● 恋のバッド・チューニング(2)  ●

 隣の席になった忍足くんの序盤からの牽制ジャブ攻撃に、私は若干のダメージを受けつつも、依然として私が心で彼を思い返す時に満ちる、やけにチリチリした思いは消えないまま。
 私は家の自室で、今まで彼と交わした会話を反芻した。

 一年の時の告白。
 二年の時の告白。
 そして、今日、三年生になってクラスメイトとしての会話。

 ひとつとして優しい言葉なんかないのに、私は決してMっ気があるわけでもないのに、彼をいいなと思ってしまうのはどうしてだろう。
 私は目を閉じて深呼吸をした。
 うん、わかってる。
 今日、忍足くんがあんな風に言ったのは、意識してかどうかは分からないけど、彼なりの私への気遣いなのだと思う。
 私が彼の隣で、気まずいままで過ごしたりしなくてすむようにと。
 確かに、腫れ物に触るようにされるより、ああやってはっきり言われた方がずっといい。
 こんな風に考えてしまうのも、欲目なんだろうか?

 でも、まあいい。
 次の席替えまでしばらくの間。
 私は彼のどんな姿を見る事ができるだろうか。
 勿論、彼が再三言うように、私と彼の間のロマンスの発展など微塵も期待はしない。
 けど、あの甘い毒をまとった声と言葉は、何かと私を楽しませてくれるに違いないと、「気ぃ楽に」過ごす事を私は心に決めた。




 さて、大体知ってはいたけれど、忍足くんはやっぱり女の子から人気がある。
 一年の頃からそうだったけど、三年生になって尚更。
 やっぱりかっこよくなったし、テニス部レギュラーで目立つからかな。
 そして彼のところにワイワイと話しかけに来る女の子達を、忍足くんは実に上手にあしらうのだった。

「試合? おお、ええよ、観に来たらええ。応援してくれるんやろ? 応援席が盛り上がらへんと、跡部がふてくされるからな、頼むわ。ほんま? おおきに、助かるわー」

 穏やかな声でテンポ良く女の子達と話して、彼女たちを楽しませる。
 ほんと、大人の男の人みたい。
 私はぼーっと、そんな彼を見ていた。
 私も前の二回の告白をしてなくて、そしてまだ片思いだったら、こんな風にそしらぬ顔で一緒に楽しく話してたのかなーなんて思うと複雑だ。
 そしてふと、忍足くんにとって私はまったくのボール球なわけだけど、一体どんな子が彼にとっての打ち頃のど真ん中ストレートなんだろうと、今更ながらの事を改めて考えた。
 今となってはもはや私にはまったく関係してこないと十分承知ではあるけれど、この彼がどんな女の子を好きになって、そしてどんな恋をするんだろうという事は私の好奇心をかきたてた。



