● 恋のアドベントカレンダー(2) --- 観月はじめの幸運 ●

 寮に向かう僕の胸は、灯がともったように暖かい。
 何一つ間違いはない。すべては僕の思ったとおりだ。
 今日、ティールーム・ワルツへの往復を思い返しながら暮れかけた空を見上げた。得心の笑みが浮かんでいるのが自分でもわかる。
 今日、電車でと偶然乗り合わせたことは、きっと今年のクリスマスの天からの贈り物に違いない。僕はそう考えながら、今年の礼拝で歌う賛美歌を口ずさんだ。
 を初めてワルツで見かけたのは、半年前ほどのこと。
 気に入っている店のひとつであるそのティールームに足を踏み入れると、既に制服姿のが中のテーブルでひとりお茶を飲んでいた。
 学校帰りの寄り道に制服姿は校則違反だとか、普段だったらそういったことが真っ先に頭に浮かぶだろうに、その時はそんなことは吹き飛んでいた。
 クラスの女子といえば、たいがい女子同士でわいわいとおしゃべりをしながらお菓子を食べたりそんなイメージだった。それにこのもどちらかといえば、そういうタイプの印象だ。
 けれど、その時のは。
 ゆったりとした店内の奥のテーブルで、静かに幸せそうにティーカップに口をつけていた。忘れもしない、クリームティーセット。スコーンにはたっぷりのクローデットクリームをつけて、美味しそうにほおばっていた。紅茶と焼き菓子の世界にゆっくりとひたっている様は、僕の胸に焼きついた。目に? 脳に? よく分からないけれど、僕の芯に。
 僕はさりげなく、ふたつ隣のテーブルに腰を下ろし、同じクリームティーセットをダージリンで頼んだ。
 ちらりと彼女を見たけれど、僕が私服姿だったせいなのかまったく気づくことなく、お茶を飲み終えると席を立った。物販コーナーに立ち寄っていたので、彼女が何を手にするのか僕はじっと観察を続ける。
 彼女が会計を終えて店を出て行くと、僕はすぐさま販売用の茶葉をおいてある棚に向かった。彼女が買ったのは、店オリジナルのブレンドのまかない茶。
 当然僕もそれを買って帰り寮の自室で淹れてみると、セイロンティー中心のそのブレンドは甘く香り高く想像以上にフレッシュな味わい。ワルツでは店主自ら買い付ける茶葉を売っているということなので、ブレンドで出されるものも鮮度が高いのだろう。
 僕はどちらかというと、シングルエステートの茶葉かブレンドは有名ブランドのものしか買わない方だったのだけれど、これは美味しいと思った。
 そして当然、その茶葉を淹れるたびに同じものを飲んでいるだろうのことを思い出した。
 普段、紅茶を寮生に振舞うことも多いのだが、そのまかない茶だけは一人で飲みきったことを覚えている。
 実はそれから、何度かティールーム・ワルツでと一緒になったことがあるのだが、どういうわけだか彼女は一度も僕に気づいたことがない。まるで、違う世界に生きているかのように。
 それならそれで、かまわない。
 しかるべき時、僕のシナリオで彼女の世界を僕の世界にしてみせる。
 そう誓って、僕は熱い中3の夏を駆け抜けた。
 なんて言うのはさすがに我ながら格好つけすぎかもしれないが、テニス部を勝利に導くために全国から集められた僕らには、その夏の大会は特別な意味を持っていたのだ。
 不本意な結果で終わった夏を自分なりに飲み込み、次は僕の毎年の大きな仕事のひとつ、クリスマスの賛美歌独唱を控えた今、大きな転機がやってきた。
 今日、電車でと一緒になったのだ。
 おそらく間違いなく彼女はワルツへ行く。
 今日こそ、彼女の世界と僕の世界は交わる。
 電車の中であの男が彼女に声をかけた時、僕はざっと16通りのシナリオを考えていたところだった。
 その瞬間、僕の中で17番目の完璧なシナリオが出来上がったのだ。
 その時のことを思い出して、んふっと声が漏れ、もう一度空を見上げた。
 部屋に入り手を洗ってうがいをした後少しの時間を置いて、今日買ってきたまかない茶を淹れ、スコーンを温めた。
 今頃彼女も家に着いている。
 きっと、今日買った紅茶を淹れ、スコーンを食べているところだろう。
 今、僕が口にしているのと同じものを。
 きっと、僕と同じように今日の出来事を思い出しながら。
 

