● 恋のバッド・チューニング(3)  ●

「つまりな、何て言うんかな……わかるねん。俺が『ええな』と思う女がおるとするやろ。そんで、相手も俺を『好き』やと思うとったら、それがピンと来る。こう、運命みたいな、なあ? そういう波長のバチーンと合うた感じが、恋の始まりやねん」

 ある日、忍足くんはゆっくりと静かな声でご満悦気味に自身の恋愛論(?)らしきものを語っていた。
なあ?って言われてもねえ。
 なぜそんな話になったかというと、私が何気なく『忍足くんて、ほんとモテるねー』なんて言ったりしたからなのだけど。
 忍足くんは結構、こんな話をするのが好きなんだなぁと少々意外だった。

「へえ、忍足くんは第一印象運命派なんだ」
「せやな。最初が肝心やな」
「じゃあ、私ってよっぽど波長が合わなかったんだねえ」
 私が嫌味じゃなくて本当にしみじみと言うと、忍足くんは笑った。
「まあ自分と初めて会うた時は、京都市内でKiss-FM神戸を聴こうとするようなもんやったなあ。ブレブレでカスリもせん」
 忍足くんもしみじみと言った。
「なにそれ、そんなローカルな例え話、わかんないよ」
 どうせまたロクな例えじゃないんだろうなってわかってるのに、私はまた笑ってしまう。
「……けど、忍足くんて結構ロマンティックなのが好きなんだねえ」
「あたりまえやろ。恋はロマンティックなモンや」
「まあ、そうだけど。……でも、その第一印象運命論だとさ」
 私はふと考えて、ノートにくるりと円を描いた。
 丁度、忍足くんがかけている眼鏡のレンズくらいの大きさの丸い円だ。
「例えば、忍足くんがこのマルだとするじゃない」
 そしてその隣にもう一つ同じくらいの大きさの円を描いて、そしてベン図のように重なる部分に斜線を引いた。
「で、このもう一個のマルが忍足くんの好きな女の子で、こうやって近づいて重なって恋に落ちるわけだよね」
 私が図を示して言うと、忍足くんはフンフンとうなずきながら覗き込む。
「なるほど、そうやな。自分、なかなか上手い事言うやん」
 ちょっと感心したように言った。
「忍足くんや忍足くんの彼女だったら、これくらいのマルの大きさ同士、うまく重なる部分もあると思うんだけどさ」
 そして私は、その二つの円の隣にどの円とも重ならない、小さな円を……ソフトコンタクトレンズくらいの円を描き足した。
「例えば私みたいなフツーの女子だと、こんなもんなんだよね、マルの大きさ。こんなにちっちゃいんだから、最初っから誰かと上手いことどっかが重なるなんて難しいと思わない?」
 忍足くんはまたフンフンというように、その図と、私とを交互に見比べて
「まあ、円の大きさは主観的なモンやからアレやけど、当たらずとも遠からずやな。でも何や、俺はたまたま第一印象運命派やけど、世の中には『一緒にいるうちに情が移って』派もおるやろうし、気ぃ落としなや。車も走り回っとったらどっかでFM電波も拾うやろ」
 そう言うと、ポンポンと私の肩をたたくのだった。
相変わらず遠慮のない言いぐさ!
 それにまったく『情が移る』とか、おっさんくさい。
 忍足くんは時々、大人っぽいのを通り越して妙におっさんくさい時があって笑ってしまう。関西弁のせいだろうか?
 私たちはその『恋のベン図』の落書きを見ながら、自習の教室のざわめきにまぎれてクククと笑った。
 まあ、そんな感じで自習中にはくだらない無駄話をするような、私たち。
 私は彼の恋愛対象ではなく完全に彼の電波の受信範囲からズレているみたいだけれど、どうやらクラスメイトとして嫌われているというわけではないようだった。



 その日、私は放課後教室に残って友達と課題を片付けていた。
 さっさとやっちゃって、気を楽にしてから心置きなくお茶でもしに行こうという計画だ。
「そういえば、なんだかんだいって忍足くんといい感じに話したりしてるよね」
 由香里はテキストから顔を上げて、ふとつぶやいた。
 彼女は小学校の時からの友達で、私が二回も忍足くんに振られていると知っている、当事者以外の唯一の人物だ。
「……ああ、でもほんと、絶対ナイから」
 私は軽く首を横に振って、ペンを動かしつつ彼女に説明をした。

『私は忍足くんを好きだけど、もう完全にあきらめてる』
が俺に惚れてるのは知ってるけど、別に気にしてない』
 
 こんな私たちは、三年生になって最初の忍足くんの牽制攻撃以来それをお互いにきちんと認識しあって、実に上手くバランスが取れているのだ。
 今思えば、あの時の忍足くんの思いやり(?)に感謝している。
 多分あの最初の一撃がなかったら、私は忍足くんを見ないようにして、でも見てしまってはそのたびに後悔して、結局何も話し掛けられず気まずいままずっとストレスを抱えて過ごしていたと思う。
 そう思うと、なんだかんだ言ってやっぱり忍足くんは大人で、女の子からモテるというのも納得なのだった。
 私がそんな風に話すと由香里は『へえ』と、ちょっと感心したように優しい顔で笑った。

