● ベイビー!逃げるんだ。(4)  ●

 三人でカフェに行ったあの日から、俺がポチから大石を逃がしてやらないといけないような事はほとんどなくなった。
 ポチは大石を探してちょろちょろする事もないし、大石には平穏な日々がやってきた。
 それでもポチが時々悲しそうな顔をしながら大石を眺めていたりするのに、俺は気付いてしまうのだけど。

「……ポチ、大石の事はもうあきらめたの?」
 
 ある日、教室で弁当を食べながら俺はずばりとポチに尋ねてみた。
 ポチは神妙な顔で弁当を食べ続ける。

「なんて言うのかなあ……。この前菊丸くんに、あのチワワが私みたいだよって言われて……ちょっとわかったんだ。私は……大石くんが好きで、でもぜんぜん彼の事を知らなくて、親しくもなくて。彼と仲良くなりたいのに何の手立てもないから、すごく不安で焦ってしまってたんだよね。恋って楽しい事のはずなのに、私にはそんな不安な気持ちや焦るような気持ちしかなくて、そういう私一人で突っ走る気持ちばかりが大石くんに伝わってたんだろうなあって思う。そりゃあ、話してても楽しくないし、避けるよね」

 俺はポチがそんな事を言うのが意外で、そしてそれと同時にちょっと感心して彼女を見ていた。
 多分、ポチは大石に恋をしてから、まったく上手く行かないしヘコむような事の連続だったと思う。
けれど、ポチは一度も拗ねるような事や泣き言は言わなかった。
 ただただ、留守番させられた子犬のように、我慢づよく大石を好きでいつづけたのだ。
 そして今、冷静に自分の事を振り返っているんだ。
 俺はそんな彼女に、どんな言葉をかけたら良いのかわからなくて、そして前にペットショップでそうしたように、彼女の頭に手をのせて、ヨシヨシとなでた。
 彼女はあの時のように、エヘヘと照れくさそうに、そしてちょっと悲しそうに笑った。



 そんな訳で、俺と大石とポチの
「にーげろー、大石ぃー! ポチ! 大石は忙しいから、こっちだ! ドウドウ!」
 なんて恒例のやりとりはすっかりなくなり、今ではすっかりポチっぽくないさんは、以前の通り大人しいクラスメイトに戻っていた。
 彼女に悩まされる事のなくなった大石は、まさにほっと落ち着いたという感じで、部長代理の業務を生き生きとこなしている。
 俺はというと、大石には申し訳なかったけど、なんだかんだ言って大石好きの仲間としてポチをあしらうのは楽しかったから、今はちょっと退屈だ。
 大石がバカみたいにボーリングが好きだとか、部長代理になってから時々笑っちゃうくらいに空まわってるんだとか、ポチとそんな話がしたいんだけどな。



 ある日、俺は部活が終ってから一人で例のペットショップに行った。
 またポチみたいな犬がいるといいなー、なんて思いながら。
「まいどー」
 店に入ると、リードをしていないドーベルマンがいきなり俺を出迎えた。
「うわっ」
 犬好きの俺でもさすがに驚いてしまう。
「あっ、菊丸くん、ごめんごめん、でも大丈夫だから」
 俺の驚きっぷりにご主人が笑いながら出てきた。
 ご主人が出てくると、ドーベルマンはさーっと走ってその額をご主人の太ももにこすりつけた。
「……そいつって、いつも奥につながれてた奴じゃない?」
 俺はおそるおそる尋ねる。
「そうそう、飼い主の人が飼えなくなっちゃって預かってたんだよ。なかなかなつかなくて、奥でつないであったんだけどね、最近やっと慣れて来たんだ」
 ご主人は愛しそうに、その黒い垂れ耳のドーベルマンの頭をなでた。
「へー」
 俺もおそるおそるそいつをなでてみた。
 黒い短い毛はゴワゴワしているけど、瞳はくりくりと可愛らしくて、なでると嬉しそうに俺を見た。
「前の飼い主が大好きだったみたいで、最初はご飯も食べなかったんだけどね。今じゃもうすっかり僕になついちまって。里親探そうと思ってたんだけど、可愛くなっちゃって結局ウチのコにする事にしたんだわ」
 ご主人は嬉しそうに言った。
「へー、そうかー、良かったにゃー、お前ー!」
 俺も嬉しくなって、そいつの耳をつまんでみたりして、ぐりぐりとなでまわした。
 新しい飼い主の決まったそいつのだらしない口元は、まるで笑っているみたいで、本当に幸せそうだった。