「観月、昨日はありがと!」
 翌日、教室でまっ先には僕に向かって笑顔を見せた。
 そう、こういう人なのだ。
 率直でわかりやすい、そういう女子。だからこそ、一人静かにワルツで溶け込んでいる姿が印象深かった。
「スコーンも美味しかった。テイクアウトは初めてだけど、家であっためて落ち着いて食べるのも結構いいね」
「焼きたてにはかなわないでしょうけどね」
 確かにそうだけどねー、と彼女は笑う。隣の列では、彼女がいつも仲良くしている女子たちが不思議そうに僕らを見ていた。僕と彼女が親しげに話しているところがもの珍しいのだろう。彼女に限らず、僕が女子と談笑することはあまりないということもある。
「ね、観月、昨日、お菓子好きの後輩がいるって言ってたでしょう。寮生?」
「え? ああ、そうですよ。2年生で、次期テニス部のエースです」
「へえ、そうなんだ。その子は明日は外泊せずに寮にいるの?」
「ええ、今日からは通常通り寮で過ごすようですが。それがどうかしましたか」
 僕はそしらぬ顔で会話を続けた。
「私、一応家庭部なんだけどね、今日、家庭部の皆がお菓子焼いてくれるから、観月たち寮生で食べる分も焼いてもらおうかなって。その……昨日、その後輩の分のスコーンもらっちゃったし」
「へえ、お菓子ですか」
「うん、うちの部、結構上手いよ。あ、でも言っとくけど私は作れなくて、食べるの専門で材料調達係。紅茶担当もしているの。ほら、昨日、まかない茶買ってきたところだし、今日はみんで集まってお菓子焼くってことになってて」
 部っていうか、今は単にお菓子食べる集まりだけどねーと笑う。
「そうですか、それはきっと皆喜ぶことでしょう」
「本当? よかった。じゃあ寮に持っていってもらう分も焼くように言うね。あ、ちなみに私たちが今日焼いて食べるのはスコーンで、寮に持って帰っていってもらうのはシフォンケーキだから焼いた後冷やすし、出来上がりは明日ね。お菓子焼く子が、男子寮に持って行ってもらうなら張り切って得意のシフォンケーキにしたいらしいから。観月はシフォンケーキは好き?」
「ええ、もちろん」
「よかった、うちの部のシフォンケーキ美味しいよ。重ね重ね残念なことに私が焼くんじゃないけど」
 お気になさらず、と言いつつ、つい微笑んだ。
 彼女が家庭部の食べる専門の部員で、紅茶担当なことも僕は知っている。
 家庭部で作るお菓子に合う美味しくてリーズナブルな紅茶を調達してくることが彼女の役割のひとつで、ティールーム・ワルツは彼女が気に入っている調達先のひとつなのだ。
 僕は携帯で『お菓子が好きな後輩』をはじめ、いつも紅茶をふるまうなじみのテニス部のメンバーに、明日のお茶会の告知をした。

 放課後、音楽室で独唱の練習を終えて寮に向かおうとしていると、渡り廊下のところでが走ってくる姿が見えた。
「あー、ちょうどよかった! もしかして、まだ賛美歌の練習してるかなって思った」
「今終わって寮に戻るところです」
 つい声のトーンが上がってしまいそうなのを、必死で抑える。今はまだ、決して浮かれていることを悟られぬように。
「シフォンケーキは明日ですよね? 焼いた後にしっかり冷やしておかないとしぼんでしまうんだと、実家の姉が言っていました」
「へー、お姉さん、お菓子焼くんだ」
 ひとしきり僕の姉たちが得意とする焼き菓子などの話をした後、彼女ははっとした顔をする。
「あ、それはそうと、はい」
 僕に紙袋を差し出した。手にするとまだ暖かい。
「これは寮のみんなにじゃなくて、観月の分。今日焼いたスコーン。温かいうちにと思って。じゃあね」
 紙袋を渡した彼女は僕に手を振って正門に向かった。
 一瞬の間をおいて、僕は寮に走る。スコーンが冷めぬうちに。
 走りながら考えた。
 間違いなく彼女には才能がある。
 僕の演出・シナリオを超えて僕の心を持っていく才能が。
 走って自室に戻り、湯を沸かしながら手洗いうがいを終え、着替えもせぬまま紅茶を淹れた。とっておきのロイヤル・コペンハーゲンのレースシリーズをテーブルにセット。まだ温かいスコーンにはちみつを添えて、一口かじる。茶葉を多めにして淹れたストレートティーによく合った。二杯目はミルクティーにしてゆっくりと味わう。
 明日はシフォンケーキ。今回のまかない茶はダージリンとアッサムのブレンド、さぞ合うだろう。
 登場人物、演出、シナリオ、小道具、どれも完璧だ。
 今、僕の世界との世界は確実に交わりあいつつある。
 きっと、もっと同じ物を見ることができるだろう。
 そのためのドラマティックな展開は、きっともうすぐ。


