● 恋のアドベントカレンダー(1) --- 観月はじめとブレンド紅茶 ●

「その制服ルドルフだよね」
 学校帰りに買い物に行こうと乗った電車の中で不意に話しかけられ、顔を上げると見知らぬ男子。都下の制服とはわかるけど、どこの学校かまではわからない。
 面倒くさいな、と気づかないふりでスマホを手にした。
「きみ、電車で何度か見たことあるよ。今日、学校帰りだよね、時間ある?」
「……用事あるから」
「よかったらつきあうよ、その用事」
 見知らぬ男子はぐいぐい来る。こうやって声をかけられることは初めてではないけど、やっぱり嫌だな。
 扉の近くに立っていた私は、半歩位置を変えてその男子との距離を広げるけれど、彼はその分半歩前に出る。
「そういうの、ちょっと……」
 軽く首を横に振った。
「そうだね、今日の今日じゃいきなりだもんね。じゃあ、連絡先教えてよ」
 彼もスマホを取り出した。こういうなれなれしい相手は本当に苦手。強い調子で断って、もし怖いことされたら……と、どうしたらいいかわからない。

「学校が終わった後の外出は、制服のままではいけませんよ。校則に書いてあるでしょう」

 その時、静かなトーンの声が響く。
 一瞬、どこからその声がしたかわからなくて周りを見渡す。
 さして混雑はしていない電車の中、私と他校の男子が立っていた傍の座席からすっと立ち上がった彼を見て、軽い驚きで声が出そうになった。
 彼のことは知っている。同じ学校同じクラス、だけれどほとんど口をきいたことのない男子。学外で会ってもまずお互い声をかけることのないだろう相手。
 観月はじめ。
 別に仲が悪いというのではない。
 単に、まるで接点のない男子だっていうそれだけのこと、だった……。

 座席から立ち上がった観月はじめは、私にせまってきていた男子を見上げる。それほど長身でもない観月の目線は彼を見上げる位置にあるけれど、眼差しは冷静で冷ややかだ。
 何かを言うのかと思ったら、そのまま私の方を振り返り話を続けた。
「プライベートの外出にあたっては一旦帰宅をして制服を着替えてから、という決まりです」
無視をされた形の見知らぬ男子は、妙に居心地悪そうだ。
「え、あ……だって、今学校帰り」
 口ごもると、観月は私と他校の男子の間にすいっと入り込み、私を軽く睨んだ。
「嘘ですね。あなたの自宅の方向はこちらではないはず」
 まさに図星だ。
「へえ、じゃあきみ、家はどっちなの?」
 割り込んでくる見知らぬ男子に、きつい眼をした観月がさっと片手を上げた。
 彼がぎょっとして身構えると、停車駅のアナウンスとともに列車が減速をしてゆるい揺れ。
「んー、きみに教える必要はないと思いますよ」
 ふっと笑ってその手で前髪をいじる。
 見知らぬ男子の目に怒りが浮かんで、やばっと思った瞬間。
電車の扉が開き、観月の前髪をいじっていた手が今度は私の背中に触れた。

降りますよ。

ささやく声が聞こえ、私は観月に添えられた手で操られるように電車を降りた。
「おい!」
見知らぬ男子の声に振り返ることもなく、私たちは駅のホームを進む。
「……次の電車にでも乗ってください。それでは」
それまで乗っていた電車が発車した後、観月はそれだけ言うと私から離れて軽く手を上げた。
「あ、ううん、ちょうどこの駅で降りるところだったの」
 並んで歩くと、彼はおや、という顔で私を見た。
 
 観月はじめというのは、テニス部の補強組で地方から来ている子。確か、マネージャー兼選手だったかな。
 頭脳派でテニス部の中でも頼りにされているらしいという以外、少々変わり者だというイメージを多くのクラスメイトが持っていると思う。
 真面目で成績も良く運動もでき端正な顔立ちの男子生徒だが、クラスの中では皆でわいわいやるタイプではない。プライドが高そうで神経質そう、潔癖症らしいとも聞く。
つまりは、いわゆる女子からの人気を誇るというタイプではない。かく言う私も今までさして気に留めたこともなかった。
そう、今までは。
「あの、ありがとう」
 あわてて言うと、観月はちらりと私を見た。
「さっき、助けてくれたでしょ」
 彼はふっと笑う。
「クラスメイトとして当たり前のことです」
「……観月、すごいかっこよかった」
 思わず言うと、観月は一瞬驚いた顔をしてからまたふっと笑う。
「それはどうも」
 つい言ってしまったけれど、本当にそう思ったのだもの。
今まで気にも留めたことのない男子が、困ってる私を突然に王子様みたいに颯爽と助けてくれた。

