● ベイビー!逃げるんだ。(3)  ●

「ええっ、何だって!?」

 俺の提案に、大石はぎょっとしたような顔をする。
 うん、まあ想像通りの反応なんだけど。
 俺が大石に提案したのは、今日は部活が休みだから、帰りに俺と大石とポチの三人でケーキの美味しい店に行ってお茶でもしないかって事。
 大石が驚くのも当然だ。
「いいじゃん。あそこの店のシフォンケーキ、絶品だって不二が言ってたよ」
「ううむ、しかし……なんで、さんまで……?」
 大石の目は不安そうで、ソワソワと落ち着かない。
「ああ、俺、同じクラスだから最近、仲良くなったしさ。いいじゃーん」
 俺はさらりと言ってのけた。
 大石は渋々ながら、俺の提案を受け入れる。
 さて、これで、あとは授業が終るのを待つのみ!

 ちなみに、この日のお茶会を設定するにあたって、俺はかなりポチに教育をした。
「だぁーから、大石を質問攻めにするのナシね」
「うん……」
 ポチは自信なさそうにうつむく。
「あのね、ポチは、大石を見るとほんっと周りが見えなくなって、まっしぐらに走っていく1歳か2歳くらいの子犬みたいなの。犬好きな人だったらいいけど、犬苦手な人だと、そういうのびっくりしちゃうだろ? 大石はそういうの苦手なんだよ」
「うん……」
 ポチは俺の言葉を肝に銘じるように、うんうんと肯いた。
「あと、ポチは子犬みたいにちょこちょことせっかちだから、大石に自分の読んだ本の事とかワーワー話すのもナシね」
「うん……」
 ポチは大きく深呼吸をした。
「どんな風にしてたらいい?」
 そして心もとなそうに俺に尋ねて来た。
「どうって、そうだなー、大石は落ち着いたコが好きだからさ、フツーにしてればいいんじゃないの?」
「うーん、できるかなー……。私、大石くんを見るとなんかこう、そわそわしちゃってすごく落ち着かないんだよ」
「だから、そこをグッと、がっまーんなんだってばー」
「うん……」
 そんな風に、俺は俺なりにポチにくどくどと注意をした上で、今日のお茶会を計画したわけだ!



 授業が終って、外は初夏の陽射しが最高。
 目的のカフェはオープンスペースもあって、とても快適だった。
 そう、テーブルを囲む面子の雰囲気以外は。
 俺たちは不二おすすめのシフォンケーキを頼んで、大石はコーヒーを、ポチと俺は紅茶をそれぞれ手にして三人は向かい合う。
 ポチは俺が言った通り、大石を目の前にしても質問攻めにしたりせず、静かに紅茶を飲んでいた。
 しかし大石は俺の顔を伺いながら、なんともびくびくとした様子。
 苦手意識があるからなー。
 俺はシフォンケーキにクリームをたっぷりぬりつけていった。
「……大石くんは、紅茶よりコーヒーが好きなの?」
 沈黙を破ったのは、ポチの一言。まあ、これくらいならいいか。
「あ、ああ……うん、そうだね。さんは紅茶党?」
 さすがに大石は大人だから、無難に会話を返している。ヨシヨシ、いいぞ。
「うん、そう。インド紅茶より、スリランカ紅茶が好きなの。夏と秋は紅茶も新茶が出て、すごく美味しくて……」
 ポチはまた一生懸命話し出そうとして、そしてはっと俺の顔を見て、口をつぐんだ。
「うん、紅茶の方が好きなの……」
 小さな声で言って、うつむいた。
今日、俺が言った注意事項を思い出したのだろう。
 これまた、失敗をして叱責を覚悟するような子犬の顔をする。
 大石も気まずそうに黙ったまま。
 場をセッティングしたものの、さすがの俺もちょっとどうしたら良いのかわからなくなってきてしまった。
 なんとかしようと俺が一生懸命しゃべるんだけど、結局俺と大石がしゃべって、そして俺とポチがしゃべって、まるで俺がポチと大石の同時通訳をしているかのようになってしまった。
 シフォンケーキは最高に美味いんだけど……。
 
「じゃ、英二、さん。俺ちょっと用事あるからさ、先に帰るよ。悪いね。今日は楽しかった!」

 店を出ると、大石はまるで解き放たれた小鳥のようにあっという間に走って家の方へ向かった。
 あーあ、と俺はため息をつく。
 ちらりと隣のポチを見ると、まったく、大好きな飼い主が行ってしまうのを悲しそうに見送る子犬みたいだった。

