そんなわけで私はパーティの王子様と再会を果たしたのだけれど、学内で改めて彼の事を知ると、彼は王子様というより王様という方がぴったりだという事がよくわかった。
氷帝の中でも際立って裕福な彼は、当然成績も優秀で、所属しているテニス部でも早速頭角を表わしているらしい。そしてクールで端正な容姿に、洗練された振る舞い。
思い通りにならない事など、まずなさそうな彼は、勿論抜群に女の子達からも人気があった。
彼がそんな風で近寄りがたい、という訳でもないのだけど、私はパーティを何も言わずに中座してしまった事を彼に詫びようと思いつつ、なんとなく機会を失い、時間だけがどんどん過ぎていった。
春休みのパーティはあっという間に、はるか昔の思い出となって行く。
しかし、すぐに私はまた跡部景吾と接触する機会を持つ事になる。
クラスの全員が所属する各委員会で、私は海外交流委員に所属した。
というのは、私は交換留学をする事を希望していたし、いろいろな国の事に興味があったから。それに、クレアのパーティで留学生達と話したのが、思いのほか楽しかったからだ。
そして海外交流委員には、跡部くんもいた。
彼は生徒会役員との兼任だという。
彼は語学に堪能なようだから、確かに適任だろう。
最初に委員会で彼を見た時、私は少々驚いたのだけれど、彼は当然のような顔をして私にクククと笑った。
そう、あの時のパーティで視線を交わした時のように。
『パーティはまだ終ってないぜ』
その時私の頭には、なぜだか彼がそう言うのが聞こえたような気がした。
海外交流委員の仕事というのはその名のとおり、海外の姉妹校への研修旅行の準備をしたり下調べをしたりという行事に関する事から、普段の学園生活で異文化との交流を深めてゆく事、つまりは留学生が学園になじんでゆくサポートをしたり、また彼らから学んだ事を学園全体にフィードバックしてゆくなどという事まで幅広く行う。
だから、委員の縦のつながりというのは自ずと強くなるし、また定期的な委員会の他にもミーティングが多い。特に私と跡部くんは、例のパーティをきっかけとした、共通の留学生の知り合いも多い事もあって、クラスが違う割に接触する機会が多かった。
もちろん、私たちの学年の海外交流委員は私と彼だけではないのだけれど、中等部の委員メンバーで留学生達と英語で交渉をしたり通訳をしたりできるのは、私と彼だけだったので、実際に活動する委員としてどうしても二人に焦点があたってしまう。
冒頭の出来事のように、私が跡部くんの取り巻きの女の子に、少々つんけんされるのはそういう背景もあってなのだ。
一年生の頃は一部のそんな雰囲気に若干戸惑ったりもしたけれど、すぐに私も仲の良い女友達ができたし(主に外部入学の子なわけだが)、楽しく過ごしてゆけた。
そして二年になると、念願だった交換留学でイギリスの姉妹校に行く事もでき、私は氷帝国学園の生活を満喫していた。
日本に戻って来て三年生になり、そして私は中等部での海外交流委員長になり、跡部くんは生徒会長でそして相変わらず海外交流委員を兼任していて。
そして、同じクラスになった。
まあ、そんなわけなのだ。
留学帰りで、私服通学で、人気者の跡部くんと同じ委員で仕事をしていて。
『そりゃあ、トゥシューズに画鋲入れられても仕方ないよネー』
なんて、私の友達は腹を抱えて笑うのだけど、まあ何しろお嬢様ばかりの上品な学校だから幸いたいした実害もなく、ちょっとイヤミを言われるくらいで、それは私と友人達のちょっとした話のネタになる程度の。まあ、そんな日々だった。
「おい、。今日の昼はサロンだぞ、覚えてるか?」
私が友人と話をしていると、休み時間に跡部くんが声をかけてきた。
私はあわてて振り返る。
「うん、わかってる。エヴァとジャンが来るんでしょ? ステファンからメールがあったから」
私はそれだけを言うと、また友人との会話に戻った。
そう、今日は高等部の一年に新しく入ってきた留学生の二人に学園の案内をするために、高等部の委員と私と跡部くんを含めて食事をするという予定になっていた。ステファンというのは春休みのパーティで会った留学生の一人で、今はもう大学生になっているのだけど、新しくやってきた留学生の一人が同国だというので一緒に集まってくれるのだ。
教室で、私と跡部くんがこんな話をするたびに、女の子の一部はちらりと私たちを見る。
跡部くんは、時々こういう事を、わざとやるのだ。
私と彼にしかわからない話を、わざとみんなの前でする。
どういう意図があってかは、わからない。
けれどそういう時の彼はちょっと挑戦的な表情で、当初は私も戸惑ってしまったけれど(周りの反応に対しても)、今はなるだけそっけなく返事をしてすぐに彼から目をそらすようにしている。
そんな私のアウトプットは、彼と初めて会った時の私の態度と近似したものかもしれないけれど、私の気持ちはもうあの頃とは違う。
あの頃の私は子供だった。
初めて会った本物の『王子様』に驚いて、舞い上がってしまっていた。
当時の気持ちは若気の至りで、もう昔のものだ。
あの時、そんなそぶりを見せなくてよかったと思う。
