● 恋のバッドチューニング(4)  ●

 忍足くんと彼女を見た日は、忍足くんに振られて以来、久しぶりにちょっと落ち込んだ。
 以前は『忍足くんの彼女ってどんな子なんだろう、忍足くんはどんな恋をするんだろう』なんて興味本位で考えてみたりもしたけれど、なんだか実際目の当たりにすると、やっぱりちょっとヘコむ。
 彼女はそれ以来ちょくちょく私たちのクラスへやってきては、あの静かな柔らかい声で

『侑士』

 と、忍足くんを呼び出して廊下で話したりしていた。
 私は彼女を心の中で『FM東京の彼女』と呼んだ。
都内で聴くFM東京のように、忍足くんの心にビンビンに入ってくるだろう波長の女の子。
 そんな日々が暫く続いて、二人の姿を見るのにも大分慣れた頃、忍足くんはある日の休み時間に何かの拍子に私にこう言った。

「あいつなあ、俺の元カノやねん。一年の時につきあっとった」

「はあ」

「……何かな、ちょっと前に彼氏と別れてヘコんどったらしいねん」

「はあ」

 私は気のない返事をしながら、彼の言葉を受ける自分の胸のうちを探った。
 なんだ、今つきあってるってわけじゃないのか、なんて少しほっとする自分がいる。
 あの人が忍足くんの彼女であってもそうでなくても、私にはまったく関係なく影響もないはずなのに。
 でもしょうがないか、こんな風に感じてしまう事くらい自分で自分を許してあげないといけないかな。
 そんな事をぼーっと考えて、そして忍足くんを見ると、彼は何かしら私の言葉を待つような顔をしていた。
 ああ、話したいんだなあ。きっと。
 私はなんとなくそんな風に思いながらも、机の中のテキストを出したりしてちょっと勿体つけてから、彼に言った。

「ふうん、忍足くんとはどうして別れたの?」

 私が言うと、彼は決して『待ってました』という風にはしないけれど、でもやっぱり待っていたように後を続けた。
「まあ、結局のところ俺が振られる形やったなあ」
「へえ、忍足くんでも振られるんだ。マニアックなプレイでも強要して嫌われた?」
 私が言うと、忍足くんは珍しくひどく慌てた顔で私を見た。
「アホか! ……結構言うねんな。まさか、アレ、本気にしてたんか」
 私は彼のそんな顔が見られたのが満足で、思わず吹き出した。
「そんな訳ないじゃん。まあ、そういう可能性もあるなあとは思ってたけど、冗談よ」
 私は忍足くん程に意地悪じゃないから、どうやら他人に何かを聞いて欲しいらしい彼に、思うまま話してもらう事にした。
「で、忍足くんみたいないい男が、どうして振られちゃったの」
「そんなもん、俺が聞きたいわ!」
 ちょっと自分から言い出しといて勝手に逆ギレしないでよねー、なんて私が思いながら黙っていると、彼はしばらく椅子にもたれて考え込むようにして、少しだけ眉間に皺をよせた。
「……なんかこう、俺、『違う』らしいねんな」
「違う、って?」
 私は意味がわからなくて聞き返した。
「付き合う事になって仲良うなって来ると、俺かて好きな女の子とは気安ぅしたいしやな、『アホちゃう』とか言うやん。俺がそない言うん、ほんまに『アホ』思って言うてるんとちゃうってあいつも分かってるはずやのに、『アホなんて言わないで』と怒られたりやな」
「はあ」
 深刻な顔の割に彼の話はちょっと可愛らしい内容だったので、私は笑い出しそうになるのをこらえる。確かに、彼女は真面目でプライドの高そうな子に見えるから、普通にそう思って言ったんだろうなあ。
「ボケやツッコミはいらんとかやな。確かに関東の女の子にボケやツッコミはいらんのやろなと、当時は俺なりに努力はしとってん」
「うん」
 でも、今がこれなんだから、その努力が実る事はなかったんだろうなあと想像にかたくない。
「そういうんやめとこ思ったらなんしかこう黙ってしまうし、そうすると雰囲気悪くなってしまうやん。盛り上げよ思て話し出すと、ノリがアカンてダメ出しされるしやな」
「へえ」
 恋のベン図では恋愛富豪だと勝手に思っていた彼も結構苦労してるんだなあ、と私はちょっと意外に思いながらつぶやいた。
「そんな風にダメ出しくらいまくって、振られた感じやな。でも、東京に来て初めて付き合うた子ぉやし、そんなに険悪に別れたわけちゃうし、ええ思い出の子やねん」
 うん、どんなにダメ出しくらっても彼女が好きだったんだろうなあ、というのは最近廊下で彼女と話す忍足くんを見ててもわかる。
 そして、忍足くんが何をモヤモヤとさせているのかも、なんとなくわかった。
「……でもダメ出しくらってたのって一年の頃でしょ? 今は……あの人、また忍足くんが好きなんじゃないかなあって、時々こっちの教室に来てるの見てるとそんな風に感じるけどなあ」
 私が言うと、忍足くんはやけに真剣な顔で私を見た。
、そう思うか?」
 私は笑ってうなずいた。
「忍足くん、第一印象運命派でしょ? 自分でわかんないの?」
「……一度ややこしなった女は、わかりにくいねん。それに俺、ダメ出しされまくっとった一年のあの頃から、結局ほとんど変わってへんしな」
 自分が今も昔も慇懃無礼な毒舌野郎だと自覚はあるんだなぁと、私はちょっと可笑しくなって笑った。
「第一印象で、お互いバチーンと波長が合う者同士でもいろいろあるんだねぇ」
 私が言うと、忍足くんはまた眉間に皺をよせてふうっと息を吐いた。
「ロマンスの波長はバッチリ合うてたはずやねんけどな」
 また私がグウの音も出せないような憎まれ口でもたたくかと思っていた彼が、やけに神妙なので私はちょっと気の毒になってしまう。
 よくよく考えれば、私が彼の恋愛相談もどきに乗るのもヘンな話なんだけど。
「でもさほら、最初から何もかもピッタリだと、ちょっとズレたらすごく気になるじゃない。音のズレないラジオなんてないんだし、たまにはちょっとくらいズレたっていいんだよ。恋ってドキドキするものだけど、まったく日常と別世界の事じゃなくて普段の積み重ねなんだから彼女もしばらく時間が経ってみて、やっぱり忍足くんいいなあって思ったんじゃない?」
 私は彼を元気づけようと、一生懸命言った。
 すると彼はふうっと表情を柔らかくして私を見る。
「……のくせに、なんや、もっともらしい事言うなあ。でも、どうも、おおきに」
 忍足くんは、憎たらしい口調にそして憎めないあの笑顔で、嬉しそうに伊達眼鏡の奥から私に笑いかけるのだった。