翌日、僕がから受け取った大きなホールのシフォンケーキを前に、昨日お茶会に誘ったテニス部メンバーが全員揃っていた。つまり、寮生の柳沢くんに木更津くん裕太くんに野村くん、自宅から通っている赤澤くんに金田くんだ。
「珍しいですね、全員が揃うなんて。僕のお茶会に皆勤なのは裕太くんくらいで、赤澤くんなんか滅多に来たことがないのに」
食堂のテーブルに僕のとっておきのティーセットを持ち出してセッティングをした。裕太くんがケーキナイフで慎重にケーキを切り分けている。7等分、奇数だから苦労をしているようだ。
「俺だってよく来てるだろ。それに、今回は家庭部の女子が作ったケーキだっていうじゃないか、でかしたぞ観月!」
 赤澤くんが嬉しそうに腕まくりをした。食べる気満々のようだ。
「裕太は時々女子からもらってきたりしてたけど、観月は初めてだーね。今回はまたどういったわけで」
「裕太くん、女子からそういったものをもらっていたのですか? 僕は聞いていませんけど」
 裕太くんをにらむと、びくっとナイフを動かす手が止まった。
「柳沢さん、やめてくださいよ! そ、そんなの1〜2度じゃないですか!」
 妙にあせった声で言い訳がましい。
「いーや、もっとあったはずだーね」
 大方、女子からもらった菓子を僕に見られてとやかく言われるのが嫌で、僕に内緒でこっそりわけて食べたのだろう。あってはならぬことではあるが、今の僕は広い心で彼の過ちを許すことができる。
「おい、今はそんな話はどうでもいいんだ。裕太が女子から手作り菓子をもらうのは珍しいことでも何でもないだろ。それよりどういったわけで観月が家庭部の女子から手作りケーキなんてもらうんだ?」
 その場にいる全員が興味しんしんといった表情で僕を見ていた。
 僕はポットのティーコゼーをはずすと、茶漉しを使いながらカップに紅茶を注いだ。
 こういった展開となれば、赤澤くんや柳沢くんが詮索の手を緩めない事を僕は予想している。だが、これも僕の計算のうちだ。今後、僕のシナリオ通りに事がはこび、僕とが互いの思いを確認しあってより親しくなっていった場合……いやそうなることに間違いはないのだが、そうなったら必ずや常に話題に飢えたこいつらが何やかんやと言ってくるだろう。こういったことは、事前にそれとなく伏線を張っていた方が軟着陸できるものだ。
「ちょっとした偶然がありましてね」
 紅茶を注ぎ終えると、ちょうど裕太くんがケーキを皿に盛り付け終えた。から、これを添えて食べるようにと一緒に渡された生クリームが入ったタッパーから、めいめいが好きなだけクリームを取り分ける。
「偶然?」
「ええ、ちょうどなじみにしているティールームが家庭部の女子が愛用していると同じお店で、紅茶を買いに行った際、たまたま一緒になったのですよ。その時にちょっと彼女が困っておいでだったところを助けたことがあり、そのお礼だそうです」
 用意していた答えをすらすら口にすると、赤澤くんが朗らかに笑った。
「家庭部の女子って、か? 観月、が好きだったもんなあ、よかったじゃないか!!」
 赤澤くんが大声で言い放つものだから、僕は一口すすった紅茶をむせてしまった。
「赤澤くん、あなた! 一体何を言ってるんですか!」
「おっ、このケーキ美味いな! オレンジシフォンケーキか、しっとりふかふかで美味い! このクリームがまたヨーグルト風味でよく合うな」
 皆も一同に、ケーキに夢中になる。
 僕も遅ればせながらケーキにフォークを入れた。
「いや、ノムタクがな」
 唐突に名指しされた野村くんがびくりとした。
「夏過ぎくらいだったか、観月に1組のが可愛いとか話したら、すげー怖い顔で睨まれたって言ってたからさ。観月、普段はそんなこと軽く流すだろ。ああ、のこと気に入ってるのかなと思ったんだよ」
 僕としたことが、そんなことがあったかどうかまったく覚えていない。
「いや、観月くん、赤澤くん、僕べつにそんなたいした意味じゃなくて、軽ーい気持ちでちょっと言っただけだから」
「軽い気持ちですって!」
 つい声をあらげてしまう。
「まあまあ、先輩たち、せっかくの美味しいケーキと紅茶なんですから、穏やかに食べましょうよ」
 金田くんがなだめるように言う。
「そうだぜ観月、ケーキ美味いんだし怒るなよ」
「怒ってませんよ!」
「それより、と仲良くなったのか? よかったじゃねーか。のこと好きな奴、結構多いみたいだから、他の奴に先を越されないようにした方がいいぞ。ほら、って結構可愛くて話しやすいし、あれはもうつきあってる奴いるんだろうなって感じがするから、皆、牽制しあってあんまり声かけないんじゃねーか? でも観月にケーキくれるってことは、つきあってる奴いないんだろうな」
「知っています! 彼女は1年の時は交際している男子がいたようですが、その年の冬に別れています! それからは誰とも交際していません!」
 思わずテーブルを叩いて言うと、皆一瞬黙った。
「そうだーね、心配しなくても観月は何でも知ってるだーね」
「そうだな、よかったな、観月! 頑張ってと仲良くなれ! 来月はクリスマスだし、いい時期じゃねーか」
 柳沢くんと赤澤くんが言うと、裕太くんも立ち上がった。
「そうです、観月さん頑張ってください!」
「……そんなことはあなた方に言われなくてもわかっています」
 と言った言葉が、裕太くんの、「そしてまた、美味しいお菓子をもらってきて下さい!」という言葉とかぶった。

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