「……ごめんね、ポチ。なんかこう、もっと上手く三人でしゃべれるかと思ったんだけど、俺も力不足で……」
 こんな風になってしまって、ほんっと、に申し訳ない。
 俺はポチに、質問攻めにするなとか余計な事を言わない方がよかったのかなーなんて、ちょっと反省した。
大石の事でワーワーとなってるポチは確かにちょっとヘンだけど、俺から見る素直だしすごく楽しいからさ。
大石、そういうところをちょっとでもわかってやってくれるといいんだけど、あいつも思い込んだら頑なだからなあ。
 そんな事を考えながら、申し訳なさそうに俺が頬をぽりぽりと掻いてると、ポチはふうっとため息をついて、俺の方を見た。
「ううん、でもありがとう。大石くんとカフェに来れるなんて思ってもみなかったし。十分だよ」
 ポチは一生懸命笑顔を作って俺に言うのだった。
 でも、今日、ポチがいつもよりヘコんでるのが、俺にはわかる。
 だって、この迷い犬、預かって結構長いからね。
 そして俺はふと思い立った。
「ねえ、ポチ。ここの近くにさ、俺がよく行くペットショップがあるんだよ。ちょっと行ってみない? あ、ポチって犬や猫好き?」
 俺はわざとらしいくらいに明るい声で言った。
「うん、好きだよ?」
「ヨーシ、じゃあ、行ってみよー!」
 俺はポチを引っ張って、なじみのペットショップへ走った。

「まいどー!」
 俺が元気良く店の扉を開けると、中からは店のご主人が愛想良く顔を出した。
「おっ、菊丸くん、今日は部活休み?」
「そうなんだよー、子犬見にきたよーん」
 その店は町中の小さな店だけど、動物一匹一匹をとても丁寧に扱っているとても素敵な店だった。
「今、ちょうどご飯の前だから、起きてるコ多いよ。ゆっくり見ていきな」
 俺とポチはケースに入れられた、ちいさなちいさな子犬たちに夢中で見入った。
 腹を出してぐーぐー寝てるミニチュアダックス、おしっこシートを必死にかじるチワワ、自分の尻尾を追いかけてクルクル回るミニチュアピンシャー。
「ねえ、菊丸くん、ほらこっちのレトリバーのコ、起きたよ!」
「マジ! あっ、本当だ!」
 俺たちはテンション高めにあっちこっちと子犬に見入る。
「……かっわいーい……」
 ポチは、いつもちょろちょろとめまぐるしく大石を追いまわすのと同じように、あっちの子犬こっちの子犬と見てまわり、ため息をついていた。
 よかった、ちょっとは元気になったのかなあ。
 俺もポチに負けないくらい子犬に夢中になりながらも、彼女を見ながらちらりとそんな事を思った。
 その時、店の扉が開いた。

「ごめんくださーい」

 入ってきたのはきれいな女の人。
 白と茶色のロングコートチワワのリードを引いていた。

「ああ、深沢様、チョコちゃんのお預かりですね」

 そう、ここはペットの預かりもやっているのだ。
 世話がきちんとしているから、近所でもなかなか定評があるらしい。
 飼い主の女の人が手続きを済ませている間、その足元ではチワワが後ろ足で立って、不安そうに一生懸命主人様にすがるように前足をひっかける。
 その姿がなんとも可愛らしくて、俺とポチは思わず見入ってしまった。

「じゃあ、チョコちゃん、明後日に迎えに来るからね、良いコにしててね」

 飼い主の女の人は、しゃがんでチワワの頭をなでると、店のご主人に『よろしくおねがいします』と言って、そして店を出て行った。
 残されたチワワは、飼い主が出て行ったドアをいつまでもいつまでもなんとも切なそうな顔で見ていた。

「ねえ、おじさん、このコ、抱っこしてもいい?」

 俺はたまらなくなって、思わず店のご主人に尋ねた。

「ああいいよ、菊丸くんは抱き方ちゃんと慣れてるからね」

 許可を得ると、俺はすぐさまそのチワワを抱きかかえた。

 ご主人様はちょっと留守するけど、大丈夫。ここのおじさんは良い人だし、今は俺が抱いていてあげる。ご主人様もすぐに迎えに来るからね!

 そんな事を考えながら、優しくそのチワワを抱いて頭をなでた。
抱っこされたそのコは、ちょっとは嬉しそうにはするんだけど、目は相変わらず扉の方を見たまま。
 俺が抱っこしたそのチワワを、ポチは愛しそうに見つめながらそうっとなでた。

「……な? ポチみたいだろ?」

 俺がそんなポチを見ながら笑って言うと、彼女は目を丸くして、そしてまだ扉を見つめているチワワをまじまじと見る。
「……私、こんな風?」
「うん、もう、このまんま」
 俺が言うと、ポチはしばらく俺の目を見てからくっくっとおかしそうに笑って、そして優しく何度もチワワの頭をなでた。
 俺は店のご主人が用意したゲージにそのチワワを入れると、ポチを見て、そしてポチの頭をなでた。
 ポチは一瞬驚いた顔をするけれど、俺が最初に彼女を「ポチ」と呼んだ時みたいに笑うと、少し照れくさそうにうつむいて、黙ってされるがままになっていた。
 ああそうか、俺はずっとこうしてやりたかったんだなぁ。
 大石が傍にいなくて寂しくて不安そうな彼女に、大丈夫だよって、頭をなでてやりたかったんだ。

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2007.7.14

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