● 恋は最後のフェアリーテール(3)  ●

 テニス部の男の子で真田くんとつきあう前から話した事があるのって、丸井くんとジャッカルくん、あと去年のクラスメイトと知り合いだった切原くんくらいか。
 そのあたりの子は結構私の友達とも親しくて、海原祭の時なんかに写真を撮ってあげたりいろいろ話をしたっけ。
 けど、仁王くんと幸村くんは、ほとんど話した事ないんだよなあ。
 幸村くんは病気で夏までは休みがちだったという事もあるし、なんというか、すごくかっこよくて優しげで落ち着いてて女子にも人気なんだけど、あまりにも出来すぎでね、苦手。勿論すごくいい人でしっかりしてるんだろうなあと思うけど、ちょっと私が打ち解けておしゃべりするようなタイプじゃない。
 仁王くんもこれまたものすごく女子には人気で、確かにキレイな顔をしたあんまり運動部っぽくない粋でスマートな男の子なんだ。
 けど、なんて言うんだろう。ふわりふわりとしていながらも、触れなば斬らん、というところがあるのだ。
 実は私は彼とは少しだけ話をした事がある。去年の海原祭の時に、片付けか何かで一緒になって二人でほんのちょっと話をしたっけ。
 でもその時、ああきっと彼は他人の『隙』をあっという間に見抜く人なんだって思った。
 別に何があったってわけじゃないの。
 一言、『は今、つきおうちょる奴、おるんか』って聞かれただけ。
 それに対して私はすぐさま、『いないし、別に興味ない』と答えて(まあ、興味ない、というのはウソでしたけれど)、さっさと片付けに戻ったんだった。
 仁王くんが特に私を好きだったとかそういうのではなくて、多分彼はちょっとした私とのやりとりを楽しみたかったんだと思う。つまり、彼は女の子との微妙な恋の駆け引きの過程を楽しむタイプだ。そして私は、仁王くんを好きとか嫌いだとかいう以前に、そういった駆け引きをまったく好まないし苦手な方なのだ。だからこそ、真田くんみたいに剛速球のド直球みたいな人が好きなわけで。つまり、私はよく友達から「サバサバしてる」みたいに言われる事もあるけれど、要は結構照れ屋なんです。
 そんなわけで当時の私は、さっさと彼に『私とは会話は楽しめませんよ。からかう対象にもなりません』というサインを出してトンズラしたというわけ。当然彼もそういうサインはきちんと察するようで、それ以来も私が真田くんと待ち合わせた時に顔を合わせたりすれば挨拶をするという程度。
 ちょっと話はそれてしまったけれど、私はそんな二人に呼び止められたものだから緊張してしまう。けど、無視するわけにはいかないだろう。だって真田くんなんだから。
 まあ単に友達なのだし、たいした事は言われないだろう。面倒な事を言われたりしたら、『たるんどる!』とか言ってドスドスとその場を去れば良いよね。
 そう自分を元気付けながら、私は『うむ、なんだ』なんて言いつつ二人の傍に歩み寄った。
「よぉ、真田、丁度良いところに来た」
 仁王くんが笑いながら、男の子同士がよくするように私の肩にぐいっと手を回してきた。いかにもちょっと内緒話をしますよ、という風で私はどきりとする。
「仁王がちょっと妙な話をするものだからね」
 隣に立っている幸村くんは、にこりと上品に笑った。
 ハイハイ、何でしょう。テニスの事とか聞かれたら困るなあ。
「真田、今朝、と二人で公園のトイレに入っちょったじゃろ」
 さらりと言う仁王くんの一言に、私は思わず自分の表情がこわばるのが分かる。
 そして二人が何を言いたいのかも、概ね理解した。
「仁王が今朝そんなところを見たって言うんだけどね、まあ、風紀委員長の真田の事だから、特にいかがわしい目的なわけはないだろうって俺は言ってるんだよ。けど、ほら真田がつきあってるさんって、あのちょっと目立つきれいな子? なかなか積極的な子だって言うじゃないか」
 幸村くん、可愛らしい笑顔でまっとうな事を言うかと思えば、何を最後に余計な事をつけくわえるの。穏やかに笑っているけれど、明らかに他人の隙を見逃すまいというような表情だ。
 私はムッとして彼を見た。
「いやいや、幸村。はああ見えて、存外ガードのきつい女ぜよ。真田も結構苦労しちょるのと違うか。で、どうじゃったんじゃ? 上手いこといったんか?」
 仁王くんは私の肩に手をまわしたまま、返答を促す。
 私は男の子の友達とそれなりにさばけた話をする事も多いけど、やっぱり男の子だけで話す男同士の話って、
 オ・ゲ・ヒーン!
 いや、冷静に考えるとそれほどの話でもないけど、ろくに口もきいたことのない幸村くんや仁王くんに、私の事がこんな風に話題にされたりしちゃうのかと直に耳にするとなんとも生々しい!
 それに今朝の出来事だって、よしんば仁王くんが邪推するように私と真田くんが何やらいたしていたというのが事実ならば、私だって『仰せのとおりです』と開き直る気分にもなれるけど、今朝は本当にあの真田くんを説得して着替えさせるのに私がどんな苦労をしたと思ってるの。
 なんて事を考えていたけれど、当然ながら彼らにそんな事を言うわけには行かない。
が足のウオノメが痛いというので見てやっていたのだ!」
 私は憤慨したまま怒鳴って、仁王くんの腕を振り払うとその場を去って購買に向かった。
 普段ならもうちょっとスマートに受け答えるだろうに、さすがに私も動揺していたらしい。はウオノメ持ちの女、などといらない風聞の元まで作ってしまった。
 購買部から教室に戻ると、真田くんは既に図書館から戻ったようで本を広げていた。
 通りすがりに、一体何を借りてきたんだろうとちょっと覗き込んでみると、『鬼平犯科帳』シリーズだった。
 まあ、いいけど。
 どうせならもっと建設的なものを借りてくればいいのに。建設的なものっていうと……ほら、私たちのこの状況は一体どうしたら元に戻るのかっていうのが分かるかもしれないような本とかさ。それがどんな本なのかは知らないけど。
 私は自分の席に戻って買ってきたペンをカチカチといじりながらため息をついた。
 私は、そうだな、真田くんがいつもしているように授業の予習でもするふりでもしておくか。
 教科書とノートを広げると、彼の筆圧の高いきっちりした筆跡。
 制服のジャケットの上から、私は自分の腕に力をいれてぎゅうぎゅうと押さえてみた。
 がっしりと太い腕に、しなやかでたくましい筋肉。私の体とはぜんぜん違う。
 朝目覚めてから今まで、あまりの突拍子もない出来事にとにかく突っ走ってきたけれど改めてとんでもない事になったなぁと思う。
 テレビか何かで言ってたっけ。人は危機的な状況になると、楽観的になって一見平気そうにすごしてたり、ふっと深刻になって絶望したり、ぐるぐるといろんな気分を繰り返すんだ、みたいな事。
 私はこの、どこからどう見てもがっしりした男の子の身体をした自分を実感して(さっき、トイレも行きましたし)、そして仁王くん達といかにも男の子同士という感じの話をしてみて、本当に自分は大変な事になっているんだと思い知らされた。勿論私だけじゃなくて、真田くんもだけど。
 もしも、もしこのまま元に戻らなかったら、これから年をとって60歳とか70歳になってもこのままって事? そうしたら、私はこれまで女の子でだった時よりも、男の子で真田弦一郎でいる時間の方が長くなるっていう事? そんな将来の自分は、一体誰なんだろう? 私自身なの? 真田くんなの? だとしたら昨日までの『私』は一体どこへ行ったの?
 始業のベルが鳴っても、私はそんな具合に暗澹たる気分で、さっぱり授業の内容は頭に入って来なかった。