パーティの時の話を、私たちは中学に入ってから一度もした事はなかった。
記憶力の良い彼が忘れたとは思えないけれど、きっと彼の華やかな生活からしたら、取るに足らない記憶の一つなのだと思う。
彼を嫌いになったとか、そんな事じゃなくて、何て言ったら良いのだろう。
決して自分を卑下するわけではないけれど、とにかく跡部景吾は特別すぎるのだ。
昼休み、私と跡部くんは連れ立ってサロンへ行った。
サロンでは既に、今年度入ったばかりの二人の留学生とステファン、そして高等部の委員の先輩が来ていた。
「ハイ、!」
大学に入ってから久しぶりに会うステファンは、私たちの姿をみつけると嬉しそうに立ち上がって、いつものように挨拶代わりに私を軽くハグした。ニューカレドニアが実家だという彼は、ニコニコしてとても陽気なフランス人だった。
エヴァはドイツから、ジャンはフランスからの留学生だ。
跡部くんはドイツ語も堪能なので、すらすらとドイツ語で会話をする。
私は第二外国語をフランス語で選択しているから、フランス語もほんの片言ならできるけれど、跡部くんのようにはいかない。
でも、今回みたいに英語がネイティブじゃない人と話す方が私も楽なのだ。
お互い、ネイティブじゃない英語でゆっくり話せるし聞き取りやすい。
時にはステファンが通訳をしてくれて、私たちは楽しく昼食を取った。
そしてその後、皆で学園内の施設を回る。
私は滅多に行かない高等部の施設もゆっくり回れて、結構楽しく過ごせた。
「……ちゃん、英語だいぶ上手になったね。やっぱり留学の甲斐あったのかな」
高等部の二年の佐久間先輩が優しい声で言った。
「そうですか、よかった。でもしばらく日常的に話さないでいると、すっと言葉が出てこなくなりますね」
「十分だよ。僕も交換留学希望しようかな」
彼はそう言って笑った。
昼休みが終って私たちは高等部の校庭で解散すると、私と跡部くんは当然ながら二人で中等部の自分たちの教室に向かう。
「二人とも、結構日本語上手だったね」
「ああ」
そんな、差し障りのない会話。
「……そういえばは、佐久間先輩とつきあってなかったか?」
突然言った彼の言葉に、私は驚いて彼を見た。
「……」
私はすぐに返事をする事ができなくて、しばらく沈黙をする。
というのは、彼がそんな事を尋ねてくるという事が意外だったのと、そしてその質問に答えるには私もちょっと考えさせられる事があるからだ。
同じ委員の佐久間先輩と私は、私が二年生の頃、少々良い感じではあった。
委員会以外の時に二人で会ったり、休日に二人ででかけたり。
まあそのほとんどが、語学関係の事ではあったのだけど。
彼は大人で優しかったし、私も憎からず思ってはいた。
が、さて、どうなるんだろうと思ってた頃に私の交換留学が決まり、結局はそれを機にそのまま失速したというところだ。
私の方の気持ちもリセットされてしまったし、先輩が今はどう思っているのかも知らない。一時は私もやきもきした気持ちになったりしたけれど、いつのまにかすっかり落ち着いた。ローティーンの淡い恋なんてそんなものかもしれない。
まあそんな訳なので、跡部くんの質問に答えるとしたら、こうだろう。
「ううん、つきあってはいなかったし、今もつきあってないよ」
「ふうん、じゃあ、ステファンか?」
次の彼の言葉に、また私は驚いた。
「ステファン!? ステファンはぜんぜんつきあってないよ!」
驚いてつい大きな声を出してしまった。
「ステファンはぜんぜん、て事は、佐久間先輩とは少しはつきあってたって事か?」
「……うーん、佐久間先輩とはつきあいそうな雰囲気にはなったけど、結局つきあわなかったって事。なに、跡部くん、聞きたがりのオバサンみたいね」
私はちょっと笑ってしまった。
彼はフンと鼻を鳴らす。
「ステファンはchaud lapin らしいからな、気をつけろってクレアが言ってたぜ」
「はあ? なに? ショウ・ラパン? 熱い……ウサギ?」
私は彼の言ったフランス語を直訳して首をかしげた。
「あーん? お前、フランス語取ってるくせにそんな事もしらねーのか。バカだな。好きモノのスケベ野郎って事だよ」
彼の解説によると、ウサギは動物の中でも一年中発情期らしくて、そのウサギが更に熱くなったヤツ、熱いウサギchaud lapin=スケベ野郎、って事らしい。
「そんな言葉、学校で習うわけないじゃない。それに、ステファンだってねえ、跡部くんにchaud lapinて、言われたくないんじゃないの」
私はいつも女の子達に囲まれている彼の姿を思い出して、おかしくて笑ってしまった。
「バーカ、俺は年がら年中じゃねぇし、誰でもいいって訳じゃねーよ」
また彼はフンと鼻をならす。
私はなかなか笑いが止まらない。
そういえば、彼とこんな風に普通に笑って話すのは、滅多にない事だった。
高等部の校庭で、周りにいるのは高等部の生徒だけ。
そんなせいだろうか。
私はくすくす笑いながら、校庭を抜けて中等部の教室に戻っていった。
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2007.6.19