● ダンス(1)  ●

 四月も半ばを過ぎて、新しいクラスにも慣れた。
 もちろん三年生だから、それまでの顔なじみも沢山いるわけで今更クラス替えくらいで緊張はしないのだけど。
 私は朝教室に行くと、後ろの扉から入り、自分の席に向かった。
 私の席にたどり着く前に通過しなければならない、とある席の周囲には、いつものように大勢の女の子。見慣れた風景だ。
 私は彼女たちをすりぬけるように、やっとそこを通過する。
 そして、その中心にいる人物と目が合った。

 跡部景吾。
 
 彼は相変わらず沢山の女の子に囲まれて、そしてそんな自分がどう見えているのかも全て承知していて。
 自分の椅子にややそっくりかえるように座りながら、ククと笑って左手を額に掲げながら私を一瞥する。
 私は彼と一瞬目を合わせると、おはよ、とだけ言ってまた進行方向を向いて自分の席に向かった。
 背後では、彼を囲む女の子達がまた私について一言二言文句を言うのが聞こえる。
『感じ悪い』とか『自分は人と違うと思ってるみたい』とか、そんな事。
 まあ、それも挨拶みたいなもの。
 私は特に気にするわけでもなく、自分の席に鞄を置いた。

「おはようさん」

 隣の席の友人が声をかけてくる。

「ああ、おはよう、忍足くん」

 丸い伊達眼鏡に穏やかな笑顔の彼は去年も同じクラスだった友人だ。
 彼は椅子に座る前の私を、上から下まで見て、ため息をついて言う。

、今年も基準服、着ぃひんのんか」
「……着ないよ。何度も言ってるじゃない。あんまり、好きじゃないの。パンツ見えそうだし」
「いい脚してんのに、もったいないなぁ」
 いつものように言う彼の言葉に、私はくすっと笑う。
「似合わないんだって」
 そう、私は氷帝の生徒だけれど基準服を着ない。入学した時から。特にポリシーがあるわけじゃなくて、単に、あんまり似合わなくて好きじゃないから。
 私はどちらかというと長身で、ああいう服はちょっと小柄な女の子が似合うんじゃないかと思う。
 現実的には私以外にそうしている生徒はほとんどいないけれど、私服の通学が認められる学校で本当によかったと思ってる(先生とは少々揉めたけれど)。

「……が基準服で来とったら、あいつらも……」

 忍足くんは半笑いで、跡部くんも周りの女の子をあごで指す。
「何かの折にとやかく言うたりもせぇへんのとちゃうか。はちょっと目立つし、しかも私服なんかでおるから、いちいちつっかかられるんやろ」
「忍足くん、わかってるんだかわかってないんだか。何したって、同じよ」
 私が椅子に座って、鞄から筆記用具なんかを出しながら言うと、忍足くんはため息をついてそして笑った。
「ま、せやろな」
 彼はそう言って、やれやれといった風に、また跡部くんを見た。

 私が、跡部景吾と同じクラスになったのは、今回が初めてだ。
 けれど、私は中学に上がる前に彼と会っていた。
 私はその時の事をふと思い出して、一瞬彼を振り返る。
 彼はまるで私がそうするのをわかっていたかのように、ちらと私を見ると、また笑う。
 どうせそうなるって、わかっていたのに。
 私はぱっと目をそらして自分の手元を見た。



 私は小学校卒業を機に引越しをして、そして中等部から氷帝に入学する事になった。
 卒業式の後、春休みを利用してあわただしく引越し。
 春休み期間は本当に忙しかった。
 進学の準備も勿論だけど、新しい塾やなんかの手続きやいろいろ。
 そして私はそれまで習っていた英会話を続けるために、新しい先生をつけてもらった。
 新しい先生は、うちの親の知り合いの家にステイしている、イギリスからの留学生でクレアという綺麗な大学生。
 彼女は氷帝の大学部に通っていて、私は新しく通う学校の話を彼女から聞いたりしているうちにあっという間に彼女と仲良くなったのだ。
 春休みも後少しという日、私はクレアからパーティに誘われた。
 クレアがステイしているお宅の庭で、留学生達やなんかが集まるからと。
 私はクレアは好きだったけれど、正直、パーティに行くのは少々気が進まなかった。
 だって、想像してみて欲しい。まだ慣れない土地で、おそらく年上ばかりでしかも外国人がほとんどであろうパーティなんて。
 そんなわけで返事に迷っていたのだけれど、案の定、開催されるお宅がうちの親の懇意であった事と、そして、『これから氷帝学園に通うのだからお友達を作っておきなさい』という母親の一言で私は一人、パーティに行かされる事になった。