 その日、私はいつも一緒にお昼を食べる友達に委員会の招集がかかったものだから、自分の席で一人でお弁当を食べていた。
 すると珍しく忍足くんも自分の席で弁当を広げるのだった。
 彼は普段はよく学食に行っていたようだったし、珍しいなと思ってちらりと目をやった。
「……オカンが近所のおばちゃんから炊き込みご飯もろたから言うてな、弁当持たされてん」
 私の疑問に答えるように彼は箸を動かしつつ、言った。
「ふうん」
 結構、箸を綺麗に使うんだなあ、と私は彼の指先を眺めた。
「なあって、一年の時どこで俺を見とったん?」
 彼は炊き込みご飯を食べつつ、私にそんな事を聞いてきた。
「はあ?」
 私は少々驚いて、箸を止める。
「いや、って、テニス部の練習とか試合とか観に来てへんかったやろ。あ、言うとくけど別に俺が自分を探しとったとかいう訳とちゃうで。俺はめざといからな、大体見てたら、誰がおるかとかすぐわかるねん。そのめざとい俺の目をすりぬけて、俺に名前も顔も覚えさせんまま、一体いつのまに俺に惚れとったんやろな思て」
 これまた本当に嫌な事をずばりと言う男だ、この人は。
 私は呆れた顔でしばらく彼の伊達眼鏡を見つめてから、ため息をついた。
 ほんの少ししか話していないのに、忍足くんは見事に「人」を見る。
 今まで、彼を取り巻く女の子達と彼の会話を見ていても思ったけど、彼は『誰にでも同じように』接する人ではない。
 相手を見るのだ。
 裏表があるとか、悪い意味ではない。
 この相手には、ここまで言って良い。
 この相手には、ここまでにする。
 彼の柔らかい優しい部分と、ちょっと毒のある部分を、上手い具合に使い分けているのだ。
 時には相手の、時には自分の気分に合わせて。
 私はこれまでの会話のデータから、『かなりの事まで言っても良い相手』と認定されているのだろう。
 それは、傷つけても構わない相手という事なのか、この程度では傷つかないと思っているのか、わからないけれど。
「……一年の時の委員会で、一度私がクラスメイトの代理で出席したんだけどね」
 私は諦めたように話し始める。
「作業をしてて、忍足くんが女の子の委員の一人に、何をやってたのかは忘れたけど、『なんや、自分、こんなんもでけへんのか! アホちゃうか!』って言って泣かせてた。その口調がね、内容の割に穏やかで、なんだか変わった人だけどいいなって思ったんだったかな」
 思い出しながら私は言った。
 こんな事、本人に言うのは恥ずかしいような気もするけれど、なにしろだいぶ前の事だ。まだ彼の髪も短くて、今よりも幼い顔をしてた頃の。
 そんな懐かしい気持ちになっていると、忍足くんはちょっと驚いた顔で私を見ていた。
「……あれなあ」
 そして、妙に甘酸っぱいような顔をして一瞬天井を見上げる。
「俺、あの子の事ええな思ててん。何か仲良うなるきっかけでもないかと、ツッコミどころを探しとって『今や!』いうタイミングで絶妙にツッコんだつもりが、泣かしてしもたなぁ。あの頃、俺まだ関西から引越して来たばかりやったからな、こっちの子ぉに、関西弁がキツく聞こえるなんて知らんかったわ。『俺がやったるから貸してみ』みたいな意味合いで言うたんやけどなあ」
 そう話す彼の表情を見て、私は『ああ、これこれ』と思い出して可笑しくなった。
 そういえばあの時女の子が泣き出して、忍足くんは、ガツーンとやられたようなオロオロとしたような、何とも気の毒になってしまうような顔をしてたっけ。彼が決して意地悪で彼女にあんな風に言ったんじゃないっていうのは私にもなんとなく伝わってきてたから、そんな風にがっくりしてた忍足くんの気持ちがわかるような気がして、そしてそれから彼の事を見るようになって、好きになったんだったなぁ。
「……何がおかしいねん」
 私は知らず知らずのうちにくすくすと笑ってしまっていたようで、忍足くんはむっとしたように私に抗議の言葉を述べてきた。
「ごめんごめん。ま、女の子が急に泣き出したら、忍足くんでもびっくりするよね」
「せやろ、びっくりしたわ、かなんわ、ほんま。俺もあれ以来、言葉には気ぃつけるようにしてんねんけどな」
「それでも、気をつけてるつもりなの!」
 私は驚いて声をあげてしまった。
「そうやで。俺、女の子にはあんまり、『アホ』とか『ボケ』とか『ハゲ』とか言わんようにしてんねんで」
「……ああ、そう」
 言葉に気をつけるようにしてからでも、私にはあの対応だったのか。
 最初に告白をした時の事を思い出して、私はあっけにとられてしまうのだけど。
 でもセーブしててこれって、全開だったら一体どんな風になるんだろうね、この関西人は。なんて想像するとおかしくてまたクスクス笑って、忍足くんに変な顔で見られてしまうのだった。

Next

2007.7.19

-Powered by HTML DWARF-