 好きな女の子に悩まされる忍足くんというのは、ちょっと私には想像できなかった姿で、いつもの余裕たっぷりな彼とはイメージの違う、でも決して悪くない印象だった。
どうして彼があんな事を私に話したのかちょっと不思議だったけれど、ふと由香里の言っていた『秘密の共有』っていう言葉を思い出す。
私の『秘密』を知っている事で、彼なりに私に対する気安さがあったのだろうか。
彼がクラスメイトとしてそんな風に思ってくれる事が、少し嬉しかった。
 そんな彼を、私はやっぱりいいなあって思う。
 今日の彼の話を聞いていて、私は昔の彼を思い出した。
 一年生の頃、気になる女の子を泣かせてしまってオロオロしていた忍足くん。
 彼のそんな部分は、まだあの中で生きてるんだ。
 私は大きくため息をつく。

『私はもう彼に振られてるんだし』

 という若干の痛みを伴う気楽さは、思いがけず彼とのクラスメイトとしての関係をスムーズにして、そうやって彼とやりとりした言葉や表情の数々は私の中に彼の『手ごたえ』を残し、昔彼を好きだった頃とはまた違う気持ちを私の内に生み出した。
私は彼と話すたびに、昔よりもどんどん彼を好きになってゆく。
 でも、まったく神様は面白がりだなあ。
 まさか私が彼の恋の悩みを聞かされるようになるなんて、思いもしなかった。
 忍足くんは『FM東京の彼女』とどうなるのだろう。
 でもそれは、私には関係のない話だ。




 その日私は放課後に一度下校しかけたのだけれど、ふと思い立って教室に戻った。
 別に忘れ物をしたとか、用事があったわけではない。
 誰もいなくなった教室の自分の席に、私は改めて一人、座った。
 明日は席替えの日。
 この席で忍足くんと隣同士、自習中に無駄話をしたりする事ももうない。

 残ったものは結局胸の痛みだけだけれど、私は『隣りになんかならなきゃよかった』とは思わない。
 かなわない恋だけど、好きになった男の子がやっぱり面白くて思ったとおりの素敵な子だったというのは嬉しい事だ。
 ありがとう、忍足くん。

 なーんてね。
 そんな風に思ってるわけ、ないじゃない。
 実際には、
『まったく忍足くんは女の子の気持ちわかってない。ひどい事言う。振られてしまえ』
なんて思ったりもする。
 でも、隣りの席になれて楽しかったなって思うのも本当だから、最後の日にはこうやってこの席で、ちょっとそんなポジティブな事を考えてから楽しい気分で終らせようと思うのだ。
 私の恋を。
 この席になってから忍足くんと交わした、いろんなヘンテコな会話を思い出しては、私はバカみたいに一人でクスクス笑っていた。


 その時、廊下から足音と声が聞こえてきた。
 普段は教室の騒がしさで聞こえてこないような会話も、しんと静まり返ったこの時間、やけに響いてきて私はドキリとした。
 だって、その声は忍足くんと『FM東京の彼女』だったから。

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2007.7.21

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