● ダンス(4)  ●

 うちの学校では毎年夏に、姉妹校への研修旅行というのがあるのだけれど、前にも言ったように海外交流委員でその研修旅行の下準備をする。
 氷帝の海外の姉妹校は四箇所で、それぞれドイツ、フランス、イギリス、イタリアにある。行き先は学年ごとに違っていて、つまり私たちの学年が去年行ったところには今年の二年生が行くので、申し送りをする。そして私たち三年生は、高等部の先輩から申し送りを受けるというわけだ。
 ちなみに今年の三年生の行き先は、イタリア。
 ミラノの近くにある学校で、私は前からそこに行くのを楽しみにしていた。
 しかし少々問題があるらしい。
 イタリアの姉妹校は今年大きな改築に入っていて、大勢の受け入れが難しいかもしれないという事なのだ。正式に向こうから断りが入ったというわけではないのだが、担当の教師が言うには、状況を配慮して行き先を変更する可能性もあるという事だった。

 研修旅行に関する会議を終えて教室に戻ると、少々落胆した気分で私は自分の席についた。
 イタリアから変更になるとすると、イギリスだ。
 イギリスだと私が留学で行っていた先で、まあ懐かしいと言えなくもないけれど、せっかくだから行った事のないところへ行きたいのに。
 机に向かってため息をついていると、跡部くんが何やら手に書類を持ってやってきた。
 そして当然のように、私の隣の人の席に腰掛けるとその書類を私に見せる。
「先生のところに送ってきた、イタリアの学校の状況を記した書類だ。職員会議でも検討するそうだ」
 おそらく先生に言ってコピーをもらってきたのだろう。
 イタリア語と英語の混じった何枚もある文書だった。
 彼はそれを、私に解説してくれようとする。
 私は書類をめくる彼の手を制止して言った。
「それ、コピー取らせてもらって良い? 大学部のピーターがそこの学校出身だから、それ、読んでもらってどんな様子か聞いてみるから。跡部くんは部活とか生徒会でも忙しいでしょう?」
 私がそう言うと、跡部くんは一瞬眉をひそめ、そして書類をポンと私の机に置いた。
「このまま持っとけ。コピーはいらねぇよ」
 そう言うと、いつものように鼻をならして自分の席に戻っていった。
 私はほっと胸をなでおろす。
 跡部くんと二人で共同作業をするというのは、落ち着かない。
 周りの女の子からチクチク言われるのも理由のひとつかもしれないけど、それだけじゃなくて、なんだろう。
 とにかく、落ち着かないのだ。


 私は携帯電話のメールで連絡を取って、イタリアからの留学生、ピーター・アレンツォとサロンで待ち合わせた。そして彼に書類に目を通してもらう。
 相手側から来た文書によると、研修旅行において若干問題になりそうなのは、学校の改修がいつ終るかによって、どの程度の見学や実際の研修ができるかが異なってくるという点と、あと宿舎の問題だった。毎年生徒の宿泊に使わせてもらっているその学校の研修用の宿舎も工事が入っているそうで、確かにそれが間に合わなければ研修旅行は難しいかもしれない。
 私の希望的観測で言えば、見切り発車で決定してしまえば向こうも急ぐだろうし、なんとかなるんじゃないかと思ってしまうのだけど、先生にしてみれば確実なところに行き先を変更したくなるのも仕方がないだろう。

「施工業者がどれだけ急いでくれるかにもよるしね。実際に行って様子を見たりすればよく分かると思うんだけど、そうもいかないし。まあ、どんな様子か、なじみの先生に僕も聞いておいてあげるよ」

 栗色の巻き毛のピーターはそう言ってくれた。
 彼は小柄でキュートなイタリア人で、私の親しい友人の一人だった。

「じゃあ、僕はサークルの集まりがあるから、これで。またね」
「ありがとう、無理言ってごめんね!」

 私はサロンを後にする彼に手を振った。
 すると彼と入れ替わりに、男女が入ってきた。
 跡部くんと、誰か知らない女の子だ。
 一緒にやってきた、というより彼に彼女がついてきたという風だけど、実はこういう風景は珍しくない。
 彼に特定の恋人がいるのかどうかは知らないけれど、とにかく彼は女の子が傍にいる事が多かった。けれどそれは年がら年中はべらしているという訳ではなくて、彼にその気がない時は、非常にストイックに黙々と一人で行動していたりテニス部の部員達と行動していたりだし、ふっと彼が何かの気分でそんな結解を解く時、彼の周りの女の子は見事にそれを察してすっと彼に話し掛けたり、行動を共にしたりしているのだ。
 決して嫌味な意味合いでなく、彼はそうやって女の子のあしらいが実に見事で、そんなところも本当にたいしたものだなあと、私はいつも感心してしまう。
 きっとあの、特定の誰のものでもない感じが、女の子たちを惹きつけたりするのだろう。
 そんな事を考えながら、彼を見ていたら、彼はずかずかと私の方にやってきた。
 あわてて彼の後を追う女の子に、振り返って彼は何かを言った。彼女は立ち止まると不満そうに一瞬私を見て、くるりと踵をかえしてサロンを出て行った。

「……ピーターは何て言ってた?」

 彼は静かにそう私に尋ねる。

「それより彼女、いいの?」

 私は気になってしまい、つい言う。

「女の事はお前には関係ないだろう」

 彼は表情も変えずに言い、私は少々ムッとした。けれど、何も言い返す事はない。
 私はピーターと話した事をそのまま彼に説明した。

「そうか、微妙なところだな。しかし夏の行事だ、連休明けには確実に決定しなければならんだろう」

 彼はそう言うと、右手を上げてパチンと指を鳴らした。

「ちょうど明々後日から連休だ。現地に下見に行く。一日〜二日もあれば十分だろう」

 そして鞄から携帯電話を取り出して通話を始めた。

「……俺だ。二日の夜か三日の出発でミラノ行きを二枚手配しろ。……ああ、マルペンサでもリナーテでもいい」

 それだけを言うとすぐに電話を切った。
 私がぽかんと彼を見ていると、すぐに彼の手元の電話が電子音を鳴らす。

「俺だ。そうか、わかった。二日の夜だな。じゃあマルペンサへの迎えと宿泊の手配は任せたぞ」

 そしてまたすぐに電話を切ると、私を見た。

「というわけだ。二日の夜に出発だから、学校が終ったらすぐそのまま空港に向かう。準備をしておけ」

 私は一瞬声を上げそうになって、それを抑え、あわててサロンを出た。
 もちろん彼をひっぱって。

「それって、もしかして明後日の晩に飛行機に乗ってイタリアに行くって事? 私も?」
 人気の少ないところまで彼をひっぱってきて、私はまずそれだけを尋ねた。
「そうだ。下見をして確認するのが一番手っ取り早い。お前は委員長なんだから同行した方がよかろう」
「下見って、遠足で行く鎌倉に下見に行くのとわけがちがうのよ」
「若干時差があるだけで、同じだ。エアーは俺のマイルを使うから問題ない。この件は正式な海外交流委員の活動として、先生に報告しておく。の家には、学校から連絡が行くようになるから心配するな」
 彼は表情も変えずにそれだけを言うと、私に背を向けてさっさと門に向かった。
 門のところでは、彼の迎えの車が待っている。
 私はあっけにとられて、彼の後姿を見送るしかできなかった。

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2007.6.20

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