● 恋のアドベントカレンダー(5) --- 観月はじめの憂鬱 ●

 どうやって寮まで帰りついたのか、よく覚えていない。
 ラヴェルの「ボレロ」のごとく着々と盛り上がっていたクライマックスが、いきなり無音になったような感じだ。
 の「ごめん」という言葉が何度も頭の中で繰り返される。
 今日一日の僕の言葉やしぐさのひとつひとつ、すべてが完璧だったはずなのに。
 うつむきながら寮の部屋に戻り、着替えをして手を洗った。
 とりあえずお茶を淹れようと、食堂にお湯を沸かしに行ったら僕の名を呼ぶ声。
「あっ、観月さんよかった! 実家の姉さんがラズベリーパイを焼いて持ってきてくれたんですよ!」
 後輩の不二裕太くんだ。
「……ああそうですか」
「皆で食べようと赤澤さんや金田も呼んだんで、今来てます」
「……ああそうですか」
 僕が気のない返事をしていると、赤澤くんや柳沢くんが騒がしく食堂に入ってきた。
「よぉ、観月! 今日はとデートだって聞いてたけど、帰ってきたとこか!」
 赤澤くんがいつものように大声で言い放つ。今日は彼らと顔を合わせたい気分ではない。
「裕太の姉さんのラズベリーパイ食うだーね、観月、美味い紅茶を淹れてくれだーね」
 コンロの火を止めて僕は振り返った。
「お茶くらい自分たちで淹れてください」
 裕太くんと赤澤くん柳沢くんが目を見合わせる。遅れて食堂にやってきた木更津くんは、いつものように物静かなままだ。
「……そーかそーか、それもそうだな」
 赤澤くんは勝手知ったるように食堂の棚の扉を開ける。
「じゃあ、この辺のティーバッグでも使わせてもらうか!」
 そう言うと赤澤くんは、戸棚から取り出した共用のマグカップにそのままティーバッグを放り込むと、電気ポットの湯をジャーッと注いだ。
「あっ……」
 つい声を上げてしまう。
「裕太の姉さんの絶品のラズベリーパイには役不足だが、観月が紅茶を淹れてくれないっていうんじゃ仕方ないな!」
 赤澤くんはカップの中のディーバッグをジャブジャブと動かし始めた。
「ああっ……!」
 僕は頭を抱えてしまう。
「だめです、赤澤くん……。わかりました、僕がお茶を淹れましょう。お願いです、これからティーバッグで紅茶を飲む時はきちんと事前にマグカップをお湯で温めて、そして沸かしたての湯を注いでください。そして、ティーバッグはジャブジャブしない!」
 裕太くんをつれて、急いで僕の部屋にティーセットを取りに行った。
 もう一度薬缶で湯を沸かしながら彼らには背を向けたまま。
「で、観月、今日はどうだったんだーね、とのデート」
「別にデートではありませんよ」
「でも二人で出かけたんだろ」
「お茶を買いに行っただけです」
「観月、朝出かける時はあんなに上機嫌だっただーね」
「今はひどく落ち込んでいるじゃないか観月。どうした、振られたか!」
 赤澤くんの大声に我慢がならず振り返ると、彼は僕のティーポットを手にしていた。
「一人で落ち込んでないで、話せよ。話さないと、この冷え冷えのティーポットに紅茶の葉をドバーッと入れるぞ」
「やめてください!」
 あわてて赤澤くんからティーポットを奪い返した。
「温めもしないポットに茶葉を入れたら、台無しです!」
 ちょうど沸騰しかけた湯をポットに注ぎ、ポットを温めた。
「僕のことは放っておいてもらえますか。ラズベリーパイを食べてお茶を飲んだら、自宅組はさっさと帰るように」
 赤澤くんは今度は紅茶のキャニスターを手にしていた。僕が今日買ってきた大切な秋摘みダージリンを詰め替えたばかりのものだ。
「そんなことを言うなら、食堂のインスタントコーヒーの瓶に入れっぱなしのスプーンでお前の紅茶をすくうぞ!」
 寮の食堂には僕の悲鳴が響いた。
「……お願いですから野蛮なことはやめてください……わかりました、ゆっくりとお茶をしましょう」
 既に消耗してしまった僕は必死に集中力を振り絞って、秋摘みダージリンをポットで蒸らす。ラズベリーパイは裕太くんが手馴れた様子で切り分けてくれていた。
「で、今日はどうだったんだ?」
 カップにお茶を注いでいると、赤澤くんが続ける。
「……だから言ったとおりですよ。紅茶を買いに行ったんです。朝から百貨店などをまわって、ティールームでクリスマスプレートをいただいて、それぞれクリスマスティーを買って、そして夕方帰って来ました」
