ」
 私はそんなに身構えることなく、自然に受け答えをする事ができた。
 なんだか柳くんの顔を見るとほっとする。
 柳くんと真田くんが仲良く話しているところは、以前からよく見ていたからどんな風に話せば良いか、わかりやすいしね。
「弦一郎、今日の放課後、少々時間を取れるか?」
 柳くんは私を見てから、ちらりと真田くんにも目をやって言った。
 そう、柳くんはいつもこういう風。私に特に声をかけるという事をしなくても、私の事を気遣うそぶりをしてくれる。まあ、よく気遣いのできる優しい人なのだ。
 しかし、柳くんはどういった用事なのだろうか。
 その点は少々不安で、私はちらりと真田くんを見た。
「ああ、うむ……取れない事もないが、何かあるのか?」
「精市が、久しぶりに皆で集まらないかと言っている。もうすぐ冬休みだろう? 休み中に一度くらい皆で赤也を鍛えてやろうじゃないかと、そういった打ち合わせでもしようという話だ」
 ああ、皆というのは当然テニス部の皆の事ね。
 なるほど、あのメンバーで集まるのか……。そのうち来るかなーって思ってたけど、うーん、ちょっと緊張するなあ。でも行かないといけないだろうな。
 そう考えながら、うむ、わかった、と返事をしようとすると、ふいに真田くんが口を開く。
「柳くん、放課後は私が真田くんにトレーニングを見てもらう予定が入っているのだけれど」
 意外なフォローに私が驚いて真田くんを見ると、柳くんも少々驚いた顔で私の姿をした真田くんを見た。
さんのトレーニング? ほう、一体何をしているんだい?」
「身体を鍛えようと思い、筋トレを」
 さらりと答える真田くんを、柳くんは、ほうと微笑んで見た。
「そうか、それは良い事だな。が、我々の集まりはそんなに時間は取らせない。軽いものでも食べに行って話をしよう、という程度のものなんだ。ああ、よかったらさんも一緒に来たらいい」
 えっ、それはちょっと思いもしなかった展開。
 真田くんが一緒に来てくれたら心強いけど、でも私は、男の子たちの集まりに彼女面して(まあ、彼女なんですけど)ついて行くっていう方じゃないんだよなあ。それに真田くんも、そういう場に私を連れてゆくような性質ではあるまい。ここはひとつ男らしく、『いや、は先に帰っていろ。トレーニングは、後で見てやるから』と言うところだろう、と口を開きかけると、
「ありがとう、柳くん。じゃあ私も一緒に行かせてもらうから」
 と、真田くんが言うのだった。
 えっ!
 意表を突かれた私は、ついつい真田くんを見つめる。
「そうか、わかった。じゃあ弦一郎、放課後、正門のところに二人で来てくれ。それでは、邪魔したな」
 柳くんは私たちに微笑みかけるとその場を去って行った。
「……真田くん、一緒に来るって、どうして?」
 彼がいなくなった後、お弁当を食べながら私は彼に問うた。純粋に、彼の意外な言動の理由が知りたかったのだ。私のふるまいがそんなに心配なのだろうか。
「どうしてと言っても」
 彼の表情はやけに険しい。
「お前を一人で、あいつらの中にやるわけには行くまい」
「……でも、真田くんらしくふるまって休みの間の日程を決めて帰ってくるくらいは一人でできると思うよ。テニス部の集まりに私がついて行くなんて、普段の真田くんや私らしくなくて、ちょっとヘンじゃない」
 私が言うと、真田くんは眉間の皺を深くする。
「じゃあ何だ、お前は俺が行くと邪魔だと言うのか? 一人で行きたいのか? お前はこうなってからいつも心細げだったくせに、話す相手が蓮二だったら、にこやかに『蓮二』などと言って自然に話しているが、蓮二さえいれば安心だと言うのか?」
 ああ、そういえばそうだった。
 私はペットボトルのお茶をごくりと飲んだ。
 真田くんは、こう見えて少々やきもち妬きなところがある。
 でもそれは、そんなにネチネチしてなくて極めてストレートなサッパリしたものだけど。
 それにしても、こんなややこしい時に発動しなくてもいいのに。
 そもそも今の私の姿って、真田くんなんだし。
「……ううん、もちろん真田くんが一緒にいるのが一番安心するよ。ただ、真田くんがテニス部の皆と一緒にいるときに私が割り込む事ってあんまりなかったし、私、そういう事する方じゃないから恥ずかしいなって思ってるだけ。それに真田くんも、その、あんまり皆のいるところで私と一緒なのって苦手なんじゃないかなって……」
 そしてそういう時は、私も極めてストレートに返す事にしている。大概真田くんはそれで納得してくれるから。
「確かに俺はからかわれたりするような事は好かんが、お前との事はなにも皆に隠し立てするような交際ではないだろう。俺の事なら大丈夫だ。お前に恥をかかせるような事はせん。安心しろ」
 と、いつものようにそれであっさりとやきもちモードはおさまったようなのだけど、私の言ってる意味、ちゃんとわかってるかなあ、真田くん。真田くんは私の姿でのこのこ皆の中に交わったりせず、大人しく先に帰っているっていう方が、正しいやきもち妬きの人のあり方だと思うのだけどね。
 まあ、柳くんが言うようにちょっと何かを食べながら話して打ち合わせてっていう感じで、すぐ済むのだろうしそんなに心配しなくても大丈夫だろうけど。
 けど、ふと私は昨日の仁王くんと幸村くんの顔を思い出した。
 ちょっとばかりからかわれたりしても、真田くんはちゃんと上手いことあしらえるだろうか。
 やっぱりちょっと心配かもしれない。
 一緒に行っても行かなくても、どっちにしても私は心配ごとからは逃れられないようだ。

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2008.1.4

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