 すごいかっこよかった。

 自分が発した言葉を反芻してから、もう一度改めて隣を歩く観月を見た。
 上等そうなウールのジャケットに、セーター。マフラーはバーバリーかな。色白の肌はきめが細かくて、真っ黒な髪はつやつやだ。
……うん観月ってすごくきれいだし、かっこいい。しかも、あんなふうに他の男子に向かっていって、助けてくれるんだ、ちょっと意外。
 他校の男子生徒との間に入ってくれたこと、電車から連れ出してくれたシーンを思い返す。あんな事があったら、好きになっちゃうよねー……。
さん」
 彼の声でわれに返ると、改札の前まで来ていた。
「えっ、はい」
「僕は西口の方向に用なんですが」
 落ち着いた彼の声で、自分がここに来た理由を思い出した。
「あ、私もこっちなの」
 バッグからICカードを出して改札を通った。
 駅を出て通りに入ったら、びゅうと冷たい風が通り抜けたけれどそんな事はちっとも気にならない。
「……観月は買い物かなにか?」
「ええ、紅茶を買いに」
 紅茶と聞いて目を丸くする。
「あっ、実は私も! どこに買いに行くの?」
「僕はティールーム・ワルツですけど」
「えっ、もしかして まかない茶狙ってる?」
「おや、あなたも?」
 観月は右の指先で、ウェーブのかかった前髪をくるりといじった。
「うん、まかない茶が今日店頭に並ぶってお店のHPで告知されてたから。あれ、お買い得で人気でしょう。すぐ売り切れちゃうから、急いで買いに来たの」
「僕もです」
「じゃ、急ご!」
 私たちは早足になった。
 ティールーム・ワルツは店主が自分でお茶を選んで買い付けてくる紅茶屋で、紅茶が美味しくてリーズナブル。特に不定期で発売されるブレンドの「まかない茶」はその時々でブレンド内容はちがうけれど、毎回とても美味しくしかも安い。その名のとおり、店主が販売用に小分けしたものの残りをまかない的にブレンドしたものだから販売量も少なくて、すぐ売切れてしまう。
 店の前に来ると、ボードにはその日のケーキや焼き菓子・サンドウィッチのメニューが書いてあって、思わず眼を奪われる。りんごの入った焼き菓子、好きなんだよなー。
 ひとまず店内に入り、販売コーナーにまっすぐ向かった。
「あ、よかったまだあった。観月も買うんでしょ?」
「もちろん」
 私たちは茶葉のパックを手にしてレジに向かった。
 会計をしながら、ティールームの方をちらちら見る。お客さんたちのテーブルにはカラフルなティーコゼーがかぶされた大ぶりのティーポットにティーカップ、ケーキ皿、ミルクピッチャーがところせましと並んでいる。
「……お茶をいただきたいところですが、さんは制服ですからね。校則では制服のまま飲食店に入ることは許されていません」
 そう言うと思った! 実は制服のままここでお茶を買ったついでにスコーンセットいただいていくこともよくあったけど、それは秘密にしておこう。
「……だよねー……」
 観月は一人で優雅にお茶を飲んでいくんだろうな。そういうの、似合う。
「仕方ないでしょう、校則なのですから。さ、目当てのお茶も買えましたし暗くならないうちに帰りますよ」
 観月は茶葉の他に焼きたてのスコーンもテイクアウトで頼むと、紙袋を手にさっと店を出た。
 私はちょっと驚いて後を追う。
「観月は私服だし、お茶してくのかと思った」
「……そのつもりでしたけどね、あなただけ帰すのも気の毒でしょう」
「えっ、あっ、気遣ってくれたんだ!」
「僕は気遣いのない男に見えますか」
「ううん、そういうわけじゃないけど、ちょっと意外で……っていういか、いや、うれしくて。えーと、ごめんね、私が制服のまま来ちゃったばかりに……」
 っていうことは、私が私服に着替えて来てたら、観月と一緒にワルツでお茶できたってこと? なんだか舞い上がってしまう。やだ、今日友達とおしゃべりしてから学校を出るまで、自分がこんなことになるとは思いもしなかった。だって、友達とは確か「今年もクリスマス礼拝の賛美歌独唱は観月に決まったね。確かに独唱上手いけど、観月ってかわってるよねー。お父さんが演歌歌手らしいよ」「えー、マジ!」なんて話をしてて、その後すぐにそんなことも忘れていたくらいだもの。
 改札を通って、跳ねそうな心臓を片手でぎゅっと抑える。心臓の音が聞こえてしまわないかはらはらするので、無理やり会話を続かせた。
「私の家って、ほら、学校からワルツに向かう反対方向なの。だから、一旦着替えに帰ってそれから行くとすごく時間がかかっちゃうんだよね。そんなことしてたら、まかない茶が売り切れないか心配で。観月は寮だから、すぐ着替えに帰れるんでしょ?」
「まあ、そうですね」
 あっ、なんだか言い訳がましくなっちゃったかな。うーん。
 夕刻の電車はすぐにやってきて、私と観月は隣り合って座った。
「そういえば観月ってよく私の家の方向とか知ってたね」
 何気なく言うと、観月はちらりと私を見てふんと鼻を鳴らした。
「4月にクラス名簿が配布されたでしょう。一通り目を通したデータは頭に入ります」
「へー、やっぱり観月は頭いいねえ」
 到着駅の表示がどんどん進み、聖ルドルフの最寄り駅が近くなる。
 観月の隣に座って電車に乗ってられるのも後ちょっとかぁ。
 学校近くの駅名がアナウンスされると、軽くため息が出てしまう。
「ああさん、これ」
 観月が私に紙袋を差し出した。
「え?」
「さきほどの店でのスコーンです。お菓子好きの後輩のお土産にと買ったのですが、彼が今日は実家へ外泊するらしいということを失念していました。ですから、あなたに」
「えっ……そんな、もらっちゃっていいの?」
 私がそっと紙袋を手にすると、彼は立ち上がる。
「それでは、また学校で」
 ジャケットの裾を整えながら、振り返ることもなく電車を降りていった。
 紙袋の中のスコーンはまだほんのり暖かい。
 私はそれが砕けそうなくらい、ぎゅっと抱きしめた。
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