「そうか、楽しそうな一日じゃないか! なのになんでそんなに機嫌が悪いんだ? 何かあったんだろ?」
「……話しても仕方のないことです」
 紅茶を注ぎ終えて椅子に腰を下ろし、ソーサーとカップを持ち上げようとすると、赤澤くんが片手に何か白いものを手にしているのが見える。
「観月お前がそういうつもりなら、俺はお前が淹れてくれた紅茶に、このコーヒーフレッシュを入れて飲むぞ」
 思わずカチャンとカップをソーサーに置いた。
「や、やめてください、赤澤くん……今淹れた紅茶はミルクティー向けではないし、それにコーヒーフレッシュなんてせっかくのお茶が台無しです」
 震える声で言うと赤澤くんは、パキッとコーヒーフレッシュポーションのフタを開けた。
「待ってください! わかりました、話します! 裕太くん早くそいつを赤澤くんの手から取り上げてください!」
 赤澤くんは裕太くんにコーヒーフレッシュを渡すと、満足そうにカップを手にした。
「うーん、やっぱり観月の淹れてくれた紅茶は美味いな!」
 ラズベリーパイを二口ほど口にして糖分で頭を落ち着けながら、僕はしぶしぶ今日のしめくくりのとのやりとりを話した。
「……ほう、うーん」
「むむ……」
 皆、口々にうなり声を漏らした。
「だから言ったじゃないですか」
 僕はやけくそ気味に言い放った。
「僕の頭脳で考えてもわからないことなんです。皆さんに話したって仕方がないでしょう」
「まあ、そう言うな観月。観月はに、好きだ付き合いたいって言ったんだろ。で、も観月が好きだって言って、でもなんか知らんが、だめだと思うごめんって言われたんだな」
「……大きな声で繰り返さないでもらえますか」
 顔をそらしてつぶやいた。
「はい!」
 野村くんが挙手をした。
「よし、ノムタク!」
 赤澤くんが生き生きと仕切る。
「もしやさんは高等部への進学の際にルドルフには進まず外部進学をするとかで、もう会えなくなる、ということでは!」
「いえ、さんはすでに高等部への進学の手続きをすませています」
 ぴしゃりとその意見を却下した。
「はい!」
「よし、金田!」
「この前ご馳走になったシフォンケーキは、本当はさんが作ったものではなかったのでは! それが後ろめたく……」
「そんなことは元々彼女の口から聞いています。彼女が家庭部でいながら菓子作りができないことなど、知っていますよ」
「淳、お前は何かないのか!」
「……クスクスクス……」
「はい!」
「よし、裕太!」
「……もしかすると、先輩は不治の病で余命いくばくもなく、それでもう観月さんと一緒に過ごすことはできないと……」
「彼女の健康診断結果はオールAです」
 一同しんとなる。
「……観月、言いにくいが、はお前のそういうストーカーっぽいところが嫌になったんじゃないか?」
 赤澤くんをキッと睨みつける。
「僕のどこがストーカーっぽいと!」
「いや、すまん、言い方が悪かったな。データ収集癖というのか?」
「敵を知り己を知らば百戦危うからず、です」
 皆、徐々に口数が少なくなり、静かな食堂には、カップとソーサーの触れるカチャカチャとした音が響く。
「はい! だーね」
「よし、柳沢!」
は1年の時につきあってる奴いたんだーね? 観月はまじめだから、そういうの気にするんじゃないかと、が気兼ねしたとか」
「そんなことは僕は調査済みだと前にも言ったでしょう! もういいです、放っておいてください! 僕は賛美歌独唱の練習に集中します。裕太くん、ティーセットを責任持って磨いて返してくださいね」
 僕は立ち上がって自室に戻った。
 わからない、やっぱりわからない。
 は僕を好きだと確かに言った。
 だめだと思うっていうのは、どういうことなんだろう。
 好きだけど付き合えない?
 テニス部の面々が想像したその理由を反芻するけれど、どれも的外れだ。
 かといって他に理由は思いつかない。
 だとしたら、好きだというのが社交辞令?
 わからない。
 どちらにしろ、僕が描いたクリスマスのシナリオが実現しないということは確かなんだ。
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