 パーティの日は絶好の小春日和で、そしてそのパーティを行うお宅の見事な庭では桜やらきれいな花が咲いていて、私は渋々やってきたのに少々感動した。
 パーティに来ていたのは、私が予想していたように外国人の留学生ばかりというわけじゃなくて、クレアの日本人の同級生や後輩なんかも多かった。けれど、ほとんどが高等部以上の人ばかり。私は精一杯大人っぽいワンピースでがんばってきていたけれど、どうしたって自分の子供っぽさを思い知らされてがっくりしてしまう。
 クレアは私に気遣っていろんな友達を紹介してくれたけれど、やはり当時小学校を卒業したばかりの私には、まだまだ高等部や大学部の人たちと会話をする話題なんかが乏しくて、どうしたってすぐに退屈してしまった。
 さて、そんな私がそのパーティで最高に気に入ったのは、クレアが作ったという自家製のジンジャーエール。スパイシーで甘さもほどよくて、私は氷の入ったグラスになみなみと注いではそのキリリとした味を楽しんでいた。
 一人でゆっくりとジンジャーエールを堪能している私の視線の先には、一人の男の子がいた。
 彼は明らかに周囲のパーティー客より年下だけど、とても堂々としていて、留学生達ともとても自然に会話をしている。
 しぐさやボディランゲージなんかがとても優雅で、まずはそんなところが私の目を引いたのだけれど、次に驚いたのは時折聞こえてくる彼の会話。
 英語で話しているのだろうと私は思っていたのだけれど、彼が話しているのは英語ではなかった。多分、ドイツ語。おそらくドイツからの留学生と話していたのだろう。
 その頃、やっと片言の英語ができるようになったばかりの私は、自分とそうかわらないだろう年齢の彼が、まったく自然にこんな大人のような振る舞いをしている事に若干ショックを受けた。
 そして同時に、まるで王子様みたいな彼に、とても魅了された。
 彼があまりに私にとっての現実とかけはなれているものだから、私はまるでテレビの画面でも見ているような気分で、すっかり油断をして彼が留学生と話しているところをじっと見ていたら、ついに彼はふっと私の方を見た。
 その一瞬を、私は忘れられない。
 彼は、不躾にじろじろ見ていた私に驚いて責める、というように私を見たのではない。
 
『俺様の姿を、十分に堪能したか?』

 彼の視線はまるでそう語っていた。
 つまり、私が見ているのをずっと気づいていて、そして私が油断した頃にいきなり私の視線をつかまえたのだ。
 私は顔が熱くなるのを感じた。
 当時の私は今よりもっと子供だったけれど、女はやっぱり生まれた時から女なのだと思う。
 私はそこで、私が彼に見とれていたのだと認めてはいけない、と感じた。
 ふいと彼から目をそらすと、私は自分のグラスに氷を入れ、そしてジンジャーエールを追加した。
 うつむいてグラスをカラカラとかき混ぜていると、ジンジャーエールのピッチャーを持ち上げる手が目に入る。
 はっと顔を上げると、さっきの彼だった。

「このジンジャーエール、旨いな」

 彼は自分のグラスにジンジャーエールを注ぐと、フッと笑って私に言った。
 キリリとしたまなざしに、右目の下には印象深いほくろが一つ。
 私はその目に吸い込まれそうになった。

「……クレアが作ったんですって。私も気に入ったから、家で作ってみようかと思って」

 それでも私は何でもないように、そう言うだけ。

「ふうん、レシピ聞いたんだったら教えてくれないか。家でも作らせよう」

 私は彼に、クレアから聞いたレシピを伝えた。
 
『俺様の姿を、十分に堪能したか?』

 さっきの、彼と私の視線の対話(といっても、一方的なものだけれど)がなかったら、私は彼に自己紹介をして、そして彼の名や学年を聞いたりしていたと思う。
 けれどあんな風に目が合ってしまったからには、私は、自分が彼に惹かれたという事をあらわにはできないと、なぜかそんな風に感じた。
 私は彼と、ジンジャーエールのレシピについて少し話をした後、『私は別にパーティで、会話の相手に困っているわけではない』とでも示すかのように、クレアから紹介されたフランス人の留学生のステファンと話を始める。レ・ユニオン島ってどこにあるの、なんて他愛無い話をしながら、それでも私はちらちらと先ほどの彼を時々視線で探した。
 私が時折彼を見るたび、彼は私がその時に彼を見るのが前もって分かっていたかのように、ふっと視線を私に向けた。あの、何もかもを見通したような笑みとともに。
 そのたび、私は驚いてあわてて視線をそらせるのだった。
 私たちのパーティは、そんな風に進んでいった。

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2007.6.17

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