● 恋のコールドゲーム(3)  ●

 お前さんに興味を持ったから

 そう宣言したそのままに、それから仁王は事あるごとにに近づいた。そして、彼女もそれを拒否しない。
 仁王雅治の今度のターゲットはなのだと誰が見ても分かるような、または既に仁王は彼女をモノにしているのだとも見えるような、そんな振る舞いだった。

「なあ、

 放課後、仁王はすっかり居眠りをして写し損ねた英語の授業のノートをから借りて、自分のそれに写し取っていた。

「なあに」

 彼の傍で明日の英語のミニテストの予習をしているは顔も上げずに答える。

は、彼氏、おらんのか」

 仁王も顔をノートに向けたまま、さらりと言った。
 以前から気にはなっていた案件。
 けれど、その「いるか、いないか」の結果はどうでもいい。
 もしに恋人がいるのだとしても、仁王は諦める気はないから。
 ただ、改めて男女を意識させる話題として切り出したのだ。
 彼女との事は、そろそろ詰めていかなければならないと感じているから。

「私? そうね、いるようないないような感じかな……」

 仁王は顔を上げてを見た。
 彼の視線で、彼女もテキストから顔を上げる。

「なんじゃ、いるようないないようなって」
「……いると思えばいるし、いないと思えばいないって事」
「意味わからん」
 はテキストをパタンと閉じて、大きく息を吐いた。
「なんか恥ずかしいなあ、こんな話」
 そしてちょっとうつむく。
「……中学入る前にね、塾で一緒だった男の子がいて、一緒に立海に合格した時からつきあっていたの。ずっとつきあってたんだけど、二年生の初めくらいにお父さんの仕事の関係で九州に転校していっちゃって……。なんていうんだろ、もちろんメールとか電話とかもしてたんだけど……だんだん返事がなくなったり、そんな感じ」
 彼女は簡潔に言うとため息をついた。
「……いわゆる自然消滅ってやつか」
「こういうのを言うの?」
「一般的にはそうじゃろ」
「別れようって言われたわけじゃないんだけど、まあ、現実的にはそうなのかなあ。……すごく仲良しだったんだけどね」
 彼女は寂しそうに笑う。
 仁王は、全てに納得がいった。

 の、この距離感の取り方、仁王とすごす時の振る舞いやそぶり。
 決して計算づくでしているわけではないのに、時にとても近かったり、時には十分に距離を取っていたり。
 触れてもよさそうで、手も届きそうなのに、そうはさせない雰囲気。
 時に冗談めかして手に触れたりしても怒るわけではなく、子供を叱るように甘くかわす彼女。
 きちんと恋をして、好きな男と丁寧に過ごした事のある女のそぶりだった。
 そんな空気が、仁王の心を捉えた。
 仁王とていくつもの恋を経験しているし、彼と同様に多くの恋を経験した女とつきあった事もある。
 でも重要なのは、単に経験をつむことではないのだ。
 の恋がどんなものだったのか、相手がどんな男だったのかはわからない。
 けれど、彼女の振る舞いからは、どれだけ深く丁寧に関係を築いて過ごしてきたのかが伺える。一人の人間と、丁寧に真剣に向き合った事のある者の持つ、空気だ。

 昔の男なんか忘れてしまいんしゃい。
 目の前に、もっといい男がおるじゃろ。

 仁王はのど元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。

「新しい男はおらんのか」

「そうそう、うまくいかないしねぇ」

 彼のストレートな問いに、はうつむいたまま笑った。

「しばらくは、もういいかなって。それになんだろう、仁王くんみたいな……友達もいいよね。ちょっと恋を予感させるような男の子の友達がいるっていうのも、悪くない。あ、なんか勝手な事、言っちゃってるけど」

 仁王は胸をぎゅっとわしづかみにされたような気持ちになる。
 彼の今までの恋は、始まりも終わりも速攻型だった。
 これだと思った女をすばやく攻略する。そして相手を見切った時点で概ね恋は終る。大抵の場合、彼自身の手の内を全て見せる事などないうちに。
 だから、今まで彼と付き合った事のある女による「仁王雅治」に対する印象というのは、実はまちまちだ。つまり彼は相手に自身の一部しか見せていないわけだから。
 それくらいに、彼の恋は速攻型だったのだ。
 けれど今は、このなかなか勝負のつかない試合を、ずっと続けていたいとそんな風にも思った。
 甘く曖昧で、心地よいリズムを。
 けれど試合が終るならば、ぜひとも彼女が自分を思って胸を焦がすその音が試合終了の合図であって欲しい。

 そんな事を思いながら、彼のノートを取るペンは動かないまま。

「仁王くん、ノートノート」

 促されて慌ててペンを動かした。

「……日直をやった時、理科実験室で仁王君、ヘンな事したでしょう」

 は思い出したように笑って言う。

「ああ、あれか」

 仁王もつられて笑った。

「あれ、ちょっとびっくりした。多分、他の男の子にされたんだったら、怒ってるかびっくりして逃げてたと思う。でも、仁王くんだったら、大丈夫って思ったの」
 彼女はもうテキストを広げる事もせずに言った。
「大丈夫って?」
「……だって、目が落ち着いてたもの。あんな事を衝動的にする人だったら、逃げなきゃって思うけど、仁王くんは衝動的じゃなかったしね。……落ち着いた目をして、私を値踏みしてるみたいだったから……きっと、怒ったりしたら負けだと思った。なんかバカみたいだけど」

 彼女はそんな自分がよっぽどおかしいのか、くすくす笑う。

「別に勝ち負けとかね、勝負をしてるわけじゃないのに、バカみたいよね、私」

 仁王はようやくノートを写し終えて顔を上げて彼女を見た。
 ここで、彼女の肩を抱き寄せて、口付けをしたら。
 きっと、彼女は拒否しない。
 そしてその優しい甘さは、とてつもなく大きな波となって自分を包み込むだろう。

 でも、それはしない。

 まだ、彼女には余裕がある。
 これではだめだ。
 この点差ではコールドゲームになってしまう。
 彼女が自分に恋焦がれて涙を流すほど。
 彼が他の女を見るだけで、嫉妬の炎を燃やすほど。
 それくらい、自分に惚れて欲しい。
 焦らすつもりが、いつのまにか焦らされている自分に気付くけれど、 ここまできたらどうしようもない。
 勝負を止める事など、できないのだから。

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2007.9.1

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