 翌日の放課後、俺は図書館に行って書庫の間をうろうろと歩く。
 そして、すぐに見つけた。
 ポチを。
 ポチは上から二段目の棚の本を取ろうとして、背伸びをしていた。
 俺はそうっと後ろから近づいて、ポチの指先にある本の背表紙の下のところをちょいと押し、傾いて出てきた表紙を掴むと本棚から取り出し、ほい、と彼女に渡した。
「ニシシ、こうやって取ると、本が傷まないんだろ?」
 俺が笑いかけると、ポチは一瞬驚いた顔をして俺を見上げる。
そして照れくさそうに笑いながら、ありがとう、と言った。
 ポチがその本の貸し出し手続きをすませると、俺たちは図書館を出た。

「いろいろ考えたんだけどさ」
 
 図書館を出て、部室に近い校庭の木陰で足を止めると俺は言った。

「うん?」

 ポチは不思議そうに顔を上げる。
 俺はそれまでのちょっとふざけた顔から、きゅっと真面目な顔をして彼女を見た。

「あのペットショップのチワワのチョコちゃんと違って、ポチには、大石の迎えは来ないよ」

 俺は静かにゆっくりと、そしてはっきりと言った。
 ポチはそんな俺を、じっと悲しそうな顔で見る。

「うん、菊丸くんに言われなくても、わかってるよ」

 そして恨みがましい風でもなく、静かに言った。

「だからさ、ポチ、ウチのコになりなよ」

 次に俺がニッと笑って言うと、ポチは大きく目を開けて俺を見る。

「……でも、菊丸くんちはもう兄弟四人いるんでしょ?」

 困ったように言う彼女に、俺はついつい声を上げて笑ってしまう。

「ポチはさ、大石を好きなままでも良いんだ。ただし二番目にね。俺の事を一番好きになりなよって事。大石よりも、俺がずっとポチを可愛がって大事にするからさ。俺も大石好きだから、俺たち、きっとすごく合うと思うんだ。俺、もっとポチと大石の話をしたり、一緒に子犬を見に行ったりしたいよ」

 俺が一気に言うと、ポチは本当にびっくりした顔をして、そしてかあっと顔が赤くなった。
 お預かりしていた期間が結構長いからね、だいたいわかる。
 きっとこんな時、ポチは上手く返事なんかできない。
 だから、俺はポチの手を取って走った。

「今までさ、大石がポチから逃げてばっかりだったから、たまには逆になってみない?」

 困ったような顔をしたままの彼女を引っ張ってゆく先には、部室の鍵を開けようとしている大石の後姿。
 ポチを引っ張っていった俺は、大石の後ろに立つと、ぽんぽんと大石の背中を叩いた。

「ぐわーーーおっ!!!」

 なんだ? と振り返る大石に、俺はモンスターズインクの落ちこぼれモンスターみたいに、ポチとつないだままの手を振り上げてヘンな顔をして、バカみたいにわめいてみせた。
 さすがの大石も、突然の俺の奇行に腰を抜かさんばかりに驚く。

「ポチぃー、にーげろー!」

 そしてまた俺はポチの手を引っ張って、ピンポンダッシュよろしく走り出す。
 走りながら彼女を見ると、彼女は大石の方を振り返る事なく、困ったような、でも楽しそうな笑顔で俺を見ていた。
 俺は嬉しくなって、走りながら大きな声で笑った。
 ポチ、今日から俺たち、きっと毎日楽しいよ。
 いや、もうウチのコになったんだから、迷い犬のポチじゃないよね。
 ウチのちゃん。

(了)
「ベイビー!逃げるんだ。」

<タイトル引用>
忌野清志郎・仲井戸麗市,作詞,作曲「ベイビー!逃げるんだ。」(RCサクセション)

2007.7.15

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