● 恋は最後のフェアリーテール(5)  ●

 さて、朝の道場での稽古については免除してもらったのだが、4時起きという習慣の変更までも許されたわけではない。
 じゃあ4時に起きて何をするのかと言うと、それは当然ながら道場の稽古に差し替えとされたトレーニングだ。私は朝起きて簡単に食事をすませると、自転車で自分の家に向かった。
 家の門の前では、すでに真田くんがジャージ姿で仁王立ちになっていた。
「遅いぞ、。4時に起きてきちんと自転車をこいでくれば、もう5分ほど早く到着するはずだ」
 ダルいなーなんて思いながらタラタラと自転車をこいできたのは、お見通しのようだった。
 トレーニング内容はおなじみの有酸素運動と筋トレ。
 もう、具体的内容は省略する。
 まったく、軍隊みたいじゃない。私たち一応受験生だというのに、何このスケジュール。
 真田くんの指導内容を消化した後、私は自転車の籠からバッグを取り出した。
「真田くん私ね、ちょっとお風呂入る。この時間だったら、うちのお母さんもお父さんもまだ起きてないから」
 昨日のトレーニングで懲りて、私は今日はそのつもりで着替えを用意してきた。
 一応勝手知ったる自分の家だし、学校に行く前にさっさと風呂を使おうと思ったのだ。
 昨日は自分の家に関してはちょっとセンチメンタルな気分になってしまっていたけれど、もう汗だくだし今はさくっと割り切って風呂に入りたい。
「そうか。お前の家なのだし、好きにしろ」
 そりゃあ、まあ真田くんがダメだというわけにも行くまい。
 私はそそくさと風呂場に向かおうとして、ふと気になっていた事を口にした。
「ところで真田くん、昨夜、ちゃんとお風呂に入れた?」
 真面目な顔で彼に問い詰めた。今だって、真田くんも私の体で散々走ったりなんかした後なのだから、ぜひともきちんと汗を流してから学校に行ってもらいたいのだけど。
 そう尋ねると、彼はきゅっと眉間にしわをよせて不機嫌そうな顔になる。
 いいのいいの、真田くん、お互い様だからね、と私は思いながら彼を見ていると、彼はブンブンと首を横に振るのだ。
「いや、入っておらん。入るわけには行かないだろう」
 ええー!
 私は叫びそうになる。
「それは困る! 昨日だってあんなに汗かいたんだから、ちゃんと入って!」
 私が険しい顔で彼に言うと、彼もキッと私を睨み返す。
「なんだと! お前は、自分の体が男の目に晒されても良いというのか! なぜもっと自分を大切にせん!」
 そしてびっくりするくらいに激しく怒鳴る。
 家族が起きるから、やめて! と、私はあわててなだめた。
「いや、真田くん! 自分を大切にするなら、まず清潔第一でしょ! その……私だって真田くんの体でお風呂入っちゃったし、私なら構わないから、お願い、ちゃんとお風呂入って! お風呂も入らないで学校なんか行かれたら、私イヤだから!」
 昨日の朝のブラジャー問題以上に私は懇願した。
「しかし、! 裸なのだぞ! お前の裸を、俺が見るのだぞ!」
 もう、かえって恥ずかしいから、裸裸言わないで真田くん!
 こんなやり取りで、時間はどんどん過ぎてゆく。このままでは私もお風呂に入れず、朝っぱらから汗だくのままで学校に行って一日すごさなければならない。ちょっと私にはそういうの考えられない。
 しばらく私は考えを思い巡らせて、はっと彼に提案した。
「じゃあ昨日の朝みたいに、真田くんは目隠しをして! そして、私が一緒に入ってきちんと洗うから!」
 意外な事に、真田くんはこの提案を受け入れたのだ。



 我ながら、非常に奇妙な絵づらだ。
 私の体で目隠しをして裸になってふんぞり返った真田くんを、真田くんの体で素っ裸になった私が、キュッキュキュッキュと背中を流したりしているのだ。
 とにかく私の体には、女子中学生として最低限の身だしなみを保って過ごしてもらわなければ困る。唇を噛み締めてぎゅうと両手を握り締めたままの真田くんに構わず、私は家の犬を洗うような気分で手早く洗って行った。自分の体を自分で洗うなんてそりゃあ珍妙な気分だけど、仕方がない。
 洗い終わった真田くんを浴槽に放り込んで、私もさっさと身体を洗うと続いて浴槽につかった。
 真田くんはなんだかんだ言って、気持ちよさそうにふんぞりかえり、なにやら演歌調のハナウタを唄っている。まあ、お風呂に入ってすっきりしたかったんだろうな、本当のところは。
 しかし、まだキスまでしかしたことのない私たちが、素っ裸で一緒にお風呂に入るようになるとは思いもしなかった。しかも当然ながら、まったく色っぽい気持ちにもなりはしない。一仕事やり終えた、という感じだけだ。
 これはこれで、ほのぼのとしていいものだと思わないでもないけど、ちょっとなァ……。
 私は浴槽の中で膝をかかえながらため息をついた。
 浴槽のヘリにもたれかかっている、私の体をした真田くんを見るというのはどうにもヘンな感じ。自分の体をこうやって見る事自体、なかなかない事だしね。
 そうそう、こうやって客観的に自分を見るとなんだかヘンな感じなのがどうしてなのか、お風呂に入ってみてちょっとわかった。いつも鏡で見る自分は、鏡だから左右が反対なんだよね。だから鏡に映したのじゃない自分の顔とか髪型って、ちょっと違和感がある。真田くんの目には、私ってこんな風に映ってたんだなあ。こんな時なんだけどね、なんだかしみじみ考えてしまった。
 真田くんの目に映る私、か。
 真田くんは頑なに目隠しを取らないわけだけれど、私の体って真田くんにはどう映るんだろう。真田くんには、別に構わないから、なんて言ったもののやっぱり裸を見られるのって恥ずかしいかもしれない!
 私は急に照れくさくなって思わず体を縮こめて両手で顔を覆ってしまうけれど、浴室の鏡に映った真田くんのそんな姿はどうにもヘンテコなので、すぐにやめた。