 昼休みは、購買で買ったお弁当を持って真田くんと二人で外へ行った。
 私も真田くんも、大抵の場合家からお弁当を持ってくるのだけど、今朝はそれどころじゃなかったから。私は家の事を考えると、またがっくりと暗い気分になる。だって、学校でさんざんハラハラしてからようやく帰る家は、自分の家じゃなくて真田くんの家なんだ。帰っていつもみたいに、うちのお母さんにあれこれ愚痴を言う事もできないなんて。
 私ががっくりうなだれてお弁当を食べていると、真田くんが箸を置いてじっと私を見た。
……大丈夫か?」
 そして、心配そうにつぶやいた。私はあわてて顔を上げる。
「……ううん、大丈夫、じゃないけど、真田くんだって同じだし、なんて言うか……」
 虚勢を張る気分でもなくて、力なく返事をする。ああ、こんなんじゃまた真田くんに叱られるんだろうな。だけど仕方ない。ほんと、元気出ないもの。

 すると彼はまた静かに言った。
「……俺も実際のところ混乱しているし、今さしあたって名案があるという訳ではない。が、諦めは愚か者の結論だ。まずは我々にできる最善の事をしようではないか。周囲の者に心配をかけぬよう、それぞれの役割をきちんと果たす事だ。そして、落ち着いて過ごしていればきっと活路が見出せよう。が心細いのはよくわかるが、俺がついている。俺は今はこのような不甲斐ない姿ではあるが、きちんとを守れるよう努めてゆくから、心配するな」
 真田くんは箸を置いてくっと背筋を伸ばし、私を見上げてまっすぐな目で言うのだ。
 なんだか戦争映画の鬼軍曹みたい。
 猫背気味だった私も、きゅっと背筋を伸ばしじっと彼を見た。
 このような不甲斐ない姿って、それ、私の体なんですけどね!
 ちょっとそんな事を思いつつも、今の私よりずっと小さい体でそれでも凛と私を励ましてくれる彼は本当に心強くて、私の胸はぎゅううと熱くなる。
 なんだか、泣きそう。
 だけど、泣かない。
 だって、これ、真田くんの体だもの。
 きっと真田くんは、泣いたりしないから。
 やっぱり真田くんはどんな風になっても真田くんなんだな。
 私は、やっぱり真田くんが好きだ。
 泣きそうな私は何も言えなくて、うんうんと彼に向かって肯いた。
 彼は手を伸ばして私の頭にそうっとその小さな手を置いてくれた。
「ああそうだ、
 そして彼は思い出したように、ジャケットのポケットから紙切れを取り出した。
「今朝、口頭では伝えきれなかった、俺の一日のスケジュールだ」
 まぎれもない彼のきっちりした字で書き込まれたルーズリーフ。
 そこには21時就寝4時起床のおなじみのスケジュールの他、朝の道場での剣の稽古から夕方の筋トレメニューまでが事細かに記されていた。
「……これ、私がやるの?」
「当たり前だろう。俺の体がなまっては困る。ちゃんとにもわかりやすいよう、筋トレは何回×何セットかも書いておいた。心配するな、最初は俺がきちんと手取り足取り教えてやる」
「えー!」
 確かに彼の言い分はわからないでもないが、なんだか釈然としないものがあるのも事実。
 ……やっぱり真田くんはどんな風になっても真田くんだ。

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2007.12.31

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