「……それって、『秘密の共有』だね」

 そしてノートに向かったまま、落ち着いた静かな声で言う。
「え? 何?」
 私が聞き返すと、彼女はノートから顔を上げた。
「だから、『が忍足くんを好き』っていう秘密を、忍足くんとは共有してるって事だよ」
「……まあ、以前告白したからねえ、そりゃ忍足くんは知ってるよ」
 私は何だか改めて照れくさくなってしまい、ちょっとうつむいた。
 由香里はクスクスと笑いながら言う。
「ちっちゃい子供の頃から、『秘密の共有』って仲良しへの一歩じゃん」
 彼女の言葉から、私は小学校の頃由香里とコッソリ子猫を見に行った事、コッソリ学校の中でお菓子を食べた事、そんな事を思い出した。
 そんな時、すごくワクワクしたしそういう事をするたび、彼女とは仲良くなって行ったっけ。
 どうして私はとっくの昔に忍足くんに振られているのに、忍足くんとは他の男の子とはちょっと違った感じで気安く話せるんだろうって、少し不思議だった。単に忍足くんが、気にせずによく話してくれるからかなあって。
 でも、もしかしたらそれだけじゃなかったのかもしれない。
 私の秘密を知っている、唯一の男の子。
「……ヘンな事言わないでよ」
 それでも私は少し顔を赤くして、由香里にそう言った。
「秘密を共有してようが、気楽に話してようが、とにかく私と忍足くんはもう絶対に何もありえないんだからさ」
 それは由香里に言うというより、自分に言い聞かせるようで。
 望みを持たせるような事を言ったりしないでよね、という意味を込めて非難がましく彼女を見ると、彼女は相変わらず穏やかに笑ってそして、さっさとやっちゃおうか、と言いながら課題に戻った。




 英語の授業が終った後、次はあんまり好きじゃない数学かぁ、と私は少々憂鬱な思いで自分の席にいた。
 中間テストでも数学は特に冴えない成績だったから、ちょっと頑張らないといけないんだけど、どうにもねー、なんて思っていたらふと廊下から窓が開けられた。
 ちなみに私の席は、前から3列目の廊下側の窓際。
 驚いてそっちを見ると、女の子が顔を覗かせた。
 すらりとして綺麗な、ちょっと気の強そうな大人っぽい女の子だった。
 彼女は窓から教室の中を見て、私の隣に目を留めると
「ああ、侑士、よかった」
 柔らかな声でそう言って、ふわりと笑うのだった。
 居眠りをしかけていた忍足くんはその声で、はっと飛び起きる。
「……ああ、真知子か! びっくりしたやんか」
 彼はそう言うと、あわてて廊下に出て行った。
 開け放たれた窓から、私は見るともなしに廊下の二人を見つめてしまう。
 そりゃあ何も言われなくても分かる。
 多分、忍足くんの彼女なんだろうなあ。
 廊下で立ち話をする何ともお似合いの二人を、私はついつい見つめた。
 何を話しているのかは聞こえないけれど、忍足くんの立ち姿は、普段クラスの女の子や私と話す時みたいじゃなくて、何て言うかちょっとスカしてかっこつけたような感じで、明らかに態度が違うのだ。でも、とても綺麗な彼女と二人でいるとそりゃあ様になっていて、忍足くんが前に言っていた『波長のバチーンと合うた感じ』というのは、こういう事なのかなーとちょっと納得してしまった。
 そして、ああ、こりゃあ確かに私じゃあ波長も合うはずないよね、と、分かってはいたのに今更ながら胸の奥がちょっと痛んだ。
 忍足くんはしばらく廊下で彼女と話していると、急ぎ足で教室に戻ってくる。
 私を見て一瞬何かを言いかけて、いや何でもない、というように手をかざしてから後ろの席の男子に声をかけた。

「悪い、英語の辞書、貸してもらわれへんか。よそのクラスのツレが忘れて借りに来てんけど、今日は俺も持ってへんし」

 そう言うと、忍足くんは辞書を借りてまた廊下に戻り、彼女に辞書を手渡すのだった。
 忍足くんは今日は辞書を持ってなくて、さっきの英語の授業では私のを使っていた。
 今、多分忍足くんは一瞬、私に借りようとしたんだろうな。
 そして、でも自分の彼女に貸すのに、自分に片思いをしている女から借りるのはさすがにどうかと思ったんだろう。
 ふうん、ちゃんとそういう気の遣い方はするんだ。
 それはありがたいんだか何だかよくわからなくて、ただ、ちょっと自分の胸がまだ痛いのがどうしようもなくて、私は机に伏せて居眠りをする振りをした。
 なんだか、面倒くさくなったから。
 自分のこんな気持ちをやり過ごすのも、廊下から戻ってくる忍足くんと顔を合わせる時に何でもない顔を作って見せるのも。

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2007.7.20

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