 そして、風呂から上がっても真田くんはまったく自分で着替えようとしないのだ!
 どこの殿様だ! 朝の忙しい時間に! 
 と私はさすがにキレそうになる。
「体を拭く際、あやまってお前の体に触れてしまってはいけないだろう!」
 彼はそう主張するのだ。
 私は彼をギュウギュウとバスタオルで拭きながら、何度目かのため息をついた。
「真田くん、今は非常事態なんだし、そんなに頑なに律儀でいなくても私ならホント、気にしないから。あのね……そりゃあ他の人だったらイヤだなあと思うし、勿論恥ずかしくないわけじゃないけど、真田くんにだったらね、恥ずかしいけど別に見られてもいいなあって思ってるよ」
 彼を宥める意味合いと、あと、実際に思ってる事を彼にゆっくりと言った。
 真田くんは私に髪を拭かれながら、ずり落ちそうな目隠しの手ぬぐいをずいと持ち上げた。
「……今、見てしまうのは、フェアじゃないだろう」
 そして静かに言った。
「はあ? フェア?」
「……そうだ。お前の意思に関係なく、俺がお前を凝視するというのは、フェアじゃない」
 いや、何も凝視しなくてもいいんだけど……。まあ、フェアじゃないってねえ、わかるようなわからないような……。でも、真田くんらしいかもしれない。
 だけど、ほんと、手がかかるな……。
 私は真田くんに、パンツの前後ろが分かるように、ハイこれ履いてください、と手渡した。彼はおそるおそる、といった風にそれを身に付けそして昨日のようにお姫様よろしく服を着せられて行った。
「時に、
 ようやく目隠しを取った真田くんは私を見て言う。
「昨日から思っていたのだが、お前のパンツはどうにも小さくて心もとない。もっとこう、ヘソのあたりまであるしっかりとした奴でないと落ち着かんのだ。パンツだけは、俺のものを使っても良いか」
「良いわけないでしょ!」
 当然私は頭ごなしに怒鳴りつけた。ちなみに真田くんのパンツは白ブリーフだ。私がそんなものを履くなんて、絶対に許せるわけがない。真田くんが私の体で白ブリーフを履くというのなら、私も真田くんの体で私のパンツを履いてやるという自爆テロ的行為の覚悟だってある! と言おうとしたら、まあ真田くんもダメ元で言ってみただけのようで、さすがにそれ以上は食い下がっては来ない。が、やはり私のパンツにはどうにも釈然としないようではあった。まあ、慣れてください、お願いだから。
 なんとか真田くんの身なりを整えて、家の家族にも気付かれぬうちに脱出し、私たちは学校へ向かった。
 登校前からこの疲労感。
 私たち、これから一体どうなるのだろう。
「あ、そうだ真田くん」
 私は携帯電話を取り出してメールの画面を開いた。
「あのね、私の友達にはね、私は今ちょっと真田くんに生活態度について叱られてて、諸々謹慎中でおとなしくしてるって、そう言ってあるから」
 私たちは携帯は互いに自分のものを持つ事にした。
 かかってきた電話には出られないけれど、それはどうとでもなるし、メールでならなんとかそれぞれに自分として知人とやりとりができる。真田くんは普段はあまりメールを使わないから少々不便かもしれないけど、私としてはメールでとして友達とやりとりができるというのは、やはり心の均衡を保つのに大いに役立ちそうな気がしたから。
「うむ、そうか。わかった。それでは休み時間は本を読んだり、普段どおり授業の予習や復習をしていて構わないのだな」
 真田くんはほっとしたように言った。私の友達と騒がなければならないというのは、彼にはちょっとハードルが高かったのだろう。
 私は電話を取り出したついでに、ふと思いついて母親にメールを打った。
 真田くんと朝のジョギングやなんかを終えて、今一緒に学校行ってるよ、という一言。
 送信をすませてパコンと画面を閉じてポケットに入れるとすぐに電話が振るえて、早々の返信。健康的で何よりね! だって。
 なーに呑気な事言ってるの、なんて心でつぶやきながら電話を鞄にしまったけれど、普段ならなんてことのない母親とのやりとりに、なんだかちょっと涙が出そうになってしまった。

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